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白単衣の女

流血沙汰が出てきます。苦手な方は移動ください。


 朝寝をした四日目の昼近くだった。今日はうちに帰ってしっかり食事をしたほうがいいのではと左近はのらりと起き上った。食べなければ隣村を訪ね歩く力も出ない。雨はまだ降り続いている。

 下着姿のまま小屋を出て天を仰ぎ二度と止みそうにない勢いの雨を浴びてから、浴衣に目を落とした。

「ここで投げ出すのはもったいないか。うちに帰った隙に他の男がこの浴衣を見て気に入ったらどうする?」

 答えの出ないまま顔を上げると、池の向こうに人影が見えた。どきりとした。


 白い着物の女だった。結っていない長い黒髪がだらりと濡れそぼっている。池から上がる瘴気(しょうき)のせいか、ゆらりゆらりと揺れて見える。左近は目を擦った。


 両手を腰ほどの高さに力なく上げている。濡れた袖が重そうだ。池に誘われたかのように一歩前に出た。だがその足元は雨に煙って見えない。


「この世の、者では……ない?」


 その姿は絵草紙の幽霊に余りに酷似していた。


 声をかけようにも口が開かない。

 すると見る間に白い着物の胸元が色付いた。小菊の花のように、ひとつ、ふたつ。

 見落としていた着物の意匠なのだと最初は思った。

 浴衣の(がく)紫陽花(あじさい)のような(くれない)がみっつ、よっつ。

 花柄の着物かと思った直後、つうっと縦縞が入った。赤黒い。

 

 ――血だ。


 左近は眩暈を覚えて三日月岩にうずくまった。そして酸欠した息を落ちつけた。青池に落ちたら、勝実(かつみ)以上に悲惨な死に方をするだろう。

 浴衣が手に触れた。紫陽花の浴衣は、濡れた綿織物のしなやかな感覚を左近に伝えた。勝実を包んでいた浴衣のように、びりりとはしなかった。その優しさと実在感が左近を現実に引き戻した。

 

「もう死んでいるのか、これから死ぬのか? どちらでもいいがちょっと待て!」

 左近はそう叫んで池の周囲を廻った。息がし(にく)いほど雨が降っていても、近付くにつれ女が亡者ではないことがわかった。

 女は左近などお構いなしに池に向けてまた歩を進める。

「危ない!」

 すんでのところで女を抱き止めた。


 全身濡れ切って、身体の芯まで冷えた女は、意識もはっきりしないようだった。

「すみません、池に浴衣は……ありますか?」

 左近には真意が測れない。

「池の中にはありません」

 と答えた。

「そうですか……、私は目が殆ど見えないのです。放していただけますか?」

「池に入らないと約束するなら」

 左近は荒い声音で言った。


「入るしかないのです。家が無いのですからもう村には帰れません。浴衣を浮かべて七日たつと、水中で溶けて消えてしまうそうです。その間に誰も訪ねて来なければ、池に入るしきたりなのです」

「嘘だ」

 浴衣を浮かべる女性側にそんな約束があるなんて聞いていない。余った独身男だけではなく、御山(おやま)は女も始末するのか? 

 左近はぶるりと震えた。


「嘘でもいいのです。もう養えないという叔母の意思表示なのですから。『穀潰し』と罵られ反物を渡されました。私など貰ってくれる殿方があるわけもない、池に入れということです。五十数える間だけ焼けつく思いを我慢すれば、後は楽になるそうです……」


「バカ言うんじゃない!」

 左近は女を抱き上げて小屋に走った。余りに軽い。単衣(ひとえ)の胸の血痕は池の瘴気のせいか、青緑色に変色していた。左耳たぶを切っている。よく見れば手も足もひっかき傷だらけだ。目の不自由な身体で、単身山道を上がってきたのか……。


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