鍛冶屋の勝実
変死体が出てきます。苦手な方は読まないでください。
数日後、隆一の留守に行商に来た狩人が、「おたくの鍛冶屋が山の上で死んでいる」と告げた。急報は村を駆け巡った。
小太郎はまた左近の薬屋に駆け込んだ。店主は脚絆を巻く手を止めず、顔も上げず応えた。
「ああ、御山の池の近くらしい。今から何人かで死体を下ろしに行く。私は死因を見つけねばならない」
医者も警官もいない村だ。検死は薬屋の仕事になってしまっている。
「僕も行く」
「やめたほうがいいんじゃないか? 親しい者の亡骸などつらいだけだ」
「祠の右の道、行ったことある? ないでしょ。うろ覚えでも助けにはなるかも」
「そうか、そうだな……」
左近は革手袋をはめながら、どこかしらうわの空だ。内心、動転しているのだろう。
古文書の地図を書き写してきた住職と小太郎の先導で、戸板を抱えた八人の村人は青い池についた。空の青より濃く、引き込まれそうに深く、それでも透明にたゆたっている。
「美しい」「何と綺麗な」「神秘的な色だ」と同行者は口々に声を上げたが、左近は黙って池の対岸を見つめていた。三日月形の岩の横に掘っ立て小屋がある。
「池縁の砂利に足跡が見える。浴衣があったのかもしれない」
住職が指さした。
「三日月岩の上に引き上げると言わなかったか?」
左近は義弟に尋ねた。
「引き上げるなら岩のほうから近付くだろう?」
鍛冶屋の死体は池の先の熊笹の茂みの中に倒れていた。白地に唐草模様の浴衣を下敷きにしてうつぶせている。
「勝実!」
「勝さん!」
左近と小太郎は思わず駆け寄った。が、左近が友人の死体に手をかけ仰向けにすると、皆が「うわっ」「ひっ」と目を背けた。小太郎は思わず後ずさりしてしまっていた。
勝実の上半身は服がはだけていて、浴衣に埋まっていた胸元は一面水ぶくれになっていた。顎の線がはっきりした、男らしい顔つきだったはずの頬には、みみず腫れが右へ左へと曲線を描いて走っている。
「何だ、これ?」
男たちは思わずその場に膝をついて、勝実の死体を呆然と眺めた。
経文を唱える住職の静かな声が木々の間を縫って響いていく。
「痛っ!」
小太郎が声を上げた。
「触るな! 浴衣に触るんじゃない」
左近は小太郎にはそう言っておきながら、自分は手袋を外して着物に触れた。まだうっすら湿っているのに、焼けるような感覚がびりりと伝わった。小太郎が「痛い」と言ったのも頷ける。
浴衣の裾はあちこちがほつれて、生地が古い麻袋のようにズタズタになっているところもあった。
「バカな……」
左近は思わず呟いた。
「死んだ友達をバカだなんて」
小太郎がふくれたが、左近は説明しなかった。
その夜には通夜が執り行われた。妻もなく、もう両親も亡くしている勝実だ、左近が喪主を務めた。鍛冶屋の居間では住職の読経が続いたが、台所ではあることないこと、噂話で持ち切りだ。
始末の悪いことに、村のおかみさん連中が目撃者である小太郎を取り囲んでいる。
「何だい、みみず腫れって、顔に出てたのかい?」
「たぶん、胸にもあったと思うけどもう腫れまくりでそれどころじゃないっていうか、でも顔にはくっきり盛り上がってた……」
「その浴衣ってのは山の向こうの女のなんだろう? 何か病気でもついてたのかい?」
「知らないよ、でも病気っていうよか、寄生虫かなんかが皮膚の下に潜ったような……」
「キセイチュウ? 虫かい……」
小母さんたちは言葉を失った。
「うちの鮒や鯉にもつくんだ、寄生虫ってのが。鱗の上から血を吸ったり、えらに入り込んだり。人の肌なら簡単に潜れるんじゃないかな」
夜も更けると弔問者が途絶え、左近と住職ふたり棺桶の前に座っていた。
「義兄貴は何が起こったかわかってるんだろう?」
「いや、断片だけだ。それとうすら寒い御山の呪いを感じている」
「のろい?」
「御山のせいにしちゃいけないか……。先祖の黒い企みかな。古文書なんぞ、見つけるもんじゃないな」
「オレのせいだって言いたいのか?!」
義弟になったとはいえ、住職にとって左近はうまの合う同級生だった。気が立って坊主という立場も忘れるとついタメ口になる。
「吉弥と小太郎は池に行かせるな。せめて小太郎だけは守ってやれ」
「どういう意味だよ?」
「小太郎は池に行かせるな、それだけだ」
子供を寝かしつけてきたのか、若夫婦が何組か線香をあげにきた。そこで会話はお預けになった。
鍛冶屋を失った村人は途方に暮れた。農繁期に鋤が壊れた、鍬が欲しい、収穫前に千歯こきの櫛形の歯抜けを修繕しておきたい、気がつく度に勝実はもういないと思い知らされる。
地主と住職は相談して、東村、西村の鍛冶屋に交代で来てもらうように手配した。