学校
―――――ピピピピピピ……
眠たく、霞む目を擦りながら一定のリズムで音を鳴らし続けるアラームを停める。
スマートフォンの液晶に表示される時刻は7時。
「……あぁ〜……きっつ……」
『World Of Load』をプレイしていると、夜遅くまでログインしてしまうため、昼夜が逆転し、朝に弱い身体になってしまった。
「………………」
ベッドの上で、枕に顔を埋めながら二度寝の欲求と戦う。
このまま寝てしまえばなんと気持ちのいいことだろう……。
そのままベッドの上を10分ほどゴロゴロし、意を決して身体を起こす。
「かおあらお……」
寝起きのせいか、頭はそんなに回らない。
せめて少しでも眠気を飛ばせればいいと、洗面所に向かい、顔を洗う。
蛇口から出てくる冷たい水が少しだけだが眠気を飛ばしてくれる。
俺はふぅ、と息を一つ吐き出して、タオルで顔を拭くとその場で背伸びをした。
「あぁぁぁ〜……っ!」
少しだけ覚醒した意識で今日の予定を考える。
今日は真面目に学校に行こう……。
8時40分までに学校に着けば欠席にはならない。
この家からなら15分ほどで着くのだから、まだ余裕はあるだろう。
「……飯は行きがけでいいか……」
食材が無いことを思い出し、朝ごはんは学校に行く途中で買うことにする。
そこまで空腹という訳でも無いため、菓子パンの一つや二つ買って食べれば十分なはずだ。
自室に戻った俺は、クローゼットに入れておいた制服を取り出してゆったりと着替える。
―――――俺が通っているのは【双葉学園】という中高一貫の学校だ。
中等部と高等部は校舎が分かれてはいるものの、図書室や食堂などは共有スペースとなっている。
成績に関してはピンからキリまでおり、俺は両親からの勧めで、自分の成績がギリギリ足りるこの学校に通っている。
制服に着替え終わった俺は、愛用のリュックサックに筆記用具と財布を放り込み、家の鍵とスマートフォンをポケットにねじ込んで玄関へと向かう。
教科書に関しては入学当初から一貫して教室に置きっぱなしだ。
家に帰ってきてから勉強する気はサラサラないため問題は何も無い。
靴を履いて、もう1度スマートフォンで時刻を確認する。
―――――【7時55分】―――――
途中でコンビニに寄って、朝ごはんを買い、食べれば丁度いい時間に学校に着くだろう。
玄関に置いておいた、外に出る時に必ずかけるようにしている度のないメガネをかけ、スマートフォンにイヤホンを差し込み、片耳に装着する。
最近聞き始めたそこそこ有名なJPOPアーティストの曲を適当にかけながら、俺は自宅を出た。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
―――――【双葉学園】高等部2年教室。
「なーなー!
新しい先生来るらしいけどどんな人なんだろうな?」
早めに学校に着いてしまったため、窓際の後ろの席でうつ伏せになりながら暇を潰しているとそんな声が聞こえてくる。
……どうやら俺が休んでいるあいだに新しい先生が来ることになっていたようだ。
「女の先生だったよなー」
「そうそう!
怖い先生じゃなければいいけどな!」
なるほど、新しい先生は女性か……。
特にどうということではないが確認する。
「ユーヤはどう思う?」
一人の男子生徒が俺に話を振ってきた。
「あ〜……あれだ、カワイイ系だと癒されるからアリ」
「それわかるわー!
流石ユーヤわかってるねぇ!」
そう言って、俺の背中をばしばしと叩いた男子生徒は満足げに他のグループの方へと向かっていく。
別に、話す相手が居ないから自分の席でうつ伏せになっていた訳では無い。
一応、体調不良という体で学校を休んでいたのだから、元気に振る舞うのもどうかと思い自重しているのだ。
いつもならああいう話に混ざって騒がしくしている。
それに、朝の教室というのはいろんな情報が飛び交っているもので、静かにその話に耳を傾ければ休んでいた間に何があったかはある程度分かるものだ。
話を合わせるには情報が大切なもので、こういう時間も必要なのだ。
―――――キーンコーンカーンコーン……
そうこうしているうちにチャイムが鳴り始める。
8時40分、朝のホームルームの時間だ。
チャイムがなり終わって少しすると、前方の教室の入口から担任の教員が入ってくる。
「よーし、ホームルーム始めるぞー」
担任である男性の教員はそう言って黒板の前、中央辺りに立つ。
そして、出席簿を片手に点呼をとっていく。
「―――――『中野裕也』」
「はーいよ」
俺の名前が呼ばれ、気の抜けるような返事を返す。
その後何事も無かったかのように他の出席確認がされていく。
……何とも暇な時間だ。
「さてと、今日は全員いるな」
わざとらしくそう言ってくる男性教員の視線を感じつつも俺は肩をすくめてスルーする。
「全員知ってると思うが今日は、新しい先生が来ることになっている」
その言葉にヒソヒソとした声が漏れる。
やはりこういうものは知っていてもソワソワして話してしまうものだ。
「ほら、静かに。
入口前に待ってもらっているから今から紹介しようと思う。
―――――では、先生どうぞ」
男性教員の言葉の後に、少し間を開けて前方のドアがスライドする。
「―――――え……っ??」
そこから現れた人物の姿につい声を漏らしてしまう。
腰ほどにまで伸びた夜色の美しい黒髪。
切れ目気味の瞳と整ったその顔は、見覚えのあるものだった。
「初めまして皆さん。
本日よりこの【双葉学園】で教鞭をとることになった『周音詩葉』です。
どうぞよろしくお願いします」
お淑やかに礼をし、微笑む周音先生。
(……『アマネ』じゃねぇか?!!)
あのお淑やかな振る舞いこそ、日ごろとは違うものの、その外見はアマネに相違ないものだった。
むしろ、あのお淑やかな振る舞いが、猫を被った時のアマネの振る舞いに重なって、もう俺には周音先生がアマネにしか見えなくなっていた。
「さてと、お前たちも気になるだろうからここはベタに質問タイムでも取るか?
ほら、気になること聞いとけ」
男性教員のその一言にクラスの生徒達が一気に騒がしくなる。
俺は皆の出した質問の答えを聞き漏らさないように集中する。
もしかしたら、ただの俺の勘違いで、周音先生はアマネでは無いかもしれない。
と、言うよりそうであって欲しい。
そうでないと何と言われるか分かったもんではないのだから。
「先生は何歳ですか!」
「今年で24になりますね」
「彼氏いますか〜?」
「残念ながら素敵な出会いが無くて……」
「何の教科を担当されますか?」
「私は日本史を担当します」
「先生はゲームしたりしますか?」
「嗜む程度にはしていますよ」
「そう言えば先生って『World Of Load』の『アマネ』さんに似てない……?」
誰の一言だったのだろうか、その言葉が出た瞬間に、更に教室内は騒がしくなる。
流石に鬱陶しくなるほどの騒がしさだが、事の確信に迫る内容を出してくれたのでいいとしよう。
「せ、先生って『World Of Load』の『アマネ』さんなんですか?!」
興奮したかのように、自称ゲーマーの男子生徒がストレートな質問をする。
「確かに似てるとよく言われますけど別人です。
それに、『World Of Load』は知っていますけどやったことは無いので……」
困ったような表情でそう言った周音先生。
その一言で教室内は残念そうな雰囲気になる。
実際、本人かどうか確かめようが無いのだ。
外見が似ている人間はこの世に3人はいると言われている。
現実世界の外見だけでは決め手に欠けるのだ。
―――――その時、俺と周音先生の目が合う。
そして、一瞬驚いたような表情を浮かべるも、すぐに表情を戻し、困ったような表情を浮かべる周音先生。
俺は机に突っ伏して溜息を吐く。
これはもう確定だ。
―――――周音先生はアマネである。
そもそも俺の顔を見たところで驚く人は居ない。
例え俺が【高天ヶ原】のギルドマスターだとしてもだ。
何せ『World Of Load』内での『ユウノ』というキャラクターは大勢の前に出る時は必ず白い狐面をしているため、俺の素顔を知っているのはギルドのメンバーくらいなものだから。
先ほど俺と目が合って驚いたのは、『World Of Load』で『ユウノ』の素顔を知っているからだろう。
……もしかしたら違うかもしれないが……。
むしろ、勘違いであってほしい。
俺はそんなことを考えながら騒がしい質問タイムが終わるのを待つのであった。
―――――その後、俺と周音先生が会話をすることはおろか、目を合わせることも無かった
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「―――――周音先生さよなら〜♪」
放課後、二十代という年の近さとその優しさによって、初日から生徒と仲良くなっていった周音先生。
帰り際にいろんな生徒から声をかけられていた。
「―――――明日も気をつけて登校してね?」
微笑みながら、手を振って生徒たちを見送る周音先生の姿に、男子生徒は嬉しそうにしている。
(さて、俺も帰って『World Of Load』でもやろうかね)
俺は中身がほぼ入っていない、軽いリュックサックを背負いながら立ちあがり、帰路に着こうとする。
「―――――『中野裕也』くん、で良かったわよね?」
「……何でしょうか?『周音先生』」
まさか向こうから話しかけてくるとは思ってもいなかった。
俺は少し間を開けてから返事を返す。
周音先生は周りをキョロキョロと見渡すと、俺にさらに近づいて口を開いた。
「―――――『ユウノ』……??」
「………………」
その名前に頭を抱える。
深い深いため息が出てしまった。
「……まさか本当に『アマネ』かよ……」
「じゃ、じゃぁやっぱり……っ!」
口元を手で隠して驚いたような表情を浮かべる周音先生。
「……社会人って言ってたけどまさか学校の先生だとは……その上俺の学校に来るか?普通……」
「私だって予想してなかったわよ……まさか『ユウノ』の学校だったなんて……。
……というより、『ユウノ』って本当に学生だったのね」
「信じてなかったのかよ?!」
放課後とはいえ、ちらほらとまだ帰っていない生徒たちがいるため、器用にも小さめの声で会話をする俺と周音先生。
「……取り敢えず、『World Of Load』の話は厳禁な?
俺も『アマネ』のことは周音先生って呼ぶから」
「分かったわ。
私も中野くんって呼ぶわね。
―――――それと、まさかしないとは思うけど、私が猫を被っているのバラしたら……分かってるわよね……?」
切れ目気味の瞳で俺のことを睨みつけつつ、脅迫してくる周音先生。
俺は溜息を吐きつつ首を縦に振る。
「ならいいわ。
―――――それじゃぁ中野くん、呼び止めてごめんなさいね?
明日もしっかりと学校に来ないとダメだからね?」
再び猫を被り直した周音先生はそう言って微笑むと教室を出ていった。
……これは仮病で休めなくなったな……。
今日何度目か分からない溜息を吐きつつ、今度こそ帰路に着いたのだった。




