変貌
―――――【双葉学園】高等部2年教室。
「――――つまりこの時代では――――」
黒板をチョークが擦る音、ノートへ書き込むシャープペンシルの音、解説する先生の声、コソコソと交わす小さな私語、おおよそ授業中の教室として聞こえてきておかしくない音が聞こえてくる。
「ここはテストに出るからしっかり覚えておいてね?」
「流石センセー助かる!」
「調子の良いこと言わずに集中しないとダメよ?」
「はーい」
仕方がないと言わんばかりの表情で女性教員――――【周音 詩葉】――――アマネは笑う。
教室内を見回して自らの教える生徒たちの様子を確認する。
歳がそこまで離れていないからか生徒たちとは直ぐに仲良くなれたアマネ。
雰囲気にも慣れてきて順調といえる日々であったが、ここに来て悩みがひとつ。
「…………」
一つだけ空いた席を見つめるアマネ。
この学校に来て誰よりも付き合いの長い生徒。
【中野 裕也】――――ユウノが無断欠席をした。
今までは遅刻欠席はするもの、事前連絡だけはあったにもかかわらず、その日は何の連絡もなくの欠席。
最近では真面目に学校に来るようになったと職員室でも話に上がっていただけに今回心配の声が出ていた。
(……どうせゲームに集中してるんでしょうけど……)
そう思いつつも心配事が頭をよぎる。
それは『World Of Load』内【ニッポン】で流れたとある噂の事。
内容が内容だけにユウノの動きが予想できない。
(……何はともあれ無断欠席はダメよね)
ただでさえ成績はそこまでいいわけではなくむしろ悪いユウノのことを考える。
仕事が終わり次第お説教をしなければと思いつつ、残りの時間に集中せねばと口を開くアマネであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――――【高天ヶ原】本拠地
すっかり時間は遅くなりプレイヤーたちも増えてくる時間。
例に漏れずアマネも仕事を終わらせ『World Of Load』にログインしていた。
結局あの後、ユウノは学校に体調不良で寝込んでいましたという連絡を入れたようだがそれは嘘だと確認するまでもなく切り捨てるアマネ。
その証拠にアマネの操作するウィンドウにはユウノがログインしているという証拠の表示がされていたのだから。
「はぁ〜……」
予想していたこととはいえアマネは頭を抱える。
以前に伝えていたしっかりと学校に来ないといけないという仮病を使ってはいけないという内容を忘れてしまったのかとため息は自然と出てしまう。
「――――ねぇ、『ユウノ』がどこにいるか知らないかしら?」
「こ、こんばんは『アマネ』さん!
ぎ、ギルマスならギルドマスタールームにいらっしゃいますよ!」
「そう、ありがとう」
「あ、でも今は……」
通りかかったギルドメンバーにユウノの居場所を問うとすぐに答えが返って来たためだいぶ長く居るのだろうと再度ため息が漏れる。
何か続けようとしていたが場所さえ分かれば良いとアマネは教えてくれたギルドメンバーにお礼とニコリと笑みを浮かべてその場を後にした。
なかなかに広いギルドホームを歩み、行きなれたギルドマスタールームを目指す。
(また引きこもってるのかしら……)
通学が面倒だったのか、それともやはり最近流れている噂に関して気になったからか。
最早何となくという理由で学校を休んだ可能性すらユウノならあり得るという思考になるアマネ。
そんなことを考えているうちにようやく目的のギルドマスタールームの前に到着する。
何度となく開け放った襖に手をかけて思いっきりスライドさせる。
「『ユウ――――っ!?」
――――襖は開かなかった。
今までギルドマスターであるユウノの許可を必要とせずに開けて入ることのできたギルドマスタールームの入り口である襖がびくともしなかったのだ。
つまり、入室の条件が変わっていることを意味する。
アマネは本来のギルドマスタールームへの入室方法であるギルドマスターへの許可の申請を行う。
「……あぁ……『アマネ』か……良いぞ」
中から聞こえてくるのは紛れもないユウノの声。
すんなりと出された許可に肩透かしを食いながら襖を開けた。
「悪いな……今忙しい」
入ってきたアマネの方を見ることも無いユウノ。
複数のウィンドウを立ち上げて様々なタスクをこなしていた。
プレイヤー間のメッセージのやりとりから始まり複数のインターネット検索、掲示板、SNSなど。
何時ものユウノでは考えられない程に能面のような表情を貼り付けてその全てに目を向けている。
「何をそんなに……」
聞くまでもないことではあるが、アマネはその質問を口にしていた。
すると返事の代わりにウィンドウがひとつユウノの方からアマネへと向けられる。
それはイカルガからユウノに向けて送られたメッセージだった。
『【狙撃手】、【魔猫】、【剛斧】3名を確認。
それぞれ【男性エルフ】プレイヤーネーム『トトリ』、【女性猫人】プレイヤーネーム『キャロ』、【女性ドワーフ】プレイヤーネーム『クレール』。
大々的にでは無いですがプレイヤーを集めているもよう。
情報収集を続けます』
「やっぱりこの事についてなのね……」
「…………」
アマネの言葉に返事はない。
真剣な表情と言うよりは狂気すら感じられる程の無表情のユウノの姿に困ったような表情を浮かべてアマネは近づく。
「何か手伝うことは?」
「ない」
笑えるほどに予想通りの食い気味の言葉にすかさずアマネはユウノの頬を両手で包み込んで強制的に自分の方へと向ける。
「……おい邪魔するな」
いつもであれば冗談のひとつやふたつ挟んでくるであろうユウノだが、今回は表情ひとつ変えずに淡々と言った。
アマネはいつもとは違うユウノの瞳を見つめて真顔になる。
「――――貴方何時からログアウトしてないの?」
「…………」
ユウノはその問いに答えない。
最後に学校でユウノに会ったのは週末金曜日。
オフ会後からしばらく様子がおかしかったような気がしないでもないが、週末金曜日まではしっかりと学校に来ていた。
そこから土日を挟んで月曜日である今日、ユウノは学校に来なかった。
「……ログアウトはしてるぞ。
じゃないとシステムに弾かれる。
だから――――手を離せ邪魔だ」
全く表情が動くことはなくだが語尾が強くなるユウノ。
VRMMOであるがために、長時間ログインによるプレイヤーの衰弱を防止するという意味で『World Of Load』は二十四時間以上の連続プレイを禁止している。
プレイ開始から二十四時間が経つと強制的にログアウトさせられ、しばらくの間アカウントが凍結するのだ。
さらに、プレイ時間に応じて再ログインまで休憩時間という名の強制ログイン不可時間を設けられるようになっている。
「……言い方を変えるわ。
最後に休憩を取ったのは何時?」
「……だから」
「先に言っておくわよ?
私の言う休憩って言うのはログアウトした後にご飯を食べたり、お風呂に入ったり、出かけたりして一息着くことよ?
決してゲーム内のことでゲーム外でも調べたりできることを確認することではないわ」
「…………」
まるでユウノが言うことを予知でもしているかのようなアマネの言葉に口を噤むユウノ。
「……一旦休憩しなさい『ユウノ』。
やるなとは言わないからせめてご飯を食べて、お風呂に入って、リフレッシュして来て」
そういうアマネの表情は我が子を心配する母親のような慈愛に満ちた表情だった。
「……一回飯と風呂に行ってくる」
「そうしなさい。
その間に私ができることは?」
「……そろそろ『イカルガ』が報告に戻ってくるから聞いておいてくれ」
「はい、承りました。
……カラスの行水じゃダメよ?あとご飯はカップラーメンじゃなくて――――」
「あ〜もうわかったわかった!!
お前は俺の母親かっ!!!」
自分の頬に添えられたアマネの手を引き剥がし、ユウノはまるで小言のように続けられる言葉の途中でその場を逃げ出す。
「三十分で……」
「一時間」
「……一時間で戻ってくる……」
「よろしい」
語尾にハートでも着きそうな甘ったるいアマネの声音に内心うへぇと言いつつも、これ以上絡まれたら敵わないとユウノはせっせとログアウトしていくのであった。
「――――マスターはログアウトされたか」
ユウノがログアウトしたタイミングを見計らったようにギルドマスタールームへと入ってくるイカルガ。
どうやらイカルガに関しては許可なしで入室できるようになっていたようだ。
「ちゃんと止めなさいよ『イカルガ』……」
「マスターの望みを叶えるのは当たり前のこと」
「本当に貴女は……」
困ったものだとため息を吐き出し疲れた様子を見せるアマネ。
それに対してイカルガは肩を竦めて返す。
「それで?なんでうちのギルマスはあんな風に?」
「概要はマスターに聞いてるはず」
「……私も手伝うから詳しく教えなさいって言ってるの」
「……そう」
アマネの申し出に何となく残念そうな雰囲気を一瞬醸し出し、しかし手は多い方がいいと判断したのだろう仕方がないも言わんばかりのテンションで口を開く。
「多分、というか十中八九噂は偽物」
「証拠は?」
「マスターのギルドメンバーログイン表示がされてなかった」
「なるほどね……」
ギルドマスターというギルドをまとめる者として、所属プレイヤーのログインの可否は確認できるようになっている。
例えそれがプレイヤー自身がフレンドやギルドメンバーが確認できるログイン表示をオフにしていたとしても。
そして、ユウノは帰ってくるかも分からない3人の存在をギルドに残したままだった。
「でもただの偽物騒動なら今までもあったじゃない」
「……今回は名前だけじゃなくて見た目も似てる」
「それは……手が込んでるわね……」
世界には瓜二つの人間が三人は居ると言われているためありえないことでは無い。
――――しかし、それだとしても弱い。
ユウノの様子がおかしくなるにはまだ何か足りていないと話の続きを早く寄越せと視線で訴えかけるアマネ。
「はぁ……今回【幻影】が関わってる」
「……それであんなに……」
「今日、それっぽいフードを見つけたから尾行したけど――――駄目だった。
……私から逃げれるなんて【幻影】しかありえない」
そういうイカルガは見るからに不機嫌そうであり眉をひそめていた。
自信過剰とも言える言葉であったが、それほどまでにイカルガの技量は高い。
隠密行動においてイカルガに勝てるものは全プレイヤー中片手で数えれるほどしか居ないと言われるほどに。
そのうちの一人が――――【幻影】。
「これ以上はマスターが戻ってきてから話す」
「その方が良さそうね……」
そう言って二人はユウノの帰りを待つためにギルドマスタールームの中で腰を下ろした。
幸いこのギルドマスタールームは居心地が良いために時間を潰すのにはもってこいである。
「それでマスターは何時戻られる?」
「そうね……私との約束を守ってくれるなら一時間くらいかしら?」
「……そう」
「お茶入れようと思うけど飲むかしら?」
「頂く」
まるで自分の部屋かのようにギルドマスタールームの何処に何があるのかを把握している様子のアマネは戸棚から急須などを取り出して準備を始める。
そこからユウノが帰ってくるまで二人はお茶を嗜みながらゆったりと流れる時間を楽しむのであった。




