三体目
光によって浄化された【遥かなる聖域】にゆっくりと降り立つ【戦乙女・ブリュンヒルド】。
一度だけその背に生えた光の翼を羽ばたかせる。
ユウノたちの頬を撫でる風と全身を覆った鎧の擦れる音。
未だ戦ったことの無い【レイドボスモンスター】の出現に胸を躍らせるユウノたちは、しかし冷静に敵を見据えていた。
「【戦乙女・ブリュンヒルド】ね……確かいくつかの属性に完全耐性持ってたよな?」
「マスター、【ブリュンヒルド】の完全耐性は【聖属性】、【火属性】、【闇属性】の三属性です。
他にも状態異常無効、非物理攻撃ダメージ半減、【HP】、【MP】自動回復などがあったかと」
「おほぉ〜……盛りだくさんじゃねぇか……」
ユウノの言葉にいち早く返したのはイカルガ。
流石は【レイドボスモンスターラッシュ】の最後のモンスター。
今までユウノたちが相手をした【聖域の守護龍・ラメド】、【暴食の粘液体】の二体も決して弱い【レイドボスモンスター】ではなかったが、【戦乙女・ブリュンヒルド】は別格と言っていいほどに強い。
実際に戦ったことは無い【レイドボスモンスター】ではあったが、ユウノたちに前情報がない訳では無い。
むしろ、戦ったことがないからこそ警戒していたため、その場の全員が瞬時に【戦乙女・ブリュンヒルド】の攻撃パターンや行動パターン、特性を頭に浮かべていた。
「さて……地面に降り立ったってことは――――そろそろ来るか」
【戦乙女・ブリュンヒルド】の初回行動は決まっている。
その行動がわかっているからこそ、既に一定位置まで集まっていたユウノたちはそれに耐えるために陣形を組む。
誰よりも前に立つのは守護に長けたソフィア。そしてそれを支えるためか、ダインが後ろを陣取る。
さらにハース、ユウギリ、イリィの三人がそれぞれ防御のための【魔法】を構えていた。
「『ダイン』行きますわよ」
「任せておけ」
「――――【解放】」
ソフィアは【種族解放】を行い、自らのステータスを底上げし、【神造物】である【不可侵の神盾】を構える。
片手で扱える程度の大きさのラウンドシールドであるが、その防御能力の高さは先程までの【暴食の粘液体】との戦闘で明らかとなっている。
――――しかし、【不可侵の神盾】はまだ真価を発揮してはいない。
『The World』における武装には固有の特殊な【形状変化能力】を持つ武装が存在する。
基本的には【幻想物】や【神造物】に分類される武装に確認されており、稀に【人造物】に分類される武装にも存在が確認されている。
武装によって様々な【形状変化能力】、そしてそれに対応した特殊能力が存在しており、その【形状変化能力】を使うことをプレイヤーたちは【武装解放】と呼ぶ。
「【武装解放】――――【不可侵の神盾】!」
瞬間、ソフィアの身体から溢れ弾ける【光】と【闇】が【不可侵の神盾】へと集まる。
今までラウンドシールドの形をとっていた【不可侵の神盾】はその装いを変え、ソフィアの全身よりも遥かに巨大な盾となった。
ソフィアたちの行動が早かったため間に合ったのか、それとも準備が終わるのを待っていたのか、真偽はともかく、【戦乙女・ブリュンヒルド】はゆったりと優雅にその手に待つ長槍を天高く掲げる。
すると、紅い雪でも降っているかの如く火花が舞い始め、段々と数を増やしそれは一瞬で【戦乙女・ブリュンヒルド】の足元を紅く染めあげた。
「【術式】多重化……完了。
――――【異化・十二層障壁】」
「【神話魔術・神蟲の大繭】」
【戦乙女・ブリュンヒルド】の準備が進む中、ハース、ユウギリも防御を固める。
ソフィア、ダインが支える【不可侵の神盾】の正面に実に十二層もの魔法陣が出現。
さらにユウギリを中心として、ユウノたち全員を包み込む半円状、半透明のドームが展開された。
【戦乙女・ブリュンヒルド】は紅く染めあげられた地面に今まで掲げていた槍を下ろし、柄の部分をとん、と軽く当てる。
すると地面が震えだし、真紅の柱が次々と立ち上った。
――――それは焔だった。
燃え揺れるなんてそんなヤワなものでは無い。
ただ天に向かって激しく燃え上がる焔の柱。
勢いが衰えることなく幾本もの真紅の焔の柱が立ち上る。
【戦乙女・ブリュンヒルド】は一点を見つめていた。
自らの敵となる――――ユウノたちの方向を。
「――――【顕現せよ】。
【汝は母なる海、全ての元となる水の精。
我が契約においてこの場に姿を現せ――――【水の精霊】】」
詠唱をするのはイリィ。
イリィの立つ地面はいつの間にか水面となっていた。
そして、その水面から一人の人影が飛び出してくる。
――――それは透き通るような蒼い肌を持つ女性だった。
ワンピースのように1枚の薄布を巻き付け、その周囲には水が形を定めずにふわふわと浮遊している。
――――【水の精霊】。
『The World』には【精霊魔法】というものが存在しており、それを行使するには【四大精霊】のうち自らの適正に合う一精霊と契約を行い、【精霊魔法使い】という【職業】につく必要がある。
【水の精霊】とは【四大精霊】のうちの一精霊。
その他に【火の精霊】、【風の精霊】、【地の精霊】が存在している。
契約を行う【精霊】にはいくつかの段階があり、光の塊としてしか認識出来ない【下級精霊】、会話することが出来る【中級精霊】、何らかの生物の姿をとる【上級精霊】の基本的に三段階だ。
さて、それを前提としてイリィが呼び出したのはどの段階の【精霊】か。
――――【精霊王】と呼ばれる【精霊】たちの頂点である。
イリィの【メイン職業】は全ての【精霊】たちの主となる者に贈られる【専用職業】――――【精霊女皇】。
故に、本来契約すらできない【精霊王】たちを【使役】することすらもできる。
「『うーちゃん』みんなを護ってあげて〜」
『……主よ……その【うーちゃん】は……いや、もう何も言いませんが……』
困ったような表情を浮かべた【水の精霊】だったが、仕方がないと肩を落として慣れた様子で水を操る。
出現するのは全てを水で作られた巨大な女性の上半身。
まるで母が我が子を優しく包みこもうかというように両の腕を広げる。
『――――【母なる抱擁】』
これによりユウノたちを守護する状況が完成する。
過剰防御のようにも感じるがしかし、これだけやってやっと安全だと言えるのだ。
それほどまでに今から放たれる【戦乙女・ブリュンヒルド】の攻撃は激しい。
そして、それは放たれた。
【戦乙女・ブリュンヒルド】を囲むように地面から激しく燃え上がる焔の柱はやがてひとつに纏まり、ユウノたちの眼前を全て埋め尽くす。
まるで天上まで続く城壁の如く、触れることはおろか、近づくだけで消し炭になりそうなほど煌々と燃える焔はゆっくりと接近してきていた。
これが【戦乙女・ブリュンヒルド】の固定化されている初回行動。
その名は【ヒンダルフィヨルの炎壁】。
この攻撃を防ぎ切るまで【戦乙女・ブリュンヒルド】にはダメージを与えることは不可能とされ、もしこの攻撃を耐えきれなかった場合は、そのプレイヤーは例え復活したとしても【戦乙女・ブリュンヒルド】にダメージを与えることが出来なくなる。
つまり、この程度を越えられない者は【戦乙女・ブリュンヒルド】の前に立つ資格すらないのだ。
初めに【ヒンダルフィヨルの炎壁】に接触するのはイリィの呼び出した【水の精霊】により作り出された【母なる抱擁】。
水と炎という組み合わせから鎮火するのを想像するがしかし、そう簡単には行かない。
【母なる抱擁】と【ヒンダルフィヨルの炎壁】の2つが接触した瞬間、辺りが弾け飛ぶ。
それは水が非常に高温の物質と接触したことによって気化されるために発生してしまう水蒸気爆発。
【戦乙女・ブリュンヒルド】はその現象によるダメージはゼロ。
しかし、プレイヤーであるユウノたちには何の対策もしていなければダメージが発生してしまう。
そのダメージから身を守るためにユウギリの【神蟲の大繭】、ダインが支えるソフィアの【不可侵の神盾】が活躍する。
「『うーちゃん』ファイト〜」
『く……っ!
主は本当に無茶しかさせませんね……っ!』
【水の精霊】は歯を食いしばりながら耐えつつ言った。
【母なる抱擁】は水で出来ているが故にその供給が止まらなければいくらでも補修できるという強みがある。
しかし【遥かなる聖域】に水は無く、唯一イリィの足元に出現している水面が補給の対象となっていた。
普通の【精霊】であればものの数秒も持たないはずだが、そこは【精霊王】格が違う。
【ヒンダルフィヨルの炎壁】を押し返すことは出来ずに徐々に押し込まれてはいたが、確実にその勢いを弱めていた。
そして、押し込まれた先にはハースの展開した【十二層障壁】が控えている。
まるで飴細工のようにパリンと簡単に割れていく【十二層障壁】だが、【母なる抱擁】により徐々に弱まる【ヒンダルフィヨルの炎壁】の勢いをさらに削ぐには十二分な働きをしていた。
【十二層障壁】の8枚目の障壁が割れる頃には【ヒンダルフィヨルの炎壁】の勢いは完全に殺され鎮火されていく。
――――だが、【ヒンダルフィヨルの炎壁】はここで終わらない。
「『ダイン』!」
「わかっている!
良いから早く準備を終わらせろ!」
その最後を察し、再び気合を入れたソフィアとダインは自らの役割をこなす。
――――【不可侵の神盾】。
その能力は名前にある通り【不可侵】。
正面から受けた物理攻撃をダメージゼロで防ぎ切るというものだ。
正面から受けるという条件があるものの、破格の性能であることは間違いないがしかし、それは【不可侵の神盾】の真価を発揮しきってはいない。
【武装解放】を使用した【不可侵の神盾】はその装いを変え、小回りのきくラウンドシールドから使用者の体長すらも超える巨大な盾となる。
小回りはきかなくなる代わりにそれ相応の追加能力を得ることが出来、それは単純な防御能力向上のみには終わらない。
物理、非物理問わず受け止めた攻撃を霧散させる能力、そして【不可侵の神盾】を同じパーティーメンバーに一時的に貸与することができるようになるのだ。
ソフィアは【不可侵の神盾】をこの貸与能力によりダインへと貸し与える。
日頃から身の丈を超える巨大なグレートソードを縦横無尽に振り回しているダインにとってソフィアの体長を超える程度の大盾であればむしろ小さい方であると言わんばかりに片腕で持ち上げソフィアを軽々と飛び越えるとどっしりと構えた。
ではソフィア自身は何をしているかと言えば、もう既に【ヒンダルフィヨルの炎壁】を耐えきった後のことへと思考をシフトしていた。
【不可侵の神盾】が自らの手から離れた今、長槍のみで戦うのかと思えば、片手に長槍を片手に黄金のロングソードを握っている。
そして、ついに【ヒンダルフィヨルの炎壁】が鎮火される。
後に残るのは依然初めの位置から動かない【戦乙女・ブリュンヒルド】と【ヒンダルフィヨルの炎壁】が消えた跡に不自然に浮かぶハンドボール大の塊。
刹那――――ハンドボール大の塊が爆ぜた。
本来即死級の威力を持つ最後の炸裂だが、ダインのもつ【不可侵の神盾】により霧散させられたがために一瞬光った程度で済んでいた。
二度に及ぶ【ヒンダルフィヨルの炎壁】の脅威を防ぎきったユウノたち。
しかし、ここからが本番である。
【戦乙女・ブリュンヒルド】は光の翼を大きく一度羽ばたかせると再びその手に持つ長槍を天高く掲げた。
そして舞降る火花たち。
一度見たような光景が再び繰り広げられているがそれは全く違う効果を及ぼす。
【戦乙女・ブリュンヒルド】の周りを紅く染め上げた火花はやがて形を作り始める。
初めは数体、気がつけば数十体、完全に終わる頃には百体はいるのではないかと言わんばかりの、焔で形作られたプレイヤーサイズの【戦乙女・ブリュンヒルド】の姿があった。
【ヒンダルフィヨルの炎壁】の脅威の次はこの大量の従者とでも言えばいいのか、そんな相手との大乱戦。
生半可なプレイヤーでは心が折られそうな光景である。
「あ〜……多いねぇ……」
そう呟いて歩みを進めるユウノ。
手の中に握られた黒い狐面を弄びながら眼前に広がる敵に対してのなんでもないような感想を述べる。
「流石に俺も何もしない訳にはなぁ〜……」
いつもの気だるげな雰囲気……ではなかった。
「――――あれ、全部俺がやるから。本体よろしく」
既に誰よりも前線にいたユウノはちらりと後ろを振り返りそう言うと黒い狐面を被った。
ゆったりと二振の日本刀を抜刀したユウノ。
黒い狐面から覗くユウノの瞳は本来の色ではなく、真紅に染まっている。
――――【斬人】行使開始。




