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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

アーマリー! ~苦労性の元女騎士が不思議なスライムに出会った~

作者: 御影しい

 私の自我が芽生えたのは、正確にはいつのことだっただろうか。

 単に記憶の中で最も古いものといえば、自我が確立していたというにはあまりにも本能のままに行っていた捕食(・・)だ。恐らく生まれてから今に至るまで、欠かすこと無く行ってきた行動はそれだろう。


 私が居るのは、地下遺跡の奥の奥。聖剣や聖鎧(せいがい)、或いは魔剣などの、それ自体が力を持つ武具が数多く保管されていた宝物庫だ。

 誰が何の目的でそのような代物を収集し、保管していたのか。それは私の知るところではない。だが少なくとも、この場所以上に優れた武具を保管していた場所は、世界中を探しても存在しないだろう。

 また、この場所に到達しうる者は皆等しく、それらの武具を扱うに値する猛者だろう。何故ならここへ繋がる道である遺跡では、神代の守護者が鉄壁の守りを固めているのだから。


 さて、私は先程から保管していた(・・・・)と、表現を現在より前にして言葉を紡いでいる。

 その理由については、宝物庫の壁を背にした私の前に一切の武具が存在しないことで説明ができるだろう。






 私はスライムだ。不定形の身体を持ち、地を這って移動する。

 種族としての主な行動は捕食であり、体内へ獲物を取り込み消化するというプロセスを経る。

 一般に知性は低く、先に述べた私の原初の記憶のように、本能のまま行動する。

 魔力が溜まり偶発的に発生することのある原始的な生物なのだから、当然とも言える。ただし、通常の生殖も行えはするが。


 魔力溜まりから生まれた親を持たない無色透明のスライムは、個々の食性によって性質を多様に変化させていく。

 草原の草木を好む個体は緑がかっていき、木登りが得意だ。海藻や魚を好む個体は青みがかっていき、泳ぎが得意だ。そして血を好む個体は赤みがかっていき、極めて凶暴性が増す。

 では、私はどうか。私には、捕食するものが生まれた時から目の前にあった。


 この宝物庫は外部からの侵入を守護者により防ぎ、また結界によって内部の魔力も安定状態を維持される。故に私の存在が入り込む余地は無かったはずだが、ここにあるのは有象無象の武器ではなかった。

 宝物庫の結界とて完全ではない。聖剣や魔剣の強大な魔力を完全に制御し常に安定状態に置き続けることは、不可能であった訳だ。

 相反する聖剣と魔剣の魔力は結界の許容量を一瞬だけ越え、それによって乱れた魔力が私を生み出した。その時の記憶が残っている訳でも無いために、あくまで私の推測ではあるが。ただ、私が自我を確立して百幾年、私の同胞が生まれることは無かった。






 私はスライムだ。好むのは優れた武具。幾千、幾万の武具をこの身に宿し、操る者。最早この場に私の求める物は無く、望むはまだ見ぬ未知の武具。

 けれど私はこの場に留まっている。スライムとしての本能、それ以上に大きな欲求が私の中に芽生えていたからだ。











◆◆◆◆◆


 数多くの凶悪な魔物がそこかしこを徘徊し、弱者の存在を否定するクルス大峡谷。

 長い年月を掛けて形作られたその地形は複雑であり、天然の迷宮と化している。大国の軍をして勝利を確信できぬドラゴン──その死骸が平然と転がる、人類が進むことを諦めた未開の地である。

 そんな場所を、一人の少女が駆け抜けていた。


 名をマリー・アポストル。真っ直ぐ背中まで伸びる黄金色の髪を靡かせながら、左右の手それぞれに携えた剣で魔物を切り裂いていく。

 普段は見る者に柔和な印象を与える翡翠色の目も、今は鋭い眼光を魔物へと向けていた。


 身に付けているのは白銀の軽装鎧であり、胴や手足を軽く覆う程度の物。掠り傷を防ぐ程度の防御力であり、この地の魔物の攻撃がまともに当たれば容易くひしゃげてしまうだろう。けれどそれは、当たればの話だ。普段の彼女が装備する鎧より遥かに軽い現在の鎧は、彼女の回避力を阻害しない。


 微笑めば聖女、などと言われる優しげな美貌を持つマリーはしかし、魔物からの返り血を浴びてその印象からは程遠い。表情自体もまた険があり、殺気立っている。

 だが現在の彼女が抱える問題を考えれば、それは当然とも言えた。


 焦る心を剣速に変え、マリーはクルス大峡谷をひた走る。






 全身を魔物の血で真っ赤に染めたマリーは一人、疲弊した身体を気力で支えながら立っていた。


 目の前には、大自然の峡谷の中にあるには不自然に過ぎる地下への階段。新雪のように真っ白なそれは十分に広く、大の大人が横一列に五人ほど並んでも余裕をもって降りられるだろう。


「ようやく……見付けられました……」


 僅かに震える掠れ声で、誰に聞かせる訳でも無い呟き。彼女自身はそのつもりだったが、その呟きを聞く者は確かに居た。


 一瞬安堵しそうになった心に喝を入れ、今すぐにでも休みたがる足に鞭を打ち、マリーは階段を降り始める。王都の城にあった階段よりも精巧に作られた地下遺跡に驚きながら、自身の足音のみが響く状況に緊張感を高めていく。


 この遺跡は、侵入者の生存率が極めて低い。それは内部に配置された守護者が原因だ。強大な守護者を前に敗走を余儀なくされた者の中でも、更に帰路としてクルス大峡谷を抜けられる余力のあった場合のみ生存できるのだ。

 なお、その守護者を討伐し、奥にあるらしい宝物庫を見たという者はマリーが知る限り居ない。そう(うそぶ)く者は今でも後を絶たないが、あっという間にボロが出る。

 だからこそマリーが求める品物がそこにあるのかは分からないが、あるとすればそこ以外に無い。そう思わなければ、心の内に抱く淡い希望すらも雲散霧消してしまいそうだった。


 長い長い階段を降り切ると、そこはまるでダンスホールのようだった。摩訶不思議な幾何学模様が床を埋め尽くしているものの、高い天井からは豪奢なシャンデリアが幾つも吊り下げられ、部屋の隅々までを余すこと無く照らしている。

 左右の壁には重厚な全身鎧が手にハルバードを持ち、百は下らない数で立ち並んでいた。

 その一体一体から魔力を感じていなければ、マリーはその光景に見とれていたかもしれない。


 がしゃん、がしゃんと。規律の取れた軍隊の足音を髣髴とさせる音が、空間を満たす。

 全身鎧達が隊列を組み、たった一人の侵入者へとハルバードの切っ先を向ける。


「……は、はは。鎧から感じる魔力は恐らく全て伝説級。対する私は最上級の剣がふた振りに、上級の軽装鎧」


 下級(ノーマル)中級(レア)上級(ハイレア)最上級(ハイエンド)伝説級(レジェンド)神話級(ミソロジー)。武具の等級を下から順に並べればこうなる。

 最上級というのは現在の人間が作成可能な上限として最上(・・)と呼称されているだけであり、言葉通りの最も上(・・・)ではないのだ。


「誰一人として突破できたことが無いというのも、頷けます。ですが」


 じりじりと距離を詰めてくる鎧の軍勢を前にして、マリーは不敵に笑う。笑って自身を奮い立たせる。


「元より引けぬ道、ならば切り開いてでも先に進ませて頂きます!」


 右手には灼熱の剣、左手には極寒の剣。相反する性質を秘めた魔法剣を、自身の魔力を注ぎ込んで解放する。

 右手は痛みを訴え、左手は感覚が薄れていく。だが彼女はそれを受け入れる。勝機があるとすれば、それは自身の限界を超えた先なのだから。


 幸いにして全身鎧達の得物であるハルバードは上級の代物であるらしく、最上級の剣であるマリーの得物で打ち合って負けることは無い。ただし相手は長物であり、リーチの不利を覆しているのはあくまで彼女の卓越した技量だ。

 まして相手は多数。目の前の敵だけに集中していては一瞬で串刺しにされる。


 疲弊した身体を可能な限り無駄なく動かし、敵からの攻撃を紙一重で回避していく。時折皮膚を浅く裂かれるが、致命傷でなければ構わなかった。

 全身鎧の間接部分を狙い、四肢を切り飛ばす。少しでも戦闘力を削げば次の標的を狙い、場を乱していく。そうして彼女は一瞬の勝機を待つ。






 どれほどの時間、剣を振っていただろうか。

 時間の感覚はとうに狂い、腕も足も、本来の動きから数段劣る程度にしか動かせない。肉体のダメージも小さなものが積み重なり、流石のマリーも無視ができなくなっていた。

 それでも全身鎧の数を八割程度にまで減らしているのだから、状況が悪いと断じる訳にもいかないだろう。ただし全身鎧には、疲労という概念が存在しないのだが。


「くぁっ!」


 隙とも言えぬ刹那の間に、マリーの脇腹へ蹴撃が突き刺さった。

 咄嗟に横へ跳んで衝撃を和らげたが、それでもダメージは大きい。更に悪いことに、跳んだ先にも別の全身鎧が待ち構えていた。


 迷い無く振り下ろされるハルバードを、転がって避けるマリー。その表情には余裕など微塵も無く、強がりで笑みを浮かべることすらできなかった。

 急いで立ち上がったが踏ん張りがきかず、体勢を崩す。その結果として、立っている彼女の眉間の高さで突き出されたハルバードが不発に終わったが、もうそれを幸運と喜べる状況ではない。


「こ……な、とこ……で……ッ!」


 奥歯が砕けるかと思うほど歯を食いしばっても、もう幾らも剣を振るえないのは彼女自身が最も良く理解していた。


 自分の心臓の音だけが妙に強調されて聞こえる中、幾つものハルバードがマリーの視界を埋めていた。だがその先に、彼女は見た。かなり距離の近付いた、先の部屋へと(・・・・・・)続く扉を(・・・・)


「──あああああ!」


 自身に迫り来るバルバードなど無視して、彼女は自身の持つふた振りの剣を互いに打ち付けた。

 果たして発生したのは暴風。最上級の武器二本がその存在を対価に生み出した、出鱈目な風だ。


 冗談のような速度で風の発生源周囲に居た全身鎧が吹き飛び、そしてマリーもまた同様に吹き飛ばされる。マリーについては彼女の狙い通り、目的の扉(・・・・)へ向かって。






 マリーは鉛のように重く感じる身体を、亀のような鈍重さで起き上がらせる。

 暫し気を失っていた彼女だったが、部屋に居るのは一人だけ。気を失う直前まで戦っていた全身鎧達は、壊れた扉の向こう側で壁を背にして整列している。


 どうやら自分は賭けに勝ったようだ、と安堵の溜息を吐く。

 遺跡の守護者は遺跡の外に出ない。ならば、担当している部屋からすら出ないのではないか、と。

 ダンジョンによってはそういう風に、決まった場所でのみ活動を行う魔物は珍しくない。何故本能のままに行動するはずの魔物がそういったルールに縛られているのかは不明だが、人間にとって好都合なのだから文句は無い。


 騎士であった頃の彼女であればもう少し疑問にも思っただろうが、今の彼女は実利を優先させる傾向が多少強まっていた。最優先が人命であることに変わりは無かったが。


 ふた振りの剣を文字通り粉々にして失ってしまった彼女だったが、それでも立ち上がり辺りを冷静に見渡す。

 今度の部屋はそう広くもなく、あまり裕福ではない者が一人暮らしできそうな程度と言えば良いだろうか。先程の部屋には床一面の幾何学模様があったが、今度の部屋は踏み心地の良い茶色い絨毯が敷かれている。部屋の隅には頑丈そうな赤い箱があり、それ以外は目ぼしいものも無かった。


 この際木の棒でも構わないから武器が欲しかった彼女は、さほど迷うことも無く赤い箱へと近付く。あまり期待せず、蓋に手を掛けると──予想に反してあっさり開いた。


「まさか開くとは……──え?」


 そこには、彼女が武器として扱えそうなものは入っていなかった。その意味では期待を裏切られたが、今の彼女に必要なものではあった。


 箱に入っていたのは、十二本の瓶。それぞれに透明感のある緑色をした液体が入れられ、彼女にとっても馴染みのあるそれの正体は──ポーション。

 ポーションの色は体力回復用の場合で緑色、魔力回復用の場合で赤色をしているが、その等級は透明度によって判断できる。

 下級のポーションはほぼ絵の具のような見た目をしており、透明度などゼロに等しい。だが最上級にもなれば、瓶の向こう側にあるもののシルエット程度は分かる。

 ただ、瓶の向こう側の景色が少し緑に着色された程度にしか変わらない透明度となると、マリーはお目にかかったことが無かった。


 最低でも、伝説級。或いは神話級である可能性すらある。そんなポーションが、マリーの目の前に十二本も並んでいた。

 罠かも知れない。というかどう考えても侵入者に対し都合が良すぎる。けれど藁にも縋る思いで、マリーは一本の瓶を開け、一気に飲み干した。


 毒であることも覚悟していたマリーだったが、その身体に訪れたのは紛れも無くポーションの回復作用。

 傷だらけだった身体は、僅かな時間で綺麗な肌に。鉛が詰まったように重かった手足は、クルス大峡谷に突入する直前と同じ調子で。


 この遺跡は案外良心的なのではないか、とマリーは思った。

 ただし、卓越した剣技を持つマリーが、最上級の魔法剣二本を犠牲にしてようやく、最初の部屋を突破できた遺跡なのだが。彼女の本質は、実にお人好しであった。






 それから先、何度となく死に掛けつつ、綱渡りのような危うさで遺跡の奥へと進んでいくマリー。

 武器は敵から奪い、それが破壊される前に新たな武器を奪っていった。不慣れな武器は幾らか攻撃の精彩を欠いていたが、それでもポーションによる体力回復のお陰で強引に推し進めることが出来ていた。


 そして到着した、今の部屋。

 これまでの敵は人型や獣型など、それが数を揃えてこちらに襲い掛かってくるものだった。中には火の玉がひたすら四方八方から飛び出してくるなんていう部屋もあったが、それはむしろマリーにとって難易度が低かったので当人としては構わない。

 だが今の部屋には、敵は一体のみ。広さは最初の部屋と同程度か、あるいはこちらの方がより大きいだろうか。天井については圧倒的にこちらの方が高い。何せ、二十メートルはあろうかという巨大人型ゴーレムが大剣を振り回すつもりらしいので、相応の高さが必要なのだろう。


 率直に言って、マリーは呆れていた。

 こんなものをどうやって倒せというのか。大人数で攻め入ればまだ戦いようもあるかと思われたが、先の火の玉部屋が鬼門だった。自分のように少人数──というか個人であれば、あの仕掛けは最大限の効果を発揮しない。だからこそ他の部屋と比較して難易度が低いと感じた。

 けれど、今目の前にある存在はどうだ。まるで一匹の蟻が一頭の象に挑むかのようではないか。


 そんな呆れとは裏腹に、既にマリーの足は前へと進んでいた。武器は一振りの剣。ここの幾つか前の部屋で、わざわざ高級そうな木箱に入れられていた品だ。


 感じる魔力は低く見積もって伝説級。下手をすれば神話級かもしれない。

 燻し銀のような色をした刀身は素直に真っ直ぐで、その刀身から柄まで一直線に魔力が通っているのが手に取った瞬間に分かった。

 一度(ひとたび)振るえば力が溢れ、体力を消費するどころか回復しているのではないかと錯覚する程。また、今日初めて手にした武器だというのに、まるで長年愛用してきたかのようにしっくりきていた。

 ただ残念ながら、感じる強大な魔力の割に攻撃に関する能力は付与されていないらしく、ひたすら長期戦ができるようになる武器らしい。しかしいずれにしても、自分が命を預けるのに足りる武器であることには間違いない。

 マリーは、そんな判断を下していた。






 先手はゴーレム。巨体を生かした豪快な振り下ろしは、小さめの民家程度なら一撃で半壊させられる。

 床が盛大に砕け散り、白い粉塵が周囲に広がる。


 数秒後、視界がクリアになったとき、振り下ろした大剣の下には誰も居なかった。ただただ破壊された床があるのみ。

 ゴーレムが周囲を見渡す最中、その背後に人影があった。


 ゴーレムの背後を取ったマリーは、左足の踵に剣を叩き付ける。

 岩を打つ衝撃が刀身を伝って柄に伝わり、マリーの両手を痺れさせる。


 マリーは顔をしかめつつ、今の攻撃で割れた自分の位置を変えるべく疾走。案の定、その直後にゴーレムの左足が後方へ蹴り上げた。

 その左足には、ほんの僅かに傷が付いているのみ。


 軸足になっている右足に向けてマリーは走るが、即座に方向転換。頭上から迫る大剣をサイドステップで回避する。

 大剣自体は掠りもしなかったが、その衝撃で割れた床の破片がマリーの頬を掠めた。破れた皮膚から血が滲む。


「全く冗談のような攻撃力です。対してこちらの攻撃は、ほとんど効果無しですか」


 戦う前から分かっていたこと。それを声に出して再確認しただけ。冷静な自分が居るという認識をすることで、心の平静を保つ。

 今のマリーの精神状況は、決して良好とは言えない。ここまでの道筋ですらこんなにも理不尽な敵は出なかったが、それでも一歩間違えれば命が無い状況ばかりだったのだ。体力に関しては妙に性能の高い魔法剣のお陰でほとんど心配していなかったが、それでも精神的な消耗は尋常ではない。

 唯一の希望は、動かそうと思っても身体が言うことを聞かない、などという事態に陥る心配がほぼ無いことか。完全に魔法剣頼りだった。


「あなたが今私の手に無かったなら、きっと一つか二つ前の部屋で膝を折っていたでしょうね。……ですから私の命、あなたに預けます」


 先の一撃は、魔法剣が折れてしまう心配をしたが故に全力では振らなかった。

 その結果としてダメージは軽微で、けれど全く無い訳では無い。そして逆に、マリーの手にある剣は刃こぼれ一つ無い。

 それならば、やることは決まっている。


 マリーはどこまでも剣士として、真正面からゴーレムを切り崩すつもりだった。






 幾度目の攻撃だろうか。全く同じ箇所──ゴーレムの左踵への斬撃は。

 百から先は数えていない、などと頭の中で冗談を言うマリーだったが、不思議と自分の中に余裕を感じていた。

 精神的な疲れはむしろ回復してきた気がしているし、ゴーレムの行動パターンもかなり読めている。何より身体が本当に軽い。


 感覚が狂ってきているのかと疑問に思ったマリーだったが、その割には動きに支障が全く無い。普段以上に身体は良く動き、このまま三日三晩だって戦い続けられる気がした。

 何事かと思い魔力を探ってみれば、極自然に魔法剣から(・・・・・)マリーの身体へ魔力が流れ込んでいるではないか。マリーはここで初めて、この部屋に来る前の試行錯誤が全て無駄だったことを悟った。

 魔法剣とは、魔法が掛けられた剣の総称である。その中でも特に優れた物が魔剣と呼ばれたり、聖剣と呼ばれたりする。

 魔法剣が効果を発揮するには魔力を必要とし、そのため使用者は剣に蓄えられた魔力か自身の魔力を消費して戦うことになる。そう、魔法剣の使用者の魔力が減ることはあっても、増えることなど無いはずだった。何故なら魔力の流れは、使用者から魔法剣への一方通行なのだから。

 けれどマリーが一生懸命この魔法剣に魔力を込めようとしたのは、この魔法剣に限っては効果を打ち消すだけの行動だった。


 話を戻すが、未だかつて無い程にマリー自身の身体が良く動く原因は、余剰魔力による無意識下の身体強化にあったという訳である。そして無意識下ですら(・・・)意識に上ってくるほどの効果を持つ身体強化が、意識した上で効率的に運用されたならば。


 マリーの口角が自然と上がる。なるほどこの剣は、実に素晴らしい、と。


 元より剣士であるマリーにとって魔力とは、身体強化か魔法剣の魔法効果を発動させるための補助的なもの。戦闘において頼れるのは己の剣技と、肩を並べられる戦友のみ。魔力が消耗するものである以上は身体強化も一時的なドーピングに過ぎず、炎や氷を出すのも回数制限のある飛び道具だ。魔法使いのように多くの魔力を保有する訳でも無い彼女からすれば、どう足掻いてもその程度の認識だった。

 それが、どうだ。この魔法剣からは湯水のように魔力が溢れ、自身の身体へと浸透していく。途切れること無く身体強化を使い続け、なお余剰魔力がある。


 今もまた、水平に薙ぎ払われた大剣をするりとかわし、ゴーレムの左踵へ刃を叩き込む。今回は意識した身体強化を行った上で。

 今までで一番の手ごたえを感じたマリーは冷静にバックステップ。距離を取り、ゴーレムの様子を窺う。


 ゴーレムは大剣のリーチから素早く逃れたマリーに接近しようと左足を踏み込むが、それが致命的だった。

 強度の限界を迎えた左踵は無残にも砕け散り、バランスを完全に崩した巨体は床に打ち付けられた。


 千載一遇の好機、逃す訳にはいかない。マリーは一直線に、ゴーレムの頭部へと向かう。


 上体を起こそうとするゴーレム。その行動が完了するより早く、マリーは間合いを詰め終えている。


「弱点に攻撃が届くなら、壊すのは容易いものです」


 ゴーレムの頭部にある、"emeth(真理)"の文字が書かれた羊皮紙。その一文字目に剣を突き立て、"meth(死んだ)"へと変える。

 次の瞬間、ゴーレムの巨体は全て砂へと変わり、残されたのは穴の開いた羊皮紙だけだった。


「人数が居れば、もう少し楽な方法もあったのでしょうけれど……。本当に、あなたのお陰ですよ。銘は何というのでしょうか」


 ゴーレムを構成する高い強度を誇る岩に、何千回と刃を立てた剣。だというのに刃毀れ一つ無いという馬鹿げた強度を持つ何とも頼もしい剣に、マリーもまるで戦友に対するような心持ちで声をかける。

 まさにそんなタイミングで、先へと続く扉が大きな音を立てながら開いた。岩同士が擦れる、地震のような音だった。


 マリーは少しだけ表情に疲れを滲ませて、それから引き締めた。

 あとどれほど戦わなければならないか分からなかったが、彼女に引くという選択肢は無いのだから。






 果たして、その扉の先には何も無い空間がただ広がるばかりだった。


「何も……無い……?」


 そんな、と声を出さずに口だけを動かしたマリー。

 彼女の視界には、見渡すばかりの広大な空間。そして、先に続く扉など無い。

 ここが終点ということだった。


「まさか、そんなはず……ッ! これだけの施設の最奥が、ただ広いだけだなんて!」


 自分に言い聞かせるように、というよりはそれが純然たる事実だったが、ともかくマリーは周囲を見渡しながら走る。

 何か無いか、あるはずだ、と。──そして見付けたのは、水溜りのような何かだった。


 ピカピカに磨いた鏡に、薄く墨を塗ったような。直径一メートル程度のほぼ円形。

 不用意にもそれに近付こうとした瞬間に波紋が起き、マリーははっとして距離を取る。


 氷像が溶けていく様を逆再生して、早送りするように。一体の全身鎧が姿を現した。

 それはマリーの知識に無いものだった。不定形の魔物は幾らか知っていたが、流動的に動く金属のような魔物は知らない。色を除けばスライムにも見えたが、全身鎧の造形はそんな不安定なものではない。

 磨き上げたように滑らかな曲線や、しっかりした造りの接合部など。細かな部分までしっかりと作りこまれた、腕利きの職人が作成した鎧と見紛うほどの造形だ。


 燻し銀のような色合いをした、全身鎧。それはマリーが持つ剣と良く似た色合いだ。

 偶然の一致にしては妙な感覚を覚えたマリーだったが、深く考える余裕は無かった。何故なら目の前の全身鎧が、何処からともなく剣を取り出し構えたからだ。実に堂に入った、正眼の構えだった。


「問おう」


 自身も素早く剣を構えたマリーだったが、突然聞こえた声に内心で驚く。何処から、と考え、それは目の前の存在からしか有り得なかった。


「貴殿は何を求め、この宝物庫へ辿り着いたのか」


 それは、若い男のような声だった。それは、無機質な声だった。


 マリーは暫し考え、問答に応じることにした。相手は中々に得体が知れないが、宝物庫(・・・)という言葉には反応せざるを得なかったからだ。


「石化の呪いを打ち消す、魔法具を探す為です。私の不徳で、多くの方が犠牲となっています。呪いの力は大変強く、並大抵の魔法使いや魔法具では太刀打ちできませんでした」


 自身が仕留め損ない、その結果逃げた魔族。逃げた先がよりによって人々が多く集う街であり、周囲への被害を極力抑えながら戦って仕留めたが、厄介な置き土産を残して逝った。

 魔族はその身体、その存在全てを呪いへと変え、敢えてマリーだけを対象から外した上でばら撒いたのだ。マリーを絶望させたいが為に。


「こちらの質問にも答えてください。先程あなたはこの宝物庫(・・・・・)と仰いましたね。ですがこの場には、何一つとして宝物(・・)はありません。それは何故ですか」


 ここが宝物庫であるならば、少なくとも過去には宝物があったはず。そう考えたマリーは、ならば今現在の宝物が何処にあるのかと思いを巡らせた。


「回りくどい問答は私の好みではない。貴殿の求めるものは石化を解く手段であり、それは私が持っていると答えよう」


 返答は、マリーが予想していなかったもの。けれど、事実であるならばこれほど的を射た返答も無かった。


「それを私に譲っては、頂けませんか?」


 思わず剣を降ろして懇願したマリーだったが、目の前の存在は構えた剣を微動だにさせない。


「譲ることは不可能だ。どうしても、というのであれば──剣で私を口説いてみたまえ」


 唐突に、無機質だった声が喜色を滲ませた。それと同時に、マリーの全身を押し潰すような感覚が襲い掛かる。


 例えるならば、荒れ狂う暴風。聖と魔の力が交じり合い、反発し合い、それでもなお一つとして存在している。

 燻し銀の全身鎧からは、マリーが今まで出会った如何なる存在とも隔絶した、絶対的な気配を感じた。


 マリーの全身からは冷や汗が噴き出し、背筋が凍り、膝が笑い、視界が今にも暗転しそうだった。

 一瞬で理解する。目の前の存在は、自身の理解の範疇を遥かに超えた先に在ると。

 蟻が象に挑むなどという生温い状況ではない。人が自然災害に挑むようなものだ。必死に耐えて、被害を少しでも抑えるのが限界。打ち勝とうとするなど、何という傲慢か。


 手から力が抜ける。剣を掴んでいることすら、精一杯だ。

 ……だが、そう、精一杯なのだ。まだ彼女は抗っている。まだ彼女は諦めていない。

 抜ける力を掻き集め、笑う膝を一喝し、目の前の災害に向けて剣を構える。


 魔法剣から流れ込む魔力を、自身の意志で更に引き込む。

 溢れ出る魔力はこれまで以上に勢いを増し、マリーの身体を満たす。


 マリーの生まれ故郷は、既に無い。強大な魔族の侵攻により飲み込まれ、その数少ない生き残りの一人がマリーだった。

 故郷を失ったマリーが流れ着いた場所が、セキュリテ。他所者であるマリーを温かく受け入れ、守ってくれた街だ。──今は石像の街(・・・・)と化した、第二の故郷(・・・・・)だ。


「……諦め、ません。どうしても(・・・・・)ッ、諦められませんッ!」


 踏み込んだ足跡が焦げ付く程の加速。全身の筋肉が、骨が悲鳴を上げる無茶な運動。肉体が発する危険信号全てを無視して、マリーは己が振るえる最速の剣を繰り出す。


 全身鎧は泰然として、マリーの渾身の一撃を片手で構えた剣で容易く受け止めた。しかし次の瞬間、受け止められた剣は全身鎧の胴を薙ぎ払っていた。


 硬質な金属同士が衝突し、耳障りな高い音が響く。


 全身鎧の表面には、視認するのも難しい程に微細な傷が刻まれたのみ。先の部屋で戦ったゴーレムへの攻撃を遥かに上回る威力で放ったそれが、その結果。それでも、マリーは止まらない。


 数秒間に数十回の斬撃が繰り出され、金属音が幾重にも響き渡る。


 全身鎧が剣を振るえばそれを回避し、側面や背後に回って再び斬り付ける。出鱈目な速度にマリーの身体は引き千切れそうだったが、身体強化で全てを誤魔化し維持する。維持し続ける。






 マリーが全身鎧に攻撃した回数が、とうとう四桁に届こうかというタイミングで、


「威力不足、か」


 全身鎧はぽつりと呟いた。


 その呟きをマリーの耳が拾ったそのとき、マリーの両腕が爆ぜた。──否、爆ぜたと錯覚する程の衝撃を受けた。

 次いで背中への衝撃を受け、肺の中の空気が強制的に吐き出される。痛みで呼吸すらもままならなくなったマリーは、仰向けに倒れていた。


 薙ぎ払いの一撃で十メートル近くマリーを吹き飛ばした全身鎧は、起き上がれずにいる彼女の近くへと歩いて接近する。その様子からは、ありありと分かる余裕が見て取れた。


「限界を超えた身体強化に、身体が追い付かなかったようだな」


 冷静な声で話しかけながら、切っ先をマリーの喉元へ突きつける全身鎧。

 その言葉通り、マリーの全身からは力が抜けている。最早、筋組織がボロボロだった。それでも身体強化を維持出来ていれば無理矢理に動かすことも可能だったが、集中を断ち切られた今となっては無い物ねだりに過ぎない。


「このまま諦めるというのであれば、見逃そう。回復ポーションが必要ならば渡す。その手にある剣は渡せぬが、クルス大峡谷を抜けられるだけの代わりの剣ならば渡しても良い」


 間違いなく、破格の条件だった。ただし、


「だがその場合、この地下遺跡は二度と貴殿を受け入れぬ。入り口は閉ざされ、見付けることさえも不可能だろう」


 後に続く言葉が無ければ。


 マリーの意識は、ほとんど混濁状態にあった。それは全身を襲う激しい痛みに対する防衛本能であったし、絶望的な現実に精神が打ちのめされたからでもある。

 全身鎧の言葉は半分も理解できていなかったが、一つだけ、「諦めろ」と言っていることだけは強く認識していた。

 たとえ剣を折られようとも、四肢を切り落とされようとも、それだけは決して受け入れることのできない言葉だ。


 動かすだけでも精一杯の腕で、剣を持ち上げ。マリーはうわ言のように、言葉を紡ぐ。


「諦め、ません……。私は、決して、諦める訳には……」


 焦点の定まらぬ目で相手を捉え、ふらふらと揺れる剣の切っ先を突き出す。


どうしても(・・・・・)、私は……ッ!」


 かつん、と。ガシャン、と。

 全身鎧の胸部に切っ先が触れ、マリーの全身から力が抜けたために剣が落ちた音。

 マリーの意識は、ここで完全に暗転した。











◆◆◆◆◆


 パコン、パコンと。何かが割れる音を聞いてマリーは意識を取り戻す。

 彼女は特に異常の無い身体で上体を起こし、自分がベッドで寝ていたことに気付いた。


 一言で言って、そこは宿屋の一室だった。

 簡素なベッドにテーブル、イス。こじんまりとした狭い部屋に、最低限の家具を押し込んでいる。


 マリーはベッドから起き上がり、それから自身の格好を確認した。

 気を失う前まで着ていた頑丈な服と軽装鎧は、シンプルながらも上質そうな水色のワンピースに変わっている。


「……何故?」


 今のマリーの感情を、最も簡潔に表した言葉だった。


 何せ、記憶の前後で整合性が全く取れない。自分はまず殺されると考えていたし、よしんば生きていてもこのように宿屋の一室で安眠できる状況には全く繋がらない。うわ言のように「諦めない」と言っていたが、まさか「諦める」と聞き間違えられたのだろうか。剣を突き立てながら。そんな馬鹿な。

 現在のマリーの思考を述べるならばこんなところだ。


 先程からパコン、パコンと外からの音が絶えない。本来不快に感じるような音ではないはずなのだが、今のマリーにとっては思考の妨げになっていた。

 彼女は窓を開け、音の発生源を見る。そして驚愕する。


「なっ……!」


 何故、と言うつもりだったが言葉がつかえた。目の前にある光景が、あまりにも現実味を欠いていたから。


「ふむ、目が覚めたかね。ああ、宿代については私が肉体労働をすることを条件に交渉済みだ。血抜き済みの猪一頭を手土産にしたのも、効果的だったようだな。夕飯に期待するよう言われた」


 朝の日差しを背景にした燻し銀の全身鎧が、斧を片手に薪割りをしている。字面だけでも十分にシュールだ。


「今はさぞ混乱していることだろうが、少なくとも貴殿に対し私が害意を持っていないことは、状況から察して欲しい」


 それは、全く以ってその通りだ。マリーは素直に全身鎧の言葉を受け入れていた。


 些か素直すぎる嫌いはあるが、マリーを害するつもりならばあの場で仕留めてしまうのが最も手早く確実だった。マリーを利用するつもりだと仮定しても、果たしてどのような理由が考えられるか。武力について言うならば確かに優れた剣技があるが、それを容易に降した全身鎧から見てどれほどの価値があるやら。見目の良さについてならばあれこれ考えを巡らせられるはずだったが、それは彼女自身にとって無自覚だったために初めから思考の外だ。


「薪割りも、もうじき終えるところだ。話はその後、部屋の中でするとしよう」


 圧倒的な力を持つ存在と狭い部屋で一対一というのは、マリーにとって二の足を踏む状況ではある。だが、話をしなければ前に進むことはできないのも理解していた。

 石化の呪いを解く方法を、マリーはまだ得ていないのだから。






 狭い部屋の中、小さなテーブルを挟んで向かい合うのは、金髪翠眼の女性と燻し銀の全身鎧。

 口火を切ったのは後者だった。


「まずは自己紹介をするとしよう。生憎と私に名は無いが、種族はスライムだ。あの地下遺跡で生まれ、過ごしてきた」


 マリーにはまるで意味が分からなかった。一体何処の世界に、冗談のような強度の全身鎧を身に纏い冗談のような威力の剣を振るう、絶対強者たるスライムが存在するのか。ましてやスライムと言えば、魔物の中でも特に原始的で本能的な部類だが、誰がどう見てもこの全身鎧は理性的と言うだろう。しかし、目の前の全身鎧が冗談を好むように思えなかったのも事実である。

 故に、マリーは口を挟まず話を聞いてみることにした。


「好んで食すのは武具。私の場合においては、それ以外の選択肢がほぼ無かったというのが正解だろうがね。このように自我を確立してからも、武具を食す日々を送り続けていた」


 ここまで話を聞いた時点で、マリーは己の勘違いに気付いた。

 てっきり、全身鎧は石化の呪いを解く魔法具を所有しているのだろうと思っていたのだ。しかし、それは違うと確信する。この全身鎧──自称スライムは、間違い無くあの宝物庫(・・・)にあったはずの武具を食い尽くしたのだと。だからこそ、あの空間には何も無かったのだと。


「私は食した武具の効果を十全に引き出すことができる。そしてその中には、石化の呪いを解くことができる代物も存在した、という訳だ」


 再度示された希望。だが、自分は目の前の存在を口説く(・・・)のに失敗したのではないのか。あるいは絶望の上塗りをされているのではないか。

 マリーは判断に窮していた。


「それでは、貴殿のことを尋ねよう」


 判断に窮していたが、促されるまま自己紹介をすることにした。


「私は、マリー・アポストルと言います。生まれ故郷は既にありませんが、その地では騎士の身分を頂いていました。今は、一介の冒険者です」


 ほう、と納得の声が全身鎧から発せられた。


「私の中の聖剣が何振りか、反応を見せる訳だ。騎士の振るう真っ直ぐな剣技を、実戦の中で洗練していったのが貴殿の──マリー殿のそれということなのだな」


 聖剣が何振りか(・・・・)という言葉にマリーは再び混乱しかけたが、目の前の存在の規格外さは既に肌身で感じていた。だからこそ、そういうものだと納得する。

 彼女は着実に順応性を上げていた。


「洗練などと。あなたには遠く及ばない程度の剣技です」


 マリーは力無く首を横に振り、否定する。


「ふむ。では、私に挑むつもりは既に無いということかね」


 それはとても冷静な、しかし審判者を思わせる重苦しさを孕んだ声だった。


 対するマリーは俯き気味に、独白じみた声色で語る。


「言い訳の余地無く、私はあなたに完敗しました。埋めようの無い程の実力差を痛感しました。一人の剣士として悔しく思う気持ちは、幾ら言葉を尽くそうとも言い表すことなどできません。ですがそれをあなたにぶつけることは、今度こそ私の死を意味するでしょう。私はまだ、死ぬ訳にはいかないのです。街の皆さんを石化の呪いから解放するまでは、決して死ねないのです」


 ですが、と。全身鎧を正面から見据え、マリーは言葉を続ける。


「呪いを解くことができた暁には、私は再びあなたに挑みたい。遥か高みを目指し、剣技を磨き、あなたに私の剣を届かせたい。これが私の、偽らざる本心です」


 きっぱりと宣戦布告をしたマリーに、全身鎧は驚きの返答をする。


「マリー殿はどうやら気の長い話をしているようだが、貴殿は私の『諦めれば見逃す』という言葉に対し『諦めない』と返答した。故に、今の私が貴殿を見逃すことは無い」


 部屋は、しんと静まり返った。











 幾らの時間が過ぎただろうか。訪れた静寂はマリーの心に無数の針を刺していったが、全身鎧は相も変わらず泰然としている。


「……それ、は、どういう?」


 やっとの思いで紡いだ言葉は途切れ途切れで、更には死刑宣告を催促しているかのようだった。


「貴殿はどうやら私の力以外の、別の解呪手段を探すつもりのようだが。私はそのように悠長なことを容認するつもりはない。待つことは得意だと自負しているが、流石に飽いた」


 害意は無いと言っていたはず。そこが既に嘘だったのか。しかし何の為に。

 マリーの思考回路は空回りをし始めていたが、身体は即座に臨戦態勢を取っていた。跳ねるように立ち上がり、壁に立てかけられた剣に素早く手を伸ばし、その切っ先を寸分違わず全身鎧に向ける。

 燻し銀のような色合いのその剣は、マリーの身体に潤沢な魔力を──送ってはくれなかった。


「──ッ!?」


 明らかな異常に戸惑い、それが彼女の隙となる。

 気付いた時には全身鎧に刀身を掴まれ、マリーが幾ら力を込めようとも微動だにしない。


「この剣は、私の分体だ。故に剣自体が魔力を回復し、他者へ与えることも可能とする」


 そんな告白の直後、掴まれた剣がどろりと溶けた。流動体になったそれは、極自然に全身鎧へ纏わり付き──その中へと吸い込まれていった。


 マリーは力無く、その場にへたりこむ。万事休す、打つ手無し。あの剣があろうとも、逃げられる可能性は万に一つもあるかどうかだった。しかし、それは偽りの希望だったのだ。全ては全身鎧の手のひらの上。自身が宝物庫へ辿り着けたことさえ、自力でのことではなかった。


「マリー殿」


 最早抵抗の意志も無意味だと言われたに等しいマリーは、全身鎧の呼び掛けに応えない。応える余裕が無い。


「マリー殿」


 それでも全身鎧は呼びかけを繰り返す。


「……マリー殿、貴殿はどうやら思い違いをしている。いや、思い違いをさせるような言い回しを私はしてしまったのだろう。申し訳無い」


 思考を放棄しかけた頭で、マリーは聞こえた言葉を咀嚼する。


「これを言うのは二度目だが、改めて言おう。私は貴殿に対し、害意を持っていない」


 表情をぐずぐずに崩してから、マリーは自身の顔を覗き込んできた全身鎧を見つめ返した。






 曰く、地下遺跡のポーションと燻し銀の剣は全身鎧が用意した。

 曰く、侵入者への迎撃は地下遺跡の元々の機能が働いただけ。

 曰く、そもそも全身鎧は遺跡の守護者ではない。


 三つ目については、当たり前のことだった。何処の世界に、守護対象の宝物を食らい尽くしてしまう守護者が存在するというのか。既にして出鱈目な存在ではあったが。


 自力で立てなかったマリーは全身鎧に抱えられてベッドに腰掛けていたが、先程の自身のあまりの醜態に、顔を真っ赤に染めていた。


「……お見苦しいところをお見せしました」


 それでもそういった言葉を出せるだけ、彼女に余裕が戻ってきたと言える。


「私の配慮が不足していただけのこと。不徳を恥じるべきは私の方だ」


 全身鎧の方が心底申し訳なさそうに言うものだから、おまけに頭までしっかり下げるものだから、マリーは大いに慌て始める。


「いえそんな! 害意が無いと態度でも言葉でも示されていたにも拘らず、それを信じなかった私が悪いのです!」


 疑心の相手が人間であるなら正論に聞こえただろうが、通常話し合いなど望むべくも無い魔物が相手である今回においては、全く以って筋違いの話だった。マリーの生粋の素直さが暴走していた。


「どうにも、人が良すぎる嫌いがあるな。いやしかし、だからこそか」


 全身鎧は何やら一人納得し、それからマリーの目の前で(ひざまず)く。


「マリー殿。私を、貴殿の剣として、振るってはくれまいか」


 極めて誠実に、嘘偽りなど無いといった態度で、全身鎧は確かにそう言った。


 今日だけで何度目の混乱か、マリーにはもう分からなかった。わざわざ数えたくもなかった。

 ただ、自分にとって良い話か悪い話かという判断だけはできていた。


「私は魔物だが、それ以上に武具でありたい。武具として、優れた剣士に振るわれたい。私の自我が確立し、百幾年。今日(こんにち)まで私が待ち続けた、その理由となって欲しい」


 それでもすぐに返答できなかったのは、何故自分がという意識があったからだ。

 自分の剣技は、届かなかった、至らなかった。最後までまともなダメージも与えられず、気を失っただけ。

 自分が選ばれた理由が、全く分からなかった。


「何故、ですか……? 何故、私なのですか……?」


 私はあなたに、惨敗したというのに。マリー自身は、そう思っていた。


 ところが全身鎧は、むしろこちらこそが不思議だとばかりに唸る。


「マリー殿は私の鎧に、頑丈なだけの刃で無数の傷を付けてみせた。全てを攻撃に掛けた私の一撃を受けてなお、剣を手放さなかった。朦朧とした意識の中ですら、不撓不屈(ふとうふくつ)の意志を見せた。これほど優れた者は、私としても望外の使い手なのだ。……見逃す(・・・)手は無いだろう?」


 最後は、少しだけ悪戯心を滲ませて。全身鎧は愉しげに言った。


「これもまた二度目だが、やはり改めて言おう。……私を、貴殿の剣として、振るってはくれまいか」


 誤解のしようも無い言い方で、全身鎧は再度訴えた。

 マリーはそれに応えようとしたが、すぐには無理だった。全身鎧と自身の見解の相違を埋めるには、些か以上に時間が足りなかったのだ。


「……ふむ。では少し切り口を変えよう。私は石化の呪いを解く力を保有している。であるならば、単に実利を取りたまえ。マリー殿が私の使い手として自身を不足と思っていようが、それはマリー殿の目的に関連する話ではない。そもそも、なりふり構っていられぬからこそ地下遺跡にまで足を運んだのだろう? 優先すべきは手段ではなく、結果。違うだろうか?」


 正攻法の説得が難しいと判断した全身鎧は、回り道をしつつハードルを下げてみることにした。


「一時的なもので構わない。私の使い手となってくれまいか。最終的な判断は、石化の呪いを解いた後で下せば良い」


 ここまで言われ、或いは言わせて、さしものマリーも返答せざるを得ない。


「分かり、ました。あなたの言う通り、優先すべきは結果です。あくまで一時的なことですが、私があなたの使い手となりましょう」


 予防線を張るようにしつつも、はっきりとした口調だった。


「そうか、それは良かった。それでは、私の銘をマリー殿に付けて貰いたい」


 無機質そうな口調に明確な喜びを滲ませて、突然の申し出をした全身鎧。

 マリーは驚こうとしたが、驚き疲れた心の反応は鈍かった。


「銘、ですか。なるほど確かに、あなた程の剣に銘が無いというのは不自然な話です」


 だからもう、そのまま話を進めてしまうことにした。


「……あなたは、剣以外も振るうのでしょうか?」


 とはいえ情報不足は否めず、マリーはひとまず話をしてみる。


「槍や斧、弓も少々。その他には、魔法使いの杖なども用いることが可能だ」


 思っていた以上に多芸な全身鎧に頭を抱えたくなったマリーだったが、一つ案が浮かんではいた。


「それならば、アルマ、というのは如何でしょう。過去に存在したある国では武器、またそれと別の綴りでは魂という意味で使われた言葉です」


 自分のネーミングセンスに自信の無いマリーは、恐る恐る全身鎧の反応を窺う。


「ダブルミーニングか。武器の魂(・・・・)とは、何とも申し分無い。アルマという言葉の響きも素晴らしいものだ」


 どうやら大変に好評のようだった。


「これより私はアルマと名乗らせて頂く。良き銘を授けてくれたこと、感謝に堪えない」


 深々と頭を下げる全身鎧──アルマに対し、マリーはやはり慌てる。


「そこまで感謝される程のことでは……! むしろ感謝すべきは私の方でしょう。あなたの力を借りて、石化の呪いを解こうというのですから」


 実際にはまだ石化を解いた訳でも無く、その能力があるとアルマが口で言っているだけなので、最悪の場合は嘘を吐かれている可能性もあったのだが。生粋のお人好しであるマリーからは既に、アルマを疑うという考えが抜け落ちていた。


「時にマリー殿。その石化の呪いについて一つ疑問があるのだが、宜しいか」


 アルマには、一つ腑に落ちないことがあった。

 マリーからの了承の言葉を得て、彼は質問を発する。


「『多くの方が犠牲となっています』、と私は宝物庫で聞いた。それは恐らく数十では足りぬ数の被害者なのだろう。最低でも村単位、あるいは街単位にもなるかと推測する。では、何故マリー殿が単独で行動していたのか。別に行動している者が居るのかも知れないが、だとしてもやはり、マリー殿が一人で行動している理由が私には理解しかねる。推測できる被害規模から見て、その被害を受けた土地の領主が行動を起こしても不思議ではなさそうだが」


 少なくとも、個人で対処する案件ではない。アルマにはそう思えてならなかった。


「武力に優れるだけでなく、頭脳も明晰なのですね、あなたは……」


 少ない情報でその疑問に至ったアルマに、マリーは素直な感心を示した。


「理由は、簡単です。……その領主もまた、被害者の一人なのですから」


 そして無意識の内に声色を暗くしながら、説明を続ける。


「石化の呪いは私を対象外としていますが、その地──セキュリテの街に留まり続けています。私以外の者が近付けば、それは被害者を増やすだけ。ですから私が外部から持ち込める魔法具を使い、解呪を試みたのですが……結果は芳しくありませんでした」


 ここで一つ溜息を吐いて感情を整理し、マリーは再度口を動かす。


「その結果、国としては不可侵領域として扱うことにしたのです。国家予算を大量に消費し、長い年月を掛けて浄化装置を造ればセキュリテの街は息を吹き返すでしょうが、そのような余力はありませんから」


 アルマはマリーの言葉に、別の疑問符を浮かべる。彼は思考することを苦に感じない者ではあったが、世情には疎かった。


「他国との戦争でもしているのだろうか?」


 故に、このような質問も出してしまう。


「そうではありません。無論、将来的にそうなる可能性が無いとは言いませんが。ただ今は、明確な敵が存在するのです。……私が討ち損じ、自らを石化の呪いへと変じた魔族。それがその一例ですね」


「魔族……異界よりの来訪者、か。敵対している者が一例として提示されるということは、現在の魔族は侵略者と表現した方が適切なのだろうか」


 すぐにマリーが首肯し、アルマは考え込む。


「昔は魔族がやってくる頻度も低かったそうですが、今はかなり高くなっているようなのです。というのも、近年は魔族から受ける被害が過去の件数や規模を大きく上回り続けている状況でして。しかも彼らは単独でこちらの軍と渡り合う、極めて強力な存在です。極一部の人間が扱える伝説級や神話級の宝具を持ち出して、辛うじて対抗できている有様で」


 不謹慎ながら、アルマは大変に好都合な状況であることに気付く。

 そもそも彼はマリーに言っていた。聖剣が(・・・)何振りか(・・・・)マリーに反応を示していると。


「また一つ質問があるのだが、良いだろうか」


 質問とは言いつつ、アルマはそれが確認であると思っていた。

 マリーから承諾の言葉を得て、心なしか愉しく感じつつ言葉を発する。


「その極一部の人間と言うのは、精々一つか二つの宝具を扱うに留まっているのではないかな」


 マリーが不思議そうな表情を浮かべ、その言葉の意味を咀嚼する。


「一つか二つ、と言いますか……、一つです。しかも神話級に至っては一人使い手がいるだけで。それに複数の宝具に選ばれる人間など、ただでさえ貴重な宝具に巡り会う幸運と、その宝具に対する天性の才能の両方を持ち合わせなければなりませんから」


 アルマは満足のいく回答を得られたことに、大変満足した。


「そうか。たかが一つの宝具(・・・・・・・・)でも、魔族には最低限の対処ができているのだな。しかもそれが、伝説級止まり(・・・・・・)であっても」


 宝具に対する認識が、目の前にいるアルマとは致命的に異なっているということに、マリーはようやく気付く。


「では行こうか、セキュリテへ。手早く呪いを片付けようではないか」


 その気軽な印象を強めた言葉を聞いたマリーは、一種の諦念をすら抱いた。










◆◆◆◆◆


 一人の女性が今、腰まで伸びる黄金色の髪を靡かせながら大地を疾走している。

 その身は如何にも重厚そうな白銀の全身鎧を纏い、左右の腰にはそれぞれ一振りの剣を帯びていた。


 響かせる足音は軽やかで、とても重装備の人間のそれとは思えない。走っている当人ですらそう思うのだから、客観視すればその印象はより強まるだろう。

 ただ、幸か不幸か、この場に真の客観視ができる人物は存在しなかった。


羽根のように軽い(・・・・・・・・)という表現こそ、今の私の心境を正しく表してくれる言葉ですね。駿馬を軽々抜き去るような速さを、歩く程度の負荷で出しているのですから」


 軽やかな疾走を続けながら、周囲に誰も居ない中で彼女は──マリー・アポストルは呟いた。


「安全確保が十分なら、移動が速いに越したことはあるまいよ。戦闘においても、速さとは非常に重要な要素の一つだ」


 返答は、その身に纏う鎧から発せられた。マリーが一時的にとはいえその使い手となることを認めた、スライムという魔物にして武具である、アルマの声だった。


「それは否定しませんが……。いえ、そもそもこの状況から私には想定外の出来事で、未だに全てを受け止め切れてはいないのですよ?」


 「貴殿の剣として振るってはくれまいか」と、アルマはマリーに言っていた。ただそれは、マリーとしては一種の比喩表現に近いものだと思っていたのだ。具体的には、地下遺跡の終盤で行っていたようにアルマの分体を剣として扱い、アルマ本体は全身鎧姿で独立して剣を振るものだと思っていた。

 それが、蓋を開けてみればこの現状である。いや、アルマ本体が全身鎧姿であることには違いないし、分体が二つ、マリーの腰に剣として提げられているのも事実ではあるのだが。ただ、まるごと全てマリーの武具として扱うことになろうとは、予想だにしていなかった。


「鎧とふた振りの剣でたかだか三つ、それも伝説級止まりの武具だ。神話級の聖剣に対し適性のあるマリー殿からすれば、本来驚くような装備ではないのだがね」


「私が地下遺跡へ突入した際に装備していた剣の等級をご存知ですか。辛うじて最上級ですよ」


 鎧に至っては上級だったというのに、とマリーは愚痴を溢すように続けた。


「そうは言っても、これから戦闘を行う可能性が高いのだ。装備が充実しているに越したことはあるまい」


 さらりと物騒なことを言ったアルマだが、それを聞いたマリーの表情に驚きは無い。既にその話はしてあった。


「あなたの杞憂であれば良いのですが、魔剣(・・)までもがそう言うのであれば現実味のあるお話なのでしょうね」


「『性格の悪さには自信がある』、と実に意気揚々と訴えかけてくるものだからな。彼らの話を長年聞いてきた私の考えも一致する。まず以って、自己犠牲で終わる相手ではなかろう」


 アルマは声色に若干の呆れを滲ませていた。











◆◆◆◆◆


 触れた生物を石化させる白い霧が立ち込める街、セキュリテ。

 煉瓦造りの街並みは歴史を感じさせるが、老若男女問わず存在する石像が不気味さのみを際立たせている。


「まさか、今日の内に到着できるとは考えていませんでした」


 務めて冷静に振舞うマリーの声は普段よりも若干の硬さを持っていたが、当人はそれに気付いた様子が無い。

 目的の街に到着し、緊張した面持ちで周囲の状況を眺めている。


「夕刻ではあるがな。では、用件を済ませるとしよう」


 全く気負った様子も無く語るアルマに、マリーは嘆息する。緊張を抑えようと必死な自分が、滑稽に思えた。


「まずは右腰に提げた剣を」


「分かりました」


 アルマの指示に従い、右腰の剣をマリーの左手が鞘から抜き放つ。

 白銀の刀身に青白い光を纏う、伝説級の聖剣だった。


 左手に持った聖剣を天に向け掲げる。


「浄化の光を!」


 マリーの言葉に反応し、刀身のみを覆っていた青白い光が周囲へと広がっていく。それは呪いの霧を押し退け、悪かった視界を一気にクリアにする。


 光に包まれた灰色の石像達が、じんわりと光る。一様に石の色をしていた肌が、髪が、目が、衣服が、元の色をゆっくりと取り戻していく。


 時間にして十秒足らず。たったそれだけの時間で、セキュリテの街は息を吹き返した。


「あ、れ……、手が動く……? 足も! 動く、動くぞ!」


 たまたまマリー達の最も近くに居た三十代半ばの男性が、石化の解けた自身の身体を動かして驚きながらも喜びの声を上げる。

 その周囲でも似たような声が幾つも上がり、街は歓喜に包まれる。


「マリー? マリーじゃないか! 君が石化を解いてくれたのか!」


 そんな中、マリーの姿に気付いた人が状況を察したらしく駆け寄ってくる。

 すると周囲も同じく状況を察し、口々に感謝の言葉を述べ始めた。


「み、皆さん、落ち着いてください! まだ終わってはいないのですから!」


 剣を持った左手はそのままだったが、開いていた右手は集まってきた人々による一方的な握手で代わる代わるシェイクされ続けている。マリーの制止にも、周囲は聞く耳持たずだ。

 そんな中、彼らの頭上に影が落ちる。


「ああ、そりゃそうだ。終わってなんざいねぇよ。こんなクソみてぇな終わりなんざ、認めるわきゃねぇだろうがぁ!」






 マリーは鋭い視線を空へと向けた。その先に在るのは、ヒトの身体に巨大な蝙蝠の羽を生やしたような格好の、ヒトならざる者──魔族だった。

 その身を全て呪いへと変じていた魔族は、死んでなどいなかった。ただその身を呪いの状態(・・)へと変えていたに過ぎない。マリーがどうしようもない現実に打ちのめされていく様を、霧になった身体でずっと観察し愉しんでいたのだ。


 ガリガリに痩せたその魔族の身体は非常に不健康そうでありながら、長く伸びた爪は獲物を容易く切り裂けそうで。纏う魔力は禍々しく、そこに居るだけで他を圧倒した。

 事実、石化の呪いから解放された人々は再び恐怖の渦に巻き込まれていた。数秒前まで歓喜の声を上げていた口から、恐怖の悲鳴を吐き出しながら。──ただ一人、アルマを装備したマリーを除いて。


「あなたに認められる必要性はありません。あなたはただ、速やかに私の手によって討伐されなさい」


 そう語りながら、マリーは左腰に差していたもう一振りの聖剣を構える。

 こちらも刀身は白銀で、しかし纏う光は黄緑色をしていた。


「あぁン……? 魔法剣ふた振り……、どっちも伝説級ってトコか。大層な武器だが、最上級までしか扱ったことのねぇお前に、扱い切れんのかよォ!」


 声を荒げつつ急降下する魔族に周囲は悲鳴を上げたが、次の瞬間には呆けたように口を開けて固まることになる。何故ならば、


「場所を変えましょう。吹き飛びなさい」


 マリーが右手に持つ聖剣から突風を生み出し、魔族にほとんど抵抗も許さず彼方へと押しやったからだ。


「皆さんはこの街に残っていてください。あの魔族は今度こそ、私が仕留めてきます」


 そう言ってマリーは自身の身体に風を纏い、魔族を吹き飛ばした方角へと飛翔を開始する。

 後に残された街の人々は、その様をただただ黙って眺めていた。











◆◆◆◆◆


 セキュリテの街並みが辛うじて確認できる程度に離れた草原にて、魔族は肩を揺らし息を荒げていた。


「クソが、油断した! あいつめ、思ったより伝説級の魔法剣を使いこなしてやがる……!」


 無理な体勢で突風を受けたために羽がおかしな方向へと曲がっていたが、数秒で正常な角度に修復されていく。

 そこへ風を纏ったマリーが、悠々と飛んできた。優雅に着地し、滲み出る余裕が魔族を尚一層苛立たせる。


「移動にまで魔法剣を使うたぁ、随分と景気の良い話じゃねぇか。けど本当に良いのかよ、お前の魔力じゃすぐ枯渇しちまうだろうによぉ!」


 高位の宝具を扱える者が限られる理由の一つに、この魔族の述べた魔力がある。

 出力が高いということはつまり、それだけ魔力を消費するということ。それが剣などであれば当然使う者は剣士であり、元より魔力が高い者は少数派。後天的に魔力の量を増やすことは可能だが、それにも限度はある。

 ましてマリーは魔力を補助的にしか使わずに戦ってきた者であり、彼女と直接戦闘を行ったことのあるこの魔族からすれば、マリーの魔力切れを待つという戦術が非常に有効だと思われた。


「……分不相応な宝具を手に入れてしまったものだと、そう思わずにはいられませんね」


 指摘されたマリーからしても、それは通常であれば(・・・・・・)正論であり、納得のできる話だった。だからこそ、先のように溢したのだが。魔族はそれを、魔力の枯渇(・・・・・)が正しい見解だと肯定したように捉えた。故に魔族は調子を取り戻し、舌を良く動かす。


「ハッ! 理解してんじゃねぇか! 中々上等な魔法剣みてぇだが、一撃で俺を倒せるほどの威力は出せねぇ。だったら回復力に優れた俺が長期戦を選べば、お前に勝ち目なんざ万に一つもありゃしねぇ!」


 マリーは魔族の言葉を聞けば聞くほど、魔族に(・・・)勝ち目は無いのだと実感していく。


「魔族に対する勝利というのはきっと、重く苦しい戦いを経てやっと手に入るものだと、そう思っていたのですが……。このまま引き伸ばせば、更にそこから遠ざかりそうです。行きますよ、アルマ。あなたの言った通り、手短に済ませましょう」


 傍目には相対する両者しかいないこの場にて、マリーは独り言にしては相手が居るとしか思えない言葉を発した。


「あ? 何言ってんだお前。アルマ? 何だそ──」


 何だそりゃ、と言おうとした魔族の左腕と左の羽が、一太刀で切り落とされる。瞬きする程度の時間で距離を詰め終えたマリーが、無造作に剣を振るった結果だ。


「──あああぁ!?」


 肉体面、精神面の両方で衝撃を受けた魔族が叫ぶ。痛みと怒りが入り混じった表情は元々醜悪な顔を更に醜く歪ませていたが、それに怯むマリーではない。

 続けざまに二閃、剣が軌跡を煌かせる。今度は魔族の上半身と下半身を切り離し、右目を穿った。


「何なんだ、何なんだよこの痛みはよぉ!? ふざけんなクソがあああ!」


 更なる剣撃を浴びせようとしたマリーから、回復力の全てを左の羽に回し飛翔能力を再取得した魔族が逃げる。


「お前がそんなに強い訳ねぇだろうが! ああ!? おかしいだろうが!?」


「ですから言ったではありませんか。分不相応な武具を手に入れてしまったと」


 冷めた声色で答えながら、マリーは右手の聖剣を後方に引く。その刀身には、黄緑色の魔力が竜巻のように渦を巻いていた。


「然程多くの魔力を持たない私が、この規模の魔法を乱発できてしまうのですから」


 マリーが剣を一度(ひとたび)振るうごとに、鋼鉄をも切り裂く斬撃が渦を巻いて魔族に襲い掛かる。

 それが十数回繰り返されるのだから、魔族としてはたまったものではない。


 魔族の身体が幾つもの風の刃によってボロ布の如く引き裂かれ。絶叫が、怨嗟が、辺りに撒き散らされる。


 十秒にも満たない僅かな時間で、再生も追いつかないほどに欠損した身体。自慢の羽も根元から千切れ、今はただ地面に転がっているしかない。


「あんな威力の魔法……、数回使えば干からびちまうのが、人間だろうが……! どんな宝具を手に入れようが、変わらねぇはずだろうがッ!」


 ヒトならば既に死んでいるだろう状況にあってなお、魔族は大声で喚き散らしていた。しかしその表情には、欠片ほどの余裕も残されてはいなかった。


「ええ、本来はその通りです。しかしこれが現実です。あなたはここで、終わりです」


 淡々と語りながら、魔族との距離を歩いて詰めるマリー。


「は、ふは、ははははは!」


 不意に、魔族が笑い声を上げ始めた。笑顔ではあるが、引きつっている。時折咳き込み、血を吐いている。

 それでも、笑い声を上げ続けている。


「一体何が、そんなにおかしいのですか」


 警戒心を強めたマリーがそんな質問を投げる。


「ああ? これが笑わずにいられるかよ。散々見下して、街の連中を石にして反応を観察してたお前に対して、俺はこのザマ。使う訳無ぇと思ってた保険(・・)を使う羽目になるなんざよぉ!」


 唐突に、マリーの身体に異変が訪れた。急に身体の末端が重くなっていき、動かなくなっていく。

 彼女は気付く。これは──石化の呪いであると。


「石化の呪いはお前にだけ効かなかったんじゃねぇ! お前にだけ発現を遅らせてただけだ! 石になっちまったら絶望も何も無ぇからよぉ! そんな楽な終わり方させてやるつもりなんざ無かったんだが、こうなっちまったんだから仕方無ぇよなぁ!?」


 段々と機嫌の良くなってきた魔族は饒舌になり、聞きもしない話を勝手に話す。


「街の連中に纏めて掛けた弱い呪いじゃねぇ。お前が街に来るたび重ね掛けした特別製だ!」


 みるみる内に石へと変じていく自身の身体を実感しつつ、マリーは問う。


「これで、終わりですか?」


 問い掛けられた魔族は初め困惑の表情を浮かべたが、すぐに笑みを取り戻す。


「ああ、終わりだ。お前はこれで終わりなんだよ!」


 問い掛けを諦めと捉えた魔族は上機嫌に答えたが、マリーの質問意図には全く答えられていなかった。


「そういう意味ではなかったのですが……良いでしょう。そう答える時点で、これ以上の策は無さそうですから。──アルマ、お願いします」


 白銀の聖鎧が、一瞬強く輝く。その次の瞬間には、マリーの身体は元に戻っていた。

 身体の調子を確かめるために剣を素振りし、納得してから魔族に視線を戻す。


「大方、薄く広く拡散した石化の呪いだからこそ解くことができたのだと、そうあなたは考えていたのでしょうね。その気持ちが分からないとは言いません。私自身、ここまで一方的な展開になるとは予想だにしていませんでしたから」


 マリーの目に映る魔族は、それはそれは憐れだった。満身創痍どころか欠損だらけの身体を砂まみれにして、再生もままならぬほどに消耗し。潤沢にあったはずの魔力を全て防御に回してこの体たらく。

 絶対強者の代名詞とも言える魔族が、その中でも優れた部類に入ると自負している自分が、たった一人の人間に為す術も無く敗北している。到底、受け入れられる現実ではなかった。


「知った、風な……! 知った風な、口を! きくんじゃねえええええ!」


 なけなしの魔力を振り絞り、巻き起こせたのはちょっとした強風と言える程度の風。得られた結果は、マリーの髪を靡かせることだけだった。


「不確かな希望に縋り、たまたま幸運に恵まれたのが私です。あなたはきっと、運が悪かったのでしょう。──もう、眠りなさい」


 左手の、石化の呪いを祓った方の聖剣が刀身を輝かせる。

 天高く掲げられ、それが真っ直ぐ魔族の心臓へと振り下ろされる。


 熱した鉄を水に浸したような音が立ち、魔族は一言も発せず、跡形も無く露と消えた。


「終わり、ましたか……」


 ぐらり、マリーの身体が傾く。倒れる寸前で踏ん張ったように傍目には見えたが、それは鎧が(・・)踏ん張ったに過ぎない。


「すみません、思った以上に緊張はしていたようです。自分では冷静なつもりだったのですが……」


「緊張を感じられるほどの余裕が無かった、と言うべきか。ともあれ、これでマリー殿の目的は達成した。街の(みな)にも事情を説明せねばなるまい。歩くのは私が任されよう。楽にしていてくれ。それから──おめでとう。マリー殿はあの街を見事、救ってみせた」


 やや不意打ち気味に告げられた祝いの言葉にマリーは目を潤ませながら、小さく、それでいて感情を込めて、感謝の言葉を返した。






 徒歩で街まで戻ってきたマリーを迎えたのは、木の棒などの武器とも言えぬ武器を持って呆けた顔をした人々だった。


「あの、皆さん? 手に持っているそれは、一体どうされたのでしょうか?」


 街の人々からすれば、マリーによって呪いから解放されたと思えば問題の魔族が姿を現し、遠くへ飛んで行き、それをマリーが単身追いかけていった状況だった。

 魔族などというのは軍を以って撃退するのが精一杯であり、一般市民からすれば天災にも等しい存在なのだ。如何に強力な呪いを解ける魔法剣を手に入れたとはいえ、マリー一人──個人では決して仕留められるものではない。加勢に行けるほどの力が自分達に無いのは痛いほど分かっていたため、せめて武装して邪魔にだけはなるまいとしていた。

 ところが実際のところ、マリーは特に怪我をした様子も無く戻ってきたではないか。遠目に見て幾つもの竜巻が吹き荒れたときはマリーの冥福を祈りそうになったが、こうして無事な姿を見せている。

 全く以って、理解が及ぶ事態ではなかった。


「マリー、いやお前さん、大丈夫なのか? 魔族は追い払えたのか!?」


 一人の男を皮切りに、口々に質問を投げ掛ける人々。使う言葉こそ違えど、内容は先の質問と同じだった。


「いえその、ええと、はい。私はこの通り無事です。魔族は討伐しました」


 勢いに気圧されながらも質問に答えたマリーだが、人々の様子は更にヒートアップした。


「討伐ぅ!? 撃退じゃなくてか!? だって魔族があんなに沢山竜巻起こしてたじゃねぇか!」


「それはこの剣で放ったものです」


 しれっと答えたその言葉により、最早この場は収拾がつかない状況に。その後も質問責めに遭ったマリーが解放されたのは、日が暮れた頃だった。






 この街が平時であった頃に使っていた宿屋へ到着し、一息吐くマリー。

 街並みに良く馴染む煉瓦造りの宿は、この街の中でも平均的なグレードのそれだった。特別高収入という訳でも無かったマリーにとって当然の選択肢であり、普通に過ごす分には問題の無い広さの部屋があれば十分だったのだ。

 しかし今、部屋以外で問題が発生していた。食事である。


「ぎゃああああ! これも! それも! あれも! 全部駄目になってるよどうしよおおおおお!?」


 今日はめでたい祝いの日だ、と街中が活気付く中。石化していた人々については時間が停止していたようなものなので、健康的に問題も無い。だが食材までもが石化していた訳は無く、長期間放置され続けた結果は惨憺(さんたん)たるもの。辛うじて口に入れられるものと言えば、保存の利く缶詰など。

 酒は問題無く飲める状態で残っており、不幸中の幸いと言えるだろうか。


「ごめんマリー、折角の祝いの日なのにまともな料理も出せやしない。僕は宿屋の料理人失格だぁ……」


 先程から嘆きの声を吐き出し続けているのは、栗色の癖っ毛を頭の後ろで一つに纏めた十代半ばの少女だった。見目はそう悪くなく、少女らしい顔立ちをしているのだが、一人称は()だ。

 今は仄かに腐臭のする厨房の奥から、申し訳なさそうな視線をマリーに向けている。


「街の状態を見越して食材を持ち込まなかった私が悪いのですから、そう謝らないでください、エーファ」


 エーファと呼ばれた料理人の少女はしかし、ますます意気消沈してしまう。

 そこへ第三者の声が割って入る。


「祝いというのであれば、然るべき準備を経て行った方が良かろう。即興で作った有り合わせの料理で祝いの席を、というのはむしろ、それこそが料理人の怠慢と言えるのではないかな」


 今はマリーの右腕に燻し銀の腕輪としてはまっている、アルマの声だった。


「くっ、確かにその通りだね……。これだけめでたいことのお祝いを、何の準備も無しにやってしまうだなんて、そんな勿体無いことは無いよ! ありがとう腕輪君! 君のおかげで大切なことに気付けた!」


 腕輪君、と何とも微妙な呼び方をされたアルマの心中は複雑だった。元々は名が存在しなかったくらいなので、その当時ならばその呼び名であっても何も思わなかっただろうが。ただ、今はアルマという名があり、大層気に入ってもいる。


「礼には及ばんさ。ただ……今の私には、アルマという名がある。今後はそちらで呼んでくれまいか」


 先のやり取りを見ていたマリーは、名前に多少なりとも執着を見せたアルマを微笑ましく見る。自分が名付けた名を気に入って貰えているというのは、やはり嬉しいことだった。


「うん、分かったよアルマ君。それから言うのが遅くなったけど、マリーと一緒に僕達を救ってくれて、どうもありがとうね」


「それこそ礼には及ばんよ。優れた使い手に使われるというのは、武具としてこの上無い喜びなのだから」


 とはいえその後続いた話題については、些か以上に異論を挟みたくなったが。というより、挟むつもりしかなかった。


「アルマ、あなたは自身が主体となって戦った方が強いくらいではありませんか。そんなあなたが私を優れた使い手と呼ぶことには、違和感があります」


「何を言う。武具の条件が対等であれば、今でも私と良い勝負ができるだろう。更には今後、武具としての私を使いこなせるようになれば、私が自ら戦うよりも上の次元に立てるのがマリー殿だ」


「あなたの強みを潰してからの話では意味がありません。対等という言葉のもとに、実際は私がハンデを貰っているだけでしょう」


 使い手と武具の会話を聞いていたエーファには、この話が平行線を辿るであろうことが容易に確信できた。故に、


「はい、そこまで! お互いがお互いを尊敬しあってる素敵な関係の二人には、口喧嘩は似合わないと思うな!」


 ぱん、手を叩いて仲裁を強行する。表情は少しだけ怒ったように見えるよう心がけ、先程まで自分が醜態を晒していたことなど忘却の彼方だ。


「それにしても、マリーってば随分と変わった宝具を手に入れたよね。アルマ君自身が居るところで言うのも何だけど」


 そして微妙に話題の軌道修正を行いつつ、当人も気になっていた話を展開した。


「聖剣とか魔剣が意思を持ってることはままあるって聞いたけど、普通に人と会話してる気分になってくるほどとは思わないもん。オマケに色んな武具になれるって言うし」


「そちらの方をオマケ扱いできるのは、流石エーファと言ったところです。ですが私も同意見ではありますよ」


「ふむ。確かに、私は自身が特異な存在であるという自覚はある。成り立ちから武具の集合体(・・・・・・)なのだから。私と似たような存在は、世界広しと言えど果たして在るのかどうか」


 決定的な言葉を使わなかったアルマだったが、遥か昔から存在する聖剣や魔剣が持つ知識にも、そのような存在は無いとのことだった。ここ数百年は宝物庫に保管されていた剣の知識であるが故に、最新の知識とは口が裂けても言えないのだが。とはいえその数百年程度で、アルマのような特例中の特例が複数誕生するとも考え辛かった。


「しかし、それはともかく、夕飯の用意は良いのだろうか」


 話題が右往左往していたため、今度はアルマが軌道修正を図った。


「あー……、どうしよ?」


 無情な現実に引き戻されたエーファは、腐れ果てた食材を視界の端に捉える。そして深い溜息を吐いた。


「ふむ。一呼吸置いても特に案が無いのであれば、ここは私がどうにかしよう」


 一体何を、とマリーとエーファの二人が疑問を発するより先に、野菜や果実、魚介類が前触れも無く出現した。

 この宿にはマリー以外にも数名の客が居たが、彼らは石化が解けてすぐに出立してしまい、残っているのはそれ以外、つまり宿の従業員だ。その全員が満腹になるまで食べたところで、大幅に余る分量の食材がある。


「この中から必要な食材を使うと良い。非常用にと確保していた食材の一部だが、今もある種の非常時だろう。それから、もうそろそろ浄化をしておくべきか」


 燻し銀の腕輪(アルマ)の表面が青白く発光したかと思うと、その光が周囲に広がっていく。それはマリーが石化の呪いを発生させていた霧を退けたときのそれと同じ色をしていて。

 その結果、駄目になっていた食材はカラカラに乾いた砂のように崩れ、鼻を刺激していた腐臭は綺麗に消えた。


「……宝具が、こんな、消臭剤みたいな使われ方するなんて」


 唖然とした様子で溢すエーファと、言葉にこそしないものの腑に落ちない表情を浮かべたマリーの二人が居た。


宝具(わたし)自身がそれを行っているのだから、何ら見咎められることなどあるまい。国宝指定されている聖剣を、楽だからと薪割りに使用した訳でもない」


 嫌に具体的な例を出したアルマにそれは実話かと問い掛けたくなったマリーだったが、ぐっと(こら)えた。もしうっかり訊いてしまい、万が一それが事実だったとするならば、ただでさえ崩壊しそうになっている宝具への価値観が壊滅状態になってしまうと思ったからだ。


「何より、もしそれが本来想定された使われ方ではなかったとしても、倉庫の中で誰に使われもせず埃を被り続けるよりは余程、恵まれた環境なのだよ」


 けれど後に続いた言葉がとても実感の篭った台詞だったため、別の意味で黙ることになったマリーだった。


「故に──今まで放置されてきた包丁やフライパン、その他の調理器具たちを、今こそ存分に使ってやってくれ、エーファ殿」


 道具視点の意見を真正面から受け止めたエーファが、その目に火を宿して答える。


「ここまでお膳立てされて、腕を振るわなきゃ料理人じゃないね。食材はありがたく頂戴するよ。とびきり美味しい料理を作るから、アルマ君はせめて目で見て楽しんでね!」






 その日の宿屋で出された食事は、高級レストランと同等──とまではいかないものの、それに迫る勢いの豪華さを以って振舞われた。更に通常、客とは別に食事を摂る従業員も、マリーたっての希望もあり同じテーブルに着き、さながら宴の様相を呈していた。──否、完全に宴と化していた。


 平時であれば多くて十人程度が同時に食事をする程度のダイニングに、今はその倍程度の人数が詰められている。邪魔になると判断された大き目のテーブルは早々に壁へ立てかけられ、二・三皿程度が乗せられる大きさの円形テーブルがまばらに配置されて、立席パーティーの形式となった。

 何故そんな人数に、状態になったかと言えば、当然ながらここにマリーが泊まるからだ。石化の解呪と魔族の討伐という偉業を連続で成し遂げ英雄となった彼女を、周囲がそう大人しく遠巻きにしている訳は無かった。


 外には何処からか持ち出してきたテーブルが配され、その上にも皿が乗せられている。酒樽が既に幾つか空になって道端に転がっているが、誰も気にした様子は無い。


「うー、疲れたぁ……。肩だけ石化の呪い戻ってない? すっごく重いんだけどねぇ助けて」


 そんな中、フル稼働で調理を続けた料理人エーファはマリーに愚痴を溢す。


「それなら良い薬がある。使うと良い」


 代わりにアルマが答え、マリーの右手に一つの瓶が現れた。透明度の高い緑色の液体が入った、地下遺跡(・・・・)でマリーが使用したものだった。


「アッ、アルマ……!?」


 この場でいち早く、というより唯一その正体に気付いたマリーは驚きながら右手首の腕輪(アルマ)に話しかけるが、結果としてエーファに瓶を差し出す格好となった。


「何だか変わった色合いだねー。それじゃあ頂きまーす!」


 するりと瓶を手に取り、蓋を開けて瓶の中身を喉の奥へと流し込むエーファ。


「ぷはー! 清々しい清涼感! 見る見るうちに疲れも回復しそ……ぅえ、これホントに疲れが吹っ飛んで……えええええ!?」


 奇声を上げるエーファに周囲の視線は一瞬だけ集まったが、酒樽が幾つも転がっているこの場において然程目立つものでもなかったのは、不幸中の幸いか。


「はっはっは、驚いてくれたようで何より。エーファ殿は実に良い反応をくれたものだ」


「いや僕じゃなくても同じような反応するってこれは! だってこれ──」


 ポーションじゃん、と叫ぶ寸前のエーファの口を、マリーが必死に塞いだ。


「アルマ、悪ふざけは自重してください。この透明度(・・・・・)の代物など、本来はそう簡単に使える訳がないのですから」


 ただでさえ、高い等級の宝具を三つも装備し魔族を単独討伐した剣士として、マリー自身にとっては不本意なほど目立っているのだ。その上、まるで飲み水のごとくポーションを使うなどと噂が広まれば。一体どれほど巨大な尾ひれが付いて、どこまで噂が広がっていくことか。


「いや、そちらの方がマリー殿にとっても都合が良くなると私は踏んでいるのだがね」


 対するアルマは悪びれた様子も無く、むしろ何かしら考えがあることを滲ませた。


「それは一体……?」


 詳しい話を聞こうとしたマリーだったが、街の人々が丁度話しかけてくるところだった。


「後で話そう。今は宴を楽しみたまえ」


 意味深な言葉を残し、アルマはそれきり黙ってしまった。






 すっかり夜も更け、数名が未だにちびちびと酒瓶を傾けている、そんな状況。あと数時間もすれば朝日が昇ろうかという時間帯に、マリーとアルマは部屋へと戻ってきた。


 マリーはベッドに腰掛け、仰向けに倒れこんでから、右手首にある腕輪(アルマ)を見詰める。


「楽しかったです、とても。石像にされた街の皆さんがあんなに生き生きした笑顔を浮かべられるだなんて、本当に……。改めて、ありがとうございました、アルマ」


 ふにゃ、と酔いが回ったあどけない笑顔を浮かべて、本心からの礼を述べたマリー。大切な宝物を扱うように、左手で優しく腕輪(アルマ)を撫でる。


「武具として、使い手に礼を言われて悪い気はしないが、むしろここからが苦労するだろう」


 マリーは酔いが回っていた頭を、少し頑張って働かせ始める。何せこのスライムは、自身などよりよほど深慮遠謀があるのだから。話を聞かない理由が無い。


「先刻のポーションの件にも通じている話だ。その前準備として、また少々話があるがね」


 因果関係が今一つ分からなかったが、それでもマリーは大人しく話を聞いておくことにした。


「まず以って、魔族の単独討伐。これが大変に効いてくると予想される。軍の援護を得た宝具使用者が撃退するのが常である状況からして、異常事態と見做されるに違いないからだ。伝説級の宝具を三つ保有し、それらを問題無く運用できるだけの魔力をどう調達したのかも周囲から問われるだろう。今日のところは既知の者に遠目から目撃されただけだったために有耶無耶にして説明を終えられたが、それでも成した事実は瞬く間に広がるはずだ」


 聞いてみれば、あまりにも当たり前な話だった。ただし、石化の解呪という目的で頭がいっぱいになっていたマリーには、今更ながら衝撃的な話となっていた。


「立場のある者から直々に呼び出しがくる可能性も高い。なにぶん、単一戦力が持つにしては明らかに過剰な力だ。余程の暗愚でなければ無視などできまい。そして相手方が納得するだけの状況説明も、事実を語ったところで難しいと思われる。何せ私は魔物なのだから。ヒトにとって魔物とは、極一部を除いて敵でしかない。ましてやスライムともなれば、意思疎通など不可能と断じられる存在。こちらがそれらしい言い訳を用意し相手に納得して貰う方が、双方にとって望ましい結果となるだろう」


 アルマがここまで語ると、マリーの酔いも完全に醒めてくる。むしろ顔色が悪くなってきていた。


「とにかくネックとなるのが魔力だ。宝具については私がそういうものだ(・・・・・・・)と自身を説明するから良いとして、案は二つある」


 マリーは生唾を飲み込みながら、耳を傾ける。


「一つ。魔力ポーションを宝具により定期的に補充でき、それを大量消費することで魔力供給を行えるとすること。二つ。宝具の集合体である私には魔力のストックが大量にあり、それを消費することで戦闘中の使用者の魔力消費を抑えられるとすること。後者が実情に近くなるが、私としては両方を採用した方が後々無理が無くなると考える」


 ここで一度言葉を止め、マリーの反応を窺うアルマ。

 マリーはアルマの言葉を反芻し、消化していく作業に必死だった。


「あ、あの……アルマ?」


「質問があるならば、可能な限り答えよう」


 改めて、自分が入手してしまった宝具が規格外であることを認識しながら。恐る恐る、マリーが問う。


「この状況、既に私にはあなたを手放すことなど、できるはずが無いのでは……?」


「石化の解呪だけで事が終わるのであれば、そうでも無かったのだがね。今回の件は何にせよ魔族の対処が必要だったのだから、経過がどうあれマリー殿が目的を完遂すればこうなっていただろう」


 マリーは静かに目を瞑った。


「魔族を相手に一人で完勝できるほどの宝具。手放したなどと言って信じる者は居ないのでしょうね」


「或いは、使い捨ての強力な宝具だったと偽るか。事実、マリー殿が地下遺跡に持って来たのはそういう類の炎剣と氷剣だったのだろう?」


 ここで有り得なくはない選択肢(逃げ道)を提示してしまう辺り、アルマもそれなりに毒されている。


「な、なるほど……。ですが無理です。私にそんな嘘を吐き通せる訳がありません……」


「まだ短い付き合いだが、その言葉にこの上ない説得力を感じてしまうのは果たして」


 アルマはかなり毒されていた。


 一頻(ひとしき)り唸った後、マリーは上体を起こして自身の右手首に嵌まるアルマを正面から見据える。


「分かりました。私も覚悟を決めましょう。──正式に、このマリー・アポストルがアルマの使い手となることを、ここに誓います」


 それは先程までとは打って変わって、凛とした空気を纏った堂々たる宣言だった。


「その誓い、確かにこのアルマが受け取った。これより私はマリー・アポストルの剣となり盾となり、この存在全てを委ねると誓おう」


 そして、どちらからともなく笑い始める。


「実を言うと、先程のお話を聞く前から決めていたことです。既にして、それ以外の選択肢が無くなっていたようですが」


 語り始めたマリーは穏やかな表情を浮かべつつも、目には真剣な光を宿していた。


「魔族からの被害は、このセキュリテの街以外にも広がっています。それに対抗する力があって尚、その力を放置するなど、もはや人道に(もと)ると言っても過言ではありません。ですから本当に、とことんまで付き合って頂きますよ、アルマ」


「言われるまでもない」


 燻し銀の腕輪が、仄かに一瞬だけ輝いた。

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