魔王は人を助けた ▼
ハーデスは森を抜けて暫く飛んだ辺りから、地面に降り徒歩で移動していた。
『スヴェリア王国』まで『飛行』で飛んでいっても良かっただろう。
ただ、ハーデスはまだこの世界の常識を知らない。
もし『飛行』の魔法が無かったら。
魔法という存在すら無かったら、それを見られただけでハーデスは要らぬ注目を受けることになる。
空を飛んでいる際、ふとその事に気付いたハーデスは地面に降り徒歩での移動を選択した。
幸い、この体は超越者たるハーデスの体だ。
激しい戦闘ですらない徒歩での移動では、疲れすら感じないであろう。
初めてハーデスの体に感謝した。
(こんな事ならせめてもう少しだけ、情報が集まるの待ってた方が良かったかな。
いや、でも、あんな情報を聞いたら飛び出したくなるし)
思慮の浅い行動をしたのはハーデスも分かっている。
それでも、その行動に後悔があるかと聞かれればそうでもない。
自分がやりたいから、そうした。
それで問題が起きたなら自分で対処すればいい。
それが出来る力がハーデスにはある。
それだけの話であった。
───退屈は人を駄目にする。
ゲーム以外に趣味を持たなかったのも大きいだろう。
ただ淡々と同じ事の繰り返しの日常は酷くつまらないものだった。
だからこそ大きな変化を伴う非日常に期待し、それが叶った時酷く喜んだ。
自分が好きなファンタジー要素が強いのも大きい。
もし現代日本のような世界なら多少なりとも落胆していた筈だ。
常識すら知らない全く未知の世界に心躍る事はあってもそこに恐れはない。
ハーデスであるという事が一因しているのは確かな事実だ。
(人か⋯⋯)
超越者たるハーデスのその目に小さな人影を捉えた。
距離はまだ大きくあるが、ハーデスの歩む先に人の姿がある。
山賊の類ではないだろう。
たった一人しかいないのと、その体に傷を負っているのかふらつきながら歩いているその姿にそう結論を出す。
(さて、どうするか)
不用意に関わっていいものか。
万が一はないか、と一瞬脳裏に浮かぶが自分が大きなミスさえしなければ問題はないだろう。
先の村での出来事もそうだ。
魔法を使わなくても、逃がすこと無く山賊を殺す事も出来た。
なのに、一時の感情に任せ魔法を使い無駄な犠牲を生み出してしまった。
その体は魔王たるハーデスのものだ。
故に感情に任せ動けば加減など出来ず、無駄な被害が出るだけ。
重要なのは感情の制御か。
(おいおい、マジか)
どうやらゆっくり考えている時間すら無いようである。
ふらつきながらも歩く人影目掛けて複数の更に小さな存在が向かって行っているのにハーデスは気付いた。
「【次元箱】」
ゲームにおける何でも持てる袋はハーデスは持っていない。
常識的に考えて、薬草など小さな物は別として道中で拾った剣や鎧を入れる事が出来る袋が何処に存在するというのだ。
万が一に存在してもその重さから移動の邪魔にしかならない。
ゲームにおいては神が与えた不思議な袋。
と言った説明はあったが、当然ながら勇者が持つそれをハーデスは持っていない。
というより、必要がない。
袋より尚、便利な魔法をハーデスが使えるからだ。
その名の通り魔法の効果はゲームにおける袋のそれだ。
別次元にある虚空と繋ぐ事が出来る魔法で主な活用法はアイテムなどの出し入れである。
袋として持ち運ぶ必要がない為、こちらの魔法の方が便利である。
勇者は泣いていい。
そして魔法を使いハーデスは虚空より一振りの黒い軍刀を取り出した。
人間の姿をしている以上、先の村での闘い方は出来ない。
して仕舞えばその瞬間から、今の姿が人間であるにも関わらず化け物扱いを受ける事になるだろう。
それは大変よろしくない。
人間なら人間らしく、武器を使って闘えばいい。
シルクの手袋に包まれた右手で軍刀を握るとハーデスは駆けた。
「あ、⋯⋯あ、あぁぁ」
その男は恐怖に震えていた。
少し前に起きたある悲劇で奇跡的に生き延びる事が出来たのだが、その身に再び近づく死の気配に男は腰を落とし恐怖に涙した。
男の血に誘われてやってきたそれは、茶黒い毛の体長1メートル前後の狼であった。
口元から涎を垂らしながら明らかに正気でない目で男を見つめ、刃物のように鋭い爪で地面を蹴り男に向かって飛びかかった。
死。
己にやってくるそれを理解した時、走馬灯のように脳裏に記憶が駆け巡るの男は感じた。
長く長く、ただ長く。
周りが遅くなったように感じながら、記憶を振り返り瞼を閉じ諦観したように男は笑った。
(サブ、モブ、どうやら俺もそちらに行くようだ)
迫る死に男は心中で謝った。
───鮮血が散った。
「っ、あ⋯⋯何が」
何時まで経っても痛みはやって来ず、だが強い血の匂いを感じた男は思わず目を開き混乱したように口にした。
そして、自分を守るように立つ者の姿をその目で捉えた。
「知能を持たぬ獣風情が、何故に余の前に立つ。
その行い万死に値するぞ」
何処か威厳を感じるその声に男が魅入っている中、その者は動いた。
どうやら先の狼は一匹だけではなかったようで、男を取り囲みながら10数匹の狼が涎を垂らしながらこちらを見ていた。
それに恐怖を抱くより先に、男の視線の先にいた狼の首が飛んだ。
何が起きたのか、男にも狼にも理解出来なかった。
だが、そうしている間にも一匹また一匹とその数を減らし、残り5匹を切った辺りで男は漸く理解した。
先程の者が男にも狼にも視認させる事なく切り殺している事に。
それが事実であると言うように首のない最後の一匹の近くに黒い軍刀をその手に握った、返り血一浴びていないその者の姿がそこにあった。
───そこにいたのは長躯の青年であった。
絹のように細く繊細な銀の髪、亡骸となった狼を見下ろす赤く鋭い瞳。
驚く程に整った顔に思わず同性にも関わらず見惚れてしまった。
その身に纏う華美な装飾のされていない純黒の服が男によく似合っており、自分が着たらあぁはならないであろうと男は思った。
「怪我はないか」
そう短く問いかけてくる青年に英雄の姿を幻視した。
───残念ながら魔王である。
―――余談―――
『destiny』において、勇者の他に一つだけ職業を選ぶ事ができその職業に見合ったスキルを身に付けていく事が出来る。
その職業の中にある条件を満たすと『反逆者』という職業を選ぶ事が出来るようになるのだが、この職業を持っていると幾つかのイベントに変化が起きる。
最も大きなイベントは魔王の問いかけであり、それに応じると魔王と共に世界を侵略するという隠しエンディングを見る事が出来る。
人類の希望と絶望の象徴である魔王が同時に責めて来るという人間にとって気の毒な終わり方である。
唯一魔王と戦闘する事なく、終わりを迎える事が出来るエンディングではあるがクリアした中にそれを知る者は居らず、ゲーム製作者だけが知る小ネタである。