魔王は擬態する ▼
───ハーデスが外出を決意したのはレヴィアタンが齎した情報の所為であった。
冒険者というハーデスの世界にも佐藤 淳の世界にもなかったファンタジーの響きに滾る思いを抑える事が出来なかったのだ。
何不自由のない生活を送ってはいたが、同じ事の繰り返しで変化のない日常に佐藤 淳退屈を感じていた。
そんな中で起きた有り得ない現実。
ハーデスになりその記憶を持つというイレギュラーこそあれど、この現状は佐藤 淳にとって願ってもないものであった。
冒険者、なんてワクワクする響きだ。
逸る気持ちを抑えて自室に向かったハーデスは姿見に写る自分を見て、少し前から考えていた事を実行する事を決意する。
今のこの身は魔王である。
当然、人ならざる姿をしており、この姿のままで行けば面倒な事になるのは避けられぬ事である。
その事は先の村での山賊達や村人の反応で確認済みだ。
隠しきれぬ威圧感も相成って恐怖を齎す魔王の姿でどうやって異世界を謳歌しろと言うのだ。
そう落胆しかけたが、その問題はあっさりと解決した。
そうだ人に成ればいいのだ。
その魔法が『destiny』には存在した。
───『擬態』。
名の通り、その姿を別のものに変える事が出来る魔法。
『destiny』においては、主人公が使う事の出来ない魔法ではあるがイベントの幾つかでその魔法が登場する。
特に印象に残るであろうイベントは人と異種族との間に起こった出来事をある人物が語るもので、何故世界が魔王によって侵略されたか、道中における異種族からの冷たい反応の理由であったり、ゲームをプレイしている際に少なからず気になる事についての説明イベントのようなものだ。
このイベントを見たものの殆どは気分が悪くなる、所謂胸糞イベントである。
人による異種族の迫害。
奴隷としての酷使。
異種族の保有する資源や領地の略奪etc⋯⋯。
人が異種族に対して行ってきた多くの闇を知り、同時に魔王による世界の侵略の理由が分かる重要なイベントであるのだが、ぶつちゃけ人間がやってきた事が酷すぎてどちらが正義かすら分からなくなり、ゲームを放り投げる者が多数出た『destiny』にきってのプレイヤー殺しのイベントである。
このイベントにおいて過去を語る人物こそが『擬態』によって人間の姿に変わった魔王ハーデスである。
この時、何故ハーデスが勇者に過去を語ったか、その真意を知るのは大分先になる。
ともかくとして、ゲームにおいてハーデスは『擬態』を使い人間の姿となって現れた。
ハーデスの記憶においてもその魔法で人間になっていた時がある。
つまりこの魔法を使えば人間になる事が出来、ハーデスの目論み通り世界を満喫出来るという事だ。
「【擬態】」
すぐ様その魔法を使い姿を変える事にした。。
足元に現れた魔法陣が下から上を上がっていき、頭を超えた時点で既に変化は起きていた。
悪魔特有の青黒い肌は程よく焼けた健康的な肌に。
肩にかかる程度の長さになった絹のように細く繊細な銀髪、その頭にあった特徴的な羊角の姿はなく、唯一変わる事のなかった鋭く赤い瞳が姿見に映る華美な装飾のない純黒の貴族服に身を包む自身を捉えた。
不機嫌そうに眉間に皺を寄せているがそれでも、端麗な顔立ちである事に変わりはない。
姿見に映る20代ほどの美青年、それが『擬態』したハーデスの姿である。
(やっぱりゲームで見た事のある姿か)
その見覚えのある姿にどこか安心を覚えながら、僅かな期待が潰えた事を悟る。
ほんの少しだけ、期待した。
もしかしたら佐藤淳の姿になるんじゃないかと。
しかし、その期待を裏切るように姿見に映るのは『destiny』のイベントで現れた際の貴族の姿をした美青年。
それに、少しだけ落胆した。
(とはいえ、人間になる事は出来た。
この姿ならこの世界で行動しても問題ない筈だ)
前向きな考えもあって直ぐに立直したハーデスはその場で踵を返し、部屋の出口へ向かう。
迷いのないその足で城の外まで移動したハーデスは夜空に浮かぶ二つの月を視界に入れ、口元を緩ませる。
(さて、未知なる世界への冒険の始まりだ)
【飛行】を使用し、一思いに森を抜けたハーデスは無限城の北へ向かって飛行する。
その行き先は一つ。
勇者の名を冠する冒険者の在住する『スヴェリア王国』の王都を目指しハーデスは飛んだ。
✱
───同時刻、『スヴェリア王国』の王都オリオンにて一人の冒険者が頭を捻っていた。
鮮やかな真紅の髪が特徴の見目麗しい少女である。
「どうかしたのフィー?」
「ん、何でもない。」
その姿に見かねて一人の少女が声をかけるが彼女は表情一つ変えること無く短くそう返す。
はぁ、と思わず声をかけた者がため息をつくがそんな事を全く気にすることなく彼女は自分の胸に手をやり首を傾げる。
「何か変?」
「いや、私に聞かれても分からないんだけど」
「何時もと違う感じがする」
無表情でそう断言する彼女に、どう返していいか悩んでいる少女を尻目に彼女は不意に空を見上げ赤と青の二つの月を視界に入れた。
見慣れた光景。
なのに、何時もと少しだけ違う感じがした。
(ドキドキ? ザワザワ?
ん、心が落ち着かない)
けど、それは決して嫌な感じではなく。
(近い内に何かいい事が起きる、そんな気がする)
ただの直感。
でも、今回のそれは必ず当たるような気がした。
だから、
(期待しても、いいよね)
夜空に浮かぶ二つのを月を見て、無表情の彼女には珍しく笑みを浮かべていた。
───彼女の名はフィー・フェルナンデス。『スヴェリア王国』に在住する冒険者。別名、勇者。
―――余談―――
『destiny』において主人公の役目は魔王討伐であるが、それまでの道中で魔王の軍門に下った多くの異種族と闘うことになる。
その度に悲痛な声を残し、あるいは人間に対する強い憎悪の念を残して死んでいくのだがこの世界における人が仕出かした出来事を知ると倒した事が素直に喜べ無くなってくる。
イベントにおける親玉を倒した後に残された異種族に対して恨みから人が暴行をするシーンがあったり、奴隷にされた異種族を見る事があったりと、ひたすらプレイヤーを精神的に攻めてくる。
途中で、勇者を辞めたくなる理由である。