魔王は固まった ▼
───無限城へと帰還したハーデスは先の事を既に気にしていなかった。
『destiny』はクソゲーである。
同時にマゾゲーでもある。
あまりに高い難易度の中、クリアするまでゲームを続ける事が出来るのは真性のマゾか物凄い前向きな者だけであろう。
佐藤 淳は後者であった。
多少失敗してもまた次に活かせばいい。
大失敗したなら2度としないよう意識すればいい。
自分にとっての唯一の長所と言えるその前向きな考えが、先の失敗を次で活かせばいいと結論として出した。
ハーデスの性質からすればそれこそ虫でも殺したような感覚なのも一因しているだろう。
自身の失敗で何の罪もない村人まで死んだというのに、既に先の事しか考えていない。
村人は泣いていい。
とはいえ、その考えや発想にハーデスの影響が大きく出ているのは反論のしようがない事実である。
元々あった佐藤 淳として記憶の上からハーデスとしての記憶を上乗せしてようなものなのだ。
ハーデスの影響が大きく出ていようと上書きされる事なく自我として保っていられたのは幸運な事と言えよう。
とはいえ、2つの記憶と2つの価値観の所為でどちらにも染まれず中途半端な状況であるのが非常にマズイ事にハーデスは気づいていない。
佐藤 淳の根本的な性質は善である。
平和な現代日本に生まれた事と、何不自由なく生活する事が出来たのが大きな理由であろう。
対してハーデスの根本的な性質は悪である。
それこそ極悪と言ってもいいだろう。
悪魔という種族に生を受けた時点でその性質が悪であったのもあるが、ハーデスとして生きた中で起きた異種族故の迫害や理不尽な殺戮が起因していた。
異種族でこそあったが唯一の友であった者を人間に殺害されたのがハーデスが力を求めるきっかけであり、それこそがこの世全てを憎むハーデスの性質を作り上げた。
何が悪いかと問われればハーデスの世界の人間であると答えるだろうが、悪魔も悪魔で多くの人間を殺したり玩具にしたりしていたので人間だけが悪いとは言えないだろう。
ともかくとして、ハーデスの性質は極悪であり佐藤 淳の性質は善である。
相反するこの二つの性質が共存する事は本来ならば有り得ない事だ。
善と悪は常に対照的なものでなければない。
そうでなくて善悪は成り立たなくなってしまう。
故に本来ならばどちらか一つにしか染まれない筈なのに二つの性質を持つ中途半端な今のハーデスの状況はマズイの一言に尽きる。
どちらにも染まらず、ちょっとして事をきっかけでどちらにも傾き得る性質。
悪なら敵として討てばいい、善ならば仲間として共に闘えばいい。
善と悪の性質があるからこそ人は判断を下す事が出来る、そのどちらでもない者を判断するのは非常に難しいものだ。
中途半端な善悪の性質を持つ今のハーデスは非常にめんどくさい存在である。
と言っても、山賊を村人事を焼き殺す所業は誰がどう見ても悪であり、ハーデスの持つ善悪の二つ性質は、僅かながら悪へと傾き始めていた。
それが完全に悪に傾けば、元のハーデスの世界と同じ末路を辿る事になる。
早い話、世界終了のお知らせである。
逆に善へと傾けばこれほど頼もしい守護者はいないであろう、魔王ではあるが。
故に人間や悪魔、魔王としてではなく、世界にとってこそ非常にめんどくさい存在という、割とどうでもいい話である。
───話を戻すとして、ハーデスは現在玉座の間にて一人の悪魔の報告を受けていた。
黒いメイド服を着用した猫である。
猫耳が生えた美少女とかではなく、人間と同じ体つきこそしているが、誰がどう見ても猫である。
ちなみにメスである。
人間の言葉を喋るのもそうだが、洗練された無駄のない動作は第三者から見ればシュールな光景であると言えるだろう。
「今いるこの世界は『エルヘイム』と呼ばれているそうですにゃ。
私達の世界『ディストピア』と違って海を挟んだ三つの大陸からなっているようで、その中の最も大きな大陸の『アース』に我々はいるようですにゃ」
「『エルヘイム』⋯⋯か。妙な響きを感じるな。
だが、まぁよい。今考えるほど重要な事ではない。
それで、よもや終わりではあるまい。貴様が知っている事を全て話せ」
「はいですにゃ。
では、ハーデス様は無限城の外に広がる森をご覧になられましたかにゃ?」
「うむ、先程この目で確かめた所よ。
もっとも、下らぬ事に関わって所為でろくに見れてはおらんがな」
「下らぬ事ですかにゃ?」
「話す価値もない事よ。それより、話を続けよ」
「はいですにゃ!」
ハーデスが眉をひそめ、不愉快そうに口にする姿に身の危険を感じた猫の悪魔はそれ以上訊ねる事をしなかった。
変わりに自身に活を入れるように元気な返事を返す。
猫耳も一緒にピンッと立つ姿は実にあざとい。
「無限城の外に広がるこの森は『惑いの森』と呼ばれ、人間は何故か入る事が出来ないので、迫害された異種族や力のない小動物が身を隠すのにこの森を使っているそうですにゃ。
そして、この森から北に真っ直ぐ向かった所に『スヴェリア王国』の王都があるそうですにゃ。
実際にこの目で見た訳ではないですから、どれくらいかかるか、実際にあるのかも現時点では不明ですがにゃ⋯⋯」
「実際に見ておらぬだと」
「はいですにゃ⋯⋯。
この周辺を探索した際に商人らしき人間の集団を見つけたので、捉えた後拷問して情報を聞き出しましたにゃ」
耳を倒しながら恐る恐る口にするのは、ハーデスから叱責を予想した故の事だ。
今更ながら自分で確認のしていない不明点の多い情報を主様に報告するべきでは無かったと、心中で後悔しながらハーデスの言葉を待つ。
「まぁ、よい。後で己が目で確かめればよいだけの事だ。
それで、他に情報はないなか?」
「───え、あっ⋯⋯はいですにゃ。ありますにゃ。」
叱責を覚悟も、死ぬ事への覚悟も彼女には出来ていた。
故に、自身の知るハーデスと違うその対応に思わず間抜けな声が漏れた。
それに遅れて、ハーデスの言葉を理解した彼女は何処かテンパりながら肯定の意を唱えた。
ハーデスの赤く鋭い瞳が催促している事に気付くと軽く深呼吸をしてから口を開く。
「どうやら、『エルヘイム』には冒険者なる職業があるらしく、自分の強さに自信がある者や下克上を望む者、夢を追うものなんかがその職業についているそうですにゃ。
───ハーデス様にどうしても申し上げないといけないと思ったのはこの冒険者なる職業が原因ですにゃ。
どうやら『スヴェリア王国』に在住する冒険者の中に勇者の名を冠する冒険者がいるそうですにゃ」
「勇者だと!」
声を張り、当然立ち上がったハーデスにビクッと体を跳ねさせながら彼女は肯定を示すように頷く。
人類の希望であり魔王にとって最大の宿敵である勇者の存在にさすがのハーデスも黙っていられなかったのだろう。
彼女はハーデスの様子にそう結論を出した。
(勇者とかいるのか。魔王の天敵と言える存在感じゃん。
『destiny』じゃ魔王に勇者とか物凄い殺されたからなぁ。強い感じがしないんだよな。
ハーデスの記憶にある勇者もあっさり殺されてるし、まぁこの勇者がどれくらい強いかは後で確かめるとしよう)
悲報、『エルヘイム』の勇者に死亡フラグが立った模様。
(というか、勇者より冒険者って職業のが気になるな。
正にファンタジーの定番みたいな感じでワクワクするし)
冒険者について猫の悪魔に訊ねようとしたが、それは口に出る前に中断する羽目となった。
玉座の間のただ一つしかない扉を開き、筋肉隆々のたくましい肉体によりパツパツの燕尾服を着用した牛頭の悪魔が入って来たからだ。
「我が王よ、遅くなりましたがその命に従い情報を集めて戻って参りました。
どうか、王の忠実なる僕ベヒーモスの報告をお聞きください。」
ハーデスの前で片膝をつき、頭を垂れる牛頭の悪魔ベヒーモスを見てハーデスは固まった。
言葉から伝わるベヒーモスの忠誠心を感じながらハーデスは思う。
(何、人間を攫って来てんだぁぁ!)
ベヒーモスの肩には白い質素な服を着た、明らかに意識のない少女が担がれていた───。
―――余談―――
ハーデスの世界『ディストピア』において人間以外の異種族は悪魔と一括りにされ、その多くが人間により迫害を受けていた。
ハーデスも迫害を受けた一人で、当時力を持たなかったハーデスは人間によって辱めを受け、ぬぐい難い屈辱を数多の傷と共にその身に刻んだ。
その時の記憶が人間を根絶やしにせんと、悪意として世界に牙を向くようになった。