第8話 匿名通報
改めて報告された内容を整理した。一見バラバラで、一個一個を見れば何の変哲も無い日常しか感じ得なかった。
しかし、整理し、少し捻ったり客観的に見るとどうやらおかしなことに気づいたのはつい先日だ。なんとなく興味本位で考えてみた結果、疑念が生まれた。そして、何度も考えてみた結果、自分の考えがもはや誤りで無いことに気づいた。そして、改めてことの重大さに気づき、そしてもはや手遅れであることを認めた。不覚であった。本来なら部下を総動員したいところだが、自分の考えが正しければ“内通者”がいることに間違いない。
が、ここで諦めてはならない。なんとしても仲間を見つけて、この計画を阻止しなくてはならない。それが自分の任務であるし、少なくともこんなことをすれば二度と自衛隊の信頼は回復しない。それこそ「解体」だってありえる。
ひとまず彼は同志を探すことにした。
2023年 1月下旬 午前11:30 防衛省警務隊本部
「んぁぁ!!チキショー!!」と40代前半に見える男が1人机で叫ぶと、部屋にいる数名が驚いて振り返った。
「誰か俺に休みを譲ってくれよ!!」とまた叫ぶとほとんどの者が苦笑し、一部は同情の目を向けてきた。
「まぁまぁ科長、そんな叫ばなくてもいいじゃぁないですか」と一番近い席に座っていた陸曹長の階級をつけた若干白髪混じりの男が近寄ってきた。
「せっかく上司も同僚もいなくて下っ端ばかりなんだからワガママ叫ばせてくださいよ」と『科長』と呼ばれた男が返す。
「いやいや、叫ばれられる方にとっては十分騒音ですよ。それよりも、そんなに叫ばれるのならお休みをとればいいじゃないですか」と陸曹長。
「あのね〜、俺だって取れるもんならそりゃもうとって今頃は愛しの愛娘と奥さんに囲まれてのんびりしたいですよ。正月もろくに一緒にいられなかったし。ついでに夫婦の営みだって最近ご無沙汰さ。でも、やれ他の奴がその日はいない、やれ任務に事件だとか、終いには「今日隊長も副長も保安科長も会議で抜けるからお前が代理で隊長やってろ」って言われて、俺は完全にいい駒ですよ」と頭を抱えつつ『科長』が吐く。
「まぁそんな忙しくもないのに休みたくても休めないのが幹部の性ですよ」と他人事のように陸曹長が目を細めつつなだめる。
「あぁいいですよね〜中堅さんは〜。そういえば陸曹長明日休暇願い出してましたよね」
「ええ、娘の嫁ぎ先に行って相手の両親と顔を合わせてきますよ」
「なんだったら俺が代わって行ってあげてもいいですよ。その分仕事しておいてください」
「お断りします」
寺脇康久。彼は警務隊本部捜査科長を務めている。年齢は39歳。何も問題が起きなければ来年か再来年あたりには一佐に昇任するはずだ。身長180センチの自衛官らしい体格の良さとは裏腹に絵が上手く、たまに昼休憩時に簡単なスケッチをして暇をつぶしている時もある。10歳年下の元自衛官の妻と幼稚園児の娘がいる。はっきり言って妻子を溺愛している。
卓上電話が鳴ったのは、陸曹長との無駄話を終えて仕事の書類の続きを書き始めた直後であった。
「はい警務隊本部捜査科長の寺脇です」と滑らかに言う。
「ご苦労様です。陸幕厚生課の陣川と申します。警務隊本部宛に電話が掛かってきておりますが、お繋ぎしますか?」と若い声をした男性自衛官が伝えてきたが、ここで寺脇は少し混乱した。
「え、いいけど、それは俺宛でいいの?」と問う。が、返ってきたのはどうもよくわからないものであった。
「それが、「一番警務隊の偉い人を出してくれ」と言っているんです」
「え...んまぁ、今日のトップは俺だけどさぁ」
「はい?」
「あ、気にしないで。名前は名乗ったの?」
「それが、名乗っておりません。ただ、「東部方面隊に所属する駐屯地に勤務する幹部自衛官だ」とは」
寺脇は当初イタズラだと思っていたが、相手が「東部方面隊令下駐屯地勤務の幹部自衛官」を名乗っているとなると、むげに無視するわけにはいかなかった。
「まぁわかった。とりあえず俺が出るわ」と寺脇は決断した。
「ありがとうございます。了解しました、お繋ぎします」
そこから相手の声を想像した。1秒が何分にも感じた。いったいどんな相手なのか気になって仕方がなかった。
「すまないね、こんな名無しのゴンベイに付き合ってくれて」と低い、まるで押し殺すような声で相手が話し始めた。明らかに歳は自分よりも上だろう。もし本当に相手が幹部自衛官なら、将官クラスであってもおかしくない声だ。
「今、警務隊長も副長も会議で不在のため、私がお受けします。それでご用件はなんでしょう」とあえて名乗らずに強めの応対で寺脇が問う。
「密告だよ」と相手の声が一段と低くなって言葉を発した。
「密告?なんの?」とできるだけ相手に喋らすようにするために寺脇はワザと言葉を少なくして話した。
「なんのかどうかはここでは言えない。有線電話だから傍受の心配は無いにし、そもそも一般回線まで盗聴しているとは思えないが、それでもここで内容は話したく無い。それに、この会話も後日記録に残るのだろう?」
「いいえ、なんでもかんでも記録はしませんよ。これは私と貴方しか聞いていないし、記録として報告はしませんよ」
「まぁそれを信じたいが用心に越したことは無い。捜査科長の寺脇二佐、あんたが例え味方であったとしても」
この時、寺脇は脳天に雷が当たったような衝撃に襲われた。まだ、自分は名前を名乗っていないし、ましてや職名も階級も言っていない。なのに相手はなぜ知っているのか。
「ちなみに、さっきの交換手さんは「警務隊の方にお繋ぎしますね」とだけ言って代わられたよ。私は今日、警務隊の一番の幹部が君以外いないことを知っていたから電話したんだよ」
この時、寺脇は相手が間違いなく自衛官であり、それも内部情報をよく知る高級幹部であると予想した。口調も自分よりも階級が上の人間であると。
「数ある警務官の中から俺を選んでくれたのは十分にわかりました。が、なぜ俺なんです?」
「最初に君が安全であると判断したからだ。私なりの基準において」と相手は低く笑いながら言い放った。
「その基準についても気になりますが、私は貴方の名前をぜひ知りたい。自分の名前だけ知られているのも嫌な話ですから」と牽制するように寺脇が話した。
「...うん、そうだな。それでは仮に....そう『亀山』とでも名乗っておこうか」
「亀山さん...わかりました亀山さん、貴方が言う「密告」、それは今ここでは言えないのですね」
「そう、その通りだ。だから君に直接会って伝えたい」と相手が元の低い押し殺した声の中に、どこか「覚悟」を決めたように言い放った。
「構いません、お会いしましょう。どこがよろしいですか?」
「今日の21時、横浜の山下公園にあるハッピーローソンの入口に来てくれ。私から声をかける」
「21時、山下公園のハッピーローソン入口。結構です」
とまで言ったら切れた。まるで映画のような展開であるが、どうしても「密告」という内容が気になった。いったい「亀山」はどんな話を俺にしようとしているのか...。
「寺脇二佐?大丈夫ですか?」と陸曹長が心配した顔して話しかけてきた。
「ん、んぁ大丈夫だ。ちょっと考え事をしてました」
適当に取り繕ってから、待ち合わせのメモを取り、取り敢えず本来の仕事に戻ろうとした。が、集中できない。タバコを吸って気分転換を図ろうとしても、どうしても「密告」が気になって仕方がなかった。
全く仕事をした感覚はなかったが、それでも18時過ぎには仕事を切り上げて一度官舎に帰宅した後、妻が作って待っていた夕飯の回鍋肉をかきこみ、シャワーを浴びてから私服に着替えて19時半には官舎を出た。「何かあったら電話するから寝ててくれ」と妻に言うと「気をつけてね」と送り出す妻、「パパまたお仕事なの?」と悲しそうに言う娘の姿に心が絞められたのは別な話である。
市ヶ谷から地下鉄南北線に乗り、途中の『田園調布駅』で東急東横線に乗り換えて『日本大通り駅』まで行くのに1時間はかかる。
だから、ハッピーローソンに着いたのは待ち合わせ5分前の20:55であった。周辺にいるのはカップルばかりだ。そして、海風が冷たかった。
いったいどんな男が来るのか。本当に自分の予想は正しいのか、正しいのなら相手は幹部自衛官の誰か。そして、”密告”とはなにか。
時計を見ると、針は21時ちょうどを指していた。約束の時間。
すると近づいてくる影があった。ハッピーローソン自体山下公園の中にあるので、目の前は広く誰かが近づけば目立つ。顔は見えないが男であろう。ちょっと身構えてしまうのは自衛官の性か。
少しずつ近づいてくるその影は、真っ直ぐに自分に向かってきた。ついに対面、と思い声をかけようとした。
が、その影はそのまま寺脇を素通りし、店内に入店した。「いらっしゃいませー」の営業的テンション満載の女性店員の声が聞こえる。ただの客であった。
気づけば針は予定の時間から10分を超えていた。ただ突っ立っているのも変なのでCABINロング8ミリタバコを吸い始める。
が、一向に来る気配がなく、吸い終わった頃には既に21:26になっていた。
寒さ、そして先程から中の店員の好奇の目線に耐えられなくなってきた寺脇は21:30になったところで帰ることにした。「タチの悪いイタズラだな」と思いつつ。
23時には官舎に帰っていた。いつも冬でも寝るときは半袖シャツにスエットパンツ姿だ。特に半袖シャツは迷彩服を着て走り回っていた若かりし任官当時の名残である。
起きていた妻に事情を話しつつ軽く晩酌し、来年には娘も小学校に入学するため、どこか腰を落ち着けられる場所を探したいけど転勤を考えると今後どうするかを話した。転勤族を続けるか、いっそ単身赴任でもするか。そんな話をしている時には“密告”のことを忘れていた。日付が変わる頃には2人とも寝床についた。
が、夜中の3時に寺脇の携帯が鳴ったことにより、家族の安眠は妨害された。
不機嫌そうな声で寺脇が応対する。が、話を聞くと眠気も機嫌もいっぺんに飛んで行ってしまった。それどころか寺脇も思わず立ち上がってしまった。
「なっ!!情報保全隊司令が殺された?!」