第7話 発動への前奏曲(プレリュード)
『極真会会長暗殺事件』は結局現在においても手がかりは何ら見つからなかった。
その一方で、ついに極真会直系団体仁科会傘下の折木組準構成員の5人が関西極真会副会長兼桑原組組長・南康司が乗った車を襲撃するという事件が発生。
幸い、南自身に怪我はなかったが、南を庇った桑原組若頭を含めた3名が死亡。2名が銃弾腹部貫通の重傷を負った。
また、一連の混乱から桑原組側から発砲した銃弾が跳弾となり、偶然歩いていた女子大生の首に命中するという悲劇も起こった。
幸いにして彼女の命に別状はなかったが、これ以上一般市民を巻き添えにしないためにも兵庫県警は両団体に対し強制捜査を敢行。近畿管区機動隊はもちろんのこと、隣県の警察にも増援を要請し、両団体の本部ならび関係者事務所の強制家宅捜索を敢行した。
念のため、兵庫県警機動隊銃器対策部隊も出動。完全防護で銃撃戦に備えるという警戒ぶりであった。
一悶着の末、最高幹部を除いた幹部数名や構成員など両団体合わせて実に120名が連行・逮捕されるという一大活劇があったのにも関わらず結果はやはり山崎努狙撃の犯人を追い詰めるような証拠は何も出なかった。
この後、県警本部で行われた極真会と関西極真会の会長同士の会談によって一定の落ち着きを取り戻すことになるが、それでも相互の不信感を完全に拭いさるわけはなく、県内全体が不穏な空気で包まれたままであった。
2022年 10月下旬
仙台市秋保にある某老舗旅館のロビーには、スーツ姿の男女が複数名が集まっていた。年齢もバラバラである。一見すると社員研修にも見えるだろう。実際、宿泊名簿には九州にある加工食品メーカーの名前が使われていた。
これと時同じくして、秋田の乳頭温泉、岐阜の下呂温泉、兵庫県有馬温泉にも同様に人数の大同小異や服装の違いはあれど人が集まっていた。皆一様に名前や職業を偽って。
ただ、この3人は別であった。
静岡県熱海市 某旅館
「いやー、君塚。やっぱり遠路はるばる来たかいがあったな」
「全くだよ橋本。コンクリートジャングルとは無縁の風景だね。おまけに、こんな風に日常を忘れて観光なんかなかなかできないしな」
「おいおいお前ら。俺たちは単なる観光じゃないんだぞ。あくまで被災地の変化を見に来たということになっているのだから」
この男たち、立場こそ違うが3人とも自衛官であり階級も「将官」であり、諸外国軍隊で言うところの「中将」に相当する階級の持ち主である。また都内の某有名私大の同期生でもあった。
陸上幕僚副長・君塚茂、自衛艦隊司令官・橋本広司、航空総隊副司令官・源田守。齢50を超えた3人の自衛官は旅館の一室から復興が進む熱海市内を見つめた。
静岡県熱海市。奥座敷、とも言われる熱海温泉で有名なこの街も2年前に「激震」が襲った。
想定された『南海トラフ地震』よりも震度や規模は小さく、そのため『南海トラフ地震』とは無関係のものと言われているが、被災者にとってはそんなことはどうでもよかったであろう。
いわゆる『三保半島沖地震』は、東京オリンピック・パラリンピックの熱気もまだ冷めていない9月12日土曜日、13時21分にマグニチュード7.4、最大深度6弱の揺れが静岡県、愛知県などを襲った。
地震による被害は少ないものであったが、震源が比較的浅かったことから津波が発生。最大の高さこそ東日本大震災よりも低いものであったが、それでも多くの地点で5メートル越えの津波を観測した。3派に分かれて襲ってきた津波による被害が多く、死者・行方不明者は実に2万人近くにまでのぼった。もちろん建造物や道路の損害もあり、東海道本線も一部で不通になる被害が発生した。
しかし、これが皮肉にも日本の景気に貢献することになった。オリンピック開催前から終了後の景気に関する懸念があったが、この災害によって東日本大震災以来の「復興景気」が発生。2年たった現在でもその恩恵は十分に活用されていた。
窓際の椅子に座っている源田が窓の外を眺めつつため息をした。
「後知恵を言えば、早くに防潮堤を作っていればなんとかなったかもしれなかった」
「確かに源田の言うとおりだが、この街は観光で成り立っているようなもんだ。マイナスになるような建造物は願い下げだろうし、そもそも慣れ親しんだ風景が見れなくなるのには耐えられなかったんだろう」
「君塚よ、しかしそれでも命には代えられない。実際、賛成して早くに街を守る”壁”を作るように進言した人間もいた。でも現実を見据えているそんな声は全部流されて、いつか必ず来る現実を直視しない意見が主流に扱われた。その結果がこの様だよ」
「まぁ、確かにそれには頷けるな。気持ちはわかるけど、やはり自分だけを優先するのではなく地域と将来、そして利得を考えたら恐ろしくて「作るな」とは言えん。しかし、こんな意見が言えるのも”当事者”ではないからかな」
「当事者?」と隣の居間の座椅子に腰を掛けていた橋本が聞き返した。
「あぁ、当事者。つまり住民のことだよ。住民は何かあれば直ぐに降りかかるから、自分の身のこととして捉えなくちゃならないけど、いつも見ている風景だからこそ「残したい」とする意見だってある。でも当事者ではない、つまり外野の俺たちは「危ないから作ってしまえばいい」と現実的意見とか「住民感情を考えろ」とか好きなこと言えるだろう。「よくわかりません」とかもさ」と源田と対面して座る君塚が橋本を見ながら言う。
「しかし、そんな意見を将来も住み続けるであろう若者や中高年が言い続けるならそれはそれで仕方ない。が、老い先短い老人や子供の就学に合わせて故郷を捨てるような人間が将来を左右する、後世の人命問題が関わる話にいけしゃあしゃあと割り込んでくるのが理解できない」と憤りを隠せない源田。
「ま、老人の知恵も大切な場合があるけど、なんでもかんでも自分の意見を通そうとするのには感心しないのは事実だね。なんなら、どうみても自分勝手すぎる意見を平気な顔して言う人種とかどうみても当事者外の人間とか」と苦笑しながら言うのは橋本だ。
「正しい意見が無視され、おかしな意見が通用する。そんなことでは恥だこの国にとって、次にバトンを渡す子供たちにも」と決断するように君塚が言った後に二人を交互に見る。
「そう、だからこそ俺たちが立ち上がる。まぁ、それこそ初老に突入した人間によるお節介なのかもしれんけどね」と橋本が繋ぐ。
「それでもいいさ。我々の存在がお節介かを判断するのはこれからを担う若者たちだ」と言ってから源田が立ち上がった。
そんな時、部屋の入り口から「失礼します」と女中の声が響いた。
襖が開かれると「お連れ様がご到着いたしました」と告げた。
その後ろから姿を現した茶色の茶色の紺色のスラックスに白い半袖ポロシャツを着て、爽やかな青いソフト帽を手に持つ還暦を超えた男が姿を現した。
「お、お待ちしてましたよ。お元気そうで」
にっこり笑いながらそう声をかける君塚。尊敬の念を込めて握手をする源田。
「これで役者は揃いましたな」。女中が去った後、一言橋本は呟いた。
もし彼らの存在を認識していれば、きっと本来の役目である公安警察や自衛隊警務隊は驚愕しているであろう。
陸自からは関東補給処副処長、陸上総隊幕僚長を含む6名。海自から第1護衛隊群主任幕僚、横須賀地方隊防衛部長を含む5名。空自は航空幕僚監部防衛部長、航空戦術教導団副司令などを含む5名。統合幕僚監部は防衛計画部長を含む3名。自衛官ではないが自衛隊所属の事務官、いわゆる「背広組」からも2名。先程の3人を含めて計24名が何らかの理由で休暇を取っていたこと。
また、警視庁公安部参事官を筆頭に5名の幹部クラスの警察官、警察庁関係者、海上保安庁、東京税関、消防庁、各省庁関係者においても休暇を取っていたこと。
そして、実にそれら40名の人間が役目と任務によって各所に集まり、観光と偽ってある計画を練っていたことを。
少なくともこの時に気付いていれば、この後の展開はかなり違ったものになったであろう。
しかし、この40人のメンバーが多分野であるため、仮に存在を察知されればその情報はことごとく握りつぶされるか、誤情報を付加したかもしれない。
どちらにしろ、このメンバーの存在を察知した時、運命の歯車は既に回転していた。