第5話 仁義なき争い
男は自分の"相棒"をカバンから取り出すと、静かに筒状のものをその先端に取り付けた。
しっかりと整備し、磨いたその"相棒"。今日も間違いなく自分の思い通りに動いてくれる。
そう、確信していた。
2022年 夏
「おぅ、ご苦労さん」と痰の絡んだ声を出しつつ、ホワイトグレーのダブルスーツとソフト帽、ブルーのネクタイ、目にはサングラスをかけた老人がクラウンから降り立った。周りを囲むのは若く、何とも人相の悪い男や神妙な顔をした男達。
と、その老人を囲むようにブリーフケースが全開に開かれ掲げられる。そのブリーフケース1つ1つが防弾仕様であることを老人は知っていた。すぐそこにある事務所の玄関に向けて安心して歩き始めたとき、違和感を感じた。
防弾バックを掲げた若い男は強い衝撃を感じた。何の衝撃かは分からなかった。が、少なくともそれが2回バックに当たった。若い男は体を張って"会長"を守ったと思った。
しかし、その背後にいた"会長"が崩れ落ちたとなれば話は違った。
「会長!!」とその場にいた者全員が駆け寄る。が、齢70を超えた極真会会長の口から赤い血が溢れ出てきたとなると絶望しか見えなかった。
「きゅ、救急車!」と叫ぶ次期会長を約束された極真会直系山崎組若頭。「あ、あそこや!撃った奴はあそこや!!」と報復に燃える極真会幹部。2人の叫びはほぼ同時であった。
日本最大の暴力団『極真会』と、極真会から分裂した『関西極真会』の抗争激化から既に7年。数年前に関西極真会初代会長が病死したこともあり、ここ数年はおとなしく見えた抗争も水面下では続いていた。が、ここにきて極真会最高幹部、会長・山崎努が暗殺されたというニュースは日本全国を駆け巡った。
もちろん被疑者は対立関係にある関西極真会。警察も、極真会も証拠はないが間違いないと睨んでいた。
警察庁、二大組織の本部がある兵庫県警察は、極真会の報復による大規模抗争発生抑制のため関西極真会会長以下幹部それぞれに別件事件による任意同行を敢行。ひとまず兵庫県警本部にて拘留の上尋問を行った。あくまで「任意同行」であるから期限付きの勾留であるが、それでも聞けるだけ聞きたかった。
しかし、帰ってきた答えは「知らない」であった。
「そりゃあんた確かに殺やりたいよ。でもよ、仮にあいつの命とってごらんよ。今度はこっちが狙われるし、それこそ歯止めを失った極真会は俺達が全滅するかあっちが倒れるまで戦争だよ。そんなことするくらいならギリギリのラインで喧嘩している方が平和だろ。あっちも跡目で暫くは内紛だろうけど、それでもあとあと大変なことになるぜ」
そう言って、関西極真会直系組組長の1人は語った。
もちろん、警察としても鵜呑みにする気はなく、完璧な捜査を行った。が、それでも証拠は全く出なかった。まして、発砲したであろう地点に空薬莢が1つも無いとすれば異常であった。
そもそも、使われた銃も妙であった。山崎を貫通した弾丸と防弾バックで止められた弾丸はどれも「.45ACP弾」。通常の暴力団関係者が使うには少々特殊な銃弾であった。仮に海外からの暗殺者が使うにしても。なぜなら、銃弾そのものが米国軍特殊部隊向けに製造されており、海外においても手に入るとは考えにくい。ましてや日本の暴力団になど。
第一、現代ヤクザの主力拳銃といえばロシア(旧ソ連)製、中国製、北朝鮮製の「トカレフ」や「マカロフ」拳銃、近年は「ワルサーPPK」や「M92」、「S&Wコルト」等の拳銃が大半を占める。が、どれも「.45ACP弾」をわざわざ使わなくてはならない拳銃では無い。
そもそも拳銃から排出された薬莢をしっかりと回収するあたりからして、不慣れな暴力団員による犯行も考えられない。また、発射地点と思われる場所から山崎会長の位置までは最低でも50メートル近くある。素人が狙うには遠すぎる。
よって、警察は「犯人は暴力団員の線は薄く、ある程度の射撃の腕がある人間」と位置づけた。また、「関西極真会が何らかの専任者を雇って、極真会会長・山崎努を射殺したという証拠や可能性は現時点で低いものである」という発表を行った。これはもちろん抗争激化への歯止めである。
ただ、これで極真会側が収まるとは到底考えられなかった。
そのため、兵庫県警は全警察官に厳重態勢を指示。機動隊、県警航空隊をも投入して、抗争あらば即時検挙できる態勢を構築した。また、県警本部長から両団体に「少しでも抗争に発展する行動あらば、先制側関係なく検挙」を発表。両団体の本部や直系事務所、関係事務所には監視のため所轄署のパトカーや捜査員が展開。各団体本部前には念のため機動隊一個小隊が待機した。
そして、県内全体のパトロール態勢を強化。県内主要施設や道路には警察による検問や臨時派出所を含めた街頭における警備をも強化。
しかし兵庫県警だけでは足りないため近畿管区機動隊も増援のため出動。一部は警視庁からも増援が来た。
「県内に溢れる警察官」と、地元新聞が報じるほど兵庫県内に各所には警察官で溢れた。
「で、結局、誰なんだ?」
事件から1週間が経過したとある日。正午を回ったとき、関西極真会の定例会合ではそんな一言が響いた。発したのは関西極真会二代目会長にして一条会会長・川瀬大毅。
もちろん議題は「誰が極真会会長を殺した(及び命令を発した)」のか。すでに2時間が経つが誰も言葉が出ない。
「二代目、申し訳ないがどうやら誰もやってないように見えますよ」
そう言いながらCABINの8ミリタバコを吹かす副会長にして桑原組組長・南康司。
「んなわけねぇだろう。デコ助(警察)の前じゃ知らぬ存ぜぬで通したが、ぜってぃいんだろよ。まぁテメェらでやってないにしても、こん中の子分でやっちまった奴がいるのだろうよ。いったい誰なんだろうね。殺って駄目な人間を平気で殺るドアホは」
と静かに川瀬が返す。と、川瀬が懐から葉巻を取り出した。キューバ産の高級物だ。川瀬自ら葉巻の片端を切る。と、すぐに側近がジッポーを取り出し火をつける。
切れ端を側近に渡して、ゆっくりと葉巻を味わう川瀬の姿は、全国のヤクザの中でもトップクラスで美味そうに吸うと噂されている。
「でもねぇ二代目、確かにあんたの言う通りだが、調べてもその時間に極真会の山崎組長殺りに行った人間はどんなに探してもいない。かといって下っ端探してもいない。一方でデコ助からめくられた(警察からの情報提供)内容もうちじゃなそうだし。いっそ一般人かどっかのイッポンもの(広域な暴力団組織に加入しない独立組)じゃないのかね」
川瀬が美味そうに吸う姿を目にしつつ南もCABINを味わう。
「まぁ、とにかく、この件で"あっち"とは開戦決定だ。でも、こっちからは絶対に手を出すな。あっちもあっちで手を出しかねるだろうが、先に手ぇ出した方が負ける。それまで耐えろ。その間にうちの中洗っておけ。やった奴は、まぁ指一本で勘弁してやる。親(直系組長)にしても子分がやらかしたんなら注意で済ませてやるから早く差出せ」
口調では優しく言いつつも、南とは目配せをする。
「組長はともかく、犯人は"タダ"じゃおかない」という合図であった。指一本で済むような話ではなかった。