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肖像画  作者: くたち
第二章『一生』
9/17

1 共に殉じる

新章です。うっすら気付いてらっしゃる方もいると思いますが、サブタイトルに深い意味はないです。

お暇なときにでも読んでやって下さい。

「光次郎さんもひどいわ。女を除け者にするなんて。ねえ菊さん」

 渚沙がぶつぶつと文句を言いながら、傍らを無言で歩く菊に同意を求めてくる。

いつの間にか名前呼びになっている事に内心動揺しつつ、菊も眉根を寄せた。

「はい。話を聞けば、男性とはまた違った視点から意見が言えると思います」

「そうよねぇ」

 正直に述べた言葉に、満足気に渚沙が頷いた。

『彼女には、恋い慕っていた男がいたからね』

 光次郎が告げた言葉に、その場は凍り付いた。凛太郎と瑞穂は目を細め、菊と渚沙は苦いものを噛み潰したように眉を顰めている。

 彼女は許婚を持つ身でありながら、心の内に、秘密を抱えていた。

光次郎はちらりと渚沙を見て、凛太郎と瑞穂に顔を向けた。

『ここからは、男だけの話をしようか』

『は』

『え』

男子高校生二人は、思いもよらなかった言葉に変な声を出した。

それは、つまり、女二人をこの場から締め出すという事だ。

『光次郎さん、』

『渚沙さん』

 文句を言おうと立ち上がった渚沙を、光次郎は首を振って制した。

渚沙は不満げな表情を浮かべたまま光次郎と半ば睨み合っていたが、不意に菊に振り返った。

『秋月さん。別室に移動しましょうか』

『え?』

『母さん……叔父さんも、そんな勝手に』

 凛太郎がさっと顔色を変えて立ち上がる。渚沙はそんな息子に唇を尖らせ不満げに言う。

『だって、光次郎さんが仲間外れにするんですもの。仕方がないでしょう』

『………』

 凛太郎がきっと無言で光次郎を睨み付ける。光次郎は、素知らぬふりで凛太郎から視線を逸らした。

『文句は光次郎さんに言いなさいな。では、行きましょうか』

『は、はい……』

 萎縮しきった様子の菊に、瑞穂が憐みの視線を投げ掛けていたことはこの際不問に処すとして、かくして女二人は応接室から追い出されたのである。

「……まあ、光次郎さんの配慮という事にしておきましょう」

「配慮、ですか?」

 静かに落とされた言葉を、菊の耳は捉えた。

見上げてくる円やかな瞳を見詰め返し、渚沙は小さく苦笑する。

「許婚ってね、なかなかどうして、難しいのよ。その人の事を好きになれるとは、限らないから」

 それは、もっともだと菊は思う。同意するように、首を縦に振った。

顔も、性格も分からない人と、一生を添う事が決められているのだ。

顔を合わせ、共に過ごしたとしても、心が寄り添い合えるかは、かなり低い確率になってしまうのではないかと思う。

「私と和太郎ってね、夫婦と言うよりビジネスパートナーと言った方がしっくりくる仲だったのよ。恋なんて、してなかった」

 突然の告白に、菊は言葉が継げなかった。

 困惑した様子の菊に、渚沙はごめんなさいね、と、笑って謝る。

「初対面のあなたに言う事じゃないとは分かっているけどね。でも私は別に気にしていないし、私も和太郎も、その辺りは割り切っていたから、苦ではなかったの」

 でも一度だけ、一度だけぽつりと、光次郎の前で言ってしまったことがあった。

私も恋がしてみたかった、と。

「その事が、ずっと気掛かりだったんでしょうねえ」

 彼優しいから。

そう言う彼女は、どこか楽し気だった。

「そんな私の前で、破綻した結婚の話でしょ。それに、うら若いあなたもいるし。変な気遣いを見せたのよ。この非常時にあの人は」

「……そうですね」

 菊は苦笑交じりに返した。

渚沙はまじまじと菊を見返し、不思議そうに首を傾げた。

「……あなた、不思議ね、私、ここまで話す気は無かったんだけど……」

凛太郎の彼女候補だし……あの子の家族に対して変な印象植えつけるのもアレだし……とブツブツ呟いている言葉を耳にして、菊は再び顔を真っ赤に染めた。心なしか瞳も羞恥で潤んでいる。

「そんな、私が竹崎さんの彼女候補とか……身の程知らずと言うか……」

「あらあら、二人揃って健気な事」

 ころころと笑う渚沙は急に手を打って頬を染めたままの菊を振り返る。

名案を思い付いたかのように、瞳が輝いていた。

「そうだ。良ければ、私の家族の写真でも見ない?」

「え? でも、今は」

 非常事態だと訴えてくる潤んだ瞳に、渚沙は何故か自信ありげな表情だ。

「仁美ちゃんと和太郎の写真もあるわ。学生時代のものが多いから、きっと何かヒントがあるはずよ」

 菊はまんまと言いくるめられ、肩に手を置かれて背中を押される。

良いのだろうかと思いながら、流されるがまま、渚沙の私室へと通されるのだった。

一方の応接室では、凛太郎が相変わらず納得できないとでも言わんばかりに光次郎を睨み付けていた。それを、瑞穂が苦笑しながら見ている。

「凛ちゃん、そんな睨み付けても仕方ないよ」

「分かっている」

 腑に落ちないだけだ。と付け足す。

これからしようという話としては、仁美の恋い慕う男の話を聞く事と、屋上から落ちた本当の理由を探る事だ。

 人の心とは、不可解なものだ。

しかも、叔母は女性であり、この場に残り話をする人間は男だけ。菊や、母親がいた方が推量は多く出されるだろう。

それを分かっているはずなのに、光次郎は二人を話の場から遠ざけた。

 ふと過る風景がある。

敬愛する人物に瓜二つの、微笑む横顔が。

「……父さんに関わる話も、出るかもしれないのですか」

 今度は凛太郎が苦虫を噛み潰したような表情で、呻くように呟く。

光次郎は、瑞穂に視線を遣った後、凛太郎を見上げた。

「それは分からない。しかし、女人が聞いていて、それほど気持ちの良い話ではない」

「そんな事、言っている場合ではないと思いますが……分かりました。叔父さんの指示に従います」

 恐らく、光次郎の発言はその言葉面通りの意図ではないのだろう。凛太郎は腰を落ち着け、携帯電話を広げた。

液晶画面には、あしかびちゃんねるのスレッドが開かれていた。

光次郎が物珍しそうに、その有象無象の世界を見詰める。

「これが、先ほど言っていた智博君が立てたスレッドというものだね」

「はい。不特定多数の人間に閲覧できる事がネックですが、ここでしか、今のところ校舎内と連絡が取れません」

 凛太郎が携帯電話を再び手に取り、スレッドを開いた。

丁度、モブ眼鏡スキーなる人物が様々な問題点をまとめ打ち込んでくれた後だった。

「ほう。色々と出揃っているじゃないか」

「出揃ってる、ですか?」

凛太郎が訝しげに呟き叔父を見上げた。瑞穂はスレッドに打ち込みしながら、光次郎に視線を遣る。

凛太郎も瑞穂に倣ってスレッドを見下ろした。

「もしかして、仁美さんの好きな人とは、水野先生だったんですか」

 さらりと言ってのけた言葉に、凛太郎が目を丸くして発言者である瑞穂に向けていた視線を光次郎に再び向ける。

その視線を受け止めながら、光次郎は苦笑した。

「君はそういう想像というか予想というか、機微に本当に疎いんだね。父親にそっくりだ」

 叔父の言葉に表情を曇らせつつ、凛太郎は瑞穂に問い掛ける。

「どうしてそう思ったんだ」

「まあ、仁美さんの同世代で、って言う事でこの事件に関わってる人物は限られていたからさ。でも、確信には至らなくて、さっきの叔父さんの『出揃ってる』でやっぱそうだろうなって」

 瑞穂がつらつらと言い並べると、凛太郎は小さく唸ってスレッドを見詰めた。

渚沙の話を伝えた後、叔父に目を向ければ、光次郎はいつの間にか自分の携帯電話を取り出してスレッドを追っていた。

「叔父さん」

「いや、身ばれしているようだから、少し内容の監視をした方がいいかなと」

「それは、そうですが」

突然中年ちくわというコテハンの人物が700のキリ番を華麗に攫って行った。

「ちょ、おじさん」

瑞穂が笑いながら光次郎を見上げた。光次郎も口元に笑みを浮かべて指を動かしていく。

「さて、準備は整った」

光次郎が、二人の向かい側のソファに改めて座った。寂しげな表情を浮かべ、しかしゆっくりと、強い光を宿す瞳を二人に向ける。

「私も、誠次郎は大切だ。ただ一人の、あの人の忘れ形見であり、何が何でも、取り返したい」

 二人は姿勢を整え、目の前の一人の父親を見詰めた。

「例え竹崎の名が地に落ちようと、それは決して変わらない気持ちだと理解してほしい」

「はい」

 何を、話そうとしているのか。返事をしながら、凛太郎と瑞穂は胸騒ぎを覚える。

「仁美の話を、しようか」



 世界が反転する。頭の中が、ぐちゃぐちゃになる。

俺は死ぬ。この手を掴む女と一緒に、死ぬ。

瞬く間に地面に叩きつけられ、死ぬのだ。

『仁美、俺には無理だ……!』

目も眩むような絶望。身を引き裂かれるような悲しみ。私の他に誰もいない、寂しさ。

全てを抱いて、闇の底へと堕ちていく。

「……っは!」

 智博は目を開いた。芝生の上に寝そべり、特別教室棟が中庭を挟んで見える。

心臓はいまだばくばくと激しく脈打ち、臓腑から不快感がせり上がって来て、口を押えた。

 生きている。

鼓動、不快感、様々な感覚が蘇ってきて、それが分かる。口元を押さえながら、智博は起き上がる事も出来ずに涙を流した。

 確かに、屋上から落ちた。そうだ、落ちたはずなのだ。

一頻り泣いた後、智博は起き上がる。手には何も持っていない。竹刀は屋上に落としてきたらしい。ポケットを漁れば、携帯電話が出てきた。開いて電源を入れれば、正常に動いてほっとする。

一言自身の生存を告げた後、辺りを見回すが、生ぬるい夏の風が頬を撫でるだけで何もいない。普通の校舎だ。

 異世界の外に出られたのかと期待した。しかし、屋上を見上げて落胆する。

柵がない。つまり、ここはまだあの少女の世界だということだ。

屋上から落ちて助かっているという事は、そういう事なのだろう。

「ようこそ。私の世界へ」

背後から声がして、振り返り、後退りする。

背後には、顔の上半分が無くなっている仁美がいた。見慣れる事はない。不快感を隠そうともせず、智博は顔を顰めた。

「あんた、俺をどうしたいんだ。なんで落とした」

「あなたはもともと、あの人の世界にいた。だから、後の四人がいるここに連れてきた」

 うまく働かない頭で、智博は考える。

つまり、異世界はスレッド上で考察されていた通り、二つあった。

死んだばかりの水野の世界と、元からここにいた仁美の世界なのだろう。

昇降口では理和、徳市、裕子の三人を、一気に仁美の世界へ連れて行った。

だが、元々神社の息子でもあり、スレッド上で凛太郎が言っていた通り強い守護霊を持つ智博は取り込めなかった。智博が掴んでいた誠次郎も体までは連れて行けなかった、のではないだろうか。

そして、隙をついて、誠次郎も取り込み、今回、自分も連れてこられたのだ。

拙い考察をした後、仁美を睨み上げる。

「……あんた、何が目的なんだ。どうしてこんな所に俺達を閉じ込めた」

 智博の言葉に、仁美は小さく首を傾げたようだ。

「……あなたたち三人には、用事はないの。私は里都子さんに用事があるだけ」

「里都子……?」

 誰だそれは、智博は首を傾げながら、仁美を見返す。

「でも、和太郎兄さんが邪魔をする。あの人の傍にいるから、私は近づけない」

「和太郎? 誠次郎の事か?」

 智博は、誠次郎と彼の伯父である和太郎が瓜二つだという事をよく知っている。

なら、近くにいるのは理和という事だろうか。今はここから特別教室棟を挟んだ向こう側、美術棟にいるはずだ。

この人が、里都子という人物と理和を間違えているという事に気付いた。

「あんた、それなら人違いだぞ。あの子は里都子って人じゃない。理和さんだ」

 人違いなら話が早い。早く誤解を解いて、ここから全員出してもらわなくては。

困惑しているのか、口を微かに開いている少女に、重ねるように言い募った。

「田中理和っていうんだ、分かるか?」

「タナカ、リオ……」

「なんで片言。田中はともかくとして、理由の理に、平和の和だ」

「理……和」

 呟き、考えるような素振りを見せた。

智博は、頭が無いのにどうやって考えているんだろう、と思いながら、ふと焦りが胸中に沸いた。

名前を、教えても大丈夫だったんだろうか。

 いくら理性があるとは言え、彼女の名前を教えてしまっても。

人の名前は、その人そのものを表す大切なものだ。名前を知られる事でまじないに利用されないよう、秘匿していた時代もある。

 しかし、伝えてしまったものは仕方がない。全力で責任を取る決意をし、思案している少女を見返した。

 早く、誤解を理解させ、この世界からおさらばしたい。

彼女の口ぶりから、狙いは理和だったのだろう。しかし、その場に居た他の四人も一緒に、この世界に連れてきてしまったのだ。

 理和がここに一人きりで連れてこられるのも、それはそれで言語道断だ。

だが、巻き込まれた、特に徳市と裕子が哀れである。

 しまいにはぶつぶつと何事か呟きだした彼女に気付き、背筋が凍った。

 辺りの空気が一変していたのだ。

美しく照り輝いていた月が、見えなくなった。暗雲が立ち込め、星々を隠していく。

空気は重苦しく、まるで圧し掛かってくるように、寒い。

生温い風は、寒風へと変化していた。

 なんだこれ、なんだこれ。

嫌な予感がする。内心焦りながら、智博はすぐに動けるよう、急いで立ち上がる。

まだ、ショックから完全に抜け出せていないのか足元がふらついた。

「ああ……あ、ああぁあぁあああああああ」

 喉が擦り潰れたような掠れた叫び声が聞こえ始め、それと同時に地面が揺れる。

「……! ……!?」

 声も出せず、智博は辺りをしきりに見回した。寒気が止まらない。

校舎の窓ガラスも軋み、黒い影が、その表面を蠢き、這い回った。

 ぞっとする。渡り廊下や特別教室棟から、黒い半透明の影がこちらに向かってきているのが見える。

さっきまでスレッドで確認した数とは比べ物にならない量の死霊が、新たに学校の敷地内に出現したのが見て取れた。

 明らかに、彼女が引き入れている。

俺は一体、何を言ってしまったんだ。

「……やる」

「え?」

 一際、大きめな呟きが漏れ聞こえた。

しかし、すべて聞き取れはせず、智博は彼女を見返して目を見開いた。

胸元に流れていた黒髪はふわりと逆立ち、口の端から、新たに流れたような血の跡が垂れている。

「殺してやる、兄さん……」

なんでそうなる。

 理和の名前に反応したのではなかったのか。

心中で突っ込みながら、そぞろに歩き始める彼女を追おうとするが、出来なかった。

足が、地面に埋まったかのように動かない。

「ぃっ……!?」

見下ろして絶句する。無数の手が、智博の両足にしがみついていた。中庭の芝生が、次々と生えてくる手首に引き千切られていった。

驚き、足を取られて無様に倒れる。

「ちょっ、待ってくれ! 殺すって、」

 腕が上半身にもまとわりついてくる。老人、子ども、男、女、様々な手が、視界に迫ってきているのが見える。

 離れ行く背中に向かって、大声で叫んだ。

「和太郎おじさんは、もう死んでる! 誰を殺すつもりだ……!」

 ひりひりと痛んでいたはずの左肩に、ぶよりとした掌が触れる。

痛くなくなっていた。

「っ!?」

 何故、どうしてだ。既に肩に、痣がある気がしない。

 呪いの対象が俺ではなくなったんだ。

智博は気付き目を見開いて少女を見詰めた。懸命に地面に縫い付けられている腕を動かす。

 誠次郎だ。彼女は、和太郎に瓜二つの、彼を兄だと思い込んで殺す気だ。

「誠次郎……っ、く、そがああああぁぁぁぁ!」

子供と男の手を振り払い、右手を眼前に持ってくる。携帯電話で、スレッドを開いた。

 死なせない、殺させるものか。俺の、初めての友達なんだ。

「誠次郎、逃げろ、逃げてくれ。遠く、へ」

 誠次郎へ、言葉を届ける。スレッド上が大きく騒ぎ出した。カメラで少女の背中を撮影し、写真を添付する。

これで、ここがどこか分かる。あの女から、遠く離れた場所へ、理和を連れて逃げて。

 情けない。こんな事しか出来ない自分に、涙が出てくる。

首にまとわりつき始めた腕を、懸命に掻き毟る。

しかし、それが怯む事は無かった。それどころか、数が増えている気がする。

息が、出来ない。

 助けて、ここから、出して。私を、連れて行って、お願い。私を、

攫って。

 朦朧とする意識の中、智博は首を振る。

それは無理だと。だって、俺もここに囚われている。そして、あんたたちの、一人になる。

遠くで、名を呼ぶ声が聞こえる。

 そこで、智博の意識は途切れた。


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