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肖像画  作者: くたち
第三章『永遠』
17/17

1”あなた”との対面

ここから『永遠』の章になります。たまーに、多分ごくまれに不道徳的な表現が出てくるかもしれないので注意。

生まれた時、許嫁が決まった。


小学生になって、彼女に出会った。


中学生になって、名前で呼ばれなくなった。


高校生になって、彼女がすきだと自覚した。


大学生になって、違う学校へ進学した。


社会人になって、忙しさに会う機会が無くなった。


二十代半ば、許嫁との結婚報告の席で彼女と再会した。


その夜、最初で最後の、想いを告げた。



 思い出を手繰り寄せるように、光次郎は目を細めた。

「私はあの時、人が恋に落ちる瞬間を初めて見た」

 小さく呟いた言葉に、三人は息を飲む。

「小学校低学年だったかな。渚沙さんが友達を連れて、ここに遊びに来たことがあった」

その友達が、彼女だった。



 いずれ、人は死ぬものだ。

父も、伯母も、従弟も、ここにいる幼馴染、大切な人、そして自分すら。

死とはいつも隣にいて、決して逃れられない、定めであり未来である。

誠次郎にはそれが分かっているし、理解もしていた。

水野はそれが今日この日だっただけで、人が死ぬ事は、まったく不思議な事ではない。

しかし、死んで欲しくなかった。

どんな理由があろうと、優しく、思いやりのある、心根の美しかった彼に、もう一人の父のようにすら思っていた彼に、死んで欲しくなかった。

 それが、人間と同じように生まれ、時を刻み、死を迎える動物とは違う人と人との繋がりというものだと、誠次郎は思っている。

「……あの二人を会わせるには、俺と田中さんが、囮になるのが一番効率的だ」

 苦虫をかみつぶしたような表情で、誠次郎が切り出す。

目の前の二人は、こくりと頷いて互いに顔を見合わせた。

 囮などと、言いたくなかったのだろう。智博は誠次郎をちらりと横目に見ながら思う。

しかし、いつまでもここに閉じ込められているわけにもいかない。そして、自分の肉親と親しい人を、放ってはおけないのだと、結論に至ったのだ。

「俺は一人で仁美叔母さんに会いに行く。田中さんは、智博と一緒に諒太おじさんに会って欲しい。その後、なんとか合流しよう」

「竹崎君は一人なの? 三人一緒に行動するとか…」

 理和が小さく眉根を寄せて呟く。それに、誠次郎が首を振って口を開いた。

「叔母さんは、諒太おじさんを避ける術を持っているようだ。俺と君が二人一緒に居たら、どちらかが寄って来てどちらかが逃げていく事が繰り返されると思う」

 さっきもおじさんが一人で来たしね。

誠次郎の言葉に、理和は不満げながらも分かったと了承した。

「二人に会った後、特定の場所についてきて欲しいと説得できればベストだ。集合場所は、」

「屋上」

 三人同時に言う。お互いの瞳が、そこ以外ありえないだろうと言っていた。

「竹刀は智博に預ける。諒太おじさんは包丁を持ってるからな」

「……分かった」

 不満げな表情を浮かべながら、智博が誠次郎から竹刀を受け取った。

行動を確認したところで、誠次郎が校門を振り返った。二人もつられて校門を見詰める。

校門の向こうは、黒い靄のようなものが渦を巻いているようだが確かではない。校門はもはや、人が出入りする場所ではなくなっていた。

 どこに繋がっているかも分からない。近付けば、もう帰ってこられない気すらするのだ。

「……家族が俺たちの帰りを待っている。みんなで一緒に、家に帰ろう」

 誠次郎が力強く言い切った。理和も智博も、真剣な瞳に光を宿らせ口を引き結ぶ。

誠次郎には、父が。智博には、両親と妹が。理和には、祖母が、帰りを待ちわびている。

今ここにはいない二人にも、彼らを待っている人がいる。

 この異空間から脱出する。そして、現実世界のあの校門から、自分たちを待つ家族の元へ帰るのだ。

「じゃあ、また屋上で会おう」

「気を付けろよ、誠ちゃん」

「田中さんをよろしく頼む」

 各々が声を掛け合い、別れようと踵を返した時だ。

あ、と、誠次郎の声が聞こえた。

「田中さん、すまない、少しいいか」

 誠次郎が立ち止まり、振り返って理和を呼び止める。理和も振り返り、誠次郎を見詰め返した。

 彼の表情は真剣で、理和は小さく息を飲んだ。

「一つ、頼みごとがあるんだが」

 頼み事。

誠次郎からの頼み事など珍しい。理和も、少し離れた所で話を聞いている智博も微かに目を見開いた。

「何?」

「ここから出たら、俺に、田中さんの絵を描かせてくれないか」

 突然の申し出だった。

秋のコンクールの絵は、もう描き始めていると朝話していた。ならば、次の夏の高展での出展作品の事だろうか。

「どうしたの、突然」

「いや、なんでだろうな。今、言わなきゃいけない気がした」

 誠次郎はどこか照れたように言った。理和は困惑する。

何故、私に頼むのか。もっと仲の良い、智博や徳市、同じ中学出身だと言う裕子だっていいはずだ。

「私なんかで良ければ、やってもいいけど……なんで私なの?」

「田中さん、それ聞いちゃうんだね」

 背後から智博が苦笑しながら呟くのが聞こえた。

疑問を投げ掛ける理和に切れ長の目が微かに見開かれ、その後誠次郎が柔らかく笑った。

その表情に、目を奪われる。

「俺が、君の事をずっと忘れたくないと思っているからだ」

 誠次郎にとって、絵画とは心の表れだった。

母に拒絶された時の、心の奔流。それを落ち着かせた、智博とその家族の肖像。大切な、大切な景色。忘れられない光景。

伯父が描いたと言う、彼が愛する人の三つの肖像画。

 理和の胸に、すとんとその言葉が落ちる。

急に、何か答を得たかのように、胸の内が晴れ渡った。

何故、私に自分の過去を話してくれたのか、疑問だった。

そうだ、私にも、忘れたくない人がいると思い出した。その人へ抱いている私の心も。

 頼りになる彼。反面、心の傷を抱えている弱い面を持つ彼。

 しかし、それを乗り越えられる誰よりも強くて、優しい彼の事が私は。

目が、素通り出来ない。途端、目頭が熱くなってくる。

 私は、彼の心の中にいるのだろうか。こんな、私が。

「約束、してくれないか」

彼の微笑みから、彼の気持ちなど推し量ることは出来ない。

ただ、彼の中で自分が特別で、自分も、彼を特別だと思っている事だけが分かる。

掠れた声に、一つ、頷いた。

「うん……うん。いいよ。外に出たら、私を描いて。約束だよ」

「……ありがとう」

 じゃあ、健闘を祈ると、誠次郎は笑って校舎へと向かっていく。

理和と智博はその背中を見送った。

「……誠次郎はさ。多分だけど、縁が欲しかったんだろうな」

 ぽつりと、智博が呟く。

目元を拭って、理和は頷いた。

「うん……でもそれは、私だって同じだよ」

 だから、お互いの約束なのだ。

約束を守って欲しい。ここへ、帰ってきて欲しい。

 無理をさせないための、約束は鎖でもある。

「誠次郎は、誰にでも縁を求めるような人間って訳じゃないからね」

 智博が付け加えた言葉に理和は振り返り、微かに笑った。

その表情を見て、智博は余分な事を言ったかな、と思った。



 校舎を振り仰げば、仁美が現れた時の禍々しさはなりを潜め、黒い影がこちらにのしかかってくるように静かに佇んでいる。

 誠次郎は昇降口の扉に手を掛ける。思えば、ここが始まりだった。

昇降口が閉め切られ、凛太郎たちと分断され連れ去られた。あれから、恐ろしく長い時間が経った気がする。

 扉は開くようだ。そっと押して、中へと入る。

なんの音もしない。周りを警戒しながら、誠次郎は手近な教室へ入った。

教卓へ近寄り、引き出しの中を漁る。目的のものが、そこにあった。

 誠次郎は、伯父に似ていると言われるのが嫌だった。

 眉、目の形から鼻筋、口元、顔のパーツが収まっている場所まで、実の息子であるはずの凛太郎よりも、誠次郎は和太郎に似ていた。

伯母からは、祖父からの隔世遺伝だろうと言われた。しかし、誠次郎の心の内から、かつて囁かれていた下世話で不名誉な憶測が消える事は今まで決してなかった。

 だから、前髪を伸ばした。

本当なら、凛太郎のように短くしても良かった。だが、それでは髪の短い伯父と、本当に瓜二つになってしまう。

小学生だった誠次郎は、苦肉の策として眉を超えて前髪を伸ばすようになった。

息子の変わりようは、父の知るところとなった。

 理由を聞かれても、答える事などできなかった。

そんな事を、母の醜聞を、父よりも伯父に似ている事を、気にしているなどと恥ずかしくて言えなかったのだ。

「………………」

 誠次郎の右手には、鋏が握られていた。

トイレへと向かう。月の光で、ぼんやりと廊下が照らされている。

静かだ。ここが本当に、異世界だなんて信じられないほど、穏やかな気配に包まれていた。

 トイレへ辿り着くと、真っ先に洗面台の鏡の前に立つ。

薄暗い室内。鏡にはぼんやりと、ずっと直視出来なかった顔が映っている。

真っ直ぐと、自分を見詰めて思う。

伯父が、自分と理和を助けてくれた。

 彼は、今ここにいる。

ついぞ聞く事が出来なかった真実を、知る事が出来るだろうか。

 前髪を摘み、鋏の刃先を当てた。

指先が強張る。一瞬の躊躇いの後、開いていた右の掌を閉じた。

ぱさりと、髪が落ちる。誠次郎は、鋏を器用に動かし、髪を短く切り込んでいった。

 いいや、違う。そんな事はどうでも良い。自分の心など、今は取るに足らない事だ。

鏡をもう一度見直す。今、ここで自分が出来る事。

 大切な人たちを、あるべき場所へ帰す事だ。

 覚悟を決めよう、誠次郎。

内心呟き、強い瞳で鏡を見詰め直す。

 そこには、かつて自分が忌避していた姿が映っていた。







 あの日、学校から帰ってきたら、聞き慣れたピアノの音がした。

(渚沙が来ているのか)

 俺は綺麗に整えられた玄関を通りながら思った。こんなに早くここへ遊びに来るのは珍しい。

「兄さん、先に行くよ」

 光次郎がランドセルを手近なソファに置きながら振り返る。光次郎は、俺と同い年の渚沙を本当の姉のように慕っていた。

まあいずれ、俺と彼女は結婚する約束のようだから、あながち『本当の姉』という言葉は間違っていないと思う。

 彼女が演奏するピアノが、特にお気に入りのようだった。

俺も、彼女が嫌いじゃない。彼女は俺と同じで、名家に生まれ、幼い頃から英才教育を受けてきた才女だった。話題も豊富で、話していて楽しい。

 光次郎の友達である諒太の女バージョンのような子だった。

「今行くよ」

 彼女はきっと、居間に据えられているグランドピアノで演奏しているのだろう。音がする方向へ向かいながら予想する。

 居間の近くの部屋にはアップライトピアノもあるが、この音の響きはグランドピアノだろう。

 彼女にしては、またしても珍しい事だった。竹崎家に遊びに来た時はいつも、遠慮してアップライトピアノを弾いているのに。

微かに訝しく思いながら足を進めていたら、ピアノの音に混ざって人の声が聞こえてきた。

 歌声の、ようだった。

思わず足を止める。後ろからついて来ていた光次郎が、俺の背中にぶつかった。

「ちょっ……急に止まらないでよ!」

「……っごめん」

 彼女の他に、誰かいるのか。

 するりと、耳に馴染む心地良い声だった。

居間の扉を開ければ、やはり渚沙がピアノを弾いていた。音が溢れて来て、俺と光次郎を包み込む。

 そして、ピアノを演奏している渚沙のその傍らに、もう一人少女がいた。

息が止まった、気がした。

 短めの黒髪が肩口で揺れている。俺たちに気付いたのか、少女は歌っていた口を閉じて俺を見詰めた。

 円やかで優しいまなざしに、射抜かれたかと思った。

「……兄さん」

 背後から声を掛けられて、その時自分が初めて扉を超えた所で立ち止まっていた事に気が付いた。

「あ。ごめん、」

 俺は慌てて彼女から視線を逸らして扉の前から半歩横へずれて窓の外へ顔を向ける。今この時、自分が浮かべているだろう表情を、光次郎や渚沙に見られたくなかった。

 ピアノの音が止み、椅子がずらされる音が聞こえた。

「和くん、光くん。こんにちは」

「あ、ああ」

「こんにちはー」

 渚沙が挨拶をしてくる。それもそぞろに返して、再び視線を元に戻す。

 渚沙と少女が、並んで立っている。

何故か少女をまともに見る事が出来なくて、俺は渚沙に目を向けていた。

「そちらの子は?」

「私の友達で、里都子っていうの」

「田中里都子と申します。お邪魔してます」

 礼儀正しい言葉を乗せた声は、やはり落ち着きをもたらす響きを持っていた。

「りっちゃんは私と同じクラスでね。私が合唱の伴奏することになったんだけど、その練習をするために来てもらったの」

「そう、なんだ」

 合唱曲のピアノの練習の為に、歌声まで必要であるはずがない。ただ、彼女が友達と一緒に遊びたいがための言い訳だとその時は気付けないほど、内心動揺していた。


初めての、感情だったのだ。


あれ程人の声が、耳に心地良く思ったことなど、なかった。

あれ程、もっとこの人の声を聞いていたいと、思ったことなどなかったのだ。


ずっと、この人を見ていたいなどと。


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