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肖像画  作者: くたち
第二章『一生』
15/17

6 フィルムの向こう側の

 白黒の写真の中の見知った顔は、どれもこれも無表情だった。

それもそうだ。彼は、自分が知っている先輩ではない。彼の、伯父なのだから。

「……まさか、これほど似ているとは思いませんでした」

 菊が思わず呟けば、アルバムを捲っていた手を止めて、渚沙が笑った。

「ええ、本当にね。和太郎は義太郎さん……和太郎のお父様なんだけど、お義父様に似ていたから、誠次郎さんは隔世遺伝なんでしょうね」

 二人は和太郎のアルバムを広げていた。この家の長男であり、写真の量も豊富だからだ。

ページを遡り、赤ん坊の写真を見る。

首が据わって、座れるようになって、ハイハイをして、立ち上がって、歩き始めて……

 撮影者に向かって笑いかけている物がある。笑顔が可愛い。菊は思わず口元を緩めていた。

そして、時折弟妹と写っている写真があった。保育園の年長組くらいだろうか。妹と弟と手を繋いで歩いている。

 カメラに気が付いたのか少し驚いたように目を見開いていた。

何枚か、撮影に失敗したような写真にも笑わせられる。

「仲の良いご兄妹だったんですね」

「ええ……」

 懐かしそうに目を細めながら渚沙が頷く。

「仁美ちゃんは、和太郎にべったりでね。女の子だけど、読んでる本とか、着ている服とか、なんでも真似したがったわ」

 本当に何でも。

そして、こちらに振り返っている写真の少女を見詰めた。

ぎこちない笑顔だ。写真に写り慣れていないのか、表情が硬い。

「次から、小学生の写真よ。私も同じ学校に通っていたから、私の写真も増えて見苦しくなるんだけれど」

 そう言い置いて、渚沙がページを捲った。

 渚沙の言葉通り、彼女の写真が格段に増えた。

カメラは家族や使用人の手から離れたのか、遠足や行事の写真が増え、学校の友達や、教師と写っている写真が多くなった。

「……?」

 菊は捲っていたページを再び戻し、渚沙に注目する。

彼女の隣には、必ずと言っていいほど、一人の少女が一緒に写っていた。

 優しい笑顔、眼差しが不思議と安心感をもたらす、穏やかな雰囲気の少女だった。

 どこかで、見覚えのある顔立ちだと手を止め凝視する。

「どうかしたの?」

 手を止めた菊に気が付いたのか、違うアルバムを広げていた渚沙が顔を上げた。菊は渚沙を振り返り、何でもないと言うように首を横に振る。

「いえ、この女の子が」

「え? ……ああ、私のね、保育園からの友達なのよ」

 だいぶ前から音信不通なんだけどね。

苦笑しながらそう言って、渚沙がどこか寂しげに、それでも懐かしそうに写真の少女を見詰めた。

「親友だと、思っているのだけど。今、どこにいるのかしら」

 切ない声音に、ぎゅっと胸が締め付けられるようだった。菊は何も言えず、目を伏せて再び写真に目を戻す。

 時が経つにつれて、その少女も交えて、渚沙と、和太郎と三人で写る写真が多くなった。

ますます、和太郎は誠次郎と瓜二つに近付いていく。それと反比例するように、笑顔の写真が格段に減っていった。

それが何故か無性に切なくて、もう亡くなっている人に思いを馳せた。

一体どうして、まだ無邪気でいられる小学生中学生が、笑顔を失くしてしまうのか。

「……竹崎の家は、それほど重いものなのでしょうか」

 自然と、言葉が零れていた。

彼が笑顔を失くす理由など、次期当主の重責以外、菊には思いつかなかった。

 そしてそれはいずれ、菊の今身近な人が背負うものでもある。

渚沙が驚いたように菊を見詰め返す。菊は我に返り、すぐに頭を下げた。

「すみません、知ったような口をきいて……!」

「……いいのよ、私も、何度も考えた事があるわ」

 渚沙が微笑み頭を振れば、菊は胸を撫で下ろした。

「さ、写真を見ましょう。次は、高校時代よ」

 開いたページの写真を見て、菊は肩を揺らした。

和太郎と、渚沙の親友の、先ほど見た少女が並んで写っている。その下には、少女と渚沙、一番下には渚沙と和太郎のツーショット写真が貼られている。

それぞれ撮り合ったものなのだろう。今まで結構な人数で撮っていたものに比べて新鮮だ。

 一枚目は柔らかい笑顔でピースをしている彼女に対して、和太郎はどこか緊張しているような面持ちだった。

 二枚目は、本当に仲が良いのだろう、手を取り合い、肩を寄せて和太郎に向かって満面の笑顔を向けている二人の少女。華やかで、素敵な写真だった。

 そして三枚目。

 和太郎が、笑っている。菊は目を見開いた。

やはり満面の笑顔で写っている渚沙の隣で、和太郎が柔らかく微笑んでいた。

小学生の後半から、ずっと無表情かぎこちない笑顔しか浮かべていなかった和太郎が、笑っているのだ。

「それね、ベストショットよね」

 菊の視線を追って渚沙が笑いながら言う。

「カメラマンの、腕が良かったのよ。あの子、和太郎が全然笑わない事に気付いてたから」

 何とか笑わせようと試行錯誤したのだろうか。

いや、違う。

これは、現在普及しているデジタルカメラとは違う。現像するまで写真の良し悪しが分からない、フィルム式の写真のはずだ。

 一度きりの機会で、こんな表情を逃さず捉えるなど、奇跡に等しい。

ぐるぐると考えを巡らせ始め、再び笑顔の彼に視線を戻してぎくりとする。

今、口元が動かなかっただろうか。

「……この写真、応接室の三人に見せに行ってもいいでしょうか」

「いいけど、私も一緒に」

 首を傾げる渚沙に、菊は首を横に振った。

「すみません、私一人で……渚沙さんには、待っていてもらいたいんです」

 一人で屋敷内を歩くことになって申し訳ないんですが。

 一瞬瞠目した渚沙だったが、菊の真剣な眼差しを受け止め、しばらく黙った後一つ頷いた。

「……いいわ。待ってる」

「本当に、すみません。ありがとうございます」

我儘を言っている事に謝り、一人出歩くことを許可してくれた事に感謝して菊は立ち上がった。

信用されている。

菊は渚沙を見て思う。分かる。

 菊に対する、気配、気持ち。

猜疑心や不信感も、好奇心もどこか確信めいた思いも、すべて飲み込んで菊と対峙している。

器の大きな女性なのだと分かると同時に、罪悪感が生まれる。

ここから、彼女を除け者にしてしまう事。

「……何か分かったら、また帰って来ます」

 せめてもの贖罪にと、菊が沈んだ表情で呟けば、渚沙は苦笑して頷いた。

「ええ。行ってらっしゃい」

 菊は会釈をして振り返らず部屋を出た。

そしてすぐにスレッドを開く。もう、終わりが近くなっている。

仁美の、水野に対する気持ちが凛太郎と瑞穂によって綴られていた。彼らはどうやら、小休止に入ったようだ。既にこのスレッド上にはいない。

 外側からのアプローチが出来ない以上、情報を出来るだけ学校内の誠次郎たちに届けなくてはならないと判断したのだろう。

菊はアルバムを片手に書き込みを始めた。

写真を見ていた事、そこに、どこかで見た事のある女性が和太郎と渚沙と共に写っていた事。

そして。

「…………」

 菊の指が止まった。

書けなかった。書いていいものかどうかも、分からない。

ただの、菊の感想というか、勘だったから。

本当は、あの場で渚沙本人に聞いても良かったのだ。しかし、菊は聞かなかった。聞けなかったのだ。

 柔らかい笑顔の、和太郎の姿の事。

 最後に挨拶をして、携帯電話をしまい応接室に向かった。



「…………」

 三人は、お互いを背にして警戒を怠ることなく周囲を注視していた。

本舎を後にした誠次郎たち三人は、正門前までやって来ていた。

やはりというか、校門は固く閉ざされており、開くことは叶わなかった。

「これから、どうしようか」

 竹刀を失くし、心許ない智博が手を握りながら呟く。

立て続けに襲われ、凛太郎たちと繋がっているスレッドを開く余裕もない。

どうすればいいのか。

「……この状況を打破するには、解決策を俺達も考えなくてはいけない」

 誠次郎は険しく眉を顰めながら言う。理和も頷いた。

「うん。もうこの校舎に閉じ込められて三時間以上経ってるし……外側からじゃ、開かないのかもしれない」

「……そうだな。まず、この異世界の作りだ。ここは、仁美さんと水野先生の世界だ。漫画とかゲームとかの定石だったら、お化けを除霊すれば出られたりするけど……」

 智博が首を傾げながら言えば、誠次郎がちらりと振り返る。

「除霊とは、具体的にどうすれば良いんだ?」

霊感が無いとはいえ、神社の息子だ。期待を込めて尋ねれば、あーっと唸って智博が解を発する。

「……俺んちだったら、刀剣で一刀のもと斬り捨て御免」

「……竹刀しかないよ。それに、仮にも知り合いを斬り捨て御免にするのはちょっと…」

 理和の渋い言葉に、だよな、と呻き、三人とも溜息を吐いた。

 記憶を手繰り寄せているのだろう、智博が忙しなく視線を動かしながら考えている。

しばらくの沈黙の後、ぴたりと智博の視線が止まった。

「……浄霊って手もある」

「浄霊?」

「霊を清めて、あの世に行ってもらう方法だ。除霊が問答無用の強制退去だとしたら、浄霊は納得させての勧告退去みたいなもんかな」

理和の疑問に、智博が説明した。

「つまり、仁美叔母さんと諒太おじさんの心残りを解消させて異界を閉じさせるということか」

 誠次郎がまとめると、智博は頷いた。

「そうそう。だから、二人のこの世に居残り続ける動機が大切になってくるわけだ」

「……ならば、今の状況を整理しよう。推測くらいは出来るかもしれない」

 誠次郎が、一つ深呼吸した後に呟く。

先ほど、水野の記憶が光と共に三人の体を包み込んだ。

 水野は、仁美に言葉を渡すことなく彼女を死に追い込んだ。当然、彼ばかりが彼女の死の原因ではないが、彼自身はそう思っていただろう。

 仁美の複雑な気持ちなど知らずに。

あなたと生きたい、でも、それは無理だ。それならば、せめて言葉だけでも欲しかった。

はっきりと言葉にすれば、難しいことなど何もなかったのに。

「まず、この事件の発端だ。多分、今日が仁美叔母さんの命日だった事が一番大きいんだと思う」

 だからこそ、水野は死んだのだ。

彼女の命日に、彼女の肖像画の前で、自ら首を掻き切って。

「学校の敷地内で人が死んだから、学校の七不思議の一つである神隠しが発動したわけだな」

智博が答えつつ首を傾げる。

「神隠しは、仁美さんの仕業ってことか?」

「恐らく、そうなんだろうな。叔母さんが亡くなる前にそんな噂は無い様子だし、恐らく叔母さんの事件が実質迷宮入りしてしまったからそんな妙な七不思議が出来たんだろう」

「うーん、なんかよく分かんないけど、神隠しの事は置いておいて、もう一つ、何故今日この日に水野は死んだのか、だ」

 二十余年の月日を経て、何故この年に彼は死んだのか。

誠次郎は、ちらりと理和を横目で見た。

「田中さん、さっき何か言いかけていただろう」

「あ、うん。多分だけど、私の家族の事を聞いたからだと思うの」

 理和が、微かに言いにくそうに告げた。誠次郎と智博は、思わず理和を振り返っていた。

「何故そう思うんだ。さっきから言っているが、君ばかりが原因じゃないと思うよ」

「そうだよ、なんか、田中さん気負いすぎじゃない? 大丈夫?」

 心配そうな二人を苦笑で見返し、理和は校舎を見詰め直した。

「さっき、二人はなんだか私に執着してるみたいだって言ったよね」

「ああ」

「うん」

「首を絞められている時も、さっきの校長室の時も、水野先生にとって、私は許せない存在みたいだって感じたんだ。一年の初めの時から変な感じではあったけど、個人面談の妙な質問の答えで、納得したような、先生の中で確信を得たような何かがあって、今年の命日だったんじゃないかって思うの」

 ただの勘だけどね。

「これまでは死ぬまで至らなかったのに去年度の田中さんとの個人面談で何かのきっかけと確信を得て、今年度の仁美叔母さんの命日に命を絶ったという事か」

「そう」

 その“何かのきっかけと確信”が分からないが、恐らく理和の母親と何か関わりがあるのだろう。理和の沈んだ表情を見て察する。

 智博も気が付いたのか、ふわりと笑って理和の頭をぽんぽんと叩いた。

「まあまあ。はっきりとしてるわけじゃないし、田中さんには辛いかもしれないけど、貴重な情報だよ。話してくれてありがとな」

「……ううん。平気だよ、ありがとう」

 理和も小さく笑んで首を振った。

智博の、こういう所がすごいなといつも思う。

いつの間にか傍にいて、相手を思いやる。誰にでも出来る事ではない。

少し元気になった理和を見て、誠次郎は微笑んだ。

「次は諒太おじさんが、何故死んだのか、だ」

 誠次郎の言葉に、こればかりはなあと智博が唸る。

「さっき先生の当時の様子を見たとはいえ、なあ」

「うん。先生は、すごく仁美さんの事が好きだったって事は分かるんだけど……」

 そして、それは恐らく今でも。

誠次郎は黙り込み、水野の想いを心の中で反芻する。

誰よりも、大事にしていた。彼女の事を。

恋い慕いながら、しかし、諦めてもいた。時折、心を封じながら。

諦めると言いながら、想い続ける矛盾に葛藤しながら、彼女を最後に拒絶した。

「……おじさんが、仁美叔母さんに会いたがっているだろうことは、何となく分かる。しかし、会ってどうするつもりなんだろうな」

 誠次郎の言葉に、二人も考え込む。

「それが、死んだ理由に繋がってたり、しないか……」

「いや、それは分からない。おじさんは、肖像画を最後、なぞっていた。叔母さんに、触れるように」

 血の跡を思い出して、目を伏せる。彼女の、頬から肩にかけて、流れるようになぞっていた手の痕跡。

 諒太おじさんは、何を想っていたのだろう。

「きっとおじさんは、死ぬ理由はあったが、叔母さんに会うとかいう目的は無かった。それが、思いがけず亡者として叔母さんと再会できる機会を得てしまったんだ」

「………」

 二人とも黙り込む。

彼には、伝えたい、しかし伝えてはいけないと自制していた言葉があった。

 それは何よりも、仁美が欲しがっていたものだ。

「あれ程頑なに拒絶していたのに、どういった心境の変化だろうな」

 嘲るような声音で、智博が吐き捨てる。

仁美の内心も垣間見た彼にとっては、水野の行動は自分勝手極まりなく見えるのだろう。

傍から聞いて見ていても、誠次郎もそう思う。

「分からない、が……」

 誠次郎は返事をしながら気付かれないよう横目で理和を見る。

 そのきっかけが、彼女だったのではないだろうか。

それは、今は口にしないでおく。

「とりあえず、仁美叔母さんと諒太おじさんを、会わせれば良いんだと思うんだが……」

「仁美さん、先生から逃げてる節があるからな……」

 屋上から落ちた時がそうだ。慕い続けた彼がいたと言うのに、他の男と、彼女は落ちた。

「……怖い、のかな」

 理和が、ぽつりと呟く。

二人が再び理和を振り返った。

「私、仁美さんも水野先生に会いたいんだとは思う。でも、分かっていても、やっぱり好きな人に拒絶されるのは、悲しいと思うんだ。もう、そんな言葉は聞きたくないのかも」

「……そうだな」

 誠次郎も、頷いた。伏せられた瞳から、何を考えているのかは分からない。

しかし、その肯定の言葉は、妙に重く二人の胸に響いた。

「ああ、そうだ。言葉は簡単に人を傷付けるし、心を引き裂く。だが、それを癒すのも、また言葉だと俺は思う」

 先ほど、水野と対峙して改めて確信した事だ。

智博に視線を遣れば、智博はにっと口の端を上げて笑う。

「ああ。その通りだ」

「うん、私もそう思う」

 振り返れば、理和も笑って誠次郎を見詰めている。誠次郎は、理和に微笑み返した。

「やる事は、決まったな」

 智博が勢いよく立ち上がって伸びをする。誠次郎と理和も、腰を上げて校舎を見詰めた。

かつて報われない恋をした二人を再び引き合わせる事。

「作戦を、立てようか」

 誠次郎の言葉に、二人は力強く頷いた。


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