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肖像画  作者: くたち
第二章『一生』
13/17

4 君に会えて良かった

「本宮君……?」

 誠次郎が美術室から持ってきた工具で素描の額縁を外そうと試みていると、理和が声を上げたのでそちらに顔を向けた。

 変わらず、ソファで彼は眠っているが、その閉じられた瞳から、涙が一筋流れていた。

「智博……」

 何か、夢を見ているのだろうか。

 昔から、智博は感受性が豊かで誠次郎と同様涙もろかった。

哀しいことに泣き、嬉しいことに泣き、理不尽なことに泣いた。

千尋が亡くなった時も、なかなか泣けなかった誠次郎の傍で、泣いた。

「……誠ちゃん」

「!!」

「本宮君!」

 呼ばれて、作業の手を止めてソファへ駆け寄った。

目を瞑ったまま、彼は泣き続けている。

「どうした」

 静かに問い掛け、傷だらけの手を握れば、握りかえしてくれる。それに、誠次郎は安堵した。

「そんな事しなくたって……水野先生はあんたのこと、忘れられないに決まってるのになぁ……」

涙に濡れた言葉だった。理和は何か悟ったのか、痛ましげに顔を顰めた。

「……そうだな」

 誠次郎は、相槌を打った。目を開いた智博と、視線を合わせる。

やはり、彼は夢を見ていたらしい。この世界の主である、仁美の。

 言葉からそう推察して、首を傾げた。

「おかえり」

「……ただいま」

智博が小さく引き攣った笑いを浮かべ、理和にも視線を移した。

「田中さんも、ただいま」

「おかえりなさい……」

 目を潤ませて、理和も頷いて返事をする。

「今、どうなってんの……?」

「校長室で休んでる所だ。恐らく、諒太おじさんは美術室で、自分で首を切って死んだ。仁美叔母さんの肖像画の前でな」

 智博がスレッドで確認できていないだろう事項から説明する。

説明を聞きながら、智博は目を伏せた。

「諒太……水野先生か。そうか……やっぱ死んでたのか」

 教室棟で襲われた時、首がざっくりと切られた痕があった。

仁美の感情の余韻をゆっくりと収めつつ、智博は起き上がってソファに座る。

「ああ。今は、伯父さんが描いた肖像画を調べてる」

 誠次郎が言いながら背後の校長先生の机を示した。

その上には、中途半端に額が取り外された絵画が載っていた。

「……? 肖像画じゃねえよそれ」

「多分、下に油絵が隠されてるんだろう」

 誠次郎がマイナスドライバーを額と絵の隙間に差し込み梃子の原理を利用して、完全に額縁を取り外す。

素描が描かれている薄い画用紙が覆うように、下に帆布が見えた。

「油絵が、隠されてる?」

何のために。

 智博も、理和に倣って机へと歩み寄った。

智博が仁美からの視点で見た和太郎は、威風堂々とした、しかし優しい人だった。

そんな彼が、何のために、何を隠すと言うのだろう。

「分からないが、現に隠されている」

 言いながら、誠次郎は画用紙を剥がす。ピアノを弾く少女の下から、一人の女性の笑顔が現れた。

「……この人は?」

「渚沙伯母さんだ」

 凛太郎の母親。竹崎和太郎の妻である竹崎渚沙が、描かれていた。

楚々とした雰囲気の仁美とは違い、豊かな黒髪に弾けるような笑顔が印象的だ。

この学校の制服を着ているから、和太郎が高校時代に描いたものだろうか。

「凛太郎君とは、また印象が違うね。あ、目元は似てる」

「凛は、雰囲気は父親似だからな。顔立ちは、辛うじて鼻筋が父親、目元が母親に似ているくらいかな」

 俺みたいに、はっきりとしてはいない。

言い添えて、誠次郎は『一生』を見詰めた。

『一生』は、彼の妻である、渚沙だった。では、『永遠』には誰が描かれているのだろう。

いや、肖像画は、他人の絵とは限らない。自画像とも考えられる。それに、和太郎の交友関係など、誠次郎が知る由もない。

そして、黙って肖像画を見ている智博に視線を移す。

「意識を失っている間、仁美叔母さんの夢を見てたのか?」

「ああ。中学一年の時から、死ぬまでかな多分。もう、ほんとあれは無いわー……」

 思い出したのか、表情を暗くして呟く。

少し躊躇った後、誠次郎は口を開いた。

「……思い出させるような事を聞いて悪いが、教室棟で諒太おじさんに遭遇したんだろ? それから今までの経緯と夢の話を聞かせて欲しい」

 智博は一瞬瞳を揺らした後、頷く。

「なんていうか、もうほんと、やりきれないわ」

そして、夢の中の出来事を話し始めた。

彼女の恋と死の記憶。その合間に差し挟まれる、悲痛な声。

「恐らく、おじさんの言葉なんだろうな」

 この世界を構成しているのは、仁美だけではない。水野も、死者だ。

誠次郎の言葉に、理和が頷いた。

「水野先生も、仁美さんの事が大切だったんだね」

「だが、諦めていた……」

「俺では幸せに出来ないとか、自分の為に彼女の言葉があるわけじゃないとか、ほんと馬鹿だよなあ……」

スレッドのログを読みながら、智博も頷いた。

「次に、経緯だけど」

智博はかいつまんで話す。

仁美と会話を交わした事、屋上から落ちた事、白い手に飲み込まれるまでの経緯。

「まったく……無茶をする」

 屋上から仁美と一緒に落ちたと言った途端、誠次郎は眉をぎゅっと顰めて呟いた。

そんな彼に対して、智博は唇を尖らせて幼馴染を半眼で睨んだ。

「……必死だったんだよ。それに、いくら、す……田中さんを助けるためとはいえ、刃渡りの長い包丁に竹刀で挑むのも、よっぽどだと思うけどなー」

「………必死だったんだ」

「二人とも、お互い心配だったのは分かるけど、それくらいにしようか」

仲が良いんだねほんと。理和の呟きに、二人は押し黙り、互いに目配せし合った後に智博が再び口を開いた。

 白い手が現れるまでの話が始まる。

「そういえば誠次郎、リツコさんって、知ってるか」

 智博が聞く。誠次郎は怪訝な表情をし、理和は表情を強張らせた。

「葎子さん? お前の母親の名前だろう」

「違う。仁美さんと面識があったみたいだ。その人の名前を呟いて……ああ、そうだ。その人に話を聞きたかったから皆を異世界に連れ込んだって。田中さんをその人と勘違いしてるみたいだったから、訂正したら、なんか突然怒り出した」

 誤解を解けば、外に出られると思ったんだけどなー。

残念そうに言う智博をお前のせいで霊が活発になったのかと軽く小突いて、誠次郎が理和を振り返り驚いた。

 理和の表情は硬く、真っ青になっている。

「田中さん、大丈夫か。何か心当たりがあるのか?」

「あ、の……」

 うまく、話せない。心音が、耳まで煩く響いてくる。

心配そうに覗き込んでくれる、誠次郎の表情がその感情が、重く、肩に圧し掛かってくるように感じた。

「リツコ、さん。私のお母さんの名前が、里都子なの」

 私、お母さんと瓜二つなんだ。

「……え」

 誠次郎は言葉を継げられなかった。

水野諒太が狙っているのは、この目の前の少女。仁美が異世界に連れ込んでまで会いたがっているのが、この、目の前の少女。

そして、仁美が会いたがっている女性が、彼女の母親。

 この子には、一体何が起きているのだろうか。

「二人とも、私を狙ってるんだよね……? あの、私が仁美さんと話をすれば、出られるかもしれな」

「それはダメだ」

 理和が懸命に提示しようとした案を、誠次郎はすべて聞くことなく却下した。

「あんな状態のお化けに、田中さんを差し出すわけないだろ」

智博も同調して強く言い切る。理和は眉根を下げて俯く。

智博の言う通りだ。そんな危険な存在の前に彼女を差し出すなど、言語道断だ。

それに、何故、理和の名前を出した途端仁美が豹変したのか、原因が分かっていない。

 智博の話によれば、仁美には理性があった。話をするにも、彼女が理性を取り戻してからだ。

「俺が思うに、水野先生は仁美さんに会おうとしてると思う」

 智博が、真剣な表情で誠次郎と理和を交互に見た。

屋上で見せた、彼の表情。その鬼気迫った顔が、今でも忘れられない。

誠次郎も、そうだなと頷く。

「理由は分からないが、そうだろうな。しかし、叔母さんが逃げているんだ」

まるで、水野から逃れるように智博と共に屋上から落ちた仁美。誠次郎は考え込むように顎に手を当てた。

「まあ、自分を拒絶した男をいくら死ぬほど好きとは言え、そう簡単に受け入れられないわな」

 何をいまさら。智博が微かに憤慨したように鼻を鳴らして呟く。

彼女が死んで二十余年経っている。それを、何故今になって死んでまで彼女に会わなくてはならなかったのか。

理和が、小さく囁いた。

「……私に、会ったからかも」

「え」

 二人して、彼女を見返した。暗い表情で、理和は頷く。

「あの二人が、私に特別な感情を抱いてる事は確かだし……理由は、分からないけど、私が去年、初めて水野先生に顔を合わせたのが原因じゃないかな」

「確かに、一理あるかもしれないが、何故去年実行しなかったんだ」

「それは多分、確信を持ったのが」

 誠次郎のもっともな問いに、理和が口を開きかけた。

「お前のせいで、お前ら、の、せいで」

 次の瞬間には、誠次郎は咄嗟に理和を横へ突き倒していた。

眼前に包丁が閃き、頬を掠めていく。

 すぐに竹刀を振り上げ、獲物を理和とは反対になぎ倒した。

「えっ、はっ、はあああ、びっくりした……っ!」

 智博が、理和をすぐに助け起こしながら、肩を大きく上下させてぶつぶつと何か呟き続けている影を凝視する。

 水野が、包丁を振りかざし、いきなり背後から襲ってきたのだ。

扉が開く音も、近寄ってくる足音もしなかった。

「人間から、一層離れていってるみたいだ……」

 誠次郎が竹刀を下段に構えながら、苦々しげに呟き、すぐに二人の前に立ち塞がる。水野がゆらりと、立ち上がってくる。

先ほども、急所攻撃はまったく効かなかったが、彼にはどう対処すればいいのか。

「お前は、生まれて来る、べきじゃなかった」

絞り出す様な声が、掠れて水野から発せられる。それはまるで、呪詛のように、重い。

 誠次郎と理和が、揃って肩を揺らした。

(どうしたんだ。)

智博が、二人を見る。

「お前に生きている価値などない……お前が、死ね!」

 誠次郎が怯み、竹刀を包丁で弾かれる。智博がすぐに襟首を引いて、三人は後ろに退いた。

今度は智博が二人を庇って、前へ出て水野と睨み合う。

「誠次郎、大丈夫か」

「……っすまない、動揺した。田中さんは、大丈夫か」

「うん、……ごめんなさい。私」

 言っていなかった。

お前のせいで、お前らのせいで。お前が死ね。お前に生きている価値などない。

生まれて来るべきじゃ、なかった。

 物理準備室で、水野に言われた言葉だ。

スレッドにも誰にも、言わなかった。言えなかったのだ。

自分の心が、暴かれている気がして。

「田中さん……」

「私、私ね、何度も考えた事があるの。私は、お父さんに」

 緊迫した空気が流れる中、隙を狙っている水野を見詰めながら、理和が口を開く。

平気な顔をしているが、それは嘘だ。

 父の事を何も教えてくれない母と祖母。

私と母は、もしかしたら父に。

「それ以上は言うな」

それを、誠次郎が遮った。

 自分をそれ以上、傷付けなくてもいい。

理和が誠次郎を見上げた。強い瞳に、胸と目の奥が熱くなる。

誠次郎は理和から視線を外すと、智博の隣に立ち再び水野と対峙した。

「誠ちゃん」

「すまなかった。俺も少し、動揺した」

 分かってる。智博がそう言うように、肩を叩く。

 ――母が亡くなった時、祖母に言われた言葉がある。

“お前が生まれた意味はあったのか”と。

伯父が死に、母も死んだ。そういう意味を含んだ言葉だったのだろう。

 父が、烈火のごとく怒った。凛太郎も、驚いたように、目を見開きそして彼女を睨み付けた。渚沙も、祖母を宥めていた。

 祖父母の、冷たい視線。忘れられない光景だ。

誠次郎は、母が死んだにもかかわらず、泣いていいのか、どうすればいいのか、途方に暮れた。

それを、一般参列からはぐれた二人が、見ていた。

『誠次郎、大丈夫?』

『てか、泣けよ! そんな平気な顔されてるとこっちが困る、だろ』

 そう言って、しゃくりあげ始めたのは智博だった。それを困ったように見詰めながら、徳市が目に涙を溜めて誠次郎に笑いかける。

『俺、俺ね。誠次郎の友達になれて、よかったよ』

『そんな、ん、俺も!』

 その後は、自然と涙が流れてきた。静かに、三人で泣いた。

 言葉とは、鎖だ。人の心を、縛り、雁字搦めにして凍らせてしまう。

しかし、それを溶かすのも、言葉だと誠次郎は知っている。

「俺は、君に会えて良かった」

 竹刀を構え直しながら、誠次郎が言う。表情は見えない。

理和は目を見開いた。

「……私も、竹崎君に、みんなに会えて、良かったよ」

 涙が零れる。その時だった。

ふわりと、誠次郎と水野の間に黒い影が入り込んだ。

 その影は人の形を成し、それを見た瞬間、今度は水野が怯む。

「今だ!」

 智博が叫んで、卓上のライトスタンドを引っ掴み水野に投げつけた。

 そして校庭に続く、誠次郎たちが入ってきた非常用の扉から三人は外に飛び出した。

誠次郎と理和は一瞬、校長室の中を振り返る。

黒い影がいつの間にか、ほの白く光を放つ青年の姿になっていた。

「伯父さん……!」

「え……!?」

 誠次郎の記憶より少し幼い。誠次郎よりも短めの前髪に、同じ顔。

間違いない。竹崎和太郎その人だった。小さく微笑み、こちらを見ている。

まるで、逃げろと言っているかのように。

 和太郎の光が水野を取り巻き、目映い閃光を放って弾け飛ぶ。

それは、校舎を突き抜け、特別教室棟、教室棟の隅々まで行きわたった。

「行くぞ! 走れ!」

 智博の必死の叫びに、二人は急いで智博の後を追った。


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