1月2日分 「ノート」「サッカースタジアム」「生首」
前日に引き続き厳しいテーマ。生首、というのでホラー要素必須になってしまったのですが、生憎ホラーが嫌いなので無理矢理ギャグ路線に持って行こうと試行錯誤しました。結果は……あまり完成度についてはお気になさらず。書くことが大事なのです。押忍。
山郷市。大きな二つの山間に挟まれたこのあたりの土地は、昔から人々の良き生活区画として栄えてきた。山郷市もその字面通り、山に挟まれた郷という意味で名前がつけられた昔ながらの街だ。
市町村合併の影響もあり、沢山の新興団地が存在するこの街に建設ラッシュの波が訪れたのはここ数年の話。この山郷サッカースタジアムもその例に漏れず、時の潮流に乗って造られた第三セクター施設の一端だ。
本日行われる試合は、山郷アンビバレンス対豊川FC。普段は注目の集まることのないサッカーアマチュアリーグの試合会場に、今日ばかりは何故だか大勢の観客が詰めかけていた。
それもそのはず、今日の試合は地元山郷アンビバレンスの優勝が決まるか否かの瀬戸際であるばかりか、元日本代表のFWでもあった加賀光輝の引退試合も兼ねているのだ。
客席では既に、大勢の観衆たちが試合開始のホイッスルを待ち望んでいる。
そんな熱気に溢れたスタジアムの中にあって、一人、不安を募らせている男がいた。
山郷アンビバレンスの経営部部長、紀藤学だった。
紀藤はスタジアム内部に併設された球団経営事務所で、真四角の壁時計とずっと睨み合いを続けていた。試合開始時刻まで、ちょうど残り一時間を切ったところだった。
――遅い。
「ったく、あいつはどこで油売ってるんだ」
我慢の限界と言わんばかりに思い切り机を叩く。ゴトンという音を立てて、吸い殻で溢れた灰皿が揺れた。
今日が今年一番の稼ぎ時だというのに、グッズ開発部の輩は未だスタジアムに姿を現さない。何度電話をかけても連絡はつかず、結局事前に予定していた加賀光輝引退特別グッズの販売は試合後に延期となってしまった。
「何が『最高の引退グッズを作ってきます』だ。販売時刻に間に合わねえで最高もへったくれもあったもんじゃねえ」
紀藤は胸ポケットからパッケージに緑色の葉がデザインされたタバコを取り出し、そのうちの一本を咥えた。銀製のライターを器用に扱い、先端に火をつける。
ふうっと大きく紫煙を吐き出すと、少しだけ気分が落ち着くような気がした。
「やっぱ『わかば』は違うね、これは安物の味じゃねえ」
そう呟きながら、開発部から提出されたノートに目を通す。そこには開発済みの加賀光輝引退グッズの一覧が書き連ねられていた。
サイン入りサッカーボールにユニフォーム、タオルケットにレインコート。キーホルダーからボトルホルダーの類に至るまで、徹底した開発の記録が残されている。提出したノートまで引退グッズの試作品なのだから恐れ入る。
紀藤が二本目のタバコに手を伸ばしたところで、事務室に二つノックの音が響いた。
「どうぞ」
「失礼します」
ガチャリとドアを開けて入って来たのは、開発部若手部長の梅田――ではなく、まさに本日のVIPである加賀光輝その人であった。
「おお、加賀じゃねえか」
紀藤も思わずソファから立ち上がり、両手を拡げて加賀の入室を迎えた。
「ご無沙汰です、紀藤さん」
「どうした、もうすぐ試合が始まる時間だぜ?」
「大丈夫、どうせ試合は後半からしか出ませんし」
そう言いながら加賀は未だアイシングを付けたままの首根を軽く叩いた。引退の直接の原因となった、日本代表試合での接触事故の傷跡である。
「今日はちょっと挨拶回りにと思いまして。……ココには随分とお世話になりましたから」
「へえ、殊勝だねえ。一介の経営部長んとこにまで挨拶に来てくれるとは」
コーチをしていた時代に多くの選手を見てきた紀藤だったが、これほど紳士な選手――若者と出会ったのは本当に初めてである。仕事とはいえそんな加賀を利用して金儲けを目論んでいることに、紀藤は少しだけ気が後れた。
「何を言ってるんですか。俺がここにいられるのも紀藤さんのおかげです」
加賀は少し頬を緩ませて笑った。元プロリーグのサッカー選手として第一線で活躍していた彼だったが、怪我の後はチームを転々とすることとなったのだ。最終的には紀藤のツテで山郷アンビバレンスに行き着いた訳だが、その選択が果たして正しかったのか否かは紀藤にも分からない。
「どうしたんです、紀藤さん」
複雑そうな表情を浮かべる紀藤に、加賀が不思議そうな声色で尋ねる。
「いや、何でもない。ともかく、今日は頑張れよ。お前のラストゲームだ」
「――はい。それじゃ、失礼します」
最後は笑顔を見せて、加賀は部屋を出た。
「……あの梅田にも、爪の垢を煎じて呑ませてやりたいぜ」
再びソファにもたれかかり、紀藤は二本目のタバコをふかし始める。あんな好青年にも関わらず、加賀のことをあまり良く思わない人間が少なからずいることも事実だった。
首の事故のことがしばらく内密にされていたこともあり、金銭の不満から移籍したのだという噂が立ったことが原因の一つ。もう一つはスター選手の性、チームメイトらからの嫉妬である。
大きく吐き出された煙がベージュ色の天井に覆い被さる。カチカチという時計の音ばかりが、紀藤の耳に残った。試合開始まで、残り三十分ばかりだ。
「ああっ、煩わしい!」
もう我慢の限界だった。ハンガーにかけておいたダッフルコートを羽織り、勢いのまま部屋を飛び出す。もうすぐスタジアムの塗装工事が終わる時間でもあるし、梅田を締めるついでに確認に行けば良い。ひとまず紀藤は、スタジアム内の喫煙所に向かった。
喫煙所に着いた紀藤は、まずコートの中から愛用の黒いガラケーを取り出した。新しく咥えた三本目のタバコにライターで火を点けながら即座に番号を打ち込む。
「きゃあああああっ!!」
――歓声とは違う甲高い女性の悲鳴が響き渡ったのは、紀藤が数回目のコール音を聞いた後のことだった。
反射的にガラケーを閉じてコートに押し込み、悲鳴の聞こえた方へと走り出す。蛍光灯が古いせいか、通路を駆ける紀藤の影は赤色の壁にさほど大きく映らなかった。
三つ目の角を曲がると、そこに女性がへたり込んでいた。その制服を見るに、スタジアム販売員なのだろう。血相は遠目にも分かるほどに悪く、事態が緊迫していることを物語っていた。
「おいっ、何があった!?」
「あ……き、きとうさん……あれ……」
販売員の女性は震えながら向かいの倉庫を指し示した。彼女の人差し指の先にあったのは、開きかけの扉、そして――。
「――なっ……!」
ついさっき見たばかりのユニフォーム姿の加賀光輝――その、見る影もない姿だった。
床に転がっているのは、紛れもなく彼の生首。
さっきまでつけていたはずのアイシングは、その下の胴体もろともあっち向いてホイの状態で転がされている。辺りには血糊が飛び散ったのか、朱色のそれが撒き散らされていた。
「……か、加賀、どうして、こんな……」
あまりにも自分の声が掠れているのに、紀藤は驚いた。しかし、それ以上に彼の頭をよぎったのは彼の見せた最後の笑顔だった。
何か、嫌な予感はしていたのだ。
「あ! 紀藤さん! さーせん、朝寝坊しちゃって遅れましたあ」
緊張感のない声でこちらへ駆けてくるのは、さっきまで紀藤が待ち続けていた梅田だった。
「梅田……こ、こっちに来るな! 警察――そうだ、警察を呼べ!」
「はあ、警察、ですか? 一体何が」
「死んでるんだよ、加賀が!」
「加賀……って、加賀選手がですか?」
紀藤は思い切り首を縦に振った。
「でも、加賀選手、いますよ」
「はあ!? お前、何を――」
「ほら、見て下さい。コレ」
梅田が指差したのは、スタジアムを中継している通路のモニターだった。無音のせいで気がつかなかったが、確かに、ピッチの外で背番号十一の選手が笑顔で仲間と話す姿が映し出されていた。
「は……」
「って、そんなことより、ほら、こっちですよ」
梅田は紀藤が止めるより前に、ずかずかと倉庫の方へと向かっていく。そして、加賀の死体を目の前にして、小さく呟いた。
「あちゃあ、壊れちゃったか。しかも汚れてる。これ作るのに結構金かかったのになあ」
「は、梅田、お前……作るって」
「ああ。コレっすか? よく出来てるでしょ、加賀光輝等身大フィギュア。ボツ案になっちゃったからとりあえずココに置いといたんすけど……よっこらしょっと」
「……ふぃぎゅあ、だと?」
「はい。フィギュアっす。あれえ、もしかして紀藤さん、フィギュアの意味も知らないんすか? いくら若者が嫌いったってそりゃ困るでしょ――」
べらべらと饒舌になって喋り出す梅田を前に、紀藤も、その隣で震え上がっていた女性販売員も唖然とした表情で彼の放り投げた『加賀光輝等身大フィギュア』を見つめていた。
近くで見ても、目鼻形から髪型までそっくりである。血糊のように見えたのも赤色のペンキだった。恐らく塗装業者が置き忘れたものだろう。
状況を完全に把握し、紀藤は壁に寄りかかっていた身体を思い切り起こした。
「あ、そうそう、特別グッズ出来ましたよ。加賀光輝選手のサイン入りアイシング用具! 多分このあたりにしまっといたはずなんすけど……あれえ、こっちも汚れてら」
「……梅田」
「え。どうしたんすか?」
「……ふ」
「ふ?」
「――ふざけるなあああ!」
モニターの中、相も変わらず加賀光輝は引退する選手として相応しい笑顔を湛えていた。