天体観測 その2
この物語にでてくる薬名、治療法、一部の病名、一部の物理法則はフィクションです。
10月初旬のファンダルシアの花の丘病院
つかさ:「五十嵐さん、気が付かれましたか?」
五十嵐:「ああ、私は?」
つかさ:「花の丘公園で倒れてらしたんですよ。」
五十嵐:「そうなんですか。」
つかさ:「もう少し、お休みになられてください。頭を打っているようなので。後で先生がいらっしゃいます。」
五十嵐:「はい」
少し後
草薙 :「担当の草薙です。」
五十嵐:「お世話になります。」
草薙 :「調子はどうですか?」
五十嵐:「どうもなんだかボーとして。一部記憶があいまいです。」
草薙 :「頭を打たれているので念のためCTをとったのですが、特に問題ある所見は見られませんでした。ただ、脳震盪を起こしているようなので、2,3日は様子を見る必要があります。」
五十嵐:「はい」
草薙は病室を出て行く。後ろからつかさが追いかけてくる。
つかさ:「どうですか」
草薙 :「まだ、記憶があいまいだ。当分様子見だ。隣町の大学の助手らしいが、研究室の人に来てもらったが、どうも会話がちぐはぐなんだ。」
つかさ:「ちぐはぐ?」
草薙 :「ああ、今までの研究テーマのことを覚えていなくて、さらに否定してるらしい。まるで別人のようだと研究室の人は言っていた。」
つかさ:「一時的な記憶喪失による混乱ですかね。」
草薙 :「その可能性が強いが、こう、なんと言うか、違うんだよ。」
つかさ:「違うというのは?」
草薙 :「うまく言葉で説明できないんだが、今まで見てきた患者さんの症例に当てはまらないんだ。何か突然別人格が現われたような感じだ。」
つかさ:「解離性同一性障害。いわゆる二重人格」
草薙 :「その可能性もある。舞ちゃんが聞いたら大喜びしそうな感じだな」
つかさ:「確かに好きそうですね。でも何にでも首を突っ込むのは良くありませんね。特に人の精神を興味本位で遊ぶのは。」
草薙 :「ああ、そのとおりだ。舞ちゃんの医学への興味はすばらしいことだ。しかし、まだ子供だ。心の世界に踏み入れるにはまだ早い。うまく、興味を失わせないつつも、その領域からそらして育成するのが我々の役目だな。」
つかさ:「ええ、そのとおりだと思います。」
舞はこの病院でボランティアを行っている。といっても入院患者子供たちの相手をしながら、遊んで上げるのだが。しかし、それらを通して大人顔負けの知識レベルになってきている。そして、この頃の彼女の興味は、体の病でなく心の病に移ってきた。自閉症やさらには発達障害などである。
舞 :「二重人格の患者さんが来てるんですって?」
さっそく舞が話を聞きつけたようである。
草薙は両手を広げて舞に向かって話す。
草薙 :「まだ、確定したわけではない。様子見の段階だ。倒れた時に頭を打ったらしく、脳震盪を起こし記憶があいまいなんだ。少しづつ記憶を取り戻しているんだが、倒れる前と後で全く逆のことを言い出したんだ。」
舞 :「全く逆のこと?」
草薙 :「彼は隣町の大学の助手で、三条博士の理論の実践を研究しているんだが、彼はその中でも三条博士の理論の信者なんだ。しかし、退院して大学に戻るといままでの研究を全否定したんだ。しかも、同じ研究室の人たちにも理解できないわけのわからないことを言い始めて困ってるんだ。」
舞 :「全否定?」
草薙 :「『三条くるみの理論は間違っている』って主張している。」
舞 :「何か新しいことを発見して考え方が変わったんじゃないの? それで、今までの意見を変えるのはおかしくないんじゃない?」
草薙 :「いや、倒れた前後で記憶の整合性が取れていない。断絶してるんだ。『昔から私の考えは変わっていない』といってるんだ。それに、大学の研究室の人が昔言ったことを一部覚えていないなど記憶が途切れている。まるで人格が入れ替わった感じだ。」
舞 :「解離性同一性障害なら、記憶の共有をしていない可能性あるしね。」
草薙 :「さらに一部言動がおかしい。電車やバスに切符を買わずに電車に乗ろうとしたらしい。切符を買わずに電車に乗れるわけがない。それを周りの人が指摘すると『私が変なんじゃない。世の中が変なんだ』と騒いだらしい」
舞 :「統合失調症とかも疑ってるのね。その可能性のほうが高いんじゃない?」
つかさ:「舞ちゃん、軽々しく言うものではないわ。それはお医者様だけが診断できること」
つかさが割り込む。
舞 :「はい、わかっています。患者さんや他の人に言いません。でも、どうやって支離滅裂に見える患者さんの言ってることの論理一貫性を確認するの? 言ってることはみんな理解できない最新物理学が中心なんでしょ。」
わかったと言っておきながら興味津津に聞いてくる。
草薙 :「ちょっと、知り合いに心当たりがあるんだ。その人に確認してもらおうと思ってる。」
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草薙 :「それでは五十嵐さんお大事に。また一週間後に来てください。」
五十嵐:「ありがとうございました。」
私が草薙先生の診察を終えてロビーに向かうと、一人の若い女性が雑誌を読んでいた。その女性は若い女性にも関わらず、物理学の雑誌である「月刊アインシュタイン」を読んでいた。表紙に「特集、統一場の理論」と書いてあった。
私は、その内容に惹かれ思わず声をかけてしまった。
五十嵐:「最新号の『アインシュタイン』ですか。」
女性はびっくりしてこちらを見る。後に引けなくなったので話を続ける。
五十嵐:「お若いのにそんな雑誌に興味あるなんてすごいですね。」
女性は逃げ出すこともなく、話に乗ってきた。
女性 :「みんなにそう言われます。でも、面白いんです。まだ、見つからない未知の理論とか。素晴らしいとと思いませんか? タイムトラベルとか瞬間移動とか。」
五十嵐:「いや、そんなことはできないと思いますが。」
女性 :「え? でもこの本の特集の統一場の理論ではできるって書いてあります。」
ああ、くるみエッセンシャルか。私はそう思った。久しぶりにくるみちゃんの統一場の理論の話ができそうだ。
五十嵐:「ああ、失礼しました。くるみちゃんの23世紀のおとぎ話ですね。訂正させてください。今はできないです。」
女性 :「はい。でも、きっと将来はできるようになります。その将来は明日かもしれません。」
五十嵐:「ほんとですね。そうなれば楽しいですよね。」
女性 :「えっと」
五十嵐:「あ、失礼しました。五十嵐と申します。隣の町の大学で物理学科の助手をやってます。おもに三条教授の統一場の理論の実践を研究しています。」
女性 :「あ、わたしは、さ、三宮夏奈と申します。ただの物理好きの家事手伝いです。」
私はそうやって夏奈さんと知り合った。お互い同じ興味分野で話が盛り上がり、ロビーから病院内のレストランに場所を移して議論した。夏奈さんはただの物理好きの家事手伝いとは思えないくらい物理に対する知識が深かった。私でも舌を巻くほどだった。
そんななか、話が三条教授の理論の話になった。
夏奈 :「それでどのように三条教授の研究が間違っているのでしょうか?」
五十嵐:「彼女は統一場の理論の研究をしているんですが、その方向が間違っているんです。巨大加速器によって実証しようとしているですが、そんなの無理なんです。」
夏奈 :「はあ、どうして無理なんですか」
五十嵐:「えっと、夏奈さんにいうのもなんですが、ちょっと質問させてください。この世界は何次元ですか?」
夏奈 :「10次元時空間です。」
五十嵐:「さすがです。よくご存知なんですね。はい、よく3次元空間とか4次元時空間とかいいますが、でも、実際は10次元です。アインシュタインの宇宙方程式を解くとそうとしか考えられません。」
夏奈 :「それ聞いたことあります。」
五十嵐:「それででしてね、この世界は多重世界なんです。パラレルワールドってやつです。」
夏奈 :「いきなり話が飛びましたね。」
五十嵐:「それで、その間をつなぐ空間があるんです。」
夏奈 :「はあ」
五十嵐:「その空間は我々の時間の流れのない世界なんです。別の時間が流れているです。」
夏奈 :「斬新なお考えです」
五十嵐:「しかし、三条教授は全く理解していない。世界的権威の教授がこれではだめです。」
夏奈 :「三条教授はなんと言ってるんですか?」
五十嵐:「その間をつなぐ空間の存在を否定しています。そうではなく、高エネルギー下で粒子に高速回転を加えると別の世界が開くと考えています」
夏奈 :「240ギガeVの加速器があれば別の世界は開くという理論ですね。それで三条教授は加速器を作ってらっしゃるんですよね。その考え方は正しいと思いますが」
五十嵐:「いや違うんです」
夏奈 :「はあ、五十嵐さんはどうやったら別世界は開くとお考えですか?」
五十嵐:「それが、思い出せないんです。のどまで出かかっているのですが。思い出そうとすると頭が痛くなってしまい、だめなんです。何か中間の通路みたいな空間が必要だったと考えていたはずなんですが、それ以上思い出せません。」
夏奈 :「脳震盪だとそうなるときがあるそうですね。無理なさらず、ゆっくりと思い出せばいいと思います。」
五十嵐:「はい」
夏奈 :「それと、五十嵐さんのお考え、とっても興味深いと思います。そのお考え大事にしたほうがいいと思います。」
五十嵐:「あ、ありがとうございます」
私はそうやってひと時の楽しい時間を過ごした。
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数日後、私がお気に入りの喫茶店に入るとなんと夏奈さんが一人で席にいた。狭い街とはいえ、私は神に感謝した。
五十嵐:「こんにちは」
夏奈 :「あ、ああ、五十嵐さん、こんにちは」
五十嵐:「お一人ですか?」
夏奈 :「はい、この喫茶店お気に入りなんです。こうやってのんびりすごすのがあこがれでした。こんな感じで誰も知らないところで、ゆっくりすごすのが新鮮なんです。」
五十嵐:「地元の方ではないのですか?」
夏奈 :「故郷はここですが、住んでいるところは遠いところです。久しぶりに里帰りです。」
五十嵐:「なるほど」
夏奈 :「でも、少しづつ町が変わっていくんです。前あったお店とかがなくなったり、知らないお店ができたり。」
五十嵐:「ええ、私もそう感じます。なんか町外れの病院が拡張したり、新しくコンビニができたりして。」
夏奈 :「もうお体は大丈夫なんですか?」
五十嵐:「だいぶ良くなりました。でも記憶がまだ完全に戻らないのと、戻ったら戻ったらでちょっとしたところが違っていて違和感を感じるんです。」
夏奈 :「・・・ 不思議ですね。でも医学のことはわからないから」
五十嵐:「普段は何をされているんですか?」
夏奈 :「読書とか料理とかです。」
五十嵐:「本をよまれるんですか。やっぱりこの前のように物理学の本ですか?」
夏奈 :「物理も好きですが、星とかも好きです」
五十嵐:「私も星とかが好きなんですよ。時々天体望遠鏡を持ち出して夜空を見上げています。」
夏奈 :「素敵..いい趣味ですね。」
五十嵐:「今ごろですと昴あたりですね。時間的に遅くでないとだめですが」
夏奈 :「プレアデス星団」
五十嵐:「お、良くご存知ですね。400光年くらい離れた青くてきれいな星団です。望遠鏡で見ると散光星雲が見えるんですよ」
夏奈 :「うっとり」
五十嵐:「今度、一緒に行きませんか?」
夏奈 :「え? プレアデス星団にですか?」
五十嵐:「いえ、天体観測です。望遠鏡かついで。ぜひ行きましょう。」
夏奈 :「あ、..はい」
数日後、二人は望遠鏡を持って裏山の駐車場に昴を見に行った。もっとも、夏奈が見ていたのはすでに星ではなかったが。
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草薙 :「大分明るくなられましたね。、好きな人でもできたんですか。」
五十嵐:「あはは」
草薙 :「ずぼしですね」
五十嵐:「ええ、実は。私と一緒で物理と星が大好きな人です。」
草薙 :「そうですか、よかったですね。五十嵐さんの病も彼女によって癒されていくかもしれませんね。そころで、彼女は、三条博士の理論は間違っているというあなたの話をどういう風にとらえてましたか?」
五十嵐:「ええ、いろんな意見があるのは科学の発展にとっていいことと言ってました。」
草薙 :「そうですか。ところで色々思い出してきましたか?」
五十嵐:「ええ、少しずつ。夏奈さんとあってからは特に思いだし始めてます。」
草薙 :「それはよかったですね。」
草薙はのろけ話にいやな顔見せず、にこにこしながら問診をしていった。
舞 :「草薙先生、どう? 五十嵐さん。」
草薙 :「相変わらず好奇心の塊だな。実は例の知り合いの物理が得意な人に聞いたんだ。」
舞 :「それで?」
草薙 :「うん。それで、その人が言うには『話し方は理論整然としていておかしなところは見当たらない』っていうんだ。」
舞 :「統合失調症じゃないってことね。でも、解離性同一障害の可能性はあるわね。」
草薙 :「う~ん、まだ、何とも言えない。とりあえず、鬱とか統合失調症ではないような気がする。そうなると解離性同一性障害で倒れたときに別人格が現われたかな。」
舞 :「別人格が現われるとやっぱり前の記憶とかなくなっちゃうの?」
草薙 :「ああ、連続性がないからな。でも全く別の理論を話す人格というのは今までの経験上はないけどな。」
舞 :「このままだとどうなっちゃうの?」
草薙 :「もう一方の人格をこわしに行ったりするんだ。そのため、自分の身体を自ら傷つけたりとかする可能性がある。」
舞 :「それは大変。何とかしないと。でも、もしそうだったらどうやって治すの?」
草薙 :「昔はもう一方の人格を自殺させていたりしたらしいけど、なかなかうまくいかなくて。今は一方の人格を説得したりして治すんだ。」
舞 :「そう簡単に説得できるの?」
草薙 :「できないから大変。」
舞 :「そうよね」
草薙 :「だけど、今一つ心理的な病ではないような気がするんだ。もうすこしゆっくり経過観察が必要だな。」
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いつものお気に入りの喫茶店
五十嵐:「夏奈さん、これを」
夏奈 :「?」
プレゼントだった。
夏奈 :「あけていい?」
五十嵐:「うん、是非」
夏奈は包みを開けた。紫水晶のペンダントだった。
夏奈 :「きれい…」
五十嵐:「気に入ってもらえたかい?」
夏奈 :「ええ、とっても」
五十嵐:「それで、それで聞いて欲しいことがあるんだ。」
夏奈 :「うん。」
五十嵐:「つき合って欲しいんだ。」
夏奈の目から涙があふれ出てきた。
夏奈 :「ありがとう。とってもうれしいです。でも、でも、私は行かなければいけないんです。」
五十嵐:「ああ、住んでいるところだね。そこはどこなんだ東京なのか?」
夏奈 :「ううん、アメリカ。」
五十嵐:「・・・ 思っていたより遠いな。で、いついくんだい?」
夏奈 :「来年の春には。」
五十嵐:「そっか、なら、俺もアメリカに行くよ。」
夏奈 :「大学は?」
五十嵐:「辞める。」
夏奈 :「でも向こうに言って何するの?」
五十嵐:「向こうの大学で勉強しようと思う。前々から考えていたんだ。」
夏奈 :「五十嵐さん、ありがとう。でも、そんな安易に考えてはダメ。今のまま、大学に残っていれば、教授への道も開けるわ。」
五十嵐:「でも、君と一緒にいたいんだ。」
夏奈 :「ごめんなさい。少し考えさせてください。」
五十嵐:「いい返事を期待しているよ。」
その日の夕方電話でOKをもらえた。でも、大学をやめるのは待ってほしいと言われた。それはそれで構わないと思った。来年の春まで時間はあるし、遠距離恋愛になるけど距離の壁など関係ないと思っていた。
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私は舞ちゃんという子を訪ねた。この病院の名物娘だ。ボランティアで小児病棟に遊びに来ているらしい。草薙先生が診察後に小児病棟にいるから会ってみるといいと薦めたので、ついでによってみた。
舞 :「五十嵐さんはとなり町の大学の人なんだ。大学生?」
舞ちゃんは私の似顔絵を描きながら話をする。
五十嵐:「いや、助手だ。先生の卵みたいなものだ。」
舞 :「ふ~ん。そこで何してるの?」
五十嵐:「理論物理学の研究さ。三条教授の統一場の理論を研究している。」
舞 :「ふ~ん」
舞ちゃんは興味なさそうに生返事をする。まあ、小学生に物理学の話などしても興味はないだろう。
舞 :「ねえ、私とお遊びもう少し付き合ってくれない。」
五十嵐:「構わないが?」
舞 :「じゃあ、二人でお庭を作りましょう。」
そういうと、箱を持ってきて砂をつきつめる。この中に人形を置いて箱庭を形作ってい置く。
舞 :「五十嵐さんの好きなように作っていいよ。」
五十嵐:「そうか。」
私は苦笑しながら舞ちゃんの遊びに付き合っていく。なかなか童心に帰れて面白い遊びではある。
五十嵐:「できた。」
舞 :「うわ~、やっぱり大人って上手ね。私だとこうは行かないわ」
そりゃ大人だからな。でも、素直に褒められて悪い気はしない。
舞 :「ありがとう。また、今度、診察の時に遊びに来てね。」
次の週も私は診察後、舞ちゃんと遊んだ。
今度は絵本を見せて何に見えるかを答えさせられた。
五十嵐:「これはこうもりだ。」
五十嵐:「これは花瓶だな。」
こうやって私は答えて行く。
そんなことをしているとニコニコしながら草薙先生が入ってきた。
舞ちゃんはその姿を見てぎょっとして絵本を体の後ろに隠す。
草薙 :「今更隠しても遅いよ。」
草薙先生がため息をついて話す。
舞 :「そういえば五十嵐さんは三条くるみさんの物理学を研究してるんですよね。私ね、ここで、ご両親でバイオニリストの三条夫妻と会ったことあるの。昔、クリスマスにボランティアでコンサートに来てくれたの」
急に舞ちゃんが話題を変える
五十嵐:「へ~。まあ、この街の人だしね。それほど珍しいことでもないか。でも、その時は三条教授は一緒じゃなかったのかいかい?」
舞 :「うん。」
五十嵐:「さすがに三条教授も忙しいか。でも、みんな変なこと言うんだ。三条教授はここ10年くらい日本に帰ってきていないっていうんだ。」
舞 :「あ、うん、私も三条准教授に会ったことないよ。隣に住んでるんだけどね」
五十嵐:「なんだ。残念。でも、三条教授は准教授じゃなくて教授だよ。そこ間違えると怒られるよ。」
舞 :「そんなことないよ。」
そういって、持っていた絵本を置いて、院内学級の教室のパソコンを立ち上げ三条くるみで検索した。
舞 :「ほら、MITの准教授」
PC上には確かに書いてある。MITの准教授で、ヨーロッパの巨大加速器建設の中心メンバーの一人。
五十嵐:「そんなバカな。三条博士は教授だ。私は間違っていない。この世界が間違っている。」
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草薙 :「先週の箱庭療法は大目に見たが、今日のロールシャッハはやり過ぎだぞ、舞ちゃん。」
舞 :「はい。ごめんなさい」
草薙 :「で、自分で確かめてみてどうだった?」
舞 :「箱庭での解釈は普通。でも、なんか、小さい頃にいじめみたいなことがあったとか言ってたし、それが箱庭にも出てた。」
草薙 :「ふむ、なるほどね。しかし、そのレベルでは決定的ではないな。解離性同一障害の理由にはならないな。」
舞 :「今日のロールシャッハでは断定的な話し方で即答していた。しかも、1枚につき必ず1この解釈。ちょっと変というか融通が効かないというか。でも、回答は誰もが納得する回答で奇抜なものじゃない。つまり初期集約的把握はできている。」
草薙 :「ぐは、やっぱり、舞ちゃんにロールシャッハは早すぎる。的確すぎる。これからは医師と一緒じゃなきゃだめ。」
舞 :「は~い。じゃあ、草薙先生付き合ってね。」
草薙 :「暇だったらね。それで、そのほかには?」
舞 :「話をするのは普通だった。でも、ちょっと変。頑固って言うのか、自分の間違いを認めない。インターネットにまで出てるのに、『世の中が間違ってる』って否定している。何か妄想癖があって、それを信じてる感じ。」
草薙 :「やはり、そうか。」
舞 :「発達障害の可能性は?」
草薙 :「でたでた。すぐそうやって結びつけるのは感心しないな。確かに発達障害だとこだわりというか自分の世界のルールを押しつけてきて、世の中と軋轢を起こすのはある。だが、他に症状が出ていない。」
舞 :「そうだよね」
草薙 :「解離性同一性障害、発達障害。どれも可能性があるが、どれも決め手がない。正常といえば正常だ。だけど、あのこだわりはなんなんだ。ちょっと異常に見える。何か別のものなのか。」
草薙はゆっくり首を振った。
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夏奈 :「五十嵐さん、よく似てる。」
五十嵐:「そうか、俺ってこんな感じか?」
例の喫茶店で舞ちゃんが書いてくれた似顔絵を夏奈さんに見せたら即答されてしまった。こんなに不細工ではないと思っていたが。
夏奈 :「お体の方はもう大丈夫なんですか? 記憶の混乱とか収まったのですか?」
五十嵐:「いや、まだ、完全には思い出し切れていない。でも、大分戻ってきたのだが、今度はその記憶がおかしいと言い始めた。それで、精神的な病とみんな言い始めた。二重人格とかさ。それで大分滅入ってる。」
夏奈 :「まあ、私には普通に見えるのですが。ところでどんな記憶が変だっていうんですか?」
五十嵐:「例えば。三条博士はMITの准教授だっていうんだ。私はスタンフォード大学の教授だって言ったんだが。でも、インターネットで調べると確かにMITの准教授だった。」
夏奈 :「え? そうなんですか。私もスタンフォード大学の教授だと思ってました。」
五十嵐:「夏奈さんもそう思うか。でも調べてみると確かにそうなんだ。ほら携帯で調べてもそう出てる。」
夏奈 :「ほんとうですね。でも、ならばやっぱり、MITの准教授なのが正解なんじゃないのでしょうか?」
五十嵐:「う~ん、なんでだ。二人とも思い違いをするなんてあるのか? なんか変だ」
夏奈 :「うん。」
五十嵐:「そうそう、今晩また星みに行かないか?」
夏奈 :「うん。ぜひぜひ」
私たちは夜、例によって裏山に星を見に行った。そして、その晩は二人で私のマンションで一夜を過ごした。