天体観測 その1
この物語にでてくる薬名、治療法、一部の病名、一部の物理法則はフィクションです。
詩音 :「も~、パパ、テレビうるさーい。勉強できないじゃない」
あきら:「野球くらい見せろ。昼間一生懸命働いて疲れて帰って来て唯一の趣味なんだ」
詩音 :「ママー、勉強部屋が欲しい。この家狭い!」
和恵 :「詩音ちゃん、我が侭言わないの。自分の部屋があるでしょ」
詩音 :「だって、私の部屋なのに狭いからって言ってママの荷物置き場になってる。あれじゃ息苦しくって勉強できない」
和恵 :「狭いんだからしょうがないでしょ」
詩音 :「もう、くるみちゃんちで勉強してくる」
詩音は勉強道具を持ってくるみの家に行ってしまった。
夏休みも終わり、新学期が始まった9月のことだった。
和恵 :「そろそろ、この借家も手狭ね。そろそろ詩音も大きくなったし引越しを考えないといけないかもね」
あきら:「しかし、家賃のことを考えると頭痛いな。今の生活で何とかやっているところでこれ以上の出費は大変だ」
和恵 :「そうよね~。私もレストランのパート止めて、フルタイムで働こうかしら」
あきら:「フルタイムだとこの街だとなかなかないしな~。それに、やっぱり、詩音が寂しい思いをする」
和恵 :「そうだ、あきら君はどう思うか判らないけど、私のお父さんと同居するのはどう?」
あきら:「あの家に5人はやっぱり狭いぞ。下が洋食屋だし。舞ちゃんたちはどう考えてるだろう。状況はおんなじだよな」
和恵 :「そうですね。今度舞ちゃんが来たときに聞いてみましょう」
そのときドアががちゃっと開いた。
詩音 :「ただいま~」
あきら:「おお~お帰り、でもずいぶん早かったじゃないか」
詩音 :「お客さん。くるみちゃんが帰ってきてたの」
くるみ:「こんばんわなの」
あきら:「おお~、久しぶり。とりあえず、狭いが中に入れや」
くるみ:「おじゃましますなの」
和恵 :「くるみさん、お久しぶりです」
くるみは普段はアメリカのサンタクララに住んでいる。だけど、この時期毎年、研究のためこの町に来ている。俺にとって姉のような存在で俺たち一家とも仲がよく、アメリカに行ってる間は俺たちが家の管理を行っている。特に詩音はくるみの家に入り浸っている。
あきら:「今年は少し早いな。いつもなら10月になってから日本にくるのにな」
くるみ:「そうなの。今年は困ったの。きっと10月になるといぢめっこがいっぱいこの町にくるの。そうすると私この街ににいられなくなっちゃうの」
あきら:「はあ? おまえ、アメリカで借金してマフィアに追われてるのか?」
くるみ:「あきら君、映画の見すぎなの。そんなんじゃないの」
和恵 :「警察とかに保護を頼めないんですか?」
くるみ:「警察も助けてくれないの」
和恵 :「そうなんですか?警察は困っている人を助けてくれるんじゃないんですか?」
くるみ:「警察じゃだめなの。守ってくれるのは家族だけなの」
ぐっと来た。くるみの両親はくるみが小さい頃から演奏旅行に行っている。家族といえばどちらかというと我々のことだ。
くるみ:「それで、あきら君と和恵ちゃんと詩音ちゃんに相談しにきたの」
あきら:「ああ、もちろんだ。俺たちは家族だ。なんでも相談にのるぜ」
和恵 :「困った時はお互い様です。」
詩音 :「お~」
あきら:「それで、どうすればいいんだ?」
くるみ:「来月になったらキッチン花の丘に泊めて欲しいの」
和恵 :「え?」
くるみ:「それで、あきら君たちは私の家に当面住んで欲しいの」
和恵 :「ええ~?!」
くるみ:「10月にいぢめっこがうちに来たときに、『前の人はどこか引っ越しました。今は私の家です』ってして欲しいの」
あきら:「殺し屋とかが来るのか?」
くるみ:「ううん、危害は与えない。精神攻撃加えてくるの。だから、いじめっ子」
くるみ:「それで、私の部屋はそのままにして欲しいの。それ以外は使っていいの。どうせ今もほとんど使っていないし」
あきら:「家賃とか払えないぞ」
くるみ:「家賃は要らない。その代わりいままでどおり家の管理をして欲しいの」
くるみ:「詩音ちゃんには大きな自分の部屋ができるの」
詩音 :「おお」
くるみの両親は世界でも有名なバイオリニストで世界中を演奏旅行している。そのため、生活の拠点をニューヨークに移しており、この家に来ることはほとんどない。くるみの一家が家族で落ち合うとなるとニューヨークかくるみの住んでいるサンタクララになる。
あきら:「それで、そのいぢめっこはいつまで来るんだ」
くるみ:「10月から年末まではいると思う」
和恵 :「そのいぢめっこって誰なんですか?」
くるみ:「今は言えないの。10月になると判るから信じて欲しいの」
あきら:「わかった。それくらいならお安い御用さ。でも、俺たちが危害を加えられるってことはないよな」
くるみ:「それは大丈夫。いじめっこの狙いは私だから」
あきら:「それで、いつ引越しするんだ」
くるみ:「今月中には完了して欲しいの」
あきら:「結構急ぎだな。健一さんに頼んでみるか」
次の日
くるみがつかさと一緒にやってきた。つかさは響子のいとこで花の丘公園の隣の病院に勤めている。
和恵 :「いらっしゃい、つかささん」
つかさ:「お邪魔します」
あきら:「んで、今日は何の会議だ?」
くるみ:「作戦Bの会議なの」
はあ、次善作を考えるというのは相当なもんだな。でも、なんでつかさなんだ。バイタリティならいとこの響子の方が何倍も頼りになるだろうに。
くるみ:「作戦立てるならつかさちゃんなの」
つかさ:「えへへ」
俺の心を見透かされてたか。でもなんで、我が家が作戦会議室なんだ。
くるみ:「ここだったら相手も気づかないの」
くるみ:「詩音ちゃん、舞ちゃんと冬ママにこの話をして欲しいの」
詩音 :「え? どうして」
くるみ:「作戦Cの話」
あきら:「はあ」
なんだかんだで9月が過ぎ、10月になった。一時引越しが完了して、くるみはキッチン花の丘の二階の和恵の部屋で暮らしている。夜になるとこっそりこっちに戻って研究しているが。
そんな、ある日、キッチン花の丘でくるみと一緒に夕食を取ることとなった。冬子も響子もつかささんも一緒だ。
和恵 :「こんなにいっぱい来るのお正月以来です」
響子 :「呼んでくれたのはうれしいけど。なんか嫌な予感するのよね。このメンバーそろったときって何らかの理由があるから」
祐美子:「でも、大勢で食事をするのは楽しいです」
くるみ:「あの、テレビをつけて欲しいの」
祐美子:「ええ、構いませんが何チャンネル?」
くるみ:「多分、どこでもいいの。でもできればJHK」
祐美子:「はい?わかりました」
あきら:「ところでそろそろ話をしてくれてもいいんじゃないか? くるみのいじめっこってなんだ?」
くるみ:「もうすぐわかるの」
あきら:「はあ。」
そんなこんなで食事が進んでいたとき、いきなりテレビのドラマがスタジオに切り替わった。
アナウンサー:「ここで番組の途中ですが臨時ニュースをお送りします」
みなが一斉にに振り返る。
アナウンサー:「ただいまストックホルムから入った情報によりますと日本の三条教授がノーベル物理学賞を受賞した模様です」
そして、皆、一瞬ちらっとくるみを見て、目をそらす。
あきら:「ほ~、すごいな」
冬子 :「日本でもすごい人いるんですね。冬子感心しました」
和恵 :「三条教授ってどこかできいたことがあるような気がします。誰でしたっけ」
くるみ:「えっと~」
つかさ:「東大かどこかの偉い教授じゃなかったでしたっけ」
あきら:「確か京大じゃなかったっけ?」
くるみ:「あの~」
祐美子:「でも、雲の上の話ですね。一生会うことなんてない人ですね。」
響子 :「まあ、私たちには縁のない世界ね。」
冬子 :「こんな人と一緒に食事したらどんな会話するんでしょうか? 冬子想像もつきません」
あきら:「まあ、がちがちの理論物理学の話でおれたちは3秒でねてしまうだろうな」
くるみ:「ちょっと~」
和恵 :「どうしましたか? くるみさん」
くるみ:「私の苗字~」
和恵 :「三条です。そ、それがどうかしましたか?」
あきら:「お、同じ三条でもえらい違いだ。」
一同が「うんうん」とうなづいているところにニュースで三条教授の顔写真が出た。うら若き女性の顔だった。しかもよく知っている顔…
響子 :「・・・」
あきら:「・・・」
和恵 :「やっぱり、三条教授ってくるみさん?」
くるみ:「ということなの」
詩音 :「きゃ~」
あきら:「うわ~!」
響子 :「うそ~!」
冬子 :「ありえないです」
和恵 :「もしかして、くるみさんってすごい人なんじゃありませんか?」
詩音 :「何いってるのよみんな。なにをいまさら驚いてるの? ノーベル賞なら前にもとってるでしょうに」
響子 :「だって、前回はみんなバラバラでこの町から離れていたし。くるみさんアメリカから帰ってこなかったし」
冬子 :「冬子、そのときまだ修行中でした」
あきら:「それはともかく、ノーベル賞って2度とれるのか?」
会話になっていない。
和恵 :「あまりに近すぎで実感湧きません」
これがみんなの本音だろう。
あきら:「何はともあれおめでとうくるみ」
くるみ:「ありがとうなの」
最初の驚きが過ぎ、あらためてみんなで乾杯をする。
アナウンサー:「今回受賞した内容は『αベクトル空間』の存在が理論的に確認されたことによる受賞です」
詩音 :「やっと時代が追いついてきたって感じね。『12平均律による時間調和理論』の方がよっぽどすごいのに」
アナウンサー:「現在、三条教授はスタンフード大学の教授として活躍されています。今、連絡を取ろうとしているのですが、現地は未明でまだ連絡がつかない模様です。連絡がつき次第、現地で記者会見が開かれる予定です」
響子 :「記者会見、無理。くるみさんはここで飲んでる」
くるみ:「うん」
健一 :「俺たち、とんでもない場に居合わせてるのか」
くるみ:「みんなでお祝いして欲しかったの」
あきら:「ああ、祝おうぜ。今年一番のお祝いだ」
響子 :「ところでいぢめっこってなんのなの?」
くるみ:「マスコミ」
和恵 :「へ?」
健一 :「なるほど」
響子 :「ぐ、まずい。ここにくるみさんがいることばれたら大変な騒ぎになる」
くるみ:「前回も大騒ぎで、アメリカまで日本のマスコミが大挙してやってきて、研究に関係ないプライバシーのことまで聞かれたり大変だったの。それで、そのとき日本にこれなくて、研究が1年遅れたの」
あきら:「確かに、くるみの研究はこの街で、特にこれからの季節が本番だからな」
くるみ:「そうなの」
くるみ:「それでほとぼりが冷めるまで隠れてるの」
あきら:「なるほど、それで俺たちがくるみの家で、ってもうマスコミが来てるかも」
健一 :「今ごろ、三条家の庭に侵入されて、写真とろうとるかもしれないぞ」
くるみ:「多分来てるの。対応宜しくなの」
あきら:「家賃ただの理由がわかったぜ」
くるみ:「ごめんなさい。でもマスコミ対応ダメなの」
響子 :「まあ、こんなおっとりした人だとは思ってないだろうしな」
つかさ:「前回は、どうしたんですか」
くるみ:「大学の研究仲間が守ってくれたし、それにアメリカだったからマスコミはそれほど酷くなかったの」
あきら:「今回は俺たちが守るってことでがんばるか」
くるみ:「みんな、ありがとう」
健一 :「とりあえず今晩はお祝いしようぜ。あしたから大変だ」
さらにみんなで盛り上がる。テレビでは延々とαベクトル空間の解説を行っている。無理だって。案の定「この世界は3次元でなく10次元」でつまづいている。
詩音 :「お、この解説者、この世界は4次元時空間であるって説明している。わかってるじゃない。でも、それは前回の統一場の理論でくるみちゃんが否定してるのに、まだ、わかってないね~。この世界は10次元でそのうち2次元は直交時間軸なんだって」
詩音、おまえが解説者やるか? こっちもある意味くるみ並に電波を発してるが。
アナウンサー:「今、入りました情報によりますと三条教授は極秘帰国している模様です。三条教授の家の前からレポートです。現地の田中さん~」
田中 :「今、三条教授の家の前に来ています。しかし、真っ暗です。ご近所の話ですと、最近三条教授は引っ越されて、この家にいないという話です」
あきら:「うそだろ、もう来てるのか」
つかさ:「響子おねえちゃん、伯母さんから電話。家に電話が鳴りっぱなしだって。三条教授しりませんかって」
冬子 :「冬子のところにもメールがいっぱい来てます。知らない人からもいっぱいきています」
あきら:「そういえば和恵は?」
詩音 :「さっきっから携帯でだれかと電話してる」
和恵 :「大変です。JHKから出演依頼です。詩音ちゃんに解説お願いしたいって。明日、7時にスタジオに入ってほしいって」
あきら:「ノーベル賞恐るべし」
健一 :「とりあえず、今日はお開きだな。くるみちゃんはうちで預かる。詩音もだ」
健一 :「和恵とあきら君はこのまま帰り、知らぬ存ぜぬでとおせ」
健一 :「響子先生もつかささんも冬子も帰って、知らぬ存ぜぬを通せよな」
一同 :「わかった」
健一 :「では、作戦開始だ」
家に帰ったら、マスコミにもみくちゃにされた。先日引っ越したばかりで知らないといったが、なかなか信じてくれなかった。夜通し家の前でマスコミが張っていた。
くるみは当面キッチン花の丘に隠れてるつもりだった。しかし、2~3日すると見つかってしまった。俺たちつながりでばれてしまったのだった。
くるみは今度は町外れの病院に向かった。そこで入院した。マスコミには体調不良で入院したことになっている。これが作戦B。つかさと事前に打ち合わせていたのはこれだった。
しかし、マスコミも病院の周りに大挙して押し寄せてきており、これ以上は迷惑がかけられなくなった。
ある日、マスコミの一人が花の丘公園でバイオリンを弾くくるみを遠くから見かけた。慌ててその場に駆け寄ったが見失ってしまった。
そして、病院はくるみが退院したことを伝えた。多分アメリカに戻ったのだと発表した。
しかし、くるみは忽然と姿を消した。αベクトル空間に逃げたのだ。
詩音 :「最初からこの作戦だったんだと思う」
あきら:「記者会見一回位開けば何とかなったんじゃないか?」
和恵 :「でも、マスコミにも色々な種類がいるし、独身の若き美人天才教授なんて格好の餌食になっちゃいます」
俺もくるみの行き先をなんども聞かれた。しょうがないから最後は正直に答えた。「あんまり、あんたらが追っかけまわすからαベクトル空間に逃げてった。」マスコミたちは大笑いして、「ナイス回答」といってまじめにとり上げてくれなかった。テレビでも俺のインタビューが放送され、会社では当分「αベクトルの楠木」と呼ばれた。
でも、αベクトル空間に逃げたのは事実なんだが。
詩音:「くるみちゃんはαベクトル空間にはもういないよ。だって、あそこは時が流れない。だから、いくらあそこでほとぼり冷まそうとしても、あの日に戻ってきちゃう」
詩音:「だから、さらに向こうの『対世界』に逃げ込んだ。そのためにバイオリン練習してたもん」
向こうの世界に行くには、固有時間振動数と触媒になる共振機を共鳴させないといけない。だけど人によって固有時間振動数が違うため、共振機も振動数を変化させないといけない。そこで、固有時間振動共鳴を起こす特殊な材質を使ったバイオリンを彼女は作らせ、それを弾いて向こうに行ったのだ。
これが「くるみちゃんの平均律による時間調和理論」だ。学界的にはまだきちんと認められていない論理である。しかし、αベクトル空間理論も認められたのだからそのうち理解されるかもしれないが。
あきら:「それで、どこに滞在してるんだ、くるみは?」
詩音 :「向こうの冬子さんに紹介してもらったアパート。そこに隠れ住んでる」
あきら:「自分の家には住めないのか」
詩音 :「うん、向こうには向こうのくるみちゃんがいるからくるみちゃんの家に長い間住むのはやっぱり良くない。たとえ会わないにしてもね」
あきら:「バランスは崩れないのか?」
詩音 :「向こうのくるみちゃんが海外に行ってるから大丈夫だろうって。互いに影響を及ぼさなければバランスは崩れないって」
あきら:「なるほどな」
詩音 :「ほとぼりが冷めるまで向こうにいるって。とりあえず12月10日の授賞式までには戻ってくるって」
詩音 :「ああ、そうそう。くるみちゃんから預かってきた。ビデオテープ。これをビデオレターということで放送して欲しいみたい」
あきら:「そうか、病院経由でマスコミに渡してやるか。病院に置いてあったことにすればよい」
その夜、くるみの今回の騒動の釈明ビデオが放送された。ちゃんと説明しなくて申し訳なかったこと。でも、今精神的に追い詰められていてほおって置いて欲しいことといった簡単なメッセージだった。
しかし、そのメッセージが録画された場所を見て詩音と二人で目を合わせた。背景には緑の丘と遠くに海が見える。
あきら:「ここって、あのαベクトル空間だよな」
詩音 :「うん、くるみちゃん、αベクトル空間でちゃめっけたっぷりに録画したみたい」
あきら:「なんてやつだ」
まさか、αベクトル空間の世界だ何てだれも気づかないだろう。
つづく