8-5.仮想時空間術式支援システム
この物語はフィクションです。この物語にでてくる薬名、治療法、一部の病名、一部の物理法則などは架空のものです。
八重山先生は出張から帰って来たとたん、大垣先生のところにすっ飛んできた。
八重山:「今度は遠野さんの娘に心臓手術ですって?!」
大垣 :「んだ。」
八重山:「まだ2カ月の18っこですよ。無理よ」
大垣 :「ああ、根治手術は無理だ。なので姑息手術を行う。再手術は必要になるが今やらねばおっちんじまう。それに、全身の容体も安定している。3000gの壁を超える前に何とかすべきだ」
八重山:「万が一手術に失敗したらどう責任と取るんですか?」
大垣 :「そうならないように努力する。それに、万が一失敗したとしても、18っこだ。だれもが納得する」
八重山:「ご家族は納得しないでしょう」
大垣 :「ご両親の承諾書はいただいた」
八重山:「理事会が納得しません」
大垣 :「理事会の承認もいただいた。ほれ」
大垣は理事長の印が押された承認書を見せる。
八重山:「もう好きにしてください」
そういうと八重山は医局を出て行った。
次の日、周産期センターに患者が訪ねてくる。小児科から回されてきた。
北沢 :「八重山先生はいらっしゃいませんか? 先生に見てほしいんです。お願いします」
草野 :「北沢さん、八重山先生は今、海外出張の報告で霞が関に外出中です。それに息子さんですが18っこですよね」
北沢 :「はい。心臓に穴があいていて、呼吸器も弱ってきています。このままだと」
草野 :「当病院では18っこの積極治療は行っていないのです。それに先ほども申したように八重山先生は不在です」
北沢 :「じゃあ、大垣先生に見ていただけませんか? 大垣先生に見てもらえば助かるって小児科の男の先生がおっしゃってました」
草野 :「(あの昼行燈か。余計なことを)」
草野 :「しかしですね」
大垣 :「どうしただ。って、龍之介君じゃないか。北沢さん、どうしただ?」
北沢 :「あの、どこかでお会いしましたっけ?」
大垣 :「ああ、んだな。いかんいかん、どこかで会ったと思ってただ」
北沢がいきさつを説明をする。
大垣 :「今までほっといたのか。もう少し前に手術すべきだ。しょうがない、手術を前提に入院だ」
草野 :「大垣先生、いい加減にしてください! 八重山先生がいない間に何をやるつもりですか?」
大垣 :「患者の治療だ」
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八重山は外出から帰ってくると大垣のところに詰め寄った。
八重山:「いい加減にしてください。今度は衰弱している18っこに対して心臓手術ですか? そんな負担患者に与えられないです。患者に苦痛を与えるだけです」
大垣 :「んなこといったって、ほっといたら確実におっちんじまうぞ」
八重山:「相手は18っこなんです。しょうがないじゃないですか」
大垣 :「18っこだからといって差別しちゃだめだ。ちゃんと治療しなきゃだめだ。だから、龍之介君の手術も行う」
八重山:「でも、龍之介君、手術に耐えれれないわ。普通の子ならまだしも。開胸して、心臓を止めて、人工心肺に変えて手術しても、再び心臓が動き出すとは思えない」
大垣 :「んだな。でも、なんらかのやり方はある」
医局をでたところで八重山と大垣の二人の先生を女性が待っていた。
遠山 :「龍之介君を助けてあげてください! 5歳なんですよ。もう、四分の一成人式を過ぎたんですよ。もう、死なないんですよね。それなのに、それなのに」
八重山:「遠山さん、こればかりは5歳とか関係ないの。18っこの運命なの。天使はいつも隣にいるの」
遠山 :「そんなことないです。そんなことないです。大垣先生なら助けられます。先生だけが希望なんです」
大垣 :「まいったな」
そういって大垣はばさばさの髪の毛をぽりぽり掻く。
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カンファレンスルームに、大垣先生、草薙先生、舞、そして小児科の看護師のつかさが集まる。
大垣 :「開胸ぜずに、心臓を止めずに心臓の穴をふさぐ。これが今回の条件だ」
舞 :「草薙先生、ダーウィンは使えないの?」
大垣 :「昼行燈、おめ、ダーウィン使えるのか?」
草薙 :「まあ、使えないこともないが」
あまり浮かない顔で返事をする。
つかさ:「ダーウィン?」
草薙 :「手術支援ロボットだ。特に心臓手術に有効だ。開胸するというより、体に3か所穴をあけて手術をする。そのため、肋骨を切るなどしなくて済み患者の負担を減らすことができる」
大垣 :「あれはだめだべ。15歳以下には使えない。大きすぎるっぺ、機械が。まして、発育の悪い18っこなんかに使えないべ」
舞 :「心臓カテーテルは?」
草薙 :「だめだ。心臓カテーテルもダーウィン同様小さい子には無理だ。血管が細すぎる」
舞 :「微細型心臓カテーテル使えばいいんじゃない?」
草薙 :「なんなんだ、その微細型心臓カテーテルって」
舞 :「MECが開発したカーボンナノチューブという糸のように細いチューブを使って、血管の中を通して心臓に到達します。これなら心臓をとめることなく、開胸しないで手術できます」
大垣 :「カーボンナノチューブを使った子供用の超極細の微細型心臓カテーテルならエルベのおらたちの病院にあるだ」
つかさ:「なら、龍之介君をエルベに連れて行ってあげれば」
舞 :「無理です。男性がエルベに行く方法は確立されていません。無理に連れて行ったら、病気の龍之介君は死んじゃいます」
つかさ:「じゃあ、どうすれば?」
大垣 :「微細型心臓カテーテルはこっちに持ってこれるべ。こっちで手術できる」
つかさ:「じゃあ、解決ですね。その微細型心臓カテーテルで草薙先生が手術すれば治りますね」
草薙 :「そう簡単にはいかない」
大垣 :「んだな。狭心症の人口弁手術には使えるが心臓の穴の縫合にはつかえんべ」
つかさ:「どうしてですか?」
草薙 :「心臓は絶えず動いている。そして、心臓の穴も開いたり閉じたりしている。開いたときは血液が勢いよく流れる。そんな中で手術は無理だ。結局心臓を止めるしかない」
つかさと草薙がため息をつく
草薙 :「やはり、無理か」
舞 :「じゃあ、『森羅』使えばいい」
大垣 :「舞ちゃん! それはプロジェクト外秘だ」
舞 :「大丈夫。草薙先生もつかささんもプロジェクトメンバー」
大垣 :「でも、舞ちゃん」
舞 :「それしか助からないなら使うべきだと思います」
草薙 :「なんだい? その『森羅』って」
舞 :「正式名称『仮想時空間術式支援システム』。エルベのプロジェクトのオーバーテクノロジー」
つかさ:「その『森羅』だとどうして手術ができるの?」
大垣 :「森羅は心臓を止める代わりに時間を止めるんだべ」
草薙 :「はああ?!」
つかさ:「はああ?!」
大垣 :「でも、こちらのファンダルシアには『森羅』はない」
舞 :「作ってもらいましょ。詩音とポッチに」
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エルベの花の丘病院の周産期センターに戻り大垣は詩音と話をする。龍之介君の治療方法についてだ。
大垣 :「できるか?」
詩音 :「できるよ。色々制限ありけど。」
大垣 :「どんな制限があるんだ?」
詩音 :「『森羅』をきちんと安定化させるのに場所と時間が限られるの。『特異点』を探さないとだめ。」
大垣 :「ふむ、んで、その『特異点』に心あたりはあるんか?」
詩音 :「うん、ほら、ことりちゃんと一緒にエルベの森で宝探ししてたじゃない。」
大垣 :「ああ、木の上登ってあぶねえことしてたな。」
詩音 :「あれ、特異点探しだったの。ちょうど午後3時に『天使の帰宅時間』になったわ。」
大垣 :「公園の木の上で手術する気か? そりゃ無理だぞ。」
詩音 :「ううん、ファンダルシアの世界ではあの位置は西棟の二階になるの。ちょうど周産期センターの手術室あたり。」
大垣 :「すごいじゃないか! つまり!」
詩音 :「手術室を新たに作る必要はないわ。ちょっと改造するだけ。」
大垣 :「なるほどな。じゃあ、さっそく準備にかかってくれるか」
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草野 :「八重山先生、至急周産期科の手術室に来てくれませんか? 子供がいたずらしています」
八重山:「どういうこと? あそこは鍵かかって誰もないれないでしょ」
草野 :「それが、小児科に入り浸ってるいたずら二人組です」
八重山:「ったく。すぐそのバカ娘を連れてきてくれ。昼行燈に抗議しに行くぞ」
詩音 :「なにするのよ! 私たちは大垣先生に頼まれて調べてたんです」
ポッチ:「副院長横暴です。院長に訴えますよ」
八重山:「この病院には院長はいない。私が実質的責任者だ」
そういって小児科のカンファレンスルームに入る。
八重山:「草薙先生、ちゃんとこいつらのしつけをしてくれ。周産期センターは子供は出入り禁止といってるだろう」
大垣 :「まあ、大目に見てほしい。その子たちおらの指示で動いてるんだな」
八重山:「大垣先生にはその権限がないはずです」
大垣 :「理事会の許可はもらってるだ」
大垣は理事長の印が押された許可証をひらひら見せる
八重山:「はあ」
大きくため息をつく。
八重山:「それで、何をするつもりなの?」
大垣 :「もちろん龍之介君の手術だ」
八重山:「今の龍之介君に開胸して人工心肺を使って手術なんて無理です」
大垣 :「ああだから、開胸も人工心肺も使わないだ」
八重山:「何言ってるの?じゃあ、どうやって心臓止めるのよ」
大垣 :「心臓はとめない。代わりに時間を止める」
八重山:「はああ?」
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詩音 :「だから、時間を止めるなんてできないの、代わりに仮想的にαベクトル空間を現実世界に重ね合わせるの。そうすることで手術する側から見ると止まっているαベクトル時間軸で手術ができるの。それが森羅の原理。簡単よね」
八重山:「なんだ、そのαベクトル時間軸というのは?」
詩音 :「もう一つの時間軸よ」
八重山:「別の時間軸があるのか?おとぎ話だろ」
詩音 :「ホーキング博士も提唱している理論よ。おとぎ話じゃないよ」
八重山:「ホーキング博士って、あの車いすの物理学者か?!」
詩音 :「うん、だから信じてほしい」
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いよいよ龍之助君の手術の日が来た。
周産期センターの手術室は少し改造されこの日の手術を迎える。
八重山先生を始め、大垣先生、舞、詩音も手術に立ち会う。そして、理事長の番井翁も来る。亡くなった番井院長の父親で、今回、大垣先生を招へいした張本人である。
手術室はガラス越しに見学できるようになっている。そして、中では準備万端に整えられ、草薙先生が待機していた。
番井翁:「長生きはするもんじゃな。こんな日が来るとは思わんかった」
八重山:「ごく普通の手術ね。特別な機械があるわけだないし、本当に大丈夫なの?」
詩音 :「大半の機械はαベクトル空間上にあります。そのため、こちら側の世界では小型化することが可能なのです」
八重山:「また、わけのわからないことを」
番井翁:「まあまあ、八重山先生、そうかりかりするな。今日はじっくりと奇跡とか神とかを手術を見ながら考えるといい」
大垣 :「おらも楽しみだ。奇跡ってやつをみてみるだ」
詩音 :「奇跡じゃないよ。純然たる科学」
詩音がぶぜんとする。
八重山:「まあ、約束ですからじっくり見させていただくわ」
番井翁:「八重山先生、びっくりして大声出すんじゃないぞ」
八重山:「だしません!」
詩音 :「そろそろ、天使の帰宅時間です。始まります」
特別に取り付けられた時計が午後3時過ぎをさしている。そして、その下にデジタル時計があり、今カウントダウンをしている。
詩音 :「天使、ご帰宅です」
その時だった。手術室の中の風景が変わり出す。まるで未来の3次元映像のように別の部屋が現れだす。
番井翁:「ほほう」
大垣 :「すごいわね」
八重山:「ちょ、ちょっと、何よこれ? どういうことよ」
周りが別の世界になってしまった手術室で八重山先生が声を荒げる。
番井翁:「これこれ、大声を出さないと約束したじゃないか。これぐらいで驚かないでおくれ」
八重山:「そんなこと言ったって」
詩音 :「後で説明します。今は時間がもったいないので」
そうやって、徐々に別の世界が現れ出す。そして、そこに1人の女の子の姿が現れ出す。
八重山:「あの子はいつも詩音の横にいるいたずら娘!」
ポッチだった。
ポッチ:「詩音聞こえる?」
どこからか声が聞こえる。
詩音 :「聞こえるよポッチ。準備OK?」
ポッチ:「準備OK。いつでもどうぞ」
詩音 :「じゃあ、始めるね。森羅起動!」
赤と青の光が手術室に点滅する。
詩音 :「まずは、αベクトルジャイロを使った空間導入」
ポッチ:「森羅作動確認。基準点を合わせます。詩音、そっちの基準点のスイッチも入れて」
詩音 :「了解」
そういうと龍之介君の心臓あたりに十字の影が映し出される。
ポッチ:「自動導入開始」
そういうと別の十字が現れる。そして、詩音が出した十字の中心点に向かって動き出す。そして中心点が重なる。
詩音 :「ポッチ、上下角合わせて。中心が合えばいいのでそんなに正確でなくていい」
ポッチ:「上下角と水平角合わせます。銀経マイナス2.5度、銀緯プラス0.5度修正」
そういうと微妙に十字の位置が左回りに動く。そして若干風景が揺らぐ。
ポッチ:「修正完了。ロックオン。」
詩音 :「OK。草薙先生、心臓カテーテル導入を開始してください」
草薙 :「了解」
詩音 :「時間的にはあと50分。でも安定的に動くのは40分と考えて。あわてず、急いでお願いします。心臓到達までは森羅が半分自動導入してくれるから大丈夫。本番はそのあとの心臓の穴を閉じる方。ここは手動だから」
草薙 :「わかってる」
心臓カテーテルの先頭についている微細CCDカメラから着実に心臓に近づいているのが見える。
番井翁:「ほうほう、これはなかなかすごいのう。聞いてはいたがここまでとは」
大垣 :「聞くと見るとは大違いですね」
八重山先生は口をパクパクしている。
詩音 :「えっと、わかんないよね。説明するね。そもそもこの世界は3次元空間ではなくて…」
ポッチ:「詩音、既に15分かかってる。同調できるのあと25分。説明は後」
詩音 :「ちぇ~。じゃあ、先に進めて!」
心臓カテーテルが心臓に近づく。
ポッチ:「森羅出力上昇。患部露出します」
ポッチがそういうと手術室に取り付けられた大型モニターに心臓の中が映し出される。
草薙 :「ああ、やっぱり穴があいてるなあ~」
心臓の中身大きな穴があいていることが見える。そこから血液が漏れてきている。その流れにCCDカメラが揺れる。
草薙 :「やはり、血流が邪魔をするな。患部にきちんとたどりつけない。」
詩音 :「草薙先生、ここからが本番よ。ポッチ、準備いい?」
ポッチ:「こっちはいつでもいいわ。草薙先生には縫合に専念してもらって、森羅は私たちで維持するわ。」
草薙 :「わかった」
ポッチ:「超電導コイル出力上昇。80%」
詩音 :「OK。そのまま維持を続けて」
ポッチ:「出力上昇100% 森羅出力安定。患部固定します」
そのとき、どくどくと穴からでていた血流がピタリととまる。実際には動いているのだが時間の流れないαベクトル空間と同調しているため止まって見える。
詩音 :「安定化成功。術式進めて」
草薙 :「了解!」
舞 :「先生がんばって!」
草薙 :「任せておけ」
そういうと龍之介君の心臓の穴を手際よく縫合始める。
時間が刻々と過ぎて行く。
草薙 :「縫合完了。次は肺動脈を広げる」
ファロー四徴症は二つ以上の奇形のある先天症だ。今回は典型的な心室に穴があいているのと肺動脈が狭くなっていることだ。これらを短時間に穴をふさいで肺動脈を広げないと行けない。
番井翁:「さすが草薙先生。心臓手術専門外科医でもこんなに手際は良くない」
草薙 :「ほめても何も出ませんよ」
大垣 :「本当にすごいな。噂には聞いてがこれほどとは。もし、おめが生きていたらおらたちの花の丘病院は大病院になってたな。おしい人を亡くしただ」
草薙 :「お~い。勝手に殺すな」
ポッチ:「後15分です。15分で同調が切れます」
草薙 :「了解」
その時だった。不意に天井の電気が暗くなり、音声も聞こえにくくなった。
ポッチ:「超電導コイルの出力が安定しない!」
詩音 :「動画転送停止。音声圧縮率上昇。転送帯域を絞り、エネルギーを手術台の森羅に回して」
不思議な風景が見えにくくなり、ポッチの姿が見えなくなった。そして大型モニターに映し出された術部の動画が切れて、音声の品質が悪くなった。草薙先生の手術をしている姿だけが見えている。
詩音 :「予想以上に電力食うのね。後何分もちそう?」
ポッチ:「半分の7分!」
舞 :「草薙先生!」
草薙 :「任せておけ!」
時間が刻々と過ぎる。
ポッチ:「後3分」
草薙先生が無言で手術を進める。
番井翁:「まさに神の手」
草薙が正確に着実にあっという間に手術を進める。
ポッチ:「後1分」
草薙がさらにスピードアップする。
草薙 :「OK。術式完了! 成功!」
ポッチ:「10.9.8.7.6.5.4.3.2.1」
今までかろうじて見えていた不思議な風景も見えなくなり普通の手術室の風景にもどる。
手術室で草薙先生がVサインを送る。
手術室から出てきた草薙先生に北沢さんが駆け寄る。そして、歓喜の表情を示す。少し離れたところで遠山さんが涙を拭いている。
草薙 :「手術は成功だ。さすがに疲れたぜ。6階で休ませてもらうよ」
そういって草薙先生は6階の小児科に戻って行った。
番井翁:「どうじゃ八重山先生、感想は?」
八重山先生はただポカンと口をあけたままだった。
つづく
書き直しバージョンです。突飛な展開を少し押さえています。
もとの物語を書いて数年経ちましたが医療の進展は目覚ましいものがあります。とうとう心臓カテーテルで人工弁膜の手術が可能となりました。
あと何年かすればこの物語のようなオーバーテクノロジーを使わなくても心臓の穴をふさぐ技術ができるかもしれません。
私はそんな時代がくるのを楽しみに待っています。