第71話 大怪我した状態で戦う?普通痛くて動けませんよね?
雲海の上を進む、巨大な岩塊。
冒険者ギルドの本来の本拠地であるギルドハウス、天の磐船だ。
ギルドハウスの進んだ後ろでは、雲海がかき混ぜられたように渦を巻きつつ、航跡となって続いていた。
「そろそろだぞ」
「ええ、こちらでも見てます」
その天の磐船を操作する為の館橋で、眠っているのかと思えるほどに静かに椅子を倒して横になり目を閉じていた竜人カレアシンが、誰に言うともなく口を開いた。
それに応じたのは、見ていると言いつつこちらも目を閉じている、冒険者ギルドサブマスの魔人、呉羽だ。
二人が目を閉じているのは、どちらも「視線を飛ばし」て今自分が居る場所とは異なる風景を望むスキルを使用しているためだ。
「知らない者が傍から見ていれば、何寝ぼけたことを言っているんだと思うでしょうね、今のこの部屋の状況」
「あー、まーなー」
館橋の最前部に作りつけられているシートの背もたれを倒し、横になって目を閉じているカレアシンに、館橋中央後方の壁に一段高く設置されているシートに、こちらも目を閉じてカレアシン程ではないが背もたれを傾けてゆったりと腰掛けている呉羽。
そんな状況を見て口を挟んだのは、唯一後から入ってきたばかりで座る気のないヘスペリスだ。
彼女の言葉に反応したカレアシンは、倒したシートとは言え、同じ体勢を強いられていた為かそれともただの癖なのか、上半身を起こして大きく伸びをして身体のストレッチを始めていた。
そんな二人に反応を見せずに、呉羽はポツリと「降下開始」と呟いた。
「気ぃつけてな、出来るだけゆっくりと、だ」
「わかってるわよ、面倒を言うわねぇ。やれるけれど」
片目を開けた呉羽が二人に向けて言葉を発すると、ヘスペリスは視線を合わせるだけであったが、竜人は身体の節々を確かめるように色々とひねりながらそう言葉を返した。
そして、ギルドハウス天の磐船はその巨体をゆっくりと雲海に沈め始めたのである。
地上から見るそれは、あたかも神の剣によって天が切り裂かれたように見えたかもしれない。
空一面を覆う雲が、更なる高空から降下を始めたギルドハウスによってまるで切り裂かれたかのように二つに割れ、そこからその偉容が姿を表し穏やかに波を揺らす海面へと、ゆっくりとその身を沈ませたのだ。
それこそ波一つ立たぬように、ゆっくりと時間をかけて。
まあ最寄りの海岸線では多少の水位の変動はあったであろうが。
「ふぅ、これで本当に一段落ってところかしら」
「……だったら良いのですが」
モノイコス王国の海岸線を望む海上沖に天の磐船を無事下ろし終え、ひと仕事終えたとばかりにようやく伸びをする呉羽。
だが、そんな彼女と共に館橋に控えていたヘスペリスは、物憂げな表情で彼女の言葉を否定するかのように呟いた。
「あら、大賢竜の言葉が気にかかってるのかしら?」
「それは当然でしょう。あの物言い、あからさまだったじゃないですか」
何しろ大賢竜が再び舞い上がれるどころか、新生出来るほどに魔素が一気に増えたというのだ。
それならば、当然のことながら他にも多大な影響が出るはずである。
「まあ、魔物が増えるのは間違いないでしょうねぇ」
「やはりそう思いますか」
「それだけじゃ、ねえだろうよ」
「カレアシン?」
上半身のストレッチから立ち上がり、下半身のストレッチに移行していたカレアシンが屈伸運動をしながら口を挟んだのである。
「まあヘスペリスの言いたいことはわからんでもない。が、俺らだけが頑張ることでもないと思っとる」
「そうね。だいたい、純粋に手が足りないわ」
得られた情報から想像される最大最悪の事態といえば、ゲーム時代によく通った森や山、ダンジョンを始め、都市近郊の荒野など、様々なところで無限に湧いて出てきていた魔物たちが、モンスターハウスよろしく溢れてくる事だ。
「もし大賢竜の言うように、世界の魔力の源たる何かが旧時代のように戻ったというなら、魔物も……と言うより魔物を生み出すなにがしかも同様復活している可能性が高いのです」
「そうかもしれんけどな」
普段は無表情なヘスペリスが、焦りなのか何なのか、危うい表情をして見せて推測を語る。
だが相対しているカレアシンにはそのような感情は毛ほども見て取れない。
当然呉羽にもである。
「ヘスペリスよ、お前さん何気負ってやがるんだ?いつもの通り、面倒事だろうがなんだろうが、木で鼻を括ったような態度を見せろや」
「……しかし、ですね」
「はぁー、煮えきらないわねぇ。そうねぇ、大方こんな事でも考えてるんじゃないの?シアは来たし、神様のお告げがあるレベルの危機もやり過ごせたし?男も出来たし、長年探し続けてた米もトマトも入手できました。これで当面の懸案事項も綺麗さっぱり消化できました。さて本当にこれで安心なのでしょうか、いやまさか、さらに何か起きるに決まっている。平穏無事なんてあるわけがない。とまあ、そんなところでしょ。色々と未来予想図が鮮明になってきたもんだから、逆に心配になっちゃったんじゃない?」
半ば呆れ顔でヘスペリスに問いかけるカレアシンに、ヘスペリスは目線を彷徨わせるように言葉を濁すに留まっていた。
が、呉羽が大きくため息をつくや一息でヘスペリスにまくし立てた。
それを反論することなく無言で受け止めた彼女は、視線を伏せてしばらく逡巡したあと、ゆっくりと顔を上げて口を開いたのだが。
「わっ私に男が出来たのと世界の状況は別問題でしょう!?」
これまで以上に、別方向に表情を変化させたヘスペリスがそこに居た。
種族的な肌の色故に、余りわからないはずの顔色の変化すら伺えるほどに顔を赤く染め、涙目にすらなっている。
それを見ている呉羽とカレアシンの二人は、「やべえかわええ」と暫く凝視してしまったほどであった。
「ま、まあアレだ。ほれ、使徒連中もあれこれ言ってこないって事は、魔獣大侵攻以上の危機的状況にはならないってことだからよ」
「そうそう、だいたいほら、今まであの頃の記憶に基づいてあっちこっちのダンジョンとか調べて回ったじゃない。それをもう一度やればいい話なんだから。今度はフル装備で行けるんだし楽なものよ」
「うう……そうでしょうか」
珍しいものを見れたとばかりに饒舌な呉羽は、消沈したままのヘスペリスに、笑みを浮かべてこう続けた。
「だいたい魔物が増えるのは悪いことばかりじゃないわ」
「ああ、そうだな」
「ねえ」
どう考えても魔物が増えるのは悪いことではないだろうか、へスぺリスがそう思う中、呉羽の言うことにカレアシンまで賛同する。
納得のいかないへスぺリスは、その美しい眉をゆがめて問い返した。
「……それはいったいどういう意味が?」
「あら、わからない?ある意味切実と言うより望外な話なんだけれど」
「そうだな、実際問題、世間にゃ山ほどそれで悩んでる奴もいるだろ」
はて、と二人の言い草に理解が及ばない彼女は、無言で二人を見つめ続けた。
すると。
「あら、わからない?わからないの?あらあらまあまあ。カレアシンさん?相方がお困りのようですわよ?」
「……あんまり虐めてやらないでくれ。ヘス、ちょいと視点を変えてみるんだ」
「視点?」
「そうよ、逆に考えるんだ、って奴よ」
煽ってくるスタイルの呉羽を諫め、へスぺリスと向き合うカレアシン。
その視線には真っ当な意思が見え、茶化す様子はない。
それ故に、へスぺリスも意識を切り替え次の言葉を待った。
「いいか?害獣が畑を荒らす、人を襲うって意味なら確かに害にしかならねえ。しかしな」
「そうよぉ?被害にばかり目を向けちゃだめよ?襲ってきたなら問答無用。撃退してもどこからも文句は来ない。寧ろ感謝されるわよね。そりゃあアクティブモンスターが増えてくるのは確かに厄介だけれども」
「パッシブな奴らもガンガン増えるわけだ。わかるか?」
そう言うと二人は、ニッと笑ってヘスペリスの顔を見つめた。
「まさか」
二人の言い草に、ようやくその意図に気づいた彼女は、呆れたように目を見開いた。
「ええ、やっと理解したかしら?」
「そうだ、パワーレベリングが捗る!そこそこの雑魚が湧いてくるんだ!ガンガンスキルもあがるぞ!」
「それって……」
「そうだ、ウチの若い連中のみならず、よそんとこの奴らもそれなりに育つってこった」
「まあ生き残れればだけど」
そう、この世界に蔓延する停滞した空気。
全般的にレベルが低く、スキル保有者の数も驚くほどに少ない。
その一因が、大賢竜の言う魔素の量によるものであるならば、今後の行動次第ではそれも解消できるかもしれない。
「……なるほど、魔獣がより強く多くなるならば、それに相対している者達は」
「今の頭打ち状態から抜け出せる可能性が高い訳だ」
それを語る彼女の表情にはもう、将来を憂いていた影は欠片も残っては居なかった。
「ま、生き残れればの話だけどね。ウチの若い子達もちゃんと気をつけるように言っておかないと」
「さあて、どう戦い抜くかな?」
「そこは、君は生き延びることが出来るか、でしょうに」
「いえ、コレが勝利の鍵だ!ですね。それならば」
「を、調子が戻ってきたな、ヘス」
「言いがかりはよしてください。人の事をまるで調子が悪かったような言い草、不愉快です」
笑顔を浮かべながらそう言うヘスペリスに、二人は、特にカレアシンは内心安堵しつつ、上陸準備のために移動を始めるのであった。
「先ずは、抜け殻をどう隠すかだな」
「土でもかけておけば良いんじゃないでしょうか。どうせ腐らないのでしょうし」
「とっととアマクニに回収させましょう。きっと喜々としてやってくれるわよ」
そう無駄口を叩きながら。
☆
「君らには、なによりも防御力が足りない」
「ふむん?速さじゃなくて?」
「速さを求めるのはもっと先に進んでからの話ね。まず身を守る為の防御力、これ大事。ネタ抜きで」
「をや真面目な忠告だね、しぶちょー」
死屍累々の冒険者ギルド訓練場で、平然と立っている三人。
ルーテティア支部長のリティに、臨時教官の任に就いたシアと熊子である。
「速さだけでなんとかなるレベルの相手だったら良いけど、避けらんない避けさせない全方位攻撃とかしてくるのなんて、そこそこ強い雑魚なら稀によくいる。毒液とかガス吐くのとかの対処も必要なわけだし」
「ふむふむ、まあ基本っちゃあ基本だぁね」
この世界に来て長いリティによる戦闘時における注意点。
それを新人に向けて語るのを横で聞いているシアだが、その表情は真剣である。
「まず死なないこと。死ななきゃそのうちレベルも上がって速さもついてくるわけよ。死ににくくなってからね、自分の好みの能力値を育てるのは」
「なるほどねぇ、実戦経験少ない身としては詰まされますわ」
リティの言葉にいちいち相槌を打つシアに、リティも興が乗ってくるのかガンガン話を続ける。
「だいたいね、ちょっとぐらいなら怪我してもって考える時点でアウト。痛みは身体能力を馬鹿ほど削ぐわけよ。肉に牙が食い込んだ日には痛みで動くのなんて無理だから」
「んだあね。まあ痛覚無視スキル取るまでの話だけどね」
「そんなのまだまだ先よ、普通は」
ゲーム時代だとHPが極端に減ると能力値にマイナス補正がかかったりしていた。
動きが鈍くなったり操作入力に対する反応が遅れたり、などだ。
だが実際この世界において色々やって来ているリティや熊子としては、怪我を負った際にはろくに動けなくなることを実体験として身に沁みていた。
「そっか、そりゃそうよね。死にかけてるのに全力行動できるとか、変な薬キメてるのかって話だもんね」
「そう考えるとスキルって怖い」
きっと脳内麻薬のせい。
それはともかく、戦闘において行動の妨げになる程の怪我はすなわち自身の、ひいては仲間の死に直結する。
それを解決する手段もあるが、一朝一夕で身につくものでもない。
よって、怪我をしないことを最大の優先事項に置くのである。
「痛覚無視スキルって心頭滅却すれば火もまた涼しの境地にまで達しなきゃいけないんだっけ?」
「この世界だとそこまでは。戦闘時だとアドレなるから割りとハードルは低いし」
新人たちがそんな域に達するには、暫くの時間が必要である。
「って事だから、わかったかにゃーチミら」
シアとリティの戦闘雑談が中々終わりそうにないので目の前でくたばっている新人に話を振ってみた熊子だったが、当然といえば当然ながら返事はない。
「は~い~」
あ、一人だけなんとか返事したようである。
「あれからずっと獣化しっぱなしだね、あの子」
「嬉しかったんじゃね?」
「スタミナ豊富だな」
一人返事をしたのは、獣化したままのコアラのミーシャであった。
そんなミーシャの返事に、シアらもようやく会話を切り上げたようである。
獣人の獣化は、無制限に行えるわけではない。
スタミナを消費して行う為に、獣化しっぱなしだとそのうち倒れてしまうのだが……。
「もしかしたら、獣化したほうがスタミナ長持ちな類なのかも知らん」
「あー、普段より動き遅そうだしね」
通常、獣化したほうがスタミナが早く尽きる。
のだが、コアラの生態こそ皆よく知らないが、そう激しく動き回る動物ではない事は理解している。
為にそういった意見になったのである。
「おなかすいた~」
「食欲もある、と」
「戦闘には向かなそうだけどねぇ」
「まあ樹上生活する草食動物ですしおすし」
フィールドアスレチックと化した訓練場をシアによって追い回された新人たちは、彼らが一周した後にスタートしたシアにより午前中ずっと追い回され、かき回され、体力をほぼ使い果たすまでに至ったのである。
唯一反応のあるコアラの獣人、ミーシャですら、身動きは出来ないレベルであった。
「袋竹刀でペチペチと攻撃は加えたけど、足に来るほどじゃなかったはずなんだけどなー」
「ねーちんのペチペチは初心者には致命的だけどね」
「得物は袋竹刀だし、ちゃんと防御力アップはかけといたじゃん」
防御力を上げたからと言って、怪我をしないだけで痛いものは痛いのであるが。
取り敢えず、飯の時間だということで、息も絶え絶えの新人を無理やり叩き起こして食事を取らせることに成ったのである。
☆
ルーテティア支部の食堂で、シア達は昼食を取ることとなった。
睡眠は?と聞かれたが、これくらいの徹夜は慣れっこだと言ってそれでは腹ごしらえとなったのだ。
「それにしても、ここの食堂もご飯美味しいよね」
「ココに限らず、ギルドの食堂はだいたい美味いよ?地元採用の人が多いけど、だいたいがツィナーの弟子だし」
熊子曰く、このルーテティア支部の食堂を任せられている調理人も、モナイコス王国のギルド本部での食を一手に引き受けている、豊満な肉体美を誇る水棲人、ツィナー・ジャコビニが師匠だという。
前世でも料理人だったという彼女は飽くなき食への探究心をこの世界でも追求していっているようである。
「お気に召していただけているようで、光栄です」
そう言いながらのそり、とシアの背後に現れたのは、巨漢の普通人であった。
シアよりも頭二つ分は大きいだろう背丈に、胸板などはおよそシアが抱きついても手が回らないほどに分厚さだ。
両腕も両足も太く、強靭さを放っており、首の太さなど頭と同じくらいにも見えるほどだ。
そんな巨体の男だが、白髪交じりの短髪と、そこここに見える大小様々な傷跡は、歴戦の強者だという証左だろう。
正しく燻し銀、といった風貌をしたその男は、豈図らんや厨房の主である料理人だったとは。
白いエプロンを身に着け頭にはねじり鉢巻、足元には下駄を履いているその姿は、知らぬ人から見れば凄く怪しい人にしか見えないだろう。
「おう、料理長のおっちゃん。今日もいい味出してんな」
「おめーにゃ言ってねえよ、熊子。こっちのギルドマスターに言ってんだ」
その料理長と呼ばれた彼は、気さくな態度で熊子に言い返していた。
「あー、昨日は即宴会に突入しちゃったもんで、ちゃんとしたご挨拶も出来ませんで」
「いやいやこちらこそ。料理から手が離せなかったもんで、申し訳ねえ」
どちらもが頭を下げ下げ言葉をかわし、どちらからともなく、改めて自己紹介を行ったのである。
「ギルドマスターのシアです。よろしくお願いしますね」
「おっとすまねえ。俺は硬度3位、銘はスターリングシルバーのグラハムだ」
「はい、グラハム料理長。美味しい料理ありがとうございます」
「お、おう。ツィナーの姐御にゃ敵わねえかもしれねえが、楽しんでくれや」
挨拶を終えた料理長は、名残惜しそうにしながらも厨房へと戻っていった。
それを見送ってから、シアは熊子に視線を送り、こっそりと尋ねた。
「……彼の助手にスティーブとかいないわよね」
「おろ、よくわかったねねーちん。しょっちゅう料理長に怒られてるよ」
「……はぁ。絶対名前で採用したでしょあんたら」
そういうシアの視線の先では、件の助手であろう人物が料理長に怒られている所であった。
「おいスティーブ、胡椒の用意くらいしておけといつも言ってるだろう!」
そのスティーブの姿はシアから見えない位置にいるのか、確認できなかったのである。