第62話 赤いボタンって知ってます?で、なんのボタンですか?
超硬質の金属が打ち鳴らされるかのような甲高い音を立てる結晶体を前にして、スキルの発動準備を行っているシアに、熊子は眼下の巨大スライムを見つめつつ口を開く。
「ねーちん、そいつ発動までに時間かかるねぇ」
「うん、まあだから死にスキルになっちゃてさ。実際に使えるとしたらギルド戦かなー、とか思ってたけど結局使う機会なくって」
言いながらも眼前の結晶体に力を注ぎ続けてゆくシア。
それを傍で見つつ、こういうエネルギー充填に暇のかかる攻撃は、味方の挺身により時間を稼いで、ギリギリのところで放って一発逆転っつーのがデフォなんでは、と思いながらも、敵の手が届かないうちに撃てるならソッチの方が現実的には嬉しいわな、なんて思っている熊子である。
「んー、ネタに走るのはウチらの総意だから問題無いとして。向こうじゃできなかった事がこっちに来たら出来るようになったとかあるからいろいろ試してみるのもいいと思うにょ?」
「うん、それは色々と考えてる。アレ相手には使っちゃ不味いだろうけどココの魔導炉から魔力引き出して体当たり!とかさ。出来るんなら、だけど」
「“えなじいふぉおるだうん“でふか」
「魔導炉から引き出すのは純粋魔力だから、呼び名はマナとかエーテルとかのほうがいーんじゃないかしら」
などとグダっているうちに、やっと結晶体の準備が整ったようである。
「うわあ、なんだかすごいことになっちゃいそうだぞ」
「なんかこう……、某超人さんの光の剣みたくなっちゃてるわね」
熊子の目には、元の結晶体の形そのままにその全てが何らかのエネルギーで構成された、黄金の鉄の塊のような、有り得ない存在になっているように見えた。
そんな煌々と輝くソレは、非常識なほどの力の奔流を押し留め、その解放を待ちわびているようである。
「……それじゃ、やるわよ。総員、対ショック対閃光防御!!」
天の磐船の館主魔導砲と同じ対処が必要なのか?と、流石にそこまでは……と考えた所で、やたらと真剣な表情のシアを見て、慌てて対応をはじめた周りのギルメン。
慌てて建物まで戻る者や、近場に生える樹々の影に入る者。
何が何やらあまりわかってない外部からのお客さんを抱え込んで地面に伏せ、さらには防御系バフまでかける至れり尽くせりな竜人と黒エルフの姿もあった。
やっちゃってー、ねーちーん、と言う間の抜けた熊子の声に頷きだけ返し、眩い輝きを放つソレをゆっくりと胸元から頭上へと差し上げながら、シアは眼下のスライムを……まるで氷河の如く大地を埋めるその姿を出来る限り視界に収めつつ、呟いた。
「スキル発動」
可聴範囲を超えるかのような超高音域で唸りを上げ、空間を振動させるその脈動にあわせて光り輝きながらシアに両手で高く差し上げたそれは、彼女の言葉を受けて、一瞬の停滞の後、音もなく砕け散り、それと同時に彼女の身体から燐光が吹き出しその背中から後光のように五つの光の槍が生まれた。
「【シア・フラッシャー・スペシャル】!!」
それは、暗い空を照らすように広がりながら、大地目掛けて天を駆けた。
「やっべ、角ねーちん!急速上昇!!」
『やってます!みんな、何でもいいからしっかりつかまって!』
光が通り過ぎた空間には、圧倒的な暴風が生まれた。
準光速で飛来し、惑星の地表を薙ぎ払う某兵器にも似た破壊をまき散らすであろうと予想されたソレは。
意外にも、突き刺さったスライムとその下の砂の大地に、深く穿たれた小さな小さな穴をその数だけ、生じさせたにとどまったのである。
「あれ?」
「……不発、かにゃ?突き抜けただけとか?」
危険だと判断し、緊急上昇をかけた天の磐船であったが、射出時の衝撃波以外は目に見える余波が生まれていなかった。
おっかしいなーと首を傾げるシアとともに、他の面々も下界を見下ろせる位置ギリギリにまで移動して着弾位置を確認しようと目を凝らした。
すると、砂漠に広がる巨大スライムの中心―――今しがたスキルが打ち込まれた―――付近から、細く天に伸びる光が生まれた。
そしてそれは雲を貫き、おそらくは星の世界にあるものを照らすほどに伸び、剰え徐々に太く強く光を増し始めた。
「な、なにあれ」
「いや、ねーちん自分のスキルじゃん?こっちが聞きたいっちゅーの!」
「いやでも前に使った時には射線上の敵を消し飛ばすってだけだったんだけど!」
言い合いしている間にも、スライムの凍った身体からは光が放たれ、やがてその部分が徐々に盛り上がり始めた。
「……ん?」
「なんぞこれ」
凍ったスライムを通して放たれる光が線ではなくなり、辺りを万遍無く照らし始めるまでそう時間はかからなかった。
光り輝く、放った時よりも遥かに巨大になった光槍が、せり上がってくるように姿を見せ。
そうして次に、それを巨大な牙で咥えこみ、巨大なするどいツメを持つ腕で握りしめ、その力の解放を抑えこんでいるモノの姿が、彼らの目に映しだされた。
「あれは……まさか……」
「知っているのか?ヘスペリス」
地上からスライムを押し割りながら姿を表したのは、獅子の頭と腕を持ち、鷲の脚とサソリの尾、背中には四枚の猛禽の翼を持つ、漆黒の巨人であった。
それを驚愕の表情で見つめていたヘスペリスに、カレアシンはお約束とばかりに声をかけた。
「ええ、それなりに。と言うか、貴方もご存知なのでは?」
「……俺が知ってるのとはなんか違うからなぁ」
見下ろす先には、こちらを緋色の瞳で睨み上げてくる怒りに満ち満ちた悪相の獅子の顔。
カレアシンが思い浮かべたのとは少々形状が違っていた。
「おそらくですが……」
そうことわりを入れたヘスペリスは、自身の知る範囲の情報を口にした。
それは、前世における神話。
メソポタミア神話と呼ばれる古代シュメール、アッカド、バビロニア、アッシリアに伝わる伝説に登場する、風の炎熱の魔神。
熱病をもたらす悪魔とも、悪霊の王とも呼ばれた、害悪の象徴。
名をパズズ。
風の魔神、パズズである。
「そんな……魔神、だと?」
「モルダヴィア大砂漠には、秘すべき存在が封じられているという話は聞いたことが有りましたが……」
二人の会話を耳にしたカールとイスズの二人は、顔面蒼白になりながらも、なんとかそれだけを口にして息を呑んだ。
「パズズ……か」
難しい顔をしたカレアシンは、大きくため息を吐くと、頬杖をつきながらヘスペリスにだけ聞こえるようにボソリと告げた。
「大神魔王とかだったりしたらめんどくせえと思ったが、どうやら某ダンジョンに出てくる奴のが近そうだな」
「ですね、と言うか、アレの劣化弱体思念体版ではなかったですか?某ダンジョンの方は」
「ああ、例の刀の為に山ほど狩ってたわ」
今にも意識を失いそうなカールとイスズをよそに、そんなことを言い合う二人であった。
一方我らが主人公はというと。
「ねーちん、アレどうする?なんかやばそげよ?」
「なんかやばそげって言うか、たしかにヤバイとは思うんだけど……」
見れば、こちらを睨みつけてくる魔神(仮)は、周囲を埋め尽くすスライムに取り込まれることもなく、いや、寧ろ魔神に触れているスライムの方が、逆に吸収されているかのように凍ったままうねり、引きずりこまれているようであった。
心配そうに脇をつついてくる熊子に対し、眉間にシワを寄せてどうしてこうなったと暫し悩んだシアであったが、不意にスキルを発動させた。
「【ボッタクリ商店】」
「え、と。ねーちん?」
鑑定スキルを起動させたシアの脳裏には、視点を合わせているモノの真贋や能力値が浮かび上がってきていた。
そして「ふふん」と鼻を鳴らすと、くるりと振り返って退避のために散らばったギルメンに向かって声をかけた。
「あいつ魔法無効持ってないわ!」
その声に、一同は色めきだって館へと駆け出していった。
「えーと、ねーちん?魔法無効無いってまじで?」
「こんなこと嘘ついてどうすんのよ。まあ魔法耐性は付いてたけど、ソレは力押しでどうにでもなるし?」
「いや、確かにそうだけど」
魔神とは言え一応神と名を付けられてるっぽい癖に、魔法無効化持ってないとかマジで?……などと思いつつ、熊子は自身でも鑑定スキルを起動させてみた。
「【何を調べますか?】」
周囲を埋め尽くす凍りついたスライムを、今やまるで排水口の如く吸い込み始めている魔神に視点を向ける。
すると、確かに魔法無効化を持っていない事が感じられた。
シアが言ったように、各種耐性はあるものの、無効化はなく、ただただ強大な魔力と体力、そして現在“病み上がり”という状態異常の真っ最中で、先に知ったMP・HP共に、絶賛回復中で有ることも知ることが出来たのである。
そしてふと気になって周囲のスライムへと視線を向けると、魔法無効、物理ダメージ無効、状態異常無効と再確認できた。
「状態異常無効でも凍るのは、スライム的にはアレが異常じゃないからかにゃ?」
などと独り言ちつつ見ていると、脳裏に嫌な言葉が浮かび上がってきたのである。
『エナジードレイン』
生命の源を、物理的にではなく吸い上げる能力。
え?と目を瞬かせた熊子は、シアに向かって「ねーちん!」と声を荒らげた。
「盛大に吸収してずんどこ回復中ってところかしらね」
熊子の声に頷き、そう言ってシアは腰のポーチに手を突っ込み、するすると細長い、背丈よりも頭二つ分ほど長い白銀色の金属で出来た、長尺の杖のような物を取り出した。
「あれ?ソレって魔法の杖?」
「んー?一応、剣だけど?まあ杖でもあるけど。展開」
取り出した持ち主曰く“一応”剣だというそれは、長年向こうでつるんでいた時には見たことのない代物であった。
一見するとただの金属棒にしか見えなかったが、よくよく見れば、薄い二枚の刃が重ねられて形作られているのがわかる。
二枚の刃は、ごく狭い隙間を保ち、遠目ではそうとはわからないだろう程に、一体化しているように見えた。柄頭に金色に光る磨きぬかれた魔晶結石が嵌められており、彼女の言うとおり魔法の発動も行えるように出来ているようであった。
シアの声に一瞬発光したそれは、素っ気ない形状であった元の姿から、美しい装飾の複雑な曲線で構成された鍔を生み出し、両手で振るうに相応しい長さの柄と、刃と刃の間から眩いほどの光の刃を発生させていた。
「おおう……物理と魔法の両方でぶった切れるわけね……」
「ふっふっふ、今宵の天沼矛は一味違うぞ。まあ使うの初めてだけどね」
「……剣じゃないじゃん!矛って言っちゃってるじゃん!?」
そんな間抜けな熊子の声が夜の空に響いたのは、他のメンバーが目当ての物を手に戻ってきたのとほぼ同時であった。