第60話 暑さが厳しいですね?お身体にお気をつけてくださいね?
「司令、ご無事で何よりです」
「ああ、待たせてすまん」
巨大スライムが凍りついて動けなくなったのをいいことに地表スレスレにまで降下していた巨大な空飛ぶ島から、“守護の砦”の司令官であるキャスパルは月明かりに照らされて意外に明るい砂漠の大地へと降り立った。
そこには自身の配下である副官と、実働部隊である騎士及び魔獣使い達が待機していた。
砦から出撃した人員は四十人と然程多くはないが、移動力を重視して歩兵は連れず、士気も高く実戦経験も豊富な熟練揃いの精鋭である。
その中の一人、キャスパルの副官であり、彼一人では処理が間に合わない―――さぼっていただけであるが―――山積みの仕事をこなしては小言を言う役割を成り行きで担ってしまっている女性、ヤセミーン・シャヒーンはその彫りの深い端正な顔立ちに、焦りを滲ませて進みでた。
「待つことには慣れています。それよりも司令に何かあったらと思うと……」
「ああ、引き継ぎとか面倒だよな。すまん。それはともかく、だ。アイツの相手は冒険者ギルドの連中が神様の使徒直々に頼まれたらしい。って事で、俺らは後方に下がる」
よほど心配をしていたのか、星と月明かりだけの夜の砂漠であるというのに、その焦燥に駆られ過ぎて心労がはっきりと見て取れるほどの顔色でキャスパルに言い募ろうとしたヤセミーンに対し、キャスパルから被せるように発せられた言葉が、それを中断させた。
突然のキャスパルからの命令に、ヤセミーンのみならず、集っている他の隊員たちも意味がわからんと言った風情で目をパチクリさせた。
「あの、司令?彼らに状況を聞いて来られたのですよね?と言うかあの人達、本当にあの冒険者ギルドですか!?って言うかアレ何なんですか!?先日の魔獣大侵攻の最後に突然現れた奴でしょう!?空飛ぶ島だなんて神話に出てくるような代物じゃないですか!各国が情報探ってるって話しなんですが、アレ冒険者ギルド関係だったんですか!?と言いますか、あっちの方が寧ろ大問題じゃありませんか!?」
ざわつく隊員たちを尻目に、ヤセミーンはキャスパルに疑問をぶつけた。半ば溜まった鬱憤を晴らすかのように。
飛行魔獣モアによる先行偵察で、視線を飛ばして確認してもわからなかった“迫り来る何か”の正体が掴めた際に、普段ならば砦に残って後方支援に徹する司令が率先して出撃を宣言した。
そして自ら先行し、既に戦闘を開始していた冒険者ギルドに接触、追いついてきた副官らに対し暫く待機を指示し、そのまま高空から降下してきた空飛ぶ島に足を踏み入れたのであったが……。
戻ってきたら即帰還を指示するとは、長い付き合いである副官も流石に承服しがたいものがあった。
それに、そもそもこの空を覆い隠すようにして浮いている巨大な島は一体全体何なのか。
神話や伝説に残る、空に浮かぶ島そのものではないか。
しかもソレは、冒険者ギルドと呼ばれる胡散臭い集団の所有する物だという。
冒険者ギルド自体は、砦においても色々と逸話が残っている。
かのギルドが設立される以前、その幹部らは、後に剣戟将軍と呼ばれる事となる、あのジョセフ・ジョフルがこの砦に赴任していた折には、かなりの頻度で助力をしたと伝えられているからだ。
嘘か真か、彼らはその多くが戦闘において剣戟将軍を上回る実力を誇り、当時の砦において彼らの支援は正しく命綱と呼ぶに相応しい存在であったとか。
その頃の真実を知る者の多くは戦いの中、神の身許に召されるか、任期を全うし、一線から退いている。
この地に赴任する者の殆どが故国に身の置き場がない者、若しくは砦を守護する者としての責を全うしなければならない立場に追い込まれた者ばかりだ。
彼らにとってこの砂漠は忌むべき場所であり、生きてこの地を離れた者も、言葉少なくここでの生活を語ろうとはしないという。あの剣戟将軍ですら、だ。
何がしかの禁忌にでも触れるかのようにおよそ全ての者が口を噤み、あの頃の砦で起こった出来事を知るすべはもはや無い。
特に、彼らが関わったとされる戦いに於いて、ソレは顕著であった―――。
実のところ、転生者の面々がジョフルに助力を頼まれた折に、各種スキル等の使用に際し「内密にな」と、少数ながらも同行していた彼に友好的だった砦の騎士らにもお願いしていた為に、その辺りの情報が出まわらなかっただけなのだが。
何しろジョフルは母国の貴族らの奸計により砦に送り込まれた立場である故に、日々の活動を『いのちをだいじに』とはいかない。結果を出さなくてはいけないからだ。
砦の面子の殆どが触らぬ神に祟り無しと言うスタンスで邪魔をする者こそ少ないものの、危険が迫っても救援などは望めないという環境である。
ジョフルにしてみれば、自分が死ぬだけならばともかく、我が身には実家とその領地の存亡が掛かっている。
生き残るだけではなく、圧倒的な成果も残さなければならない。
多少の功績では下手をすればもみ消されてしまうかもしれないとなれば、ジョフルが知る最も強力な伝手を頼るのは当然であろう。
その際の条件として、彼らの能力を誰にも明かさない事、最も重要な点として「逃げる事」に忌避感を覚えないことなどが盛り込まれたと言う。
その辺りは自身も傭兵としての経験もあるため、特別意固地になることもなかった。
ジョフルの従者としてならば、転生者が砦に入ること自体は特に問題ではない。
あとはジョフルが武勲をたてるだけである。
そうと決まれば転生者の動きは早かった。
砦へと流れてくる魔獣を発見次第叩くのではなく、積極的に見回りを行い、能動的に叩いて砕く。
無論、馬鹿正直に攻撃する事などは滅多に無く、各種罠、毒、逆撃を受けない遠距離からの一方的な攻撃等々、傍から見ていると可哀想になるくらいの叩きのめしである。
転生者はあくまでも裏方、倒した魔獣の首だけをジョフルが砦へと持ち帰り、他は遺棄と言う形であったが、実際にはスタッフがおいしくいただきました、と言うことだ。
功績の全てはジョフルと砦の面子に、そして実益は冒険者達が戴くというWin-Winな関係が出来上がっていたわけである。
そして凡そ一年、通常の騎士らが上げる戦果の数十倍と言われる魔獣討伐数を掲げ、ジョフルは凱旋したのだ―――。
そう言った実情を知らぬ者が大半。ならばこそ、彼らの胡散臭さが増すのは当然といえよう。
冒険者らは“剣戟”の尻馬に乗って私腹を肥やし、その益で今の権益を築いたのだ、などと。
故にそんな巷を流れるそれらの噂を踏まえてみれば、彼らが神の使徒から直々にアノ化け物の始末を請け負った等という話を聞いて、耳を疑わない者が居るならば見てみたいものだと思うヤセミーンの思考はあながち的外れではない。
知る者にとっては当然の事でも、知らぬ者にとっては穿った見かたしか出来はしない。
そして彼女はどちらかと言えば知らぬ者である。
であるために、彼女は自身が敬愛する司令の事ですら、本当に本人なのか、正気を保っているのか、もしかして操られているのではないかと怪しく思えてしょうがない。
あらゆる状態異常を癒す神聖魔法、【平穏なる精神を】でも唱えられる者が居るのならば、今直ぐにでもかけて正気を取り戻させて欲しいと願う程であるが、砦所属の者にそのような高位の使い手は居ない。
歯噛みしたくなる思いに、彼女は眉間にシワを寄せて自分達を今にも押し潰しそうとしているかのように見えるギルドハウスを睨みつけた。
そんなヤセミーンの内心を知ってか知らずか、キャスパルは気安げ人差し指を立て、こう口にした。
「ああ、そうだ。別に操られたとか取引したとか言う訳じゃない。証拠も見せられたよ」
「証拠、ですか?」
「神賜物って奴だ。そこにあるのにソレが何かわからず、授かった者らにしか触れる事能わず。そして、神勅を成し遂げた場合にのみ、その本来の姿を現すってな」
「そんな……」
神賜物は、神、あるいは神の使徒と呼ばれる存在が、神の御心に従う敬虔な信徒に下されるものだ。
光り輝く何か、としか見えない、例えられないそれは、人の手によるものではあり得ない。
まさしく神からの賜り物なのだ。
「なんなら今からもう一回、お邪魔して見せてもらうか?多分駄目とは言わんだろうが」
「い、いえ。遠慮しておきます。それよりも撤退、ですよね?」
「ん?ああ、魔法が効かねえどころか吸収しちまうらしいからな。直接攻撃にしても、よっぽどな威力じゃなきゃ無効化しちまう。現状俺らじゃお手上げだ」
となれば、何らかの手段を持つ故に神に望まれたのだろう彼らに任せるのが一番だ。
「さて、退くか。【加速装置】んじゃお前ら、しっかりついてこいよ!」
「え!?ちょ、待ってください司令!」
そう皆に告げ、これまた先頭を切って駈け出した司令を、残されたヤセミーンと騎士らは慌てて追いかけ始めるのだった。
☆
「……シャルル君の、お兄さん?」
「ああ、そうだ。まあいわゆるひとつの腹違いって奴だがな」
青尽くめの出で立ちのカールマンが紡いだ言葉をシアは脳内で反芻して、何十回目かで漸くその意味を理解した。
「え、義理とかじゃなく?」
「親父が節操なしでな……。死ぬ寸前に若い娘に手を付けて、生まれたのは死んじまった後でな……」
下半身に節操のないの男性に関して色々と思うところのありまくるシアにとっては、かなり受け入れがたい内容であった為に内心が露骨に表情に出てしまった。
とは言え当事者ではない目の前のカールマンにしてもシャルル少年にしても、責任はまったくもって無いのであるが。
「仕事やら何やらに関しちゃ、尊敬できる親父だったんだがなぁ。跡継ぎの男が俺しか生まれなかったせいか、そっち方面には死ぬまで節操がなくてなぁ」
面目次第もないといった風情で語るカールマンの背後では、嫁のイスズも困り顔で苦笑いであった。
父親が亡くなり、彼が家督を継いで暫くたってから、シャルル少年が生まれたと連絡があったというのである。
既に相続に関してはケリが付いており、別段揉める事は無かったのだが、後々に問題が起こっても困るという事で、彼の存在は内密にされ、経済的な支援だけを行い地方の街に母親共々隠棲させた、と言うことであった。
「話は理解出来ましたけど、なんで今さら王都に?地方で静かに暮らしてたんじゃないんですか?」
「まあそうなんだが、少々厄介事があってな」
当然のシアの問いかけに、カールマンは頭を掻き毟りながら嘆息し、ちらりと背後に視線を送ってから続けた。
「俺とこいつの間に、子供が出来なくてなぁ」
「……ああ、後継問題再発ですか」
曰く、結構いい歳なのでいい加減跡継ぎを指名しておかないと、周りが五月蝿い。
しかしながら子供の生まれる気配がない、となれば遠い親戚辺りが蠢いて困る、と言う話でかなり不味いことになってきているとのこと。
「それで、義理の弟ですかぁ……。お子さんが生まれれば解決なんでしょうけど」
「そうなんだよなぁ…。どちらにも異常は無いって話なんだが」
「ん?と言うと、子種がないとかそういうわけでは?」
「そいつは確実に無いな。ソレこそ神に誓える」
その辺りは神聖魔法で調べたと言うことなのだろう、その上で、となればそれはもう時の運としか言えない。
言えないはずなのだが。
「ふむん」
「どったのシア」
腕を組んで思案顔のシアに、リティが肘で突っついて促してくる。
「ん、ちょっくら天の磐船に行こうかなと」
「え?今から?」
「うん、特に問題は無いでしょ?」
そう言うや、シアは目の前の二人にギルド加入承認(仮)を発動し、否も応もないままに強制送還を起動させたのであった。