第56話 自己紹介は大事ですよね?特に初対面だとね?
(´・ω:;.:... 決算…
「おんや?」
クリスチーネの自己紹介に、歳若い新人連中はあまりの衝撃に一様に固まり、二の句の告げない状態であった。
ここ冒険者ギルドにおいては、高齢の王都住人が小遣い稼ぎを行うために頻繁に顔を出している事もあり、年配の女性がいても特に目立つことがなかった。
それ故に、彼女もそのたぐいの非正規ギルドメンバー、いわゆる日雇い人夫として登録しているものであると、新人達は思っていたのだ。
それが一転、自分達よりも遥かに長い間このギルドに関わっている正規のメンバーで、あろうことかこの支部における筆頭冒険者だという。
筆頭冒険者というのはその言葉通り、所属するギルド支部において幹部を除いた最上位の冒険者である。
冒険者ギルド内部での階位を示す硬度であるが、その上位である硬度七~十位は冒険者ギルドの設立以前、流れ者であったと言われる彼らとその縁者にのみ冠せられるのが慣例となっており、新たに加入する者は六位が最上位とされている。
七位以上の者は、ぶっちゃけてしまえばギルド設立メンバーが転生してきた者達だという秘密を共有していると言う証でもあるのだが。
「硬度六位で、しかも銘持ち……え?」
「そうは見えない、かい?」
そう言って彼女は、伸ばしていた背筋の力を抜き、椅子の背もたれにだらしなくもたれかからせた。
彼ら新人は一様に表情を固くして、今聞いた言葉の意味を脳内で反芻し、消化させた。
支部のメンバーは、正規不正規はあれどほぼ全て顔見知りである。
無論彼らも彼女の顔を何度か見た覚えはある。
しかしながら、そんな彼女がそんな立場に居る者だとまでは、知り得て居なかった。
まあギルド幹部を筆頭に、自身の階位をひけらかして悦に入る趣味の者があまり居ないため、知る由もなかったというところであろうが、そんな階位と言えどもそれはその人物の実力を示すもの。
硬度六位と言う事は、およそ彼らからすれば彼女は、その足元にも及ばぬほどの力量を持つと言うことだった。
「ふん、まだまだ若いねぇ。こんなおばちゃんごときにびびっちまうなんてさあ」
「んゆ?ビビるって何?」
ただ一人、のんびりと自分のペースで未だに食事を続けていた獣人少女だけが、クリスチーネの言葉に反応して、手にした匙を綺麗に舐めつつ視線を彼女に向けた。
「ビビるってのはね、出来る事が出来無くなっちまう事さ。別に出来ないようにされた訳じゃなく、自分から出来なくなるんだよ。わかるかい?」
「おー、じょにーがよく言ってるやつかー。てめえらびびってんじゃねーって」
笑みを浮かべて諭すように言うクリスチーネに、獣人少女は手にした匙を振り上げて、勇ましく普段聞く彼の口真似をした。
それを微笑ましげに見つめる彼女の横で、それまで固まっていたジョニーが、震える足に力を込め、歯を食いしばり立ち上がった。
「お、おれは別にビビッテなんざ居ねえ!」
「いーや、ビビってるさね。その震えるアンヨはなんだい?その咬み合わなくてガチガチ言い出した歯はなにさ」
「こっこれは、これは武者震いってやつだ!明日っからのシゴキが楽しみでワクワクしてるんだよっ!」
そう吐き出したジョニーの横で、同様に固まっていた仲間の新人達が、同じように震える足に力を込めて立ち上がろうとするのを見て、クリスチーネは嬉しそうん微笑んで立ち上がり腰に手を当ててこう言った。
「ははっ、リティが認めただけあって、根性だけは一人前かい?おちびちゃんは恐いもん知らずなだけかもしれないけどねぇ」
「そんなことないぞ、おばけとかこわいもん。な!」
ジョニーにくっついてギルドに参加した少年少女の内でも最も幼い獣人少女――ミーシャと言う名のその娘――は、怖いもの知らずという言葉に反対意見を訴え、仲間に同意を求めた。
笑みを浮かべた表情のまま新人らを見回すクリスチーネは、一人これといって反応が変わらない獣人少女へと近寄り、そのざんばらになっている髪に手櫛を通す様に撫で付けしみじみと口を開く。
「おちびちゃんが一番見込みがありそうだねぇ…。料理長!この子達にアレ飲ませてやっておくれでないかい?」
「…あいよ」
言葉には出来ずとも、消えかけていた目の光が力を増して来るのを見届けたクリスチーネは、大きな声で食堂の奥で成り行きを見守っていた人物に声をかけた。
料理長と呼ばれた巨漢の普通人は、無愛想な返事だけを残し、調理場から人の頭ほどの大きさの瓶をひとつ持ち出すと、彼女らの元へとゆっくりとやってきて、何処から取り出したのか、鈍色の盃を人数分、テーブルの上に置き、小さな柄杓で瓶から汲んだねっとりとした緑の液体を注ぎ込んだ。
「…めったに振舞わねえマダムが珍しい事もあったもんだ」
「若いもんへの手向けさ。アンタだって似たような経験、あるだろう?」
熊かなにかの獣人かと思えるほどの巨体を揺らしながら、料理長は「ちげえねえ」と一言だけ残して調理場へと戻っていった。
テーブルに残された小さな人数分の盃に目をやり、クリスチーネは新人達に盃を手にするように促した。
「こいつはね、私がココに世話になり始めた頃、冒険者ギルドってぇ名前になるよりもずっと前の、なんだかよくわからない連中の集まりだった頃に貰った代物でねぇ。神の酒とも呼ばれる秘蔵の品なのさ」
その言葉に、意味を知る周囲の者達は静かにざわめいた。
☆
「大盤振る舞いだねぇ」
「え、あれってばいわゆる某超神水的な潜在能力上昇のポーションじゃないの?」
二階から降りて来たシア達が、新人とクリスチーネとのやり取りを物陰からこっそりと覗いていたりした。
リティのつぶやきに反応し、彼らが手にした杯に注がれた液体の正体をひと目で看破したシアであるが、その問いかけの答えを貰う前に、杯を手にした新人達は、注がれた液体を口腔に一斉に流し込み嚥下していた。
「お、いい飲みっぷりじゃん」
「って、ちょっと熊子。なんで潜在POTがあんな激レアな霊薬的扱いなわけ?いや、確かに原価高かったけどさ」
潜在能力と言うのは、レベルアップに伴う各種ステータスの上昇に関わるパラメーターである。いや、あったようだといったほうが適当であるが。
数値として表される事はなかったが、経験則から「とあるポーションを飲んだあとのレベルアップ時のステータス上昇がなんか良さげ」と噂され、次第に広まった物である。
いつしか潜在ポーション、潜在POTなどと呼ばれるようになったそれは然程入手困難というわけでもなく、前世ゲーム時代においてはNPCが営む街の魔法屋やおみやげ屋で時折見つかる程度の物で、見つけたら取り敢えず買って飲んどけ的な代物であった。
それがどうもココでは扱いが別物になっていたのであるから、この世界に来てまだ日が浅いシアとしては少々気になるというものである。
「まあねーちんもちつけ。あの頃とは商品価値とか技術的あれこれとか能力なんかがちゅーかなんちゅーか、そこいらへんの常識が乖離してるからさ。大雑把に例えて言うと…んー」
「大雑把に例えると…何?」
気になってそわそわしているシアに、熊子がお気楽そうに間を持たせ、口を開く。
「ウチラの戦闘能力がF-22としたら、この世界の人ら高くても精々複葉機レベルなんよ。たまーに単葉機なレシプロ戦闘機レベルの人が居たりジェット戦闘機な人は居るけどな」
「熊子、ちょっとそいつは割引きすぎかなーとおねーさんとしては思うんだけど。それで言うなら私らどこぞの三段変形戦闘機レベルじゃない?」
冒険者と現在のこの世界の人間たちとの戦力比較を口にする熊子に、リティが横から口を挟む。
彼ら的にはわかりやすいたとえなのだが、この世界の人々には意味不明である。
「あー、その辺は割りとわかってきたけど……」
「そうね、職人的な生産レベルで言えば、あの頃はだれでも作れた初級ポーションが、今じゃ秘宝級だし」
「普通の人だと、怪我が治ると同時に元気になりすぎて鼻血吹くしなw」
「ああ、だからポーションで軟膏作ってるのね」
納得納得、と頷くシアに、リティはこう続けた。
「で、アレも同じく伝説の飲み物扱いなわけよ」
そう言って指さした先には、巨漢の普通人男性が奥へと仕舞い込んでいる瓶。
横目でそれを追ったシアであるが、その顔にはあからさまな脱力感が浮かび上がっていた。
「……効き目無いとは言わないけど、気休めだよね。青汁」
「気は心よ」
「そうそう、鰯の頭も信心からって言うじゃん」
言いながら、見た感じ多少なりとも昂ぶりを見せる新人達の元に向かう。
全員が口元を抑え、その口腔から鼻腔に広がる得も言われぬ芳香に耐えている様子に苦笑いしながらであるが。
それに気づいたクリスチーネが立ち上がり、にこやかに笑みを浮かべリティに声をかけた。
「おんや支部長、お話は済んだのかい?」
「ああ、十分に旧交を温めたさ。熊子は知ってるね?本部付きの」
声をかけられたリティは、口元を綻ばせながら応え背後に立つ二人のうち熊子を肩越しに親指で示した。
なお、既にリティは重装備を既に解き、身軽な服に着替えている。
とは言え受付で使われている事務用の制服であるが。
「ええ、存じておりますとも。久しぶりだねぇ、元気だったかい?」
「おいっす。何時ぶりだっけ?」
旧交を温めるような言葉を発しつつ、その瞳は両者ともに笑っていない。
嘸かし過去には色々とあったのだろうが、リティは軽くスルーしてもう一人の本命を紹介した。
「こっちはシア。長らく空位だったギルドマスター殿さ」
「あ、どーも。ギルドマスターのシアです、よろしくー」
「ああ、こりゃご丁寧に。わたしゃクリスチーネ・ハウダ、どうぞよろ…しく?」
お気楽に告げられた紹介の言葉に、思わず気軽に返したクリスチーネであったが、挨拶の途中で言葉の意味に思い当たり、思わず疑問符がついてしまう。
彼女のみならず、その意味を理解した者は、目を見開き、たった今自己紹介をした人物を無遠慮に凝視した。
「あはは…。どーも」
視線を一身に集めたシアは、口元を引き攣らせながらも思わず手を振り愛想笑いである。
そんな様子を眺めてはいやらしい笑いを浮かべるのはリティと熊子であった。
「ねーちんをどう紹介するんかと思ってたけど、なし崩しとはねー」
「いやいや、計算通り?」
「嘘だっ」
そんな事を言う二人をよそに、クリスチーネは気を取り直して恭しく頭を下げ、ゆっくりと顔を上げると、ピンと張り詰めたような空気を纏った、一人の淑女へと様変わりしていた。
「初めてお目にかかります。私、硬度六位を拝しております、クリスチーネ・ハウダと申します。銘は蒼き月長石、この支部では筆頭冒険者の席についております」
その声に応えるかのように、彼女の目の前に立つシアも醸し出す雰囲気をあからさまに変え、ゆったりと言葉を発した。
「長き不在を申し訳なく思います。硬度十位、星の金剛石シア。ギルドマスターを務めます。よしなに」
穏やかな響きで告げるその言葉に、クリスチーネは思わずその足元に跪き、その両手の平を重ね胸に当てた。
シアはそんな突然の彼女の行動に微動だにせず、ふっと微笑むと、屈んだ彼女の目線に合わせるようにふわりと身を沈め、その手を取り、立ち上がらせた。
「ギルドにおいては階位の差はあれど、上下はありません。階位を設けたのは未熟な者を従わせる際に必要があったからと、呉羽から聞き及んでおります。ギルドメンバーは家族も同然、出来る事ならば、シアと呼んでください」
「は…」
にこやかに微笑むシアの容貌を目の当たりにし、クリスチーネは思わず自身の性別を確かめそうになる程に、顔が火照るのを感じた。
そしてシアの言葉を身に染み込ませるかのように硬く目を閉じ、暫くしてゆっくりと目を開くと、柔らかな笑みを浮かべ、口を開いた。
「はい、マスター・シア。これからよろしくお願い致します」
その答えを聞き、「ちょっと違う」と思いつつも、シアは少々演技過剰な節回しな口調に合わせたのは失敗だったかと、相手の雰囲気に合わせたことを後悔していた。
☆