第44話 お風呂回が終わりませんでしたよ?早く進めたいんですけどね?
「いやー、正直何回死にかけたか。各国の辺境つーか国境辺りには魔獣とか幻獣の巣みたいになってるところあるじゃん?森とか谷とか山脈とかさ。ああいうところの探索してるとさー、命なんて幾つあっても足りないよ?マジで」
ほろ酔い気分で弁を振るっているのは熊子である。
コレまでの異世界生活で、仲間達とやり遂げた仕事のうち、言っても支障の無い内容を冒険譚めかして語っていたのだ。
聴衆となっているのはハイジとクリス、アラミスにシャルル少年と、おまけにシアもその中に含まれていた。
「はぁ、なるほど。冒険者…でしたか、大変なお仕事なんですねぇ」
濁った湯に浸かっている状態であれば、何とか平常心を保てているシャルル少年が、それでも半ば上の空で相槌を打つ。
残る四名は、シアを除いて始めこそ真剣に聞いていたが、どんどん話が突飛なものになっていった為に、後半はほぼ聞き流し状態であった。
話すとヤヴァイ事柄をごまかしてはいるが、ほぼ忠実に語っている熊子の話す内容は、まさしく事実は小説よりも奇なりと言ったところであるのだろう、逆に聞く気が失せていったようである。
しかしながらシアにとっては、ゲーム時代とこの世界との擦り合わせを行う為の良い情報であった為、聞き逃ししないように思いの外真剣に聞く事に専念していた。
「で、そもそも最初にウチらがやり遂げた仕事ちゅーかまあ成り行きでやんなくちゃならなかったのが、ヴィーブルダンセ平原でのお仕事かにゃー」
「ああ、そういう名前のフィールドあったね、そういや」
熊子の言葉にシアのみがうなずく。
シャルル少年は、ヴィーブルダンセ平原という名称にだけは反応したが、それがなにを意味しているのかまでは知らなかったと見えて、首を傾げるに留まったのだ。
「シャルル様、ヴィーブルダンセはゴール王国の西部、アンダルス半島とわが国を隔てるピューレーナエイー山脈に程近いなだらかな草原です。ここ最近、酪農が盛んになってきていると伺ったことがありますが、以前は確かワイバーンの餌…場…」
「そーそー、ワイバーンってさ数年置きに繁殖期に入るんだけどさ。そんときに営巣地まで移動するんだよね。で、ピューレーナエイー山脈で子作りするらしかったんだけど、その移動の中継地みたいになってて、あの辺に生息してるグレート“ありがと”ラビットを狩りに来るんだよね、子供のえさ用に。それ知らないであの平原に掘っ立て小屋建てて住み着いててさ、えらい目にあったよー」
空を埋めるワイバーンの群れが、それはそれは壮観だったと、酒を手酌で注ぎながら気楽に言う。
「敵が七分に空が三分ってのがリアルで言えるとは思わなかったさ。あん時ほど魔法で一気に殲滅できてりゃと思った事は無いね」
そこまで言って、きゅっと酒を煽る。
熊子にも苦労させちゃったんだなぁと、シアは我ながら申し訳ない気持ちでいっぱいになっていた。
自分がさっさとこちらに来ていれば、魔法なんて撃ち放題だったろうにと。
それが顔に出ていたのか、熊子はシアに向けて事のほか気楽そうに言う。
「あ、めんどくさかっただけだからね。その辺に落ちてる石やら何やら全力で投げつけて翼の皮膜に穴あけりゃ、あいつら落ちるし。あとは皆で順番に休憩入れながら狩った。数だけは多いもんだから、みんな途中でだらけちゃって、ルーチンワーク状態だったよ」
ワイバーンは一般的には飛竜と呼ばれているものの、カテゴライズ的には幻獣の竜種ではなく、魔獣である龍種である。
トビトカゲの類が魔に触れて生まれたとされているが、元となった生物の繁殖力が高かったためなのか、はたまた魔獣化により強い固体として生まれる事となったために、本来ならば捕食されるなり成長過程で死ぬ運命にあったであろう多くの幼生体が生き残り、群れを成すまでになったと考えられている。
群れをなして獲物を襲う事が多く、人に対しても躊躇なく攻撃を仕掛けてくる為に危険な魔獣の最先鋒として恐れられていた。
幻獣である竜種と比べて比較的小型であるが、外見は割りと似通っているため、何らかの繋がりがあるとは考えられているが、この世界において未だ遺伝子云々や進化論などと言うはっきりした概念はないため、仲間みたいなものにみえるんだけどどうなんだろう?的な扱いである。
同様にカレアシンのような竜人とは別に、湿地帯などの水辺に住む亜人として蜥蜴人と言う種が確認されているのだが、発見当初は角が無い以外は竜人と同種族かと思われる程に外見が似ていたため、接触をはかった者も居たのだが、その際に会話どころかまるで意思疎通が行えなかったという。
後に、水棲人らは以前より彼の種の存在を知っていた事がわかり、曰く「人に対する猿みたいなもの」と認識されていたと言われ、納得したと言う逸話がある。
それはともかく、ゴール王国の政府機関でさえ頭を悩ませていたヴィーブルダンセ平原を繁殖期の餌場としていたワイバーン達は、悉くが冒険者らに狩られていったのである。
「いやあ、こう言っちゃあれだけど、いい稼ぎになったんよ?あいつら基本的に物理攻撃だけだし、落とせば噛みつき以外はたいした事じゃん?」
本当に気楽そうに言うが、それに納得しているのはシア一人きり。
シャルル少年とアラミスは、「いみがわからないよ」といった感じに固まっていた。
ちなみにハイジとクリスの二人は、温泉と酒に集中しているため、話に耳を貸してもいなかった。
「でさ、倒すだけならちょい苦労したなー程度なんよ。実際ワイバーン倒すより、後始末のが大変だったね」
「何で?多すぎて売値が下がった?」
あまりにも一度に放出すると、貴重であっても値が下がるのは道理であるため、シアは首を傾げて聞き返した。
だが、熊子の返事は予想とは大きく方向性が違うものであった。
「うんにゃ、その辺はみんなで手分けしてあちこちにばら撒いたし、そもそも自分らで使う分に回した残りだしね」
それではなにが?と首を捻ったところで、復活したアラミスが、ポツリと呟いた。
「ヴィーブルダンセ平原の、占有に関して、ですね」
「正解」
か細い声で発せられた解答に、熊子は人差し指を立てて正答を讃えた。
それで、実際の所どんな難儀が襲いかかって来たのかとシアが続きを促そうとしたところ、見覚えのない一人の少女がぽてぽてと風呂の傍まで歩いてこようとしているのが目に入った。
「ん?誰ちゃん?」
シアの視線に気付いた熊子がそちらに目をやると、熊子よりもさらに小柄な金髪の少女が目に入った。
「んー?」
はて、と腕を組んで視線をさまよわせるシアに、その少女———いや、むしろ幼女———は、風呂の縁まで残り数キュビトゥスの地点からえいやとばかりに跳躍し、シア目がけて飛びかかって来たのである。
「え?ちょっ!?シア様!?」
ほんのわずかな距離とはいえ、足場の悪い浴場の濡れた床で周りの誰にも反応させずに飛びかかる幼女に、一瞬反応が遅れ空中で掴めなかったハイジが、悲鳴を上げ———。
「ああ!タマちゃんじゃなーい。お風呂入りに来たの?」
ぽふん、とシアの胸元に飛び込んだところに彼女から告げられた言葉が、熊子以外の者たちを唖然とさせたのであった。
「…狙い過ぎだろ、お狐幼女様とか」
熊子の独白だけが、誰にも届かず湯気に混じり合っていった。
一方その頃、お馬鹿な行為に走ろうとしていた輩達はというと———。
「すみませんでし———」
「ぼろっぼーほろっほー?ぼろっぼー」
岩山に取り付く事も出来ずに、巨岩の足下に溜まった湯で湯浴みをしていた鳥バーに〆られていたという。
「ほろっほーーー!」
「熊子様の下僕!卑しい哀れな犬っころであります!」
ついでに鍛えなおされたりもしているようで、岩山の周囲を防具その他フル装備でのランニングをさせられているようである。
「あー、なごむー」
幼女化した九尾の狐を胸に抱き、シアは満面の笑みを浮かべながら長湯を楽しんでいた。
既に空には星がちらほらと見え始め、辺りは暗闇に沈み始めていたが、この岩山だけは周囲から浮かび上がるようにうっすらと燐光を放ち、その存在を主張していた。
「ふみゅ。精霊がこれだけ濃ゆく溜まってると、そりゃそうなるか」
熊子は既に湯に飽きたのか、岩山の最上部に登り周囲を見回していた。
女性陣は茹だってしまったシャルルを介抱しているアラミス以外は未だに湯に浸かったり上がったりを繰り返している。
そこまで温泉に対して執着していない元男としては、いささか呆れ始めていたとも言える。
一人だけ先に抜け出すのもどうかと思た熊子は、火照った身体を冷ますついでに、久しぶりに一人物思いに耽ろうとして皆から少し離れたここに腰を落ち着けたのである。
眼下に見えるのは、野営を行なっている商隊の灯している篝火だけ。
それ以外は空に浮かぶ星の瞬き以外は、全く光のない空間が広がっているのである。
熊子はそれを眺めつつ、短くため息を付き、独りごちた。
「超絶美形なおにゃのことお風呂に入っても全然嬉しくないとか、俺もうホントおにゃのこなのな…」
この世界に来たばかりの頃は、自分の体を眺めるだけでもそれなりにワクテカしたものであった。
しかしながら今現在、超絶美形なエルフのシアに、のんきな可愛い系のハイジ、姉御なクリスにクール系美女なアラミスと新規参入の金髪美幼女(もふり尻尾ありバージョン)を見ていてさえ、興奮と言うか、熱い気持ちがこれっポチッも湧いてこない。
理由は熊子自身にもある程度は理解できている。
なにしろ前世での男時代よりも、こちらでの女としての生活のほうが既に長いのである。
もはやこの体に精神ーーー魂すらもーーーが馴染んでしまったのであろう、と。
過去、中身が男だからと着替えを男、女、元男、元女、秀吉とに分けられていた転生初期が懐かしく思える熊子なのであった。
「いや!たとえ生物学的には女でも!俺にはまだ、男の証が残っている!多分!」
うおおおお、と潜めた唸り声を上げ、熊子は気合を入れる。
「唸れ!俺の右脇腹にあるんじゃないかなって感じの浪漫な回路!無限のエネルギーをどうにかして発生させれ!」
一番嫌いな言葉が「努力」で二番目に嫌いな言葉が「ガンバル」な人が発していたような呼吸音を響かせつつ、熊子は己の内に残っているはずの「漢の証」を見出そうとしてた。
数分後。
「あかん」
何とかしてあの頃の『心のトキメキ』を取り戻そうとした熊子であったが、ふと目に入った光景に、己の中の“決定的な何か”が折れそうになり、気力がしぼんだのである。
「シャルル少年を見て萌えそうになるとか…別に男の娘でもないのに…あかんて、ほんまアカンて」
未だに男の名残を引きずっている熊子の、越えられない、越えたくない一線がそこにあるのだった。




