第40話 守りたいモノはありますか?あるのならば力尽きるまで守り抜きましょうね?
その日、彼が店を開ける準備をしていると、音も無く扉が開いた。
常ならば、扉につけられたベルが涼しくも騒がしい音を立てて来客を告げるのだが、そもそもそれは開店して営業開始してからの話で、現時刻では扉が開く事自体があっては成らないことであった。
「……営業時間はまだ先なんですけど、どちら様でしょう?」
昼間は舞台に上がる事が無いために、真っ当な男性の姿をしているジューヌが、珍客に声をかけたと同時に、自身の獲物である黒光りする魔杖をかざしたのは当然の道理であろう。
「いやはや失礼。私、鍵などといった物には疎い物で、少々お願いして開いていただきました」
ジューヌの居るカウンター内から入り口の扉まで、明らかに彼の手元に隠せる長さではないおかしな距離を跨いで自身の首元に届いている杖に対し、些かも気に留めず、その頭部にのせられている、黒いフェルト製のパナマ帽に似たつばのある帽子に手をかけ、静かに胸元へと下ろし、その表情をさらけ出した。
「ジューヌー?どうかしたの?って誰!?」
その時なにやら旦那の物々しい雰囲気を感じた妻のセラが、店の奥から姿を現した。
と同時に濃い粘液のような粘りを感じさせていた空気が一気にさわやかな物へと変わり、ジューヌの目を瞬かせた。
そんなジューヌを放置して、男は手にした帽子を持ったまま両手を広げ、にこやかな笑みを浮かべこう言った。
「おお、これはこれはお美しい。どうですか?これからご一緒にお食事でも」
「あら嬉しい。ですが私夫がおりまして。残念ですがそういったお誘いはお断りさせていただいておりますの」
それは残念、と呟いて軽く頭を下げる男に、ジューヌは呆れの混ざった表情で杖を戻し、溜息混じりに頭をがりがりと掻きつつ口を開いた。
「で?何でこんな所に居るんだ?独神の使徒さんよ?」
☆
「シアお姉ちゃんたち!大丈夫だった!?」
馬車から飛び降り、シアたちの下へと駆けてゆくシャルルの背を、アラミスも慌てて馬車から降り、追いかけながら周囲を見回す。
見える範囲には見知った顔しか居ないのを確認し、安堵の息を吐きつつシャルルの背後を守るようにそばへと近づいた。
「あ、シャルル君。大丈夫よー、お姉ちゃんたち強いんだから」
乗騎から降り、なにやら雑談をしていたシアたちは、駆けてくるシャルル少年を見ると笑顔でそう答えた。
「具体的にどれくらい強いかって言うと、ちょwwでか過ぎwwとか思ってた怒涛の合体状態が可愛く見えるレベルの超銀河な奴が最強だと思ってたらまだ上がありました、ってくらいの強さだから心配しなくてもヘーキ」
「ぜんっぜん具体的じゃないと思うんだけど?熊子殿」
なにやらよく判らないたとえをした熊子に突っ込みを入れるクリスだが、突っ込まれている本人はまったく気にしていないようである。
「なんにしても、襲ってくる奴はやっつけちゃったから。大船に乗った気で居てくれてダイジョブだからね」
「そうそう、具体的に言うと畝傍艦に乗った感じで」
「それ出来立てほやほやの回航中に行方不明になった巡洋艦だよね!?めっちゃ駄目駄目じゃない!」
「いやいやねーちん、全長五チェインほどもあるんだから十分大船よ?」
「それならタイタニックだって大船じゃない!縁起を担ぐって意味的に考えてもうちょっと沈まない感じので例えてよ」
「んー、スタン・ハンセンとか?」
「ウン、不沈艦伝説とか懐かしいどころか私ビデオでしか知らないわってレスラーじゃん!」
「え~帆船繋がりって事でいいじゃん」
「よく言った。じゃあ今度熊子には生で鮭食ってもらう。熊だけに」
「えー?おなかに虫湧いちゃうじゃん。それにウチ魚は苦手なんよ」
などと、掛け合い漫才を始めたシアと熊子を、諦めの表情で見つめるしかないクリスとアラミスである。
しかも話の内容がさっぱり意味不明な上に、そんな二人をニコニコと見守るシャルル少年の表情を見ていると、放っておいてもいいかと思ってしまう。
そんなふうに気の抜けた雰囲気に包まれた中、彼らの頭上にハイジのヒポグリフが影を落とした。
「ただいま戻りましたー」
「おか」
「お疲れ様だね、ハイジ」
「あー、もしかして私の魔法の影響で吹き飛ばされてた?ゴメンね?」
ぶわさ、っと翼を広げてふわりと着地したヒポグリフから降りたハイジに皆が声をかける。
無事だったので気にしないでくださいと言うクリスは、続けて報告を告げた。
「鞍の付いた馬?人は乗って無かったの?」
「はい、三頭いましたね。軍馬のようでしたが」
騎士が鎧を着けて搭乗する都合上、軍馬は通常の乗用馬や荷役用の馬に比較して馬体が大きい。
基本的に臆病な生物であるため、戦時においての運用を可能にするための訓練や装備、維持などに多大な費用と手間がかかり、大規模な組織でなければ気軽に保有する事も出来はしないものである。
それが三頭も放置されるとなると、少々怪しんでも然るべきであった。
「それ、もしかして逃げ出した馬とかじゃなくて…」
「なんか、誰かが馬から下りて活動してんじゃね?こっそり」
シアの言葉を受けた熊子の言葉に、周りの者の表情が変わる。
雰囲気の変わった大人たちに、戸惑いの表情を見せるシャルル少年だったが、シアはそれに気付くと柔らかな彼の金髪のくせ毛の感触を楽しむように、優しく手の平で撫で付けて優しく微笑を浮かべた。
「大丈夫よー、心配しなくていいからねー」
シアの笑顔に頬を染めるシャルル少年だったが、次の瞬間その表情が強張った。
「…ちょろちょろしてるのがいるなーと思ってたけど、何のつもりなのかしら」
それまでシャルルの頭を撫でていた手が、いつの間にか側頭部に位置し、その手には…いや、そのたおやかな白い二本の指の間には、鋼鉄製と思しき鋭い矢が挟まれていた。
視線だけを矢の飛来した方向に向け、シアはゆっくりと立ち上がった。
「熊子」
「うん、いるねー。少なくとも友好的じゃないよね、うりゃ。光破爆裂拳」
シアが立ち上がったと同時に、同じ方向から無数の矢が飛来し、その場にいるもの全てに降り注ごうとしていたが、それらは熊子の手から迸った真っ白な閃光により、全てが弾き飛ばされるようにして粉砕された。
「【さみだれうち】系かな?スキル持ちがこんな事してるとはねぇ」
「【認識阻害】も使ってたねぇ。熟練度的にまだまだヌルいね、攻撃したら解除とか」
必殺の一撃がシアにより止められた事で、新たな襲撃者は無差別攻撃に移ったようであるが、それらは全て防がれてしまった。
そして、シア達の視線の先十チェインでは、踵を返して逃げ出した人影が二つ見えた。
「逃がすかっ!行くよハイジっ」
「了解っ、クリスっ」
熊子により矢襖が防御された直後、クリスとハイジの二人は傍らに居た乗騎に飛び乗り、一気に加速した。
「あっちは任せてダイジョブっぽいかね」
「そうね、とりあえず敵の狙いが判ったし、二人に任せておきましょうか。ね、アラミスさん」
そう言って振り向くと、シャルルの身体を片手で掻き抱くように守り、もう一方の手に細身の剣を持ち、辺りを警戒しながら元居た馬車へともどろうとしている男装執事の姿が見えた。
「アラミス、もう大丈夫だよ、ねえ」
「シャルル様、暫しご辛抱を。馬車の中ならば安全ですから」
蒼白の表情でシャルルを守ろうとしているアラミスに、少年は穏やかな声で告げるが、当の執事はけして気を抜かず歩みを進めていた。
「二人とも、ちょっとそこでストップ」
先ほど摘み取った矢を玩びながら、シアは二人に声をかけ、近寄っていった。
しかしアラミスは馬車に戻る事を優先し、シアの言葉には視線を向けるだけで従わなかった。
「うん、まあ判ってた」
言う事聞いてくれないだろうなー、とハナから思っていたシアは、その手に持っていた矢を手首のスナップだけシャルル少年に向けて放り投げた。
「何!…を?」
タスッ、と言う軽い音と共に、アラミスとシャルル少年よりも若干離れた空中に《・・・》投げられた矢が突き立つと、突然くぐもった声と共に頭の先から爪先まで、全身を黒衣で覆った人物が姿を現したのだ。
アラミスは次の瞬間、その黒衣の男の手の甲に矢が突き刺さった事により、恐らくは何らかの手段での姿隠しが解除され、持っていた短剣をも取り落としたのだと理解した。
「お下がりください、シャルル様」
自身の背後にシャルルを隠し、細剣を構えて立つアラミスの姿は一分の隙もない完璧な物であった。
が、それは通常の相手であったならば、の話である。
相対した敵は、恐らくは裏の世界を生きる者だ。
その手法に定法も何も無い。
あらゆる手段で障害を取り除き、結果のみを求める。
恐らくは修練もきちんと積んだであろうアラミスの剣技は、真っ当な剣と剣との戦いであったなら、恐らくは勝利を得る事も出来たであろう。
しかし。
アラミスへとジリジリと迫る敵に対し、彼女は右手の剣を向けるだけで、動こうとはしなかった。
背後のシャルル少年への被害を考えての事である。
下手に動けば少年へと被害が及ぶと考え、動くに動けないのだ。
アラミスは視界の片隅に見えるシアが動かないのもその為だと考えていた。
が、一瞬視線をシアへと動かしたのが隙となったのか、黒衣の者が微かな擦過音を立て、彼女めがけて口元から何かを飛ばした、と気付いた瞬間。
「汚い、流石暗殺者、汚い」
そのシア言葉がアラミスの耳朶を叩くと同時に彼女の視界を埋めたのは、敵の口元から飛んだ何かではなく、今の一瞬では絶対に届かない位置に居たはずのシアの指先であった。
そして、その指の間には、幾本もの細い針が、先ほどの矢と同じく二本の指で挟まれ、アラミスの目に到達するのを防いでいた。
「ウチは無敵なり以下略」
今度は何だとアラミスが視線を動かした先には、いつの間にやら移動していた熊子による、黒衣の襲撃者への無手による戦闘行為であった。
「冒険者流交殺法!蝶々《てふてふ》!!」
「いやそれ交殺法でもなんでもないから。むしろ元ネタ的には東洋太平洋バンタム級チャンピオン風味な技だから」
ただ単にぶん殴り続けて地面に足をつかせないと言う、ある意味出鱈目すぎる熊子の格闘スキルに思わず突っ込むシアであった。
一方、逃げ出した二人の襲撃者は、ハイジの高空からの弓矢による射撃とクリスの使役獣により、ズタボロの状態ではあるが、殺さずに取り押さえられ、自殺も出来ないように全身の関節が熊子により外された上でゲオルグ《超兄貴》へと引き渡された。
「すまねえなぁ。どうもややこしい事に巻き込まれてるみたいでよ」
「まあ、何となくそうじゃないかなとは」
シアは団長の言葉に頷きながら、一纏めにされている襲撃者を改めて見つめた。
些か自分が吹き飛ばした時よりも人数が減っていたり怪我が増えていたりする点は目をつぶろうと考えつつではあるが。
「で?詳しく話を聞かせてもらおうか、ジュラールさんよ」
☆
ギルド本部の一室で、呉羽とヘスペリスが眉間に皺を寄せて難題を持ち込んで来た元仲間の話を聞いていた。
「と言う訳だ」
既に冒険者ギルドを卒業(笑)し、退役扱いになっているはずのジューヌである。
「また今頃そんな事を…」
「相変わらずと言うか、毎度の如くというか。神の使徒と言うのは間抜けぞろいですか?」
二人がどれほど文句を言いたいのかは、ジューヌにも痛い程理解出来る。
と言うよりも、俺に言わせずに直接ここに来て自分で言いやがれとどれほど憤慨した事か。
先ほど自分たちの店に訪れた使徒曰く、『自分はあまり出歩けないので』などと言い、ジューヌに伝言を頼むや返事も聞かずにその姿を消してしまったのだ。
「で、こいつが報酬代わりだとよ。成功したら、更に何かくれるらしい」
ジューヌの手から、呉羽の座る机に上に、未鑑定品が放り出された。
「前金プラス出来高払いとか、どれだけ人間に染まってるのやら…」
「前世においてはどいつもこいつも神話で語られています。底抜けの女好きな主神だのその妻で焼き餅焼きの女神だのと言った風に」
呉羽の嘆きとヘスペリスの呟くような呆れた声は、ジューヌにも十二分に理解出来たが、だからといって知らぬ存ぜぬも出来なかった。
だからここに居るのであるし。
「で、どうする?魔獣侵攻の原因、もうじき砂漠を渡り切るそうだぜ」
疲れ切ったジューヌの声に、呉羽とヘスペリスの二人は、焦燥を隠そうともしなかった。




