第35話 大き目の街にたどり着きましたよ?この街には支部は無いんですけどね?
「そっかー、マーシリアの近くにあるアレラーテってところの寄宿舎から実家に帰省するのねー。で実家がルーテティアなんだ?」
シアはお菓子を渡した少年とすぐに仲良くなったようで、幾つかの言葉を交わしていた。
少年がか細い声でぼしょぼしょと呟くのを聞いたところ、今いる場所から街道沿いに南南西へと下った先にある海運都市マーシリアの近郊に位置する、アレラーテという街に、ロッケンブラッド学院という王立の寄宿学校があると言う。
彼はそこに入学してかれこれ凡そ1年余り、このたびようやく帰省の許可が下り、実家へと向かっている最中だと言う。
しかしながら、シアは心の中で今ひとつ納得いかない部分があった
(乗合馬車じゃなくて、チャーターでも自家用のでもなく、商隊の馬車に相乗り…)
乗合馬車が動いていないのは判る。
未だ魔獣大侵攻の結果が知れ渡っていないからだろうし、当然の事ながらチャーター便など探せるはずもない。
そして自家用馬車があったとしても、ここまで迎えに来るくらいならば、伝手を通じて何とかした方が良い。
だからこその商隊に相乗りとなったのであろうが、釈然としないものを感じていた。
魔獣大侵攻が解決したと知れ渡ってない時点で、何故帰省の許可が下りたのか。
そもそも何故そんな時期に帰省をさせるのか。
首を傾げてしまうのも当然だと言える。
(まあ、その辺の事情は人それぞれだし、深く追求するのはやめとこう)
そもそも女四人組で長旅をしようとしている自分達が言うのもなんだし、深入りしても行きずりの自分に何が出来る訳でも無しと、シアはそれ以上考えない事にした。
☆
それなりに名の通った傭兵団に所属しているアンリであるが、彼個人のその実力はたかが知れていた。
無論普通の村人Aなどと比べれば確かに強いが、それでも人外レベルの冒険者ギルドのメンバーを見た後では、雑魚にしか思えないハイジである。
「…それにしても、ほんとに元クリスの旦那?めっちゃくちゃ隙だらけなんだけど」
「…別に能力に惚れて一緒になったわけじゃないさね」
はぁ、と溜息が漏れるなか、はいつくばった元旦那からの必死の救援要請の視線が送られてくる。
声が出せないのは、ハイジにより押しつぶされかけている胸郭が呼吸を困難にさせているためだろう。
「ま、その辺にしといてくんねえか?素行はどうあれ、一応仲間なもんでな」
そこに現れたのは、毎度おなじみの団長であった。
「あ、すいません」
多少困った顔をして現れた団長に、ハイジも即座にアンリの上に乗せていた足をどけ、クリスの横へと移動した。
咳き込みながら立ち上がるアンリだが、その顔に恨み辛みは無いようである。
「アンリ、こんなお嬢さんに足引っ掛けられただけですっころんだ上に、片足で身動き取れなくさせられるなんざ、みっともないったらねえな」
「団長…いや、これはその」
「アンリ、ウェストファリアに帰還したら、新人教練フルコース三人前だ」
言いつくろおうとするアンリをよそに、団長は事も無げにそう言った。
その直後のアンリの悲哀に満ちた顔を見る限り、それはそれは楽しい訓練が待ち構えているのであろう。
「ねえおっちゃん、ちなみにその新人教練ってどんなの?」
「ん?おお、新人教練か?生かさず殺さず逃げ出せずの三拍子そろった訓練でな?冒険者ギルドってトコがあるんだが知ってるか?そこが新人育成の教本を発行しててなぁ。それを元にした訓練さ。元気が有り余ってる奴には一歩も動けなくなるくらいに追い回し、怪我しても魔法軟膏で治してやる。逃げ出そうにも訓練後はへろへろな上、教官は只でさえ熟練の連中が勢ぞろいだ。性根を入れ替えるのにももってこいだと、近郊の貴族子弟なんかも参加させてくれと言ってくるくらいだぞ…っていつの間に!?」
おや、うちの製品をご利用ですか、毎度あり。と心の中で感謝を告げる熊子であるが、団長の背後に忍び寄る程度、たやすいものであるのだった。
「するってーと、このにーやんが入団した当時は無かったと?」
性根を入れ替えられていない様子の男を見つつ、熊子が言うと、ニッと厳めしいながらもどこか愛嬌のある笑みを浮かべて笑い、言う。
「そうさ。昔はそんなに急な鍛え方しちゃあ、せっかくに新入りを壊しちまうってんでもうちょいと穏やかだったんだがヨ。無理させられるようになったのは、こいつのおかげだ」
言いながら、腰に付けた巾着袋から小さな瓶を取り出し、熊子に見せる。
【ファイト一発】と書かれたラベルが貼られた小口瓶だったが、熊子には見覚えがありすぎた。
(あー、冒険者ギルド謹製の体力回復ドリンク併用かー。そりゃ無理も効くなー)と思ったが口には出さず、「へえ、便利なもんも有るもんだねぇ」と関心頻りと言った顔で褒めそやした。
真っ白な灰になっているアンリを放置して、団長と三人はシアの元へと歩き出した。
「あのさーおっちゃん、ちょっと聞いていい?都合悪けりゃ答えなくていいけど」
「んー、なんだ?何でも聞いてくれてかまわんぞ?おっと、俺に惚れたってのは無しだ。これでも美人な嫁が二人と息子と娘が合わせて四人いるパパなんでな」
「うわー知りたくも無い情報どうもありがとう。ていうか嫁二人とかなにこのおっさん。見た目ウホッなくせに。しねばいいのに」
つい口に出てしまったが、非常にどうでも良い情報を聞かされた熊子の、本心からにじみ出る思いであった。
「を?嫁さん達の話聞きたいか?それとも息子か、娘達の話が良いか?」
「全力でご辞退させていただきたい。ていうか、聞きたい事はそう言うんじゃなくて」
熊子の失礼な対応を軽くスルーして、団長はさらに熊子の聞きたくも無い情報を語ろうと詰め寄って来たが、流石にそれは押し止め熊子はとある人物を指差した。
「あの子、なんなん?」
尋ねた熊子の指差す先には、シアと戯れる、照れてうつむく幼い少年の姿があった。
「さあ?護衛対象の素性までは一々聞いてねえなぁ」
そういう団長の顔をじっくりと見た熊子であるが、どうやら本当に知らないようである。
「見た感じ、いいトコの坊ちゃんって感じかな?着てる服はかなり上物っぽいし」
「そうさね、よっぽどの金持ちとか貴族の子息って雰囲気だね。将来有望そうな顔つきもしてるしねぇ」
熊子の横では、ハイジとクリスが二人して少年の品定めを始めていた。
「でもどっちかって言うと、私ゃあの子の側に傅いている執事っぽい彼の方が気になるさね」
つい、と顎で指し示すクリスに、団長も含めた他の三人が、一様に視線を送った。
示された先には少年の世話を続ける執事服の姿。
それはそれは甲斐甲斐しく、口元をシアに貰ったお菓子で汚す度に、手にしたナプキンが綺麗にふき取り、いつでも清潔な状態を保っていた。
「プロだねぇ。て言うか、あの人かなり出来るっぽいね。流石に蠍人は倒せないだろうけど」
心の中で、(装備きっちりすれば、何とか出来てた気もするね、あの様子だと)と付け加える熊子。
これは実質、魔獣使いのクリスやハイジと同列だと感じていると言う事だ。
言い方を変えれば、魔獣抜きならば彼の方が強いと、そう感じ取っているとも言える。
それでも熊子に取っては、特に気になる程でもない。
ましてやシアにおいては。
「そう言えば、そちらのあなたのお名前は?」
既に少年からは、「シャルル」とその名を聞き及んでいたシアだったが、その少年の身の回りの世話を焼いている執事的な青年とは、視線を合わせた程度で、言葉を交わしてもいなかった。
普通ならば、彼の持つ独特の雰囲気により、声すらかけ難いはずである。
しかしながら初の野外活動とも言うべき現状に、ハイテンションになっている彼女に不可能は無いのである。
おそらく、町の宿なりに泊ま事にでもなれば思考も通常に戻り、一連の行動を思い返して枕に顔を埋め悶える事請け合いだ。
しかし今現在はハイテンションもハイテンション、確率変動に突入して連荘中で高確率状態を維持しているような物だ。
そしてその問いかけは、当然その相手にも当惑をもたらした。
「…私は、アラミス・デュマ。シャルル様の身の回りのお世話を仰せつかっております」
彼にとって、こうして直接声をかけられること自体が稀なのだろう。
隙のない身のこなしで軽く頭を下げるが、その目に浮かぶ揺らぎにシアは気付いた。
「ふーん。ではアラミス・デュマとして覚えておきます」
そういうと、シアはするするとアラミスに近寄り、こそりと呟いた。
「で、なんで男装を?」と。
☆
北から流れ込むソーヌ川が東からのローヌ川と交わるここ交易都市ルグドゥヌムは、水運の要所でありまた陸路旅をする者にとっても様々な恩恵をこうむる事が出来る重要拠点となっている。
ソーヌ川の西側に位置する旧市街と呼ばれる地区は、長い歴史を重ねた都市に特有の落ち着いた佇まいを見せており、この地に古くから住む貴族や有力者が屋敷を構えていることでも知られていた。
本流のローヌ川の東側は、川沿いに整備された港湾施設と倉庫街や商業区が立ち並び、それを覆うような形で住宅街が広がり、雑然とした中にも活気に溢れた生活観が感じられる街であった。
そして、二つの川に挟まれた小高い丘になっている三角地帯には、この街の行政を司る庁舎と、三柱の大神の一柱、世界を生み出した独神であるギヌンガルプを祀る、このエウローペー亜大陸最古の神殿が建っており、この街の歴史の古さを物語っていた。
「あああああああああああううううううううううええええええええええーーー…」
そんな古都の、高級宿の一角で。
ハイエストエルフは己の思考の暴走っぷりに自己嫌悪しつつ枕を抱きしめシーツを被ってベッドに潜り込んでいた。
小さく丸まりながら、過去の恥ずかしい自分に極大魔法の一つくらいぶち込みたい気持ちで一杯のシアだった。
「まあまあ、ねーちんがすったもんだした時の方が見てて面白いんだから気にする事ないって」
まるで気休めにもならない言葉をかけながら、熊子はシアの潜り込んだベッドの端に腰掛けた。
「笑えるネタを提供して嬉しいのなんてお笑い芸人ぐらいじゃない。しかもそれって芸人としても失格だし。笑われる芸人なんて消えて当然よね、笑わせる力無いって事なんだし」
「いやまあそうかもしんないけど、何でそこに食いつくかな?」
ガバッと起き上がり自説を展開し始めたシアに、熊子は苦笑しながらぽふぽふとベッドを叩いた。
「明日は丸一日休息して明後日出発だからさ。明日はこの街見て回るでしょ?」
熊子の言葉にシーツを被ったままのシアは、部屋の窓から見える暗い町並みに視線を送った。
「この街はゴール王国の東部の交易の中心地だから、いろんな物があるよ。…お気に召すかどうかは別にして」
幾分苦味の混じった熊子の言葉に、シアは小首を傾げて問いただした。
「そんな言い方するって事は、何か問題でも?」
「問題っていうかな…。なんてーの?生臭坊主が多いって事ぐらいなんだけど」
その言葉を聴いて、「うわ」と一言で嫌悪を示したシアであった。
「あー、やぱし。ねーちん前ン時に嫌な経験あったんだっけ?」
「あー、うん。両親が死んだときに、遠い親戚とか言うのがやってきて、不徳がどうのこうのだからご両親は云々かんぬんって言われてさ」
信心が足りなかったからお前の親は死んだのだ、だからお前は一切合財の財産を寄進しなさい、さも無きゃ不幸になるぞ。
長ったらしい言葉を略すと、そういう意味の内容を話して聞かせられたと言うのである。
「いやあ、あん時は参ってたからさー。危うくそっちの道に足を踏み入れそうになったわねー」
あははー、と笑うシアに、熊子は割りとやばいじゃん、と思いつつもそれ以上追求はしなかった。
「まあそれはそれとして、まじめに神様に仕えてる人もいるから。あとは、結構食べ物がイケルって事かな」
様々な地域から様々な物が流れ込む交易都市という土地柄ゆえに、あちこちの食文化が入り込み、混ざり合って良い結果をもたらしていると言う。
「期待していいのかな?よーし、じゃあ気合入れて寝るぞー!」
「いや、そこまで気合入れる必要ないんだけどさ。ま、ゆっくりしなよ」
そうしてシアの就寝を見守った後、自分の部屋に戻った熊子は、装備を若干整えて一人暗い町へと足を向けた。
「挨拶位はしとこうかね」
のんきな表情で言いながら、ぽてぽてと歩き始めたのだった。
「…ハイジ」
「なに?クリス」
シアの泊まる部屋は、いわゆるスイートルームである。
高級な宿泊施設としての格を示すためにも、高い質と広さを誇っている部屋で、ベッドルームが複数あり、四人でも手狭な感じはまったく無い。
「なんか、場違いな気がして寝れない」
「…シア様はあっという間に寝ちゃったけどね」
幸せそうに眠るシアを横目に、二人は幾分興奮状態で寝付けていなかった。
「こんな事ならいつもの宿屋に別れて泊まるんだった…」
そう言いながら、がっくりと肩を落とすクリスであった。