第33話 言い訳回という奴ですよ?脳内で考えていただけで書き忘れたとかじゃないですからね?
ほんとですよ?
「斯様な次第で、シア様は無事に出立いたしました」
王城の一角にある王太子の執務室で、冒険者ギルドから出向しているギャルソン沖田は、ギルドマスターであるシアとその道連れ達が、無事?に旅立ったのを告げていた。
「そうか…。ふむ、ギャルソン。それを見届けたのは?」
「はい、アウローラが直々に行ったと聞いております」
いつもの通りきっちりと折り目の付いた、濃紺のタキシードのギャルソンに対し、目の前のゆったりとしたサイズの執務椅子に身体を投げ出すようにもたれ込んでいるこの国の王太子。
しかも、謁見の際に着用するいかにも王侯貴族然とした細かな刺繍や装飾が施された衣服ではなく、ギルド謹製の厚手のスラックスにゆったりとした貫頭着を合わせ、なめし革のベルトで締め上げていると言う、どう見ても冒険者に近い恰好をしている。
「しかし、面白い。僕もついて行きたい位だよ。なあギャルソン、君も行きたがった部類じゃないのか?」
渡された書類をペラペラと捲りながら、王太子はシアらが国境を越えた先で出会った商隊との顛末までが書かれた内容に目を通している。
「左様ですな。私どもギルドメンバーにおいても、それはそれは同行希望者が多かったのですが、今はシア様の件は特に専任する事柄の無い熊子に任せて、皆自粛する、という事に決まりましたので」
慇懃に応えるギャルソンに、王太子は気にすることも無く顎をさすりつつ、報告書を見つめて言う。
「うん、いいね。凄くいい。これこそが、母上が仰りたかった事なのかもしれない」
「お母上…と申しますと、先の王妃様でございますな?」
今の王妃は王太子の実母ではなく継母で、元は即室だった女性である。
小なりとは言え貴族の娘であり、見目麗しくはあるが、ごく普通の人物であった。
実子ではない王太子への接し方はごくごくまともな形ではあるが、王太子自身が一線を引いているようで、些かぎこちないと専らの噂である。
そして、実母である先の王妃は、公式には病死とされているが、実際には、出自の不明な、王が町で見初めた平民の娘であったために、様々な圧力から遂には出奔したと真しやかに市井の噂にまでなっていた。
「ああ、僕の母上は一人しかいない。死んだと聞かされていたが、実は生きていたなんて事を知らされれば、そうなっても仕方ないだろう?」
「ふむ、左様ですな。しかし、何ゆえ王太子のご母堂はお姿をお隠しになったのか」
「聞いた話ではなく、僕に残されていた手紙がある。不思議な事に、誰にも開封できなかった上に、焼こうが切ろうが一切を受け付けなかった封書がね」
言いながら、目を通し終えた報告書をクリスタルの灰皿に放り込み、指先から火を発する。
「…報告書の処分、見届けました。お手数をおかけして申し訳ございません」
「いいさ、そういう約束だしね。で、母上の事だ。ギャルソン、君らの間で使われる、魔報というのが有るじゃないか。これは、その一形態じゃないのか?」
懐から取り出したのは、やや縁が擦れ、小汚くなった封筒である。
「僕が手にするまでは一切の干渉をはじき返した封書だ。しかし、僕が触れた際に封が切れて、それ以降、どんどんと劣化して行っている。ソレまでの十年近くは汚れ一つ付かなかったにもかかわらず、だ」
そう言いながら指先で封筒を弾き、ギャルソンの方へと飛ばした。
「魔報、でございますな。まごう事なき」
綺麗に胸元へと飛んで来た封筒を、ふわりと受け取る。
すっと目の前に翳すようにして見つめるギャルソンの眼には、そこに残る魔力の残滓が、うっすらとだが知覚できた。
魔報は、ゲーム時代においてはいわゆるフレンド登録をおこなった人物と、メッセージのやり取りが行えるものであった。
届いたメールは画面上のウインドウに表示され、いつでも好きなときに読むことが出来、返事もすぐに出せた訳だが、この世界においては多少異なり、様々な媒体に記したメッセージを、特定の人物へと届ける詠唱魔法となっていた。
すなわち、通常のこの世界の便箋を利用した場合、ギルメンが下手に発動させると、この世界で新たに作った魔法の杖のように、手紙が吹き飛ぶのである。
様々な検証の結果から、それを防ぐためには、したためた手紙に、地味に少しずつ、魔力を染み込ませるように注ぎ込めばよいと言う事が判っている。
要するに、数日から数週間のあいだ、書き終えた手紙を肌身離さず所持し、身体から滲み出る魔力に馴染ませてから発動すればよいのであるが、以前のような手軽さが無くなり実に手間隙のかかる通信方法となってしまっていた。
とはいえ、確実に届くのだけは間違いないため、急ぐ必要の無い確実性を求める文書には利用されていたりする。
一応は魔力の高い幻獣の皮を鞣して作った、例えば竜の皮で作った竜皮紙と呼ばれるものならば、数日で発動が可能であったが、それならばメッセンジャーとして誰かが走った方が速いレベルであった。
予め便箋や封筒を常に持っていれば書きあがったところで発動できるのでは、と思い試したものもいたが、ソレだと今度は発動時に便箋からインクだけが弾け飛び白紙になってしまうと言う、幾分地味な嫌がらせが出来そうな状態になるのであった。
そして、王太子の持つ手紙は、間違いなく魔報に使用された物であると、ギャルソンは見ていた。
先の王妃が魔報をいかにして知りえていたのかは不明だが、実に理にかなった利用方法である。
「魔報であるのは間違いないのですが…どうも、こう、我々ギルドメンバーとは少々趣が異なる、と言わざるを得ませんな」
手元の封筒自体は、それこそどこででも手に入るような品であるが、そこに刻まれた魔術回路とも言うべき魔力の刻み込まれた跡が、自分達の知る物とは幾分異なって見えたのだ。
「そうかな?実はね、ギャルソン。母上はどうも、その…君らのご同類だったのではないかと思っているんだ。事実、その手紙にはソレを窺わせる内容が書かれているよ」
ギャルソンは王太子の推測には応えず、手渡された封筒を訝しげに見つめながら、「目を通しても?」と告げた。
「ああ、構わない。だがソレを見せるのは父上以外では君が最初だ。心して読んでくれ」
「それは実に恐悦至極に存じますな」
言いながら、ギャルソンは封筒から便箋を取り出し、ゆっくりと目を通し始めた。
「…ふむ、何といいますか」
「ああ、率直に言ってくれて構わない。僕もソレを読んでからは、色々と見え方が変わってきたからね」
読み終わって感想を求められたギャルソンは、思った事をそのまま告げるには些か口幅ったい内容であるのか苦慮していたが、王太子自身に気遣い無用と言われそれではと口を開いた。
「実に自由な御仁ですな。見方を変えれば貴族連中からの嫌がらせや圧力で出奔したように見受けられますが、本音ではソレを建前にして自由を得たとしか思えませぬ」
「…だよな。僕もそう思う。父上も恐らくそう思っただろう。貴族連中もいい面の皮さ。何せ、本来やりたかった事、行きたかった場所、全て王妃たる身では外聞も有って出来ない事ばかりだからね」
返された封筒を指に挟みながら、王太子はとても意味深な笑みを浮かべた。
「うっすらとした記憶にしか残っていないが、母上は実に日々を楽しく暮らしていらした。狭い後宮で、色々とやっていらした事も覚えているよ、うろ覚えだけれどね」
「そのようですな。そしてその結晶たる王太子殿がここにいらっしゃる訳でありますからして」
そうして二人はにこりと笑いあい、視線を合わせ、しばらくお互いの瞳に潜む意味深げな輝きを読み取ろうとし、そしてどちらもが音を上げて苦笑しだすと、口を開いたのは王太子からであった。
「いや、ギャルソン。別に腹の探りあいをしたいわけではないんだ。純粋に、君らが僕の母上と同郷なのかどうか。ソレが知りたかっただけでね」
「そう腹を割って仰られるとこちらとしても弱りますな。ですが…」
一旦言葉を切って、ギャルソンは続けた。
「我がギルドと直接の関わりはございませぬが、恐らくは」
ギャルソンは最後だけは言葉を濁し、恭しく礼をして辞去を告げた。
「ありがとうギャルソン。心の痞えが取れたようだよ」
去ってゆく紳士の背中に、それだけ言って、モノイコス王国王太子、アラン・バーン・ジョーンズ・モナイコスは、静かに瞑目した。
☆
「どうしてこうなった」
街道沿いの、水場が近く視界を遮る木々も少ない場所で、シア達は野営の準備を行っていた。
つい先ほど助けた商隊の面々に、是非にと頭を下げられての事であった。
「…折角、4人でいろいろとキャッキャうふふな夜を過ごそうと思っていたのに」
「などと、意味不明な供述を続けており」
しょぼくれているシアのそばで、熊子が寄り添うようにいらん事を発言していたりする。
「まあいいじゃありませんか、おかげで夜の不寝番はしなくていいんですし」
「そうさね、それだけはありがたいかな。うっとおしいのが来なきゃだけど」
彼女らの周囲には、男所帯の傭兵集団がおよそ二十人。
商人も先ほど感謝感激雨霰で美辞麗句を乱発していた男を筆頭に、十人ほどの姿が見える。
「あわせて三十人からの大所帯に割り込むとか、めんどい。て言うか、肩身狭いのやだな」
「ねーちん、もうあきらメロン。ほら、とりあえず茶でも飲まない?今火を熾すからさ」
甘いものもあるよ、と懐から色々と取り出す熊子にシアは溜息をついて「仕方が無い、かぁ。そういうのが嫌でこっち来た筈なのになぁ」とポツリと呟いた。
「よ、お邪魔するよ」
「邪魔する気ならお引取りください」
一人の傭兵がのしのしとやって来て声をかけてきたが、実にいい笑顔で追い返そうとするシアに、熊子が「まあまあ」と取り成すが、シアとしては面倒ごとがやって来たとしか思えないのでそれ以上愛想良くは出来はしなかった。
まあ、不機嫌を表に出して周囲の人々を恐怖に陥れる事は流石に自重したようだが。
「あ、いや。警戒されるのは仕方が無いが、挨拶だけでもと思ったんだ。俺の名はゲオルグ・フランツベルグだ。アラマンヌ王国のウェストファリアを拠点にしている傭兵団の団長をしている」
予想外に人懐こい対応で挨拶をしてきたのは、この商隊の護衛部隊の責任者である男だった。
身長はシアよりも若干高い程度でさほど長身ではないが、身体つきの太さは倍以上に違っていた。
シアの細い腰などと比べたら、下手をすると彼の二の腕の方が太いほどに。
周囲を警戒のための立番は部下にやらせている為か、自身は既に装備を解き、街中にでも居る様な軽装になっていて、鎧などで隠されているはずの盛り上がった筋肉やらが無駄に張り詰めていろんな意味でぱつんぱつんだった。
日焼けした肌に、盛り上がった力瘤。そして剃り上げられた頭部に厳しい顔つきと相まって、シアと熊子の第一印象は、「(何と言う超兄貴的オプションの人だ…)」であった。
二人して「(心の中ではアドンと呼ぼう…。双子だったりしないかな)」「(脳内設定ではサムソンでケテーイ。…ああ、頭頂部に黒い丸描きたい)」などと、些か無駄で失礼な事を考えているところで、震えるような声が響いてきた。
「…ランツクネヒト…傭兵団」
「を、ウチを知ってるのか?嬉しいねえ」
団の名を告げられる前に、ポツリと呟いたのは、クリスであった。
「ああ、別れた旦那が居る所だからね。名前くらいは覚えてたさ」
「…ウチの団員で妻子もち?いや、離縁してるなら知らないって事も仕方ないか…はて?」
「アンリ・デュフォー、そろそろ三十路の軽い奴」
ああ、アイツかと視線を泳がせたゲオルグは、クリスに向き直って一言「〆とこうか?」と告げた。
なんでそうなる!?と驚き顔の女性陣に、団長は、胸の前で腕を組んで、自説を披露しだした。
「女を泣かせる奴はこの俺が許さん」
と、ただでさえ太い腕に更に力が入り、恐ろしいほどにバンプアップしてきていたりした。
「女癖の悪い奴だからなぁ、どうせ奴の浮気か何かで別れたんじゃ?」
「あいっ変わらずなのか…」
「ああ、定宿があるような街なら、一人や二人は女を作ってたと思うぜ?一人もん同士ならとやかく言わんが、それが原因で嫁さんを不幸にしたとかだったら、団として〆てやる」
「いや、そ、そこまでは」
「いーや、男として生まれてきた以上、女性は守るべき対象でなければならん。俺はママにそう躾けられてきたからな!」
「(まさかのマザコンマッチョ!?)」×2
思わずいつの間にか淹れて飲んでいた茶を噴出しそうになったシアと熊子。
もう、この団長に対してだけはシアも嫌悪感より笑えるキャラと言う認識が優先したのか、最初の悪感情はうせていた。
「まあ、別れてからの事は本人の自己責任ということで、私達は無関係ですから」
割り込むように話に加わったのは、それまで黙っていたハイジであった。
「そうかい?なら、奴を〆るのは次に誰かを泣かせた時にしておくか。っと、そうだ。もうじき飯が出来る。何なら食ってってくれると嬉しい。女性陣が居ると飯も美味く感じるからなぁ」
それじゃあ、と片手を挙げて去っていった団長であった。
その後、商人らと団長及び傭兵団の幹部数名の併せて十五人ほどの中に混じって、シアたち四人は夕食をとっていた。
他は周囲を警戒しているため、交代で食事を取るのだろう。
商人は最初に顔をあわせた男と、青年に少年、それと何人かの従業員であろう男達。
護衛の傭兵団からは、ゲオルグを含めた三名が顔を並べていた。
専任の料理人が雇われていると言う事もあって、このような場所で出される物としてはまずまずの味だったと言えるだろう。
普通ならば。
(モノイコスの屋台の方が良い味出してない?)
(その辺は言いっこ無しだよねーちん)
(十分まともな味だとは思います、思いますけど)
(いや、まともと言うか、普通なら文句なしの味のはずなんさ。でもなぁ…)
(何と言うか、残念な味だ)×4
四人が四人、そろって残念晩飯に舌鼓を打ちそこねた思いであった。
しかしながら他の面子は満足そうに食事を続けているので、自分達がずれてしまっているのだと、今更ながらに実感していた。
「さて、自己紹介もすんで腹も膨れたところで、私どもから少々お願いがあるのですが」
程ほどに腹も膨れて、歓談に移行し始めた頃に、商人の男が口を開いた。
シアはその言葉に「ああ、来たか」と声にならない呟きを漏らし、がっくりと肩を落とし相手の言葉を待つ事にした。
商人の名はジュラール・ブッフといい、ゴール王室御用達の大店であるプランタン商会に勤めていると言う。
彼のお願いとはシアの予想通り、彼らの目的地まで、あるいは直近の大都市まで、護衛を兼ねて同行願えないか、という事であった。
「めんどい」
「はい、めんどい出ました。即決です、っていいのか?ねーちん」
「だって、さっさと進みたいしー」
少し仲間内で相談しますと告げて席を立った四人は、自分達で張った天幕に戻るとスキル遮音結界を張り、各々意見を言い合い始めたのだ。
「行き先一緒じゃん、ついでの小遣い稼ぎだと思えばさー。袖振り合うも他生の縁っていうし~、ここまできたら一蓮托生、呉越同舟、地獄の底までも付き合うぜってトコじゃないの?」
「はあ、じゃあ熊子は賛成な訳ね。ハイジたちはどう?」
「私は請けても良いと思うけど?プランタン商会は有名どころだし、私情はともかく、傭兵団もそれなりに名前の通ってる所だしさ。こんな所に居るところを見ると、魔獣侵攻阻止には依頼の関係上出張れなかったみたいね。契約を守るってあたりも信用出来る点じゃないかい?」
理路整然と言った感じのクリスの意見に、シアもうーむとうなる。
「そうですね、私だってランツクネヒト傭兵団は聞いた事あります。もっと大規模な傭兵団だったときいてますけど…」
「ああ、きっと契約結んでて今更どうこう出来ない分以外はキャンセルして魔獣戦の方に行ったんじゃないか?」
「うー、三対一、かぁ。仕方ない、消極的参加な方向で」
さらに追従するように、ハイジも同意見だと発言したため、仕方ない、といった様子で頷いたシアだった。
「いや、まぢで嫌なら断ってもいいんよ?うちらだって無理強いしようとは思わんし」
「でも、一人頭五金貨は美味しい、でしょ?」
「まあ、行きがけの駄賃にしては、かなり上出来な部類じゃないかね?」
「上出来どころか、たった四人で合わせて二十金貨ですよ?しかも、途中で襲って来た奴らを撃退したら更に上乗せって事ですから…」
まあハイジやクリス的には『ぼろ儲け』である。
襲撃者さん是非いらしてくださいといった気分だろう。
「あー、判った判った。よーし小遣い稼ぎ頑張るよ!全力全壊で!」
「あー、ちっとは手加減してやろう、な?ねーちん」
熊子としては、シアにこの世界での普通を見てもらいたかったための仕事請負であったのだが。
なんにしてもこれでこの商隊が無事目的地に着くことだけは確約されたといっても過言ではなかった。
☆
「しかし、予想外と言うか言われてみれば当然と言うか…」
「そうですね、盲点といえます」
「確かにのう…。あの頃の転移魔法なんぞ、ウインドウを開いて魔法を選択して行き先を決めれば勝手に目的地の町の入り口じゃったからのぉ…。この世界では転移出現先を予め設定をしなければならんとは…面倒じゃが、転移事故何ぞ考えたくも無いしのう」
シアを各ギルド支部漫遊の旅に送り出した理由の一つに、転移魔法の問題点が発覚した、と言う事が上げられる。
ゲーム時においては、転移魔法を習得すると、その時点でコレまでに巡った事が有る街の入り口へと転移が出来るようになっていた訳だが、この世界では若干様子が違った。
これは、ギルドハウスで旧ゲーム時代の魔法の杖を手にした呉羽らが、さて転移魔法を使ってみようかとなった際に、これまでスキルや各種魔法が実存するにあたって様変わりしていたために発生した、様々な弊害やら問題点があった事による、彼らの危機回避能力が向上していたため『とりあえず実験というか、テスト』的な感じで、その辺の物を適当に転移させてみた結果明らかになったのであるが。
「まさか、テーブルからゴミ箱に、飲み終わってた空缶を転移させたら、ゴミ箱と融合してしまうとは思いもよらんかったのう」
その後、幾度かの追試により、転移魔法による空間移動そのものには問題ないが、むしろその転移先において出現した物体が3次元方向的にどちらを向いているかその時の運次第という事と、転移先に空気以外の何かが合った場合、融合若しくはその場にあるものを吹き飛ばして出現するという、非常に面倒な問題が発覚した瞬間であった。
下手に転移すると、転移先に何かが存在していた場合、融合あるいは転移先の物質を押しのけて出現するという事態になると言う危険性が発覚したのだ。
たとえ物質として重なっても、分子間距離的にかなり余裕があるため核融合してエラい事に、と言うことは起きないのだが、正直嫌過ぎる。
「転移したとたん、そこにいた何かが吹き飛んだり、嫌なキメラなんぞが生まれてしまってはトラウマになって使えなくなりそうです」
「そうね、『石の中にいる』なんて表示だけでも嫌なのに、リアルでそんな事故が起こった日にはいったいどうなる事やら」
ヘスペリスと呉羽も同意した上で、転移魔法の利用上の注意を新たに書き起こしていたりするのだが、ソレもこれも、とりあえず解決策が見つかったからである。
色々と思案した結果、シアや呉羽が実際に使用し何の問題も置きなかったギルマス権限の帰還スキル、強制送還や単独帰還を調べ、ギルドハウス内の特定位置に出現すると言う事を確認、その際の魔術式を編纂したものを魔法陣として設置しておく事で転移先の安全確保が出来るとされたのであるが。
「シアぐらいにしか、魔法陣に魔力を注げないとは。このヘスペリス、我が身の未熟さを痛感しております」
「私だって同じよ。魔力の容量的には可能なんだけど、魔力操作に関しては、もっとレベルアップが必要と言う事ね」
魔法陣や、魔法回路と呼ばれる魔道具に封入されるモノを描く事自体は出来るのだが、ソレを維持し定着させると言うのはかなり高度な技術となる。
簡易的な魔法陣を組んですぐ発動させるのならば、呉羽やヘスペリスにとっては造作も無い事であるが、常設し長期的に運用するために固定された場所へ刻むのは、職人としての腕前が必要となっていたからだ。
「いやはや、ワシじゃとどうしても魔力が足らん。その点シアの嬢ちゃんならば、問題無いしのう。色々とついでもある事じゃし」
ソレはソレとしてじゃ、と、アマクニは会話を転換させた。
雑談をしに来たわけではなく、呼び出されたからこそ作業場を離れてここまで来たアマクニである。
「シアの嬢ちゃんに頼まれた事とは何じゃ?早急に対策が必要と言っておったが…。おぬしらが慌てるほどじゃ、相当厄介なんじゃろ?」
どんな大仕事なのかと、アマクニは内心焦り、その実内心楽しみで仕方が無かった。
これまでも職人魂を燃えさせてくれる案件を多々消化して言った実績は伊達ではなく、様々な達成困難案件を解決して悦に入るアマクニは、いっその事名前をトーゴーにでも変えようかと思案したほどである。
がしかし、告げられた言葉は彼を困惑させるに十分であった。
「トイレ」
「なぬ?」
「ご不浄です」
「いや、なんだと?」
「便所、厠、雪隠、憚り、あと何があったかしら?」
「定番中の定番でお手洗いや化粧室というのも有りかと」
困惑するアマクニを置いてきぼりにする勢いで、呉羽とヘスペリスは言葉をつなぎまくっていた。
「…おい」
「要するに、お花を摘みに行く場所を、もう少し改善したのですが」
流石にアマクニの額に青筋が浮かんできたので潮時かと思った二人は、向き直ってそう言った。
「何じゃソレは。わしゃてっきり大仕事かと思うとったに」
がっくりと肩を落とすアマクニに、ヘスペリスはソレは価値観の相違であると告げた。
「ある意味で大仕事です。私どもも長らく現状に慣れきっていたのですが、こう言った点は改善されて然るべきでした」
「ええ、シアが涙ながらに私達に告げてくれたおかげで目の曇りが取れたといったところかしら」
「わかったわかった。今のぼっとん便所がシアの嬢ちゃんには我慢できんと、そういうわけじゃな?」
「はい、お忙しいところ申し訳ない」
「時間は多少有ります。シアが支部を回っている間に改善すればよいのですから」
「ふむ…流石に流用できるような提携アイテムなんぞ無いしのう」
ゲーム時代のことを思い返すが、記憶の片隅にすら、T○T○やINA×との提携アイテムなんぞ存在した事は無かった。
ギルドハウスには風呂もトイレも着いているが、流石に毎回ギルマス権限《もうお家帰る》で戻るわけには行かない。
「そんなわけで、私は洋式便器を希望します」
「そうね、私も洋式がいいわね。和式はどうも…」
姿勢的にはしたないし、と口には出さずに嘆息した呉羽である。
「了解した。ワシとて洗浄トイレの恩恵には与っとった身じゃ。ドンと任せておけい」
今でこそ健康そのもののアマクニであるが、前世においてはやはり色々とあったようである。
「ぢ、だったんですね」
「やかましい」
ヘスペリスの軽い突っ込みに、苦笑して応えるアマクニであるが、そこに不快そうな感情は見えなかった。
「ソレはソレとして、浄化槽の仕組みに関しては、シアの持ち込んだノートパソコンで概略は掴めています」
「そこまでやるんかい」
手渡された大量の手書き資料に、アマクニは安請け合いするんじゃなかったと、後悔する羽目になるが、後のモノイコス王国からエウローペー亜大陸全土へと広がる下水施設の礎となるとは、この時には考えの端にすらなかった事であった。




