嘘つきオオカミさん
私のお医者様はオオカミさんという人です。
名字が『大神』だからオオカミさんというのであって、童話に出てくる赤ずきんちゃんを食べちゃう様な怖いオオカミさんじゃありません。
オオカミさんは黒縁メガネに白衣を着て、いつも首から聴診器をぶら下げています。他の人からは「大神先生」と呼ばれていますが、私としては「オオカミさん」の方が可愛いのでオオカミさんで通します。
で、そのオオカミさんなのですが。
私とオオカミさんが初めて会ったのは、私が七つの時です。
冬の寒い日の事で、家で大人しく遊んでいたら突然目の前が真っ暗になって、気がついたら見知らぬ大きな男の人――当時の私は同年代で比べても随分と小柄で、そりゃ子供から見れば大人の男性は大抵大きく見えるのですがそれでもオオカミさんの大きさはずば抜けていて――が目の前にいました。
お母さんもお父さんも涙をぽろぽろと子供の様に流していました。
私にはいつも泣いちゃいけません、と言って叱るのにずるいです。
そう言ってむくれたら、オオカミさんは私の頭をぽんぽんと軽く撫でて言いました。
今日からここが君のお家だよ、と。
それはおかしいです。
本当の私の家はこんなに真っ白じゃないし、本当の私の部屋にはベッドがありません。それに花だって飾ってないし、窓もあんなに大きくありません。
そう言ったら、オオカミさんは困った様に笑いました。
君はここに引っ越してきたんだ。だから君も、君のクマさんもここにお引越し。
そう言ってオオカミさんは、私のお気に入りのクマさんをひょいっと差し出してくれました。
私がそれを抱きしめると、オオカミさんはふわぁっと柔らかい顔をしました。
けれど暫くしたら、お母さんとお父さんと一緒に部屋を出てしまいました。
一人ぼっちは嫌でしたが、クマさんがいたのでへっちゃらでした。
そうしたらまたオオカミさんは戻ってきました。
今度はお母さんとお父さんはいません。
お母さん達は?
私が尋ねると、オオカミさんはまた私の頭を撫でました。
お母さん達はお引越しのお手伝いに行ったよ。もう遅いから、君も寝なさい。
そう言って、オオカミさんは私に布団をかけてくれました。
なぜだか凄く疲れていたので、私はそのままぐっすりと眠ってしまいました。
その日から、私は一人で歩く事が出来なくなってしまいました。
起きる時もオオカミさんに起こしてもらって(ご飯は一人でちゃんと食べます。ピーマンとニンジンが嫌でしたがオオカミさんは食べなさいというので仕方なく食べるフリをしました)、『くるまいす』というものに乗ってオオカミさんにあちこち案内してもらったり(おトイレの時は他の女の人が手伝ってくれました。オオカミさんはサボっているのでしょうか?)、寝る時はオオカミさんが私が寝るまで傍にいてくれたので寂しくありませんでした(たまにオオカミさんも私の部屋で寝てしまう時があるのですが、疲れているみたいだったのでそのままにしておきました)。
お母さんとお父さんは毎日会いに来てくれます。
けれど何だか寂しそうで、泣いてしまいそうに辛そうな顔をしています。
そんな顔で会いに来ても嬉しくありません。
そう言ったら、オオカミさんはムッとなりました。
そういう事を言ってはいけません。二人とも忙しいのに毎日会ってくれるんだから、「ありがとう」って言わなきゃ駄目でしょう?
そう、オオカミさんは怒りました。
何で怒ったのか、私はよく分かりませんでした。
オオカミさん、オオカミさん。
少女はそう言って、私の冷たい手を取る。
彼女の小さな手越しに、その温かさが伝わる。
どうしたの?
そう聞くと、彼女は一枚の色紙と鉛筆を取りだした。
七夕のお願い、オオカミさんは何をお願いするの?
その無垢な笑顔に、無邪気な言葉に。
私の心臓が音を立てて軋んだ。
ギリギリと締めあげられる様な錯覚に陥りながらも、私は長年培ってきた『上辺だけの笑み』を湛えた。
そういう君は、もう何をお願いするか決めたの?
あのね、あのね!
言って、彼女は身を乗り出さんばかりに笑う。
私、今度のお誕生日会にオオカミさんが作ったケーキが食べたい!
看護師の一人が洩らしたのだろう、私が菓子作りが出来るという情報を得た彼女はもうお願いというよりおねだりに近いそれを満面の笑みと共に放つ。
オオカミさんの作ったケーキは凄くおいしいってみんな言ってたのに、私はまだ食べた事無いから食べたいの!
言って、彼女はお気に入りのテディベアを抱き締めた。
酷く無垢で無邪気なそれは、けれど、私にとってはあまりにも残酷な言葉だった。
ねえ、オオカミさん!
そう言って笑う彼女は、まるで外の蝉の様に喧しい。
けれど風鈴の様に澄んだ声音で私を呼ぶその声は、何故か愛おしく思えた。
だから私は笑う。
いいよ、と。
たくさん食べさせてあげるよ、と。
そう言えば、彼女は向日葵の様に鮮やかな笑みを浮かべるのだ。
だから私はオオカミ(しんじつ)を隠す為におばあさん(うそ)の毛皮を被る。
毛皮を被って静かにその牙を研ぎ澄まし、じっと待ちかまえる事しか出来ない。
夏の終わりと共に訪れるであろう最期の刻を迎える為に。
赤ずきんちゃんが食べられる(しぬ)その瞬間を静かに待ちかまえる。
嗚呼、だからそんな笑顔を向けないで。
私はオオカミさん(うそつき)なのだから。赤ずきんちゃん(きみ)を食べてしまう(みごろす)悪者なのだから。
物語で、赤ずきんちゃんはオオカミに食べられてしまう。
その瞬間に、彼女は何を思ったのだろう?
きっと絶望しただろう。
きっと憤慨しただろう。
嘘つきのオオカミは自分の腹を満たす為に赤ずきんちゃんを食べた。
なら私は?
彼女を見殺しにしてしまうだろう私に、彼女は果たしてどんな顔を向けるだろう?どんな感情を抱くだろう?
きっと絶望するだろう。
きっと憤慨するだろう。
嘘つきのオオカミさん(わたし)は自分を守る為に赤ずきんちゃん(かのじょ)を食べる(みごろす)。
だから私は毛皮を被る。
やがて訪れるその時まで、彼女をたっぷりと肥やしていく。
その時が訪れた時、そこに心残りがないように。
――――――外で鳴く蝉の声が、一つ、消えた。
一時期は連載も考えた(けど話が続かなかった)没案を纏めてみました。
仮に連載になっていても三~五話程度の中編程度にしかなりませんが。
何か感想があればバシバシどうぞ。