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歴史にならなかったエジプト

作者: 清風
掲載日:2026/02/01

 私たちはそれを「空白期」と呼んでいる。


 エジプト第◯王朝末期から次王朝初期にかけて、約三十年。

 戦争の記録もなく、大災害の痕跡もない。王名表は連続しており、神殿も破壊されていない。人口減少も確認できない。


 それなのに――

 記録が、存在しない。


 石碑は途中で文章が終わり、パピルスは白紙のまま封じられている。神殿の壁画は、描きかけで止まっているものすらある。


 削られた痕跡ではない。

 焼かれた形跡でもない。


 最初から、書かれていない。


 発掘三年目、私は神官用の書記室跡で奇妙な石板を見つけた。


 王名も神名もない。

 ただ一行、異様に乱れた象形文字が刻まれている。


 ──解読不能。


 文字は存在するのに、意味を持たない。

 鳥でも、人でも、神でもない「何か」を表そうとして、途中で破綻した痕跡。


 同行していた言語学者は震える声で言った。


「これ……書こうとして、失敗している」


 別の神殿では、さらに異常なものが見つかった。


 奉納文の定型文。

 王を讃え、神に感謝し、永遠を願う――はずの文章。


 だが、途中から文字が減っていく。


 最後の行には、

 一文字も刻まれていなかった。


 彫刻刀は、確かにそこに当てられている。

 だが、書くのをやめたのだ。


 私は仮説を立てた。


 この時代、エジプトは滅びていない。

 侵略も受けていない。


 ただ――

 書けないものに遭遇した。


 神でもなく、獣でもなく、王でもなく、災厄とも言えない存在。

 象形文字という「世界の定義装置」が、通用しない何か。


 神官たちは記そうとした。

 だが記せなかった。


 記せない存在は、神話にならない。

 神話にならないものは、存在してはならない。


 だから彼らは決めたのだ。


 「無かったことにする」


 報告書を提出した翌日、上層部から連絡があった。


この仮説は学会に不適切

発表は見送る

記録は保留とする


 私は、少し笑ってしまった。


 ああ、なるほど。

 今も同じだ。


 書けないものは、歴史にならない。


 帰国前夜、私はあの石板をもう一度見た。


 意味を持たない文字列。

 だが、不思議と目が離せない。


 ふと、そんな考えが浮かんだ。


 ――彼らは、去ったのではない。

 ――滅ぼしたのでもない。

 ――ただ、命令に従わなかっただけだ。


 それだけで、

 文明は沈黙した。


 翌朝、石板は保管庫から消えていた。


 報告書にも、その存在は記されていない。


 私は理解した。


 これもまた、歴史にならなかったのだ。

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