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泥濘で足掻く ~ある王子をめぐる少年たちの競演~

作者: 日崎アユム
掲載日:2026/01/07

 第一王子のファイヤルが倒れた時、彼の幼馴染であるエイラスとジリークの二人は、彼のすぐそばにいた。


 エイラスとジリークは、ファイヤルの侍童じどう出身で、三人とも同い年の十七歳、一緒に高等学舎に通う学友である。しかも、二人とも名門貴族の跡取り息子であり、将来は王になるであろうファイヤルのそば近くに仕えることを約束されている。ファイヤルはこの二人に格別な信頼を寄せていた。


 今日も三人で一緒に昼食を取る許可をファイヤルの父である王にいただき、王城の食堂に集まって、たわいもない話をして盛り上がっていた。


 そんな中、ファイヤルが急に手を止めた。フォークに肉を刺したまま、なぜか固まってしまったのだ。


「殿下?」


 みるみるうちにファイヤルの顔色が悪くなっていく。肉が刺さっているフォークを投げ捨て、手で自分の口元を押さえる。肩が震える。


 何が起こったのかわからず呆然としているエイヤルとは対照的に、ジリークの行動は早かった。彼もまたナイフとフォークを投げ捨てると、ファイヤルの震える肩をつかんだ。そしてその口元を隠していたファイヤルの手をつかんだ。薄く開いていた唇を開き、口腔内に人差し指と中指を揃えて突き入れる。ファイヤルがえずく。喉が動く。テーブルの上に吐瀉物をぶちまける。


「毒だ!」


 ジリークのその怒鳴り声を聞いて、エイラスはようやく我に返った。すぐさま立ち上がり、給仕をした女性を追い掛けた。案の定彼女は走ってエイラスから逃げようとしたが、学舎で武術の訓練もしている十七歳の男子のエイラスが女性に追いつかないわけがない。エイラスは彼女を背後から床へと押し倒し、腕をひねり上げた。舌を噛み切らないよう、首元のリボンタイをはずして彼女の口に押し込み、首の後ろで縛る。


「誰か!」


 給仕の女性に馬乗りになったまま、エイラスは声を上げた。


「殿下に毒を盛られた! すぐに侍医を呼べ!」


 扉の近くにいた衛兵たちがいまさら駆け寄ってきて、エイラスが押さえつけていた女性を抱え起こした。


 どうやら他に毒の出どころに心当たりがある人間はいないようだ。あるいは、あってもしらばっくれているのか。周囲で様子を窺っていた給仕係たちがファイヤルに駆け寄って声を掛け始める。

 ファイヤルは意識が朦朧としている。目の焦点が合わない。

 ジリークはそんなファイヤルを左腕で抱きかかえ、上半身を起こす体勢を取らせた。右手に水差しを持ち、ファイヤルにむりやり水を飲ませる。


「窒息しないか」


 エイラスが二人のそばに戻ってそう声を掛けると、ジリークは先ほどと同じようにためらいなくファイヤルの口に指を入れて喉を突いた。食べたばかりで消化されていない食べ物の匂いはそこまできつくはないのが幸いか。


「胃の中身をすべて吐き出させたほうがいいだろう」


 エイラスはファイヤルが締めていたタイを解いてシャツのボタンを開けた。少しでも苦しくないようにという配慮ゆえだ。

 ファイヤルの喉があらわになる。白く滑らかな喉、小さな突起、わずかに感じる筋の存在が艶めかしく、長時間眺めていてはいけないような気がした。

 自分の浅ましい感情を投げ捨て、ファイヤルの首元に触れる。脈はある。定期的に動いている。この調子ならすぐに死にはしないだろう。ほっと胸を撫で下ろす。ジリークの処置が早かったことが功を奏したに違いない。


 侍医が駆けつける。白髪の老医師は年齢を感じさせない機敏さでてきぱきと処置をした。エイラスがしたように脈を取る。瞳孔を見ようとして目に触れる。ファイヤルにはまだかすかながらも意識があるらしく、まぶしがってむりやり目を閉じた。それを確認した侍医はファイヤルに「口をお開けください」と言った。ファイヤルが口を開ける。侍医が口内を診る様子を見て、エイラスは肩から力を抜いた。


 ファイヤルが自分の額を押さえた。


「目眩がする。休みたい」


 意識がはっきりしてきたようだ。周りを固めていた一同が安堵の息を吐く。


「寝室にお連れしましょう」


 ジリークがそう言ってファイヤルを横抱きにして立ち上がった。ファイヤルも決して小柄ではないのだが、それ以上に将軍家の生まれ育ちで人一倍鍛えており、体格が良く腕力もあるジリークが勝る。ファイヤルは抵抗しなかった。ジリークが危なげなく食堂を出ようとする。

 エイラスもファイヤルが心配だった。彼の様子を見ていたかった。二人を追い掛けようかと思った。けれどこんな時、健康な状態のファイヤルだったらどう動けと言うだろうか。普段はひょうきんで天真爛漫だが本当は思慮深いファイヤルは、状況をよく見てほしい、と言うだろう。


 いつだったか、ファイヤルが、言っていたことがある。


 エイラスは二人もいらない。ジリークも二人もいらない。

 私には二人が一人ずついてこの国の双璧として私を支えてくれれば、それで十分だ。


 エイラスはジリークの後を追い掛けるのをやめた。代わりに侍医や駆けつけた侍従官たちに状況説明をするのに徹した。エイラスの筋道の通った説明を、一同は聞き入った。書き取り、頷き、「国王陛下にご報告致します」と言った。


「エイラス様の理知的なお振る舞いに、国王陛下もエイラス様の御父君もさぞやお喜びになるでしょう」


 はたしてそうだろうか、とエイラスは思う。

 ファイヤルが顔色を変えた瞬間、先に動いたのは、ジリークのほうだった。


 ジリークはどんな時も冷静だった。判断力と行動力があり、ファイヤルだけでなくエイラスも、そんな彼に助けられることがしばしばあった。

 彼は良い政治家になるだろう。エイラスはそう確信していた。今日もファイヤルの命を救ったのはジリークだ。尊敬に値する。けれどそれがうらやましくもあり、エイラスの心はどす黒く変色して、エイラス自身を困らせる。




 翌日、エイラスは講義を休んでファイヤルの見舞いに行った。朝の段階で、ファイヤルは先ほど無事にいつもどおり目が覚めたと聞いていたが、自分の目で確認しないことには安心できなかった。


 しかしいざ本当に王城の中のファイヤルの寝室に行くと、寝間着姿の彼がベッドの上でいつもどおりあっけらかんとした顔で切り分けられた林檎を食べていて、頬をもごもごと動かした後に「やあ」とエイラスに向かって微笑んだので、安堵のあまりか怒りまで湧いてきた。思わず彼の後頭部をはたきそうになった。同時に涙も込み上げてくる。どちらもぐっとこらえる。


「さすが我らの第一王子殿下、生き汚いですね」


 エイラスもいつもどおりに毒を吐く。ファイヤルがくつくつと笑う。何事もなかったかのような一幕だった。まるで寝坊したファイヤルを授業に遅れますよと言いながら迎えに来たかのような気分だ。


 ただし、ここにジリークがいれば、の話ではある。


 エイラスにとっては、ジリークがファイヤルのそばにいることは当たり前のことになっていた。だから今ここに彼がいないことが妙に寒々しく感じられた。過保護な彼のことだから、それこそ寝ずの番をしていてもおかしくはないと思ったのだが、エイラスが現れても彼がいないというのは、なんとなく不自然だった。


「今日、あいつはどうしたのですか?」


 エイラスは、彼とすれ違ったのかもしれない、と思った。クソがつくほど真面目でバカがつくほど正直な彼は、早朝に来てもう講義に行ったのかもしれない。そんなふうに思ったのだ。


 ふと、ファイヤルが遠くに目をやった。その表情から感情が抜け落ちた。珍しいことだった。いつもにこにこへらへらとしている彼がこんな目をするのはめったなことではない。胸の奥にひんやりとしたものが落ちる。


「彼はもうここに二度と来ないかもしれない」


 まるで明日から日は西から昇ると言われた気分になった。


「いや、正確には、来られないかもしれない、と言ったところか」


 エイラスは目を丸くして「なぜ」と問い掛けた。


 ファイヤルは少し間を置いてからこう答えた。


「昨日私に毒を盛った女のことをおぼえているか? 君が取り押さえたと聞いたが」

「ええ。彼女が何か自供したのですか?」

「彼女に金を渡して食事を運ばせた男を捕まえることに成功した」

「やりましたね」

「その男をひと晩かけて拷問したところ、今朝になってその男は大元をたどるとジリークの父親に行きつくことを明かしたのだ」


 一瞬、何を言われたのかわからなかった。頭が理解するのを拒んでいた。

 けれど、無表情でしゃりしゃりと林檎を食べているファイヤルがフォークを持っているのとは反対の手で彼自身の膝を抱えているのを見ているうちに、だからいつもは太陽のようにあっけらかんとした彼もこんなに落ち込んでいるのだ、ということを悟った。

 彼が毒殺されそうになることは初めてではない。しかし、今回は黒幕が親友の父親だと言われて、手も足も出なくなってしまった。


「どうして……」


 だが、まったく心当たりがないわけでもなかった。


 この国には王子が四人いる。長男で第一王子のファイヤルを筆頭に、弟たちが三人いる。けれどファイヤルと弟たちは母親が違う。ファイヤルだけが正当な妻である王妃の子で、下の三人は愛妾の子だった。


 王はこの愛妾を気に入っている。息子を三人も産んでくれたからだ。三人はいずれも健康で聡く、いずれもまだ十代前半ではあったが、このまま成長してくれるのであれば政務に携わるにあたって問題はなさそうに見える。


 愛妾は将軍の一族の出、つまり将軍の息子であるジリークの親戚だった。


 ジリークの父親である将軍にとっては、この愛妾がそのまま今の地位にい続け、第二以下の王子が後継者に指名されるほうがいい。ファイヤルは邪魔だ。


 対するエイラスの父親は宰相であり、ファイヤルの母親、正妃の味方だった。


 べつにこの王妃になんらかの肩入れをしているわけではない。単に彼女が隣国の王族だからだ。隣国との同盟を強化して経済的な利潤を得たい宰相にとって、彼女は大事な駒である。その彼女が産んだ、彼女が溺愛している第一王子のファイヤルにはそのまま王太子になってもらうことを望んでいた。


 愛妾派の将軍家と正妃派の宰相家は険悪な空気だ。けれどその対立が今まで表面化しなかったのは、双方ともに人質として長男をファイヤルのもとに差し出していたからだ。エイラスとジリークが四六時中ファイヤルと一緒にいられるのはそういう政治的判断のもとであり、暗愚な王が将軍と宰相の思惑に気づかないのであって、少年たちの友情が麗しいからではない。


 それでもエイラスは、ファイヤルとジリークと三人でいられるときは充足感で満たされていた。自分が政治の道具にされているとは思っていなかった。何も考えずにエイラスとジリークをファイヤルの侍童として受け入れた王が裏で父親たちに愚鈍と評されていようとも、自分たちにとっては違う、自分たちにとっては三人の友情を認めてくれている寛大な性格の王であると認識していた。


 それも、もはや、ここまでか。


「どうして……」


 ジリークがファイヤルに悪心を抱くはずがない。

 それに、万が一そんなことがあろうものなら、ジリークはファイヤルを救わなかっただろう。流れるようにファイヤルの喉に指を突っ込んで抱えていたジリークのことを思い出す。彼は真心からそうしていたのだと思う。クソがつくほど真面目でバカがつくほど正直な彼はたとえ父親がどうであっても忠心のかたまりだ。


 ジリークが、ファイヤルを裏切るはずがない。


 彼は、あんなにも、ファイヤルを大切にしている。


「内戦になるかもしれないな」


 ファイヤルは相変わらず遠くを見ながら林檎を食べている。


「私のそばにいてくれないか、エイラス。顔しか取り柄のない王妃に似て顔しか取り柄のない王子だが」


 エイラスは目頭を押さえながら「もちろんです」と答えた。


「このエイラス、永遠に殿下のおともをしたく存じます」




 その日の夜のことだ。


 ファイヤルのもとから下がって自宅の自室にいたエイラスに、母親が声を掛けてきた。


「お客様ですよ」


 夕飯も終わって、月が出ている時間である。時計を見ると、午後九時を指していた。こんな時間に訪ねてくる非常識な人間はいない。

 しかしほかならぬ母がおとないを告げてきた。彼女は宰相夫人で、息子のエイラスは密かに彼女こそ理想の良妻賢母だと思っていた。思春期のエイラスが素直に母本人にそう言うことはないが、聡明な彼女が判断を誤ることはない。ましてや大事に育てた長男に危険が及ぶようなことをするわけがなかった。


「ガゼボに案内しました」


 奇妙な話だった。ガゼボとは庭にある東屋あずまやのことであり、晴れた春のティータイムならばまだしも、初冬の今の夜に使う場所ではない。エイラスがそれなりの年齢の紳士であれば逢引きの密談もありえたかもしれないが、それならば母親が仲介役を務めることはない。


 間を置かず、頭の中に嫌な予感が浮かんできて、母は他の家族には知られたくない秘密の客人を案内したのだ、ということを悟った。


「すぐに行きます」


 誰が訪ねてきたのかを、エイラスは察していた。




 庭に出ると、わずかに丘状に盛り上がっているところにあるガゼボに、背の高い男の後ろ姿が見えた。同い年ながらすでに筋骨たくましいその背中を、エイラスは昨日まで毎日見ていた。毎日うらやんでいた。自分もあのように強い体が欲しいと、そうすればファイヤルを守れるのにと思っていた。


「ジリーク」


 小声で話し掛けた。

 エイラスに背を向けて立っていたジリークが、こちらを向く。月明かりに彼の左頬が浮かぶ。右半面は影になっていて見えない。どんな表情をしているのか、わかるようでわからない。分厚いコートを身にまとっているようだった。まるでこれから旅にでも出るかのようだ。


「こんな時間にうちに来て、討ち取られたいのかな」


 エイラスがそう言ったところ、ジリークは左目を細めた。笑っているのか、怒っているのか、いまいち判断がしづらい。

 そもそも、ジリークが表情が豊かなほうではない。古い時代の男性の美徳を体現している彼は、口数が少なく、表情の変化も乏しい。

 一方エイラスは、いろんな人に口から生まれたようだと言われていた。ファイヤルほど冗談が好きなわけではなかったが、自分は確かに放っておかれると勝手にしゃべっているタイプかもしれない。机に座って書き物をしていることも多い。これでよくそのレベルの剣術の腕を身につけられるものだと感心されることもあるが、自分ではなんとなく運動不足ではないかと思う時がある。とかく肩が凝る人生だ。


 エイラスはジリークにあこがれていた。性に合わないので口に出すことはなかったが、自分も彼のように力強くて寡黙な男になりたいと思っていた時期もあった。


 そのジリークが、今、ファイヤルに毒を盛った男の息子として王都を追われようとしている。


「ここを離れることになった」


 案の定、彼はそう言った。すべてを受け入れているかのような、落ち着いた声音だった。


「王妃様がお怒りだ。お前の一族は大事な一人息子に毒を盛ったとな」

「一人息子ね」

「愛妾の息子など身内だと思っていない。ましてやあの方の母国では不倫は大罪に当たるらしいからな」

「この国でも道徳的ではないと思っている人のほうが大半だと思うよ。ただ、不倫でも王の跡継ぎ候補者が増えることをよしとしているだけで。子供を産めない女は離縁されるのが筋だ。ファイヤル殿下がいるからつなぎ留められている」

「お前の言うとおりだ」


 ジリークが少しまぶたを伏せた。


「お前はこの国を今のままでいいと思っているか?」


 エイラスは動揺した。

 自分たちはどうでもいい話ばかりしてきて、肝心なことを話してこなかったのだ、ということを感じた。王の息子と、将軍の息子と、宰相の息子の三人が顔を突き合わせてすべき話を、自分たちはしてこなかった。

 ジリークは今、そこに切り込もうとしている。


「贅を尽くした奢侈な生活を好み、王の長男を産んだことと実家の軍事力を盾に政治に口を出す女と。王の寵愛を得ているとそしられながらも慈善事業に精を出し、三人の息子たちに兄を立てなさいと教育する控えめで聡明な女と。どちらが国のためになるか、考えたことはあるか」


 ジリークの問い掛けは痛いものであった。それは、傲慢に振る舞う王妃を裏から支える宰相、すなわちエイラスの父親への批判であった。

 国民は王妃を嫌っている。愛人と言えども清貧を保とうとする女に同情の目を向けている。そうでなければ、息子同様実直な性格をしている将軍が不道徳なおこないに加担することはなかっただろう。ただ単に親戚の女が見初められたからというだけではない。


 エイラスは拳を握り締めた。


 ジリークは返答を望んでいる。ここでいつものようにはぐらかして笑うことは望んでいない。そんなことをしたらエイラスは彼に失望されるだろう。

 そう考えた時、ふと、エイラスは悲しくなった。

 自分はこの男に失望されることを恐れている。

 この男に、お前にはがっかりした、見損なった、と言われたら自分は絶望するだろう。それを、いまさらながら認識した。だから意見をぶつけてこなかったのだろう。自分は逃げてきたのだろう。


 今こそその時だ。


「僕は今のままでいいと思っている」


 エイラスははっきり言った。


「国のためを思うならば、外交的な利益を追い求めるべきだ。王妃様は正当な手続きを踏んで我が国にお越しになった。正当な婚姻をし、正当な王子を産んだ。それを国際社会が祝福した。特に王妃様の母国はファイヤル殿下が即位され両国の友誼が深まることに期待している」


 ジリークは無言でエイラスの顔を見つめている。


「政治に振り回される女性たちを哀れに思う。僕は母や妹を愛しているからね。だが国家の平和のためには彼女たちにも戦ってもらうしかない。剣を持てないのならば血筋と身体と頭脳を捧げてもらうしかない。そして現状この国でそういう戦いに打ち勝ったのは王妃様であり、一歩下がって男の言いなりになるだけの女より知恵と舌が回る勝気な王妃様のほうを支持するのが宰相家の、いや、僕自身の決断だよ」


 二人はしばらく無言で互いを見つめていた。双方ともガゼボの中で顔を月光から隠しているので、互いに表情を見つめ合うことはできない。それを、エイラスは少し不安に思った。だが、そんな不安を覚悟の強さで覆い隠した。


「あのさ、ジリーク」


 一音一音を、強めに発音した。


「ファイヤル殿下は、王妃様の息子だよ」


 ジリークは頷いた。


「お別れだ、エイラス」


 そう言い残すと、ジリークは歩き出した。ガゼボから出て、エイラスのそばに控えていた侍従に「俺を外に連れ出してくれ」と告げる。侍従が頭を下げ、「こちらへ」とジリークを導く。


 エイラスはガゼボの壁に据え付けられた椅子に深く腰掛けた。


 終わった。


 だが、これでよかったのだ。ジリークが聞きたかったのはエイラスの本心であり、ジリークにおもねる言葉ではなかっただろう。


 ジリークの背中が、離れていく。


 あの背中がうらやましい。彼は王を敵に回してでも自分の父親の判断を支持しようとしている。その強さは、エイラスにもあるだろうか。




* * *


 将軍家の主要な人間が王都から姿を消して以来、はや五年が過ぎた。


 この間、国内では散発的な戦闘が続いた。どの事件でも数名の死傷者が出ており、小規模ではあるが内戦状態に陥ったとして王は戒厳令を敷いた。

 しかし、その死傷者はだいたい王妃派の軍人であるので、愛妾に心を寄せる民衆は胸が痛まないようだった。革新派の新聞に至っては、国庫を浪費する女の手下どもに打撃を与えてやったと書き立てる始末だった。

 当然保守派であり王妃派の筆頭である宰相家は黙っていない。内乱罪を企図する姿の見えない首謀者を指名手配し、将軍の失踪後櫛の歯が欠けるように消えていく軍人たちの代わりを自分の派閥の人間で埋めていった。


 宰相の卵として文官の道を進むはずだったエイラスも、軍部の人間になった。宰相が統帥権を握り、その長男のエイラスは保守派の軍人を束ねる若き英雄としてもてはやされた。


 だが、王城のバルコニーから城の庭に集まっている民衆に向かって国際政治の団結を訴える演説をしたあと、エイラスはふと、エイラスの演説に熱狂する王妃派の聴衆たちを見て、みんな本当にこれでいいと思っているのか、と思う時がある。


 みんな、本当は知っているのだ。地下に潜った革新派たちを革命軍と呼び、その首領に上がっている人物の名を、理解しているのだ。けれど、口には出さない。それは革新派にとっては彼ら一族を肯定する行為であり保守派にとっては彼ら一族を否定する行為なので、致命的なことにならないように腹を探り合っている。


 このままだと国は保守派と革新派が王国軍と革命軍に分断されるわけだが、エイラスは、君は本当にそれでいいのか、と問い掛けたい。けれどその思いは声にならない。


 革命軍の首領の卵の一挙手一投足を、国じゅうが見つめている。


 エイラスは一瞬たりとも彼のことを忘れたことがない。若く愚かだった青春の日々、浅はかで輝かしかった友情とその下でうごめいていた嫉妬や羨望といったみにくくどす黒い感情を、今も消えた彼に向け続けている。


「さすが宰相の卵」


 バルコニーから離れて屋内に引っ込もうとしたところ、影で聞いていたファイヤルにそう語り掛けられた。


「誰もが聞き入っていた」

「そもそも衛兵たちの監視のもとに集まっている人間はこちら側の人間ですよ」

「国じゅうの女性が君に恋をしているとも聞いた」

「誰ですか、僕にそんな悪評を立てる不届き者は」


 エイラスはまだ独身だった。母は必死に見合い相手を選定していたし、行列ができているという話も小耳に挟んだが、エイラスは拒んでいた。自分よりファイヤルが先だと思っているからだ。

 しかしそのファイヤルは王妃の息子という不安定な立場で、なかなか婚約者が決まらない。いろんな理由で破棄したりされたりと、二十代の王族なのに宙ぶらりんの身分であった。


 悠長に女にうつつを抜かしている場合ではない、という気持ちと、早めに跡取りを作って両親や仕えてくれている人々を安心させたい、という気持ちとで、よくぐちゃぐちゃになる。


 自分はいつ何があるかわからない。

 なぜならば、この王子のために命を捧げる覚悟だからだ。

 この王子にすべてを捧げることを名誉なことだと思っていて、その他のありとあらゆることに優先すると考えているからだ。


 いつでも死ぬ覚悟はできている。


 だが、それは今ではない。


 時々、彼と再会する夢を見る。

 その中で、自分と彼は互いに刃を向け合っている。

 この国の未来を憂える同志として、殺し合う覚悟を決めている。

 それこそが、忠義だ。


 エイラスは腰にさげている剣の柄頭に手を置いた。この剣は本物の真剣だ。ファイヤルを傷つける者を斬り捨てるための真剣だ。

 あの時代、彼はエイラスより強かった。きっと今も、鍛錬を続けている。

 それでも真の意味でファイヤルを守るのは自分のほうだ。


「では、午後のティータイムとしゃれ込もうか」


 少し疲れた顔で苦笑するファイヤルに、エイラスは笑みを返した。


「ええ、どこへでもお供しますよ」


 この王子に、永遠を、誓った。


 いつでもかかってくるといい。





<終わり>





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