公爵家の薔薇が赤いのは
アルグレイズ公爵家の令嬢、ソフィー=アルグレイズ。
金糸の髪を陽に透かせば、彼女はまるで天使のような人だった。
けれど家族はおろか使用人さえ、彼女を人として扱わない。
病弱で身体も気が弱く、陰気で可愛げがないと、笑うことすら罪のように咎められる日々。
病弱であることは、この家では怠慢と同義だった。
それでも食卓に顔を出さなければならず、ソフィーは気を重くし席に座った。
目の前には水のような冷たい粥だけが置かれている。
「また顔色が悪いようだなソフィー」
食卓の端で公爵であるソフィーの父グラッドが新聞を畳んだ。
「その虚弱体質、いったい誰に似たんだかな。まったく恥を知れ」
「申し訳……ございません」
俯いた声は震えていた。
母エカテリーサは庇うどころか軽蔑を隠そうともしない。
「少しはアリシアを見習ったらどうなの? こんな出来損ないの娘が私の子どもなんて」
普段から彼女を叩き、出来損ないに食事はもったいないと、使用人たちに命じて冷たい食事を出すよう命令したのもエカテリーサである。
妹の名を呼ばれて、ソフィーはそっと向かいに目をやった。
妹は母譲りの金髪碧眼を受け継ぎ、健康的で、何より愛らしい。
誰からも愛される天使……自分とは全てが正反対の娘であった。
「ゴホッ、ゴホッ」
「もう、嫌だわお姉様。汚らわしい。お姉様の病気が私にうつったらどうしてくれるのよ」
紅茶を口にしながらアリシアは笑う。
その声音は優しいもの、瞳には侮蔑が滲んでいる。
「ねぇお父様。お姉様、今度の舞踏会に出るのかしら? また倒れられたら困りますわ」
「出すつもりはない」
グラッドの声は冷たい。
「病弱な娘など客の前に出せるものか。顔を合わせるだけで気が滅入る」
いつもどおりのその言葉が、ソフィーの胸に小さな痛みを落とした。
その日の午後。
ソフィーの婚約者、ギルベルトの訪問があった。
ソフィーは鏡の前で久しぶりに身支度を整えたが、鏡に映る自分は酷く痩せこけていた。
応接室の扉を開けると、ギルベルトはいつもと変わらぬ完璧な姿で立っていた。
金糸の刺繍入りの外套を纏う、貴公子という言葉がこれ以上似合う男性もいないほどの美丈夫。
けれど、その瞳は氷のように冷たかった。
「久しいな、ソフィー」
「はいギルベルト様。お会い出来て嬉しく思います」
彼はため息を落とし、僅かに眉をひそめた。
「また体調を崩したと聞いて仕方なく顔を出したが……見舞う必要はなかったな」
「……お気遣いありがとうございます」
「相変わらず君の顔を見ると気分が沈む。家同士の繋がりが無ければ、こんな無駄な時間を過ごす必要もないというのに」
言葉は刃のように鋭かった。
それでもソフィーは微笑みを崩さない。
ギルベルトは大した反応もしないソフィーをつまらなく思い、彼女の指に嵌められたそれを見やった。
「その指輪」
「はい……ギルベルト様より賜った婚約指輪です」
「君よりも似合う相手に渡すべきだった」
そう言うと、彼女の脇を愛想なく抜けた。
ソフィーはそれでも、深く頭を下げ彼を見送った。
しばらくして、ふとアリシアの部屋の前を通ったとき。
閉まった扉の向こうから、アリシアの嬉々とした声がした。
「ギルベルト様」
「アリシア」
同じく、ギルベルトの弾んだ声も聞こえてきた。
「会いたかったわ」
「僕もだよ」
「ねぇギルベルト様、いつお姉様との婚約を破棄してくれるの? 私はいつギルベルト様に嫁いでもいいのに」
「いろいろと面倒なことがあるんだ。貴族間の婚姻は簡単には撤回出来ない」
「もう、お姉様ったら迷惑なんだから。図々しくこの家に居座ってる邪魔者のくせに。いっそ死んでくれればいいのに」
本人が聞き耳を立てているなど知らない二人は、そのまま身体を密着させ、ベッドに倒れ込んだ。
ソフィーは込み上げる思いに噎せ、その場から逃げるように庭に出た。
薔薇の香りは、彼女にとって唯一の救い。
その香りに包まれると息が少しだけ楽になる。
「お嬢様、こちらにおられましたか」
そんな折、声をかけたのは新しく雇われたメイドのセナだった。
黒髪を結い上げた整った顔立ち。
瞳の奥に潜んだ淡い光は、どこか異国の雰囲気を漂わせている。
「また昼食を残されたようですね? 朝食もろくに召し上がらなかったのに。お気持ちは分かりますが……お身体に障ります。後ほどあたたかいスープをご用意します。ああ、それとも紅茶を用意しましょうか。後で街でケーキを買ってきますので」
「……ゴメンなさい。でも、喉を通らなくて」
ソフィーが微笑むと、セナは一歩近付き、そっと彼女の手を包みこんだ。
「お嬢様を気にかければ私も酷い仕打ちを受ける……と? 私に気を遣っているなら心配はいりません。新人が何をしたところで、誰も気に留めませんから」
「そんな……」
「お嬢様はどうかご自愛くださいませ。お嬢様が笑ってくださる方が、私は嬉しいです。お嬢様のためなら何だってしますから」
頬が熱を帯びた。
誰かに優しい言葉をかけられるのはいつぶりだろう、と。
薔薇の花びらが風に舞う。
その瞬間、ソフィーの手を包むセナの指がわずかに強くなった。
けれど、ソフィーは気付かない。
セナの目が、庭の奥にある屋敷の窓……妹とギルベルトが見つめ合う部屋を、静かに射抜いていたことに。
それからしばらくした後、アルグレイズ家にギルベルトの訃報が届いた。
乗馬の最中、馬から落ちて全身を強く打ち付けたらしい。
「嘘よ!! 嘘よ!! ギルベルト様が……そんな、嫌ぁぁぁ!!」
アリシアの泣き声が屋敷中に響き渡る。
母のエカテリーサはその肩を抱きながら下唇を噛んだ。
(向こうの家からはソフィー宛の持参金を受け取っているのに。縁談が無くなったらそれを返せと言われるに決まってるわ)
すでに持参金で私腹を肥やしてしまっていたエカテリーサが焦りを覚える中、アリシアは泣き真似をやめるタイミングを図っていた。
(ギルベルト様、顔だけは良かったのに。死んじゃったら意味ないじゃない。まだ婚約も済ませてないから遺産も入ってこないし。最悪)
所詮は打算で転がしていただけにすぎず、姉の婚約者でなければ見向きもしなかったであろう男が死んだところで何も思うところはない。
次の男を引っ掛ければいいだけ。
今は悲壮感に暮れるフリをし、優しく純情で可哀想な乙女を演じるのが最善であると、アリシアは母の胸に頭を預けた。
だが、その夜。
アリシアは自室で首を吊った。
「アリ、シア……」
「なんで、嘘……」
グラッドとエカテリーサが揃って目を丸くした。
『禁じられた愛を抱いて逝くことをお許しください』
青く冷たくなったアリシアの手に握られたクシャクシャの遺書には、震える文字でそう書かれていた。
アリシアという花が枯れ、両親は陰が落ちたように沈んだ。
もう一人の娘の存在など忘れているかのように。
「お待たせいたしました」
「遅いわよ!! はやく淹れてちょうだい!!」
気分を落ち着かせるために用意させた紅茶を口に含んだ瞬間。
エカテリーサは喉に焼けるような痛みを覚えた。
「が、はッ……?!!」
呼吸が詰まり、全身に裂けるような痛みが走る。
苦しさのあまり絨毯を掻き毟り爪が折れ、やがてエカテリーサは絶命した。
苦悶に彩られた醜い顔のまま。
「いったい何がどうなっているんだ!!」
グラッドが度重なる身の回りの死に怯える最中、エカテリーサが失踪した。
次は自分なのではないか、と。
部屋に籠もり、食事も摂らず、誰とも顔を合わさない日々が続いた。
だからこそ発見が遅れた。
「きゃああああ!!」
メイドが発見したときには、すでにグラッドは息絶えていた。
腹には自分でナイフを突き立てた痕。
床に染みた血は、とっくに赤黒く乾いて鉄の匂いを漂わせていた。
呪われた公爵家の噂は、またたく間に拡がった。
使用人も領民も離れ、残されたソフィーは頼る宛も無く、遠く離れた診療所に身を預けることに。
ただ一人、メイドのセナは今でも彼女に付き従っている。
「セナ、あなたまでついてこなくても……。もう払えるお給金は無いのだから……」
「構いません自分で稼げますので。お嬢様の具合が良くなるまで……いいえ、この先もずっと私はお嬢様のお側におります。これが私の望むエンディングです」
「エンディング……?」
「ああ、いえ。なんでもありません。それよりもこれを」
セナが手渡した小さな包みの中には、薔薇の種が入っていた。
「元気になったらまた薔薇を育てましょう。あのお庭よりも美しく広い場所で」
ソフィーは小さく微笑み頷いた。
「ありがとう……」
その可憐な横顔を見たセナは強く思った。
私だけは彼女を幸せにしなければ、と。
「お慕いしております、お嬢様」
――――――――
セナ……もとい瀬名海晴は、かつて日本で働いていたOLだった。
過労で倒れ、気付けばこの世界にいた。
そこが前世で夢中になってプレイしていた乙女ゲームの世界だと知ったとき、彼女は心から歓喜した。
「ソフィーに……会えるってこと?!」
儚くも可憐で美しいソフィーは、彼女にとっての最推しヒロイン。
彼女に近付くために公爵家のメイドになったその努力は、最推しを間近で眺めるという執念に他ならない。
だが、この世界はゲームよりずっと冷たいことを知った。
彼女が直面したのは、登場人物たちがソフィーを嘲笑い、貶め、踏みにじる、運命が悲劇に向かって進んでいるかのような、あまりに理不尽な現実。
「ありえない……こんなの間違ってる……」
だから彼女は決めたのだ。
「私が……ソフィーを守らなきゃ……」
バッドエンドを書き換えることを。
「そうだ、全員殺そう」
最初に消えたのは……否、消したのは浮気者の婚約者。
彼の手綱に細工し、上手いこと落馬したときには自分の幸運を喜んだ。
妹の首吊りの偽装は難儀した。
手にロープの痕が残らないように、足元の台座に不自然なところが無いように、念入りに確認し、遺書もそれらしいものを用意した。
公爵夫妻を殺害するのは簡単だった。
夫人には毒入りの紅茶を。
閉じ籠もった公爵には、色仕掛けで部屋の扉を開けさせた。
「公爵様、私に出来ることがあるなら何でもお申し付けください」
豚の如く肥えた男に肌を晒すことも厭わない。
それでソフィーを守れるなら、と欲望に応じ、欲望のままに貪りつこうとした公爵の腹に、ズブリ……とナイフを突き立てた。
「な……ァ――――――――」
「お嬢様を蔑ろにする輩は死ね」
「貴様、この、悪女……め……!!」
「悪女……?」
それでいい、とセナは返り血を浴び嗤った。
「最推しが笑ってくれるなら」
――――――――
誰もが消えた屋敷は静かになった。
そこで何があったのか、真実を知る者は誰もいない。
しかし今でも薔薇は真紅に彩られている。
爪が折れた指が露出した庭で。
目眩がするほどに美しく。
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他にも短編をいくつか書いております。
どれか一つはお気に召すものがあるかもしれません。
どうかお試しくださいm(_ _)m




