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暗闇の中、炎が灯った。一本の白柱から生み出される輝きは普段と違い弱々しく、かつ熱を感じさせる。照らされた光の球に男の顔が侵入する。右半分が影になり、存在が曖昧だ。
「皆様、今日はお集まりいただきありがとうございます。さて、これから話すのは」
「ねえ、準備できたんならさっさと始めんね」
語り始めた彼に苛立ちの声が差し込まれる。
「そんなに怒んなって。こういうのはフインキが大事なんやから」
冷たい目線とともに放たれる声を軽く受け流す。先ほどからふざけている男は安田憲正。大学の公認サークル、形而上学研究会の幹事長であり、動画投稿サイトのサークル用チャンネルでリーダーをやっている男だ。こいつは四六時中しょうもないことしか考えてない。電動自転車で坂道をノーブレーキで降りながら手に当たる風の感触と充電率の相関率を出したり、猫のいるリビングからトイレまでドミノを並べられるか実験したり、メントスコーラでペットボトルロケットを飛ばせるか実験したり、いわく付きの川に飛び込んでみたり。その全てをサイトに投稿している。そんな先陣を切って馬鹿なことをする彼を俺たちはノリと呼ぶ。
川に飛び込んだ動画はさすがに低評価が大量につき、炎上してしまったため非公開にしているが、今は落ち着いている。しばらくはおとなしく普通の動画を撮ってお茶を濁していたが、謹慎期間を終えたのはつい昨日のことだった。珍しく撮影もしないで花見をしていたサークルメンバーに突然、宣言したのだ。
「よし、あれやろうぜあれ」
「なんだよあれって。おとなしくするのに飽きたん?」
「ゲーム実況とか料理動画とか普通のやつ取るのもええけど、なんか足んねえって思ってよ」
「今度は廃墟で一日過ごしてみた、とかか?」
「ん~、おしい! ひとりかくれんぼみたいなやつやろうって思って調べてたんや」
その場の空気が少し冷える。カメラ担当のユメコがいつもの倍は不機嫌な表情で止めに入る。
「アンタ、なしてそんな危ないことするとよ!」
「そ、そうですよ。あれは降霊術の中でも危険なものです! 最近は有名になってしまって尚更です!」
いつもはおとなしい、編集や情報収集が担当のリアも慌てた様子で彼女に同調する。
「まあ、そう言うと思ってそんなに危なくなさそうなやつ見つけてきたんや」
彼は得意げに話始めた。夜、真っ暗な部屋の中で呪文を唱えて寝る。ただそれだけ。朝には普通に目が覚めて夜やったことをさっぱり忘れるらしい。寝ている最中の様子を動画に撮れば面白いのではないかというのが彼の企画だ。
「記憶が無くなる? 本当かいな」
「そんなんやってみなわからん」
彼の言うことは大半が適当なことなので俺はつい鼻で笑う。しかし彼は笑いこそすれ冗談を言っている様子はない。俺はため息をついて仕方なく彼に向き直る。
「そんなのどこから見つけてきたんかわからんけど、そんなに視聴回数稼げんで」
「おいコウ……よしてくれ。俺はやってみたいことをやるだけや。稼ぎなんてどうでもええ」
珍しくまじめな様子の彼に俺は口をつぐんだ。彼の言う通りだ。結局のところ、これは大学生の暇つぶし。あと数年すれば集まることも少なくなるだろう。
「わかったわかった。最近我慢しとったしな。ノリのやりたいようにすればええわ」
「やっぱお前は話が分かる奴やな。ま、カメラのセットくらいやからユメもリアも無理せんでええからな。いざとなったら俺ひとりでできる」
「いけんよ。アンタの撮った動画、見るに堪えんからアタシがセッティングする」
ユメコは決心の固い彼を見てそれらしい理由と共に賛同する。心配半分、もう半分は気になってしょうがないといったところだ。
「コウ君……ユメちゃん……」
リアは悲しそうな表情を浮かべている。動画の編集はするといったが、撮影現場にくることはなかった。
場所は話し合いの結果、彼の家に決まった。メンバーの中で1LDKという一番広いスペースに居住する彼は今回の企画にうってつけだろう。各部屋にカメラを仕掛けておけば夜中に部屋中を徘徊する彼を撮ることができるのではないか。そう俺は考え、ユメコに相談すると彼女は嫌そうな顔をしつつも承諾してくれた。
「アンタがふざけるんならアタシ帰るから。コウもこんなバカに付き合う必要ないけんね」
「おいユメ~。もうちょっと楽しんでいこうや。これから暑くなってくるんやし、暑気払いに丁度ええやろ」
「早すぎるわボケ!」
蝋燭の炎だけが頼りの部屋で二人が仲良く会話している。俺は隣で苦笑いしながら二人に仕事を思い出させることにした。
「じゃあ準備できたら言ってくれや。カメラ起動するから」
時間は午前一時半。ノリが呪文を唱えて就寝するのは二時以降で、その前にオープニングを撮る流れだ。蝋燭だけだとさすがに暗すぎるのでリビングの灯りをつける。
「よぉ、みんな! 東京エイリアンのノリとぉ」
「コウです!」
いつもの出だしから撮影は始まった。次いで今回の流れを話す。企画としては先ほどの会話通り、ひとりかくれんぼの亜種のようなもので、深夜に呪文を唱えて就寝するだけだ。おまけに夢見がよくなるらしいインテリアまで用意している始末。場所は以前にドミノの実験で使ったノリの家で、某事故物件サイトにも載っていないことを確認済み。複雑な手順を必要とせずやったことのある人がちらほらと動画を投稿しているがそれらしい雰囲気を編集で無理やり作っているだけなので、問題はなさそうであることを説明。
「というわけでね、熱中症予防として楽しんでくれよな!」
「いやお前がやるんだから意味ないて」
くだらないツッコミとポーズをとり、編集点を入れる。ユメコの「はい、オッケ」の声でポーズを解く。
「おし、じゃあまた明日」
「ま、何にもならんと思うけど無事を祈っとくわ」
「コウ、縁起でもないこと言わんとね」
玄関先でユメコに小突かれた。
「そんな心配なら泊っていけばええんちゃう?」
「なっ……しゃーしっ!」
「イッテ~~! ちょ、おま、蹴らんでもええやろ」
今度は脛にクリーンヒットだ。この女は加減というものをしらない。
「はあ、もう夜中やし、あまり騒がんといてくれるか? 近所迷惑になるで」
いつもふざけているヤツに言われる正論がこの世で一番腹が立つ。この場合、悪いのは果たして俺だろうか?
帰り道、ユメコは自転車を引きながらずっと口を閉ざしている。
「まあ、特になんもならへんて。どうせネットのしょうもない噂話の類や。それか面白半分で創作されたやつやろ」
ユメコの顔を覗き見ると睨まれた。
「大丈夫やって、明日になればいつものように朝の授業で眠たそうにしてるって」
「違うんよ」
「違うって、何が?」
「ノリの調べた話が唱える呪文は具体的やったけど、それ以外が曖昧やったとよ? ばってん、いつのまにか時間の指定とか呪文を唱える条件が追加されて……なしてそげんなったと?」
確かに彼女の言うとおり、当初の話からノリと会話を重ねるうちにかなり企画になりそうなものになっていった。参考にした動画では時間のことなど言及されていなかったし、撮っていた部屋も蛍光灯がバッチリと灯りを放っていた。元となった掲示板のソースは残念ながら見つけられなかったが、それほど話題になっていないのでとうの昔に埋もれてしまったのだろう。リアも並行して調査を進めていたが、ほとんど彼が台本を書いた。
「さすがに元のままだと二番煎じで嫌やったんちゃう? もしかしたらリアの入れ知恵かもしれんし」
「あの子……そげんことするとね?」
「なんにせよ明日になったら聞けばええやろ。俺、一限あるからもう帰るわ」
「もう! ちょっとは真剣に考えてや!」
分かれ道に差し掛かったことをいいことに、頬を膨らませる彼女を置いて行くことにした。夜道は……あれだけ気が強いのだ。危険とは無縁だろう。
そんなことをのんきに考えながら帰り道を急ぐことにした。