第七話 白髪の青年
「私と、付き合ってるふりをしてくれませんか?」
その言葉は自分の心を蝕むのをやめなかった。自分の身が怪しい方に傾いていくのをただ黙って感じるだけだ。
「えーと。どういうことですか?」
全く頭が追いついていないが、とりあえずの質問を投げかける。何故急に偽装恋愛を持ちかけてきたのか、その真意とは。
当たり前だがここでこの質問をしたところで、彼女の全貌を理解することはできないだろう。
「ご、ごめんなさい。急に。とりあえず言わなきゃって思ったんです。」
答えになっていない。だが、彼女の様子から見るに、その場の思いつきで発せられた言葉である可能性が出てきた。
彼女の目は完全に泳ぎ切っていて、体は微動だにせず、顔から焦りが漏れてしまっている。
「いやいや、僕は全然大丈夫ですけど、一旦、急ぎません?ちゃんと遅刻しそうな時間になってきたし。」
「え?…… え、ええ。そうですね。すみません。」
全然大丈夫じゃないが、大丈夫と言っておこう。何せ今一番危惧しているのは紅月さんに嫌われる可能性のある未来だ。
急ぐという口実を立て、事を置いてまた走り出す。走る間、思考をめぐらせる。何故彼女が急に「付き合ったフリをしてくれないか」という提案を持ちかけてきたのか。
落ち着いて整理しよう。大きく分けて三つ。
1.自分を好きになった。
これは大分自意識過剰だが、男子ならば皆思うだろう。しかし、これではない。
2.トラブルに見舞われており、解決するには誰かと偽装恋愛をする必要がある。
この可能性が一番高い。紅月さんとまだそこまで話してはいないが、雰囲気は掴んでいる。知的で、振る舞いが綺麗。そんな人が突飛な提案を持ちかけてくるにはきっと理由がある。そのもっともらしい背景がコレだ。
3.紅月さんはとても変人
あまりに急な偽装恋愛の提案により、この線は2と併用されている可能性もあるが、あそこまでまとまった人だ。あり得ないだろう。本人の言う余計な一言や、本屋での手探りからみるに、少し抜けていて、大胆な人なのかも知れない。
おそらく2だろう。あの切迫感、張り裂けるような雰囲気。あそこまで殺気だった女性は見たことがない。なにかとんでもないトラブルに見舞われている可能性が高い。
もうすぐで学校に着くまでにいたり、すでに俺たちは徒歩でいる。ここまで一回も話しかけてこなかったし、本人も自分の不体裁にもつれているようだ。
ここまで気まずかった。特に電車内では大変気まずかった。お互いに表情を伺いながら電車に揺られる姿は、観測者からは惨めに見えただろう。
校門に差し掛かった時、空気に耐えきれなくなってしまって声をかける。
「さっきの話…」
「はい!?」
紅月さんはかなりの声量で返事をした。顔は少し熱っているようにも見え、黒目は浮いている。驚きと焦りを隠せていない表情だ。存分に驚いてくれて構わないが、しかしここは学校なのだ。
ガヤガヤ
「ん……?なんだ?」
「急にどうしたんだろう…」
「なんかあったのか……?」
望みもしないギャラリーが出来始める。紅月さんはその場に固まり、登校中の生徒たちも皆立ち止まってしまった。
幸い、まだ紅月という名前は聞こえてこないが、時間の問題だろう。紅月さんは話しかけた自分よりも先に口を開いた。
「すみません。取り乱しました。放課後、また会えますか?」
「え?ええ。もちろんです。」
「ありがとうございます。」
さっきまでの慌てふためいた様子は消え、急に淡々とした冷たい空気を纏う。その寒暖差に少したじろいで、申し出に承諾した。その雰囲気はさっきとまるで別人である。一体、何だったんだ…?
何もなかったかのように去る紅月さんを見たギャラリーはたちまち散り散りになった。その中に1人、白髪の青年がいた。