第二話 おやすみ、妹
ガチャン
「ただいま〜。」
自分にとっては2年生初日の学校が終わり、ホッとして家に帰宅すると、レモンティーの香りがした。
「おかえり〜。」
「なにそれ、レモンティー?」
「そ〜。チンしたの。」
ガラス天板のテーブルの卓上には薄黄色い液体の入った白いマグカップと、キセルを吹かせた外国人が印刷されたラベルのペットボトルが置かれていた。
「飲む?美味しいよ?」
「ん、いただこうかな、、、うまい!」
「でしょ〜。」
自作でも無いのにとても誇らしげな笑顔をしている彼女は妹のゆうな。羊毛のようなパジャマとヘアバンドを着用し、机とソファの間の床で足を伸ばしている。テレビをつけずにスマホを開いている様はまさにJK。
「にーにー。」
「?」
一旦ゆうなの向かいに座って足を休ませ、声は発さずに、顔だけで反応する。
「部活どーしよーー」
「あー。バスケ部は?」
中学ではバスケ部に所属していたので、無難に続投を提案する。
「えーバスケ部ぅー。」
明らかに不服そうに顔を膨らませ、スマホの画面を素早くスライドさせた。ピンク色のパジャマが似合う童顔はしわちゃくちゃになり、小さい両手を天に掲げ、んーーっと、大きく伸びをする。
「何その顔。」
「考えてる顔。」
入試もこんな顔で受けたのだろうかとありえない妄想をして立ち上がろうとする。すると、持っていたレジ袋から少しはみ出ていたカレーのルーの箱を落としてしまった。それにゆうなが過剰に反応する。
「今日、カレーーー!!?」
「そーだよー。」
「やったーーー!!!」
大好物なのだから、過剰に反応するのも無理はない。少しでも妹の気持ちを晴そうと兄は必死なのである。
カラン カラン
「んっーーー!おいひぃー♪」
「よかったな。」
「うん!最高!!」
ほっぺたがこぼれ落ちそうになるくらいの満面の笑み。材料を省略しなくてよかった、と少し安堵する。長年の買い出しと料理の手間が報われる瞬間である。
「にーにのカレーが1位!」
「ありがと。」
「これ事実ね!」
この1位は繰り上げての1位であり、俺のカレーが真の1位になることは一生あり得ないだろう。そこに対してどう思ったりとかはないが、単純な悔しさはある。
「はぁ〜美味しかった〜。ごちそうさまでしたー」
「はーい」
かなり多めに盛り付けたが、見事に完食し、残ったのは明日の朝ごはん分ぐらいの量だった。成長期女子のエネルギー補給には目を見張るものがある。
「にーにー明日はちゃんと起きてね。」
「うん、おっけー。あ、先風呂入っててー。」
「はーい」
今朝寝坊してしまった自分を諭すように目を細め、風呂に入るよう促すとぺたぺたと脱衣所へ向かった。脱衣所の扉がスーっと閉まる。
皿洗いを終え、スマホを取りにリビングに戻ると、脱衣所の方から妹の曇った声が聞こえてくる。
「にーにバスタオルかかってなーい。」
はぁ。とため息をついて自分が使うつもりだったバスタオルを持ち、妹の元へ向かう。
脱衣所の扉を少し開けて、バスタオルを持った左手を中に入れた。
左手が少し生温かさを感じ取る。すると、水滴がついた血色の良い手がにゅるっと扉の隙間から飛び出し、前腕を掴んだ。濡れていた分一瞬冷たく、手の温かさは後からやってきた。
「おい。」
「へへっ♪」
何故か上機嫌なゆうなは、脱衣所に引き込むように腕を引っ張ってくる。いっそのこと入ってやろうかとも思ったが、それはそれで引かれそうなのでやめておいた。
「おーーい。」
「ごめんてぇ。」
観念したのか、満足したのか、腕を掴むのをやめ、左手はバスタオルの重みから解放される。扉から引こうと左手を動かすと、今度は手首を掴まれる。
「ねぇねぇ、これはな〜んでしょ〜う?」
湿っていて、柔らかい。パフパフな感触。弾力があり、少し重みがあるような気もする。人間の部位でこんなに柔らかいところなんて合っただろうか。
!?
いや、ゆうなに限ってそんなことはしないだろう。しないと願いたい。わからないフリをして指を動かす。
「うーん。」
悩む素振りを見せると、ゆうなは調子に乗り始めた。
「やっ、あんっ、、。」
妹の喘ぎは聞くに耐えない。答えはわかった。顔を歪ませて淡々と答える。
「ほっぺた。」
「正解!なーんだつまんな ぶっ」
盛大にはたいてやった。
自分もお風呂を済ませ、時刻は23時。部屋は完全に妹に貸し、リビングに寝袋を敷いて寝る。すると、トントンと、2階からゆっくり降りてくる足音が聞こえる。
「にーにー。寝れなーい。隣で寝てもいい〜〜?」
「えええぇぇーーー。」
普段ここまで甘えてくることはほとんどない。小5の時に母が亡くなってから、それまで喧嘩しきりだったのも、ぴたりと止んだ。しかし、母の代わりに自分に甘えるようになった。
昨日がべったりだった祖父の法事だったことも相待って、今が甘え度のピークに達しているのだろう。
「いいよ。」
「ありがと〜。」
予備の布団を出し、リビングに一緒に寝そべる。さらさらのゆうなの髪が枕に広がり、同じリンスの香りが広がる。小さい頃はよく毛布の取り合いになったが、今はそんなことはない。
壁側に一応体を向け、寝る態勢に入ると、後ろから手を回してきた。さながら抱き枕である。
「それ寝づらくない?」
「大丈夫。安心するから。」
「よかった。」
「ねえにーに。」
「何?」
「ありがとね。」
「こちらこそだよ。」
「ふふっ」
回す手がぎゅっと強くなる。
「おやすみ。」
「おやすみ……。」