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"爆弾"の解体

「はあ、はあ、はあ……」


 ギュンター・ディットリヒは、仰向けに寝転んだ状態で額に脂汗を大量に浮かべ、目は血走り、緊張の面持ちで荒い息を吐いていた。

 生唾を時折飲み込みながら工具を触る様は、まるで時限爆弾の起爆装置を解除でもしているかのようである。

 いや、この作業はある意味爆弾処理とも言えなくはない。

 少なくとも戦車兵にとっては。


「ディットリヒ、まだか?」


 ティーガーの下に板を敷いて潜り込んでいる彼に、バッヘムがしゃがみこんでこちらに呼びかけてくる。


「はあ、はあ……あと少しです。氷もライターで溶けましたし、もう少しで外せるかと……」


 ディットリヒは改めて額の汗を拭いつつ、バッヘムに固い声で呼びかける。


「でもですね、マジで頼みますよ? 俺がどうなるかはみんなに掛かってるんですからね?」


「分かっている、心配するな。だからこそ、小隊長も来てくれたんだぞ?」


「……クラナッハ少尉」


「どうした、ディットリヒ」


 我らが若き小隊長―――ここぞと言う時の度胸と冷静な判断を見せた名前を呼べば、バッヘムの傍らにヴォルフがしゃがんでこちらを覗き込んできた。


「……俺、怖いです!!」


 絞り出すような、泣き笑いの声。

 強がりと拭い去れない恐怖の感情のせめぎ合い。


「どうして俺なんですか!? なんで他の奴じゃ駄目なんですか!?」


「……見損なったよ、ディットリヒ」


 新たな声―――コルネリウスだ。

 いつも自分の隣に座る戦友が、眼鏡をくいっとやりながら膝をついて覗き込む。


「君はもっと根性ある奴だと思ってた。銃火飛び交う中でも軽口を叩く君のことだからね。なのに、土壇場になるとその様とは……」


「……ッ!! コルネリウス、てめえ!!」


 言いたい放題な通信手にディットリヒの顔が歪む。

 だが、コルネリウスは相変わらず鋭利な顔立ちのままに冷静に告げた。


「これは君にしかできないことなんだ。代われるものなら、僕が代わってやりたい……でも、僕の握力じゃ……」


 ギリッと革手袋に包まれた手を握りしめるコルネリウス。

 そんな彼の肩に手を置きながらヴォルフは告げる。


「ヴァイスマンは逃げなかった。あいつはあいつにしかできないことを成し遂げた。ディットリヒ、俺は―――」


「……良いんですよ、小隊長」


 深い溜息を吐いたディットリヒの顔が、どこか晴れ晴れとした笑みに代わる。


―――そうだよな、ヴァイスマン。ここで俺が腰抜けてちゃ、お前に笑われちまう。


 脳裏に浮かぶ戦友の面影。

 恐怖を乗り越え、決意を固めた男の瞳に覚悟の炎が宿る。


「……俺、やります」


 ぐっ、と穴にはめ込んだ工具を握る手に力を込める。

 後はひと思いに、一気にやるだけだ。


 仲間たちがディットリヒの脚を戦車兵用の靴の上から掴む。


「カウント開始するぞ……5……4……」


 小隊長が数を数え始める。

 いよいよその時が来た。

 ディットリヒの息が荒くなる。

 工具を握る手が震えるのを叱咤する。


「3……2……」


 やるしかない。

 やるしかないのだ。

 他でもない自分が、この手で。


「……1……」


―――ヴァイスマン、見てろよ。俺は……やってみせるぜ!!


 付き合いの長い戦友の、通常の三倍くらい美化されたキラキラの笑顔を脳裏に幻視する。


 もう何も怖くない。


「……0!!」


「ふんッ!!」


 ディットリヒは手の工具を一気に動かした。

 ほぼ同時に彼の両足が引っ張られ―――


「あっ……」


 誰かの拍子抜けた声。

 それと共にすっぽ抜けた、ディットリヒの靴。


「……ふっ」


 その瞬間、ディットリヒは自らの逃れようのない運命を悟り、かつてないほど爽やかな笑みを浮かべながら、その瞳を閉じる。


 次の瞬間、怒涛の勢いで黒ずんだ奔流がディットリヒを襲った―――



「うぉえっ!? ぺっ、ペッ!! だああっ、くっせぇ!!」


 うずくまって、涙目で唾を吐いて白い雪を汚しているのは、ディットリヒだった。


 顔及び上半身がヘドロのようなものでベッタベタになった彼の傍らでは、毛布に包まったヨハネス・ヴァイスマンその人が爆笑している。


「あーっはっはっは!! 誰がドブネズミみたいだって、ディットリヒ!? これで君も、同じ穴の貉だ!!」


 だが、焚き火の傍らでそう邪悪に笑う笑うヴァイスマンもまた、決して他人事とは言えない有様だった。

 汚れを拭い去った後なだけ多少はマシというだけで、明らかに顔や衣服が同じような感じに汚れ、現在進行形で悪臭を放っている。


「言いやがったな、あとで覚えて―――うげぇっ!!」


 叫んだことで思いっきり息を吸ってしまい、ディットリヒがむせ返る。


 吐きそうな勢いどえずく操縦手を見やってカラカラと笑っていたヴァイスマンだが、彼も悪臭まみれの空気を吸ってしまい、軽く咳き込んだ。


 そうやって2人が死にそうな顔をしている傍ら、ティーガー411号車の乗員たちはオスカー曹長と最終的な打ち合わせ―――411号車はオーバーホールの為に本格的修理工場行きとし、その為の貨車への積載にいつ頃取り掛かるかの予定を立て終え、撤収作業を開始していた。


「……というか小隊長。そうやって露骨に距離取られると、割と傷付くっていうか……」


 なんとか咳を納め、我に返ったようにヴァイスマンがジト目になり、整備班と一旦別れて歩み寄ってきた小隊長に抗議する。


「いや、まあ、その……真面目な話、2人には済まないことになったな。申し訳ない」


 苦笑しながら応えたヴォルフだが、なんやかんやで2人に近付こうとはしない。

 それだけ2人の臭いは凄いことになっていた。


 誰もが見ての通り、戦車とは要するに"頑丈な鉄の箱"であるが、あちこちにハッチやら排気口やらと言った諸々の"穴"がある。

 そして戦場における戦車は、雨や雪、跳ね上がった泥などに対して野晒にされることが多い代物だ。

 当然、車内に入った雨水やら溶けた雪やらは、内部をそのまま重力に従って流れ落ちて車内に貯まっていく。

 また、隊員が何かしら落としたり零したりした物、エンジンや配管等から多少漏れたオイル類、冷却水等もどんどん貯まる。


 物凄い極論を言えば、そのまま延々とそれらを貯まるがままにしていると、車内はそのうち水槽のようになるだろう。

 そこまでは行かなくても、要は下水が溜まっていくようなものなので、放っておくと悪臭が酷くなるし、電装品にも当然悪影響を及ぼしてしまう。


 なので、水抜きを定期的にしてやらなくてはならず、その為に戦車の床には水抜き用のバルブがいくつか設けられているのだ―――が、問題はそれを誰が開けるのかである。


 想像してほしい。

 ありとあらゆる、決して清潔とは言い難い諸々が入り混じった汚水が貯まった水槽。

 その下にある蓋を―――それも、位置的に泥やらなんやらがこびりつき、場合によっては凍るなどして、多くの場合はかなり力任せに外すこととなる栓を開けるとどうなるか。


 ましてやその作業スペースがとても狭く、仰向けに寝転がってどうにかこうにか潜り込めるかのような場所であったなら。


 もちろん、普通であれば戦闘後の点検や整備などで定期的に水抜きする以上、車内がタプタプになるほど汚水が貯まっていることはまずない。

 だが、今回の411号車のように車内でエンジンやらラジエーターやらが派手に壊れると、当然その中に循環する諸々の"工業排水"が車内に容赦なくぶち撒けられた状態になるのだ。

 

 熾烈を極める壮絶なじゃんけん、そしてバルブ開放と共に仲間たちが引っ張り出すのに失敗した結果、ヴァイスマンとディットリヒは犠牲となったのだ。


「それにしても、服は洗濯確定だな。替えの軍服は?」


「野営地に帰ればある筈ですよ。私物の衣嚢に入れてます」


 問いかけに対して顔周りを手で拭いながらディットリヒが応える。

 ヴォルフは頷きながら二人に命じた。


「よし。じゃあ2人は着替えとシャワーに行ってこい。そのままじゃあ風邪や低体温症が怖い」


「そうさせてもらいます」


「じゃあ、お先に失礼しますよ」


 いそいそと立ち上がった2人が軽く敬礼し、そしてにやりと笑った。


「ところで小隊長。女性をあまり待たせるのは良くないですよ」


 ヴァイスマンがいたずらっぽく告げてきた。

 いったい何のことだろうかと思いつつ、何となく後ろを振り返―――


「お時間宜しいでしょうか?」


「うおっ!?」


 いきなりの事にヴォルフはびっくりして飛び退いた。

 いったい何時からそこに居たのだろうか?

 ヴォルフから手を伸ばせば、ぎりぎり届きそうな距離。


 メモ帳を片手にしたクラリッサ・ラインフェルトが、いつも通りの美しいお人形のような無表情で、踵を揃えて背筋を伸ばした綺麗な直立不動で立ち、クラッシュキャップの庇の下にある青い瞳が真っ直ぐこちらを見つめていた。

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