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舞台裏の思惑 3

 目の前に座る戦車兵の漆黒の軍服を着た男二人を見やりながら、オーフェルヴェーク中尉は鞄から取り出した書類を机上に置く。


「結論から言いましょう。クラナッハ少尉に対する情報開示範囲に変化はなし。現在許可されている内容のみが、クラナッハ少尉に与えられる情報となります」


「中隊長?」


「……クラナッハ少尉。それは大隊規則だな? 531ページ辺りだったか? 個人情報取扱いに関する規則、そのうち隷下の国防女子予備隊隊員に関する事項を読めば分かる。確か……第21条だったか?」


 いったい何の話だと疑問の視線を向けるヴォルフにヴァルター中隊長が答えると、オーフェルヴェーク中尉が少し意外そうな顔をした。


「25条ですよ中隊長。しかし、そこまで覚えていらっしゃるとは、苦労して作った甲斐があるというものです」


 賞賛というには淡泊だが、オーフェルヴェーク中尉の態度が一瞬軟化する。一方でヴァルター中隊長は、いつも通りの巌のような顔立ちを崩すことはない。


「お前さんが制定した項目、着任した時にしっかりと読む羽目に会ったからな。大層困らせられたよ」


 そこに書かれているものを見て、ヴォルフの顔が顰められる。一部を要約すると、


1、国防女子予備隊隊員のうち直接戦闘に参加する隊員については、個人情報は内容に等級を設ける。


2、情報の閲覧には開示請求を必要とし、その許可は本国政府の然るべき部署が判断し、許可された等級に基づき開示される。


3、該当情報は、当人が個人的判断に基づいて口外してはならない。許可なき口外が明らかとなったなら守秘義務の違反、機密漏洩として罰せられる。


「現段階でクラナッハ少尉が知ることができるのは、彼女の出身地、住所、年齢、身長と体重、国防女子予備隊所属前の経歴、個人的な趣味嗜好等々。まあ、1個人が顔見知りと接する程度のものだ」


「なおこの規則は上級部隊や他の部隊も含め、国防女子予備隊を第一線の戦闘部隊に編入する場合には適用される。この部隊だけの限定的なものではないから、概要くらいは今後に備えて覚えておけ」


 ヴァルター中隊長の補足を聞きながら、ヴォルフは内容に目を通す。


 オーフェルヴェーク中尉の言う通り、例えば健康状態については、身長体重やちょっとした病気。アレルギーや他隊員に影響を及ぼしかねない危険な感染症。戦闘行為に後遺症が残る怪我や病気の経験のうち、開示が許可されたものなどは知ることができる。


 一方で許可されていないなら、精神病を含む重大な病気であろうが知ることはできない。生理周期は体調掌握のためなら開示請求不要で本人に確認可能、しかし軍属後の妊娠歴等々は許可が必須だ。


 経歴は、例えばヴォルフが見ることができるクラリッサやレーヴェの履歴書として考えると、国防女子予備隊への入隊時期、この第502特務戦車大隊の第4特務戦車中隊が初めての部隊配属だというくらいしか分からない。


 戦車に乗っているのだから、その為の訓練をどこかしらで受けたであろうこと。一応は軍人である以上、戦車以外の戦闘訓練も受けたはず。クラリッサに至っては、士官としての教育も受けただろう。


 このような"隠しようがない事実"を推察するくらいはできるが、具体的にどこで訓練を受けたか、誰が当時に教官を務めたか、同期生は何人いて何人が卒業して、今どこで何をしているかなどなど、本当のところはわからない。


―――それら人の繋がりを使った情報収集への牽制か……仮に探り当てても、教官たちにも守秘義務が課せられているだろうな、これは。


 自分の中で認識を整理してからヴォルフは問う。


「それは逆に言うならば……入隊後の経歴や病歴、犯罪歴や処分歴などには、俺に―――いや、俺を含めた中隊の隊員らに隠したいことがあると?」


「文面を読んでおいてその質問か。何かしら引き出そうとしているのがバレバレで芸が無いな。有るのか無いのかすら、貴様には知る権利が一切ないと言っているのだよ、小隊長」 


―――なるほど……一番困る奴だな。


 問題があるなら、それに応じた対処を考えて実行できる。絶対に問題が無いと確定できたなら、懸念を無視できる。


 だが、問題があるのか無いのかすら分からなければ、その内容次第では対応も何もあったものではない。講じた処置が無駄骨になる分はまだいいが、それが致命的な問題を自ら作り出していたり、見落としが取り返しのつかない事態を齎したとかならば最悪だ。


 この場合、ヴォルフが例として挙げた入隊後の細部経歴、病歴、犯罪歴、処分歴という部分に絞ったとしても、想定するべきものがあまりにも多すぎる。家族や付き合いの長い友人などならばともかく、自分たちは所詮まだ一ヶ月も経っていない間柄だ。致命的な問題がないかなど、探りようがないではないか。


―――ただ、全く何も無い潔白という訳ではないらしいな?


 ヴァルター中隊長の様子とオーフェルヴェーク中尉の言動を見れば、流石にそれくらいは分かる。


 ちらりと視線をクラリッサに向けるが、彼女は相変わらず無表情の不動で、視線をこちらに向けることなく横を向いて佇んでいた。


「くだらん秘密主義は余計な誤解や対立を産んできたわけだが?」


「だが、クラリッサ・ラインフェルトたちは立ち塞がるそれらを打ち砕いて、中隊の一員として認められてきた訳だ。特にラインフェルト少尉の活躍がどれほどのものか……素晴らしいだろう? 正に次代を切り開く旗頭の一人だ」


 そう語るオーフェルヴェーク中尉は、まるで優秀な娘を自慢する母親かのようだ。おそらくだが、その賛辞自体に嘘はない。


 しかし同時に、声の調子や表情からヴォルフは気付く。レーヴェ上級曹長は優秀な人材だが、この女としてはクラリッサに入れ込んでいるらしいと。


―――やはり問題は、ラインフェルト少尉絡みか。


 ちょっと失礼かもしれないが、カミラ・レーヴェという人物は、そう言った細々としたものを大概の場合は些事としてぶん投げてしまうタイプだろう。無論、きちんと弁えることを知ってはいるだろうが、こちらから疑問を正当な理由で、なおかつきちんと誠意を持って投げかければ、良くも悪くも自分たちだけの内密として、或いは何らかの形で自分のことを語ってくれそうではある。


 むしろ、そう言った面が制御しづらくて、オーフェルヴェーク中尉としてはやりづらいかもしれない。


 そして肝心のクラリッサ・ラインフェルト当人は、どう見ても自分のことを積極的に話すタイプではないし、規則を生真面目に守ろうとする側だろう。


 その点で考えれば、何かと従順な印象を受けるクラリッサの方が、良くも悪くも何かと秘密を抱えがちそうであると共に、オーフェルヴェーク中尉としてもより手元に残したい有力な駒なのではなかろうか。


「……オーフェルヴェーク中尉、一つ聞かせていただきたい」


「何か?」


「一般的な経歴などはまだともかく、貴方は重大な病気や犯罪歴等は戦闘指揮に関わらないと本当に思っているのですか? そんなもの隠されて、ある日突然いきなり倒れたり、精神を病んで錯乱して味方や民間人を撃ったり、致命的な問題を起こされたらと考えると……こちらとしてもとんでもない爆弾を知らずの内に抱えているも同然です」


「つまり、クラリッサ・ラインフェルトやカミラ・レーヴェの兵士としての適正を信用することはできないと?」


 部下を信じないのか貴様は、という皮肉げな視線を往なす。もちろん、腹は立つが。


「そうではありません。その手の事象が起きたら、"貴方方"としても困るのでは? 期待を掛けて注目される人物がその様な沙汰を犯せば隠しようがない。結果そこに向けられる視線は、それが同情にせよ悪感情にせよ、いずれにせよ"貴方方"の大義を大きく損ないかねない」


 オーフェルヴェーク中尉の態度や言動から、ヴォルフもなんとなく彼女の―――或いはその背後にいる人々かもしれないが―――意図はなんとなくわかってきた。


「しかも散々潔癖をアピールしたなら、なおのこと何かあった時の落差は激しいでしょう。当然そのリスクを許容して、この規則を定められたのですよね?」


 ヴォルフらの特に若者の価値観に見受けられるように、昔に比べればかなり変わってきたとは言っても、帝国は父権的文化が根底にあるのが紛れもない事実。女性が活躍することに寛容な側にいるはずのヴォルフでも、その影響が無意識に行動や言動に含まれていてもおかしなことではない。


 そんな社会を打破するには、女性が男社会の極地とも言える軍隊、それも最前線において、男と同等ないしそれ以上の活躍をすると言うのは最高にドラマチックであり、文句のつけようがない説得力を持った宣伝効果を齎す。


 無論、反発する側はこれを潰したい。その人の価値観やそこから来る偏見、差別意識の度合いによっては、血眼になってでも付け入る先を徹底的に探すだろう。なんなら大した事ない話ですら、さも大事であるかのように騒ぎ立ててでも火を付けにかかるだろう。


 人の価値観なんてのはそんなものだ。だからその隙になりそうな都合の悪いものは、根こそぎ全部隠してしまう。


 理屈はわかる。


 だが、ヴォルフからすればその手の腹の探り合いなんか知ったことではない。そんなしょうもない事で、生死に関わりねない実害を受けることを、一体誰が看過できるのか。ヴォルフ当人を含む第4特務戦車中隊だけの話ではないのだ。対象は、軍人以外も含めた、戦いに関わる全ての人々の命である。


 妊娠や出産について詮索できないのはわかる。この規則が適用されるのは戦場だ。妊娠や出産は、必ずしも喜ばしく、祝福を受けるものではない。堕胎しようにも、宗教的な理由でできない者もいるだろう。


 訓練時期の経歴も……まあ、我慢するとしよう。そこから関係者を洗うなどして情報を集め、痛くもない腹を探られるのは、この活動を推進している者たちからすれば些細なことからのでっち上げによる印象悪化を心配することになる。一度生じた嘘を嘘だと証明するのは困難だ。


 戦場でも噂なんてのはあることないこと次々と流れるとは言え、導入期だからこそ潔癖をアピールしたいのかもしれない。


―――俺に言わせれば、下手に隠す方がよほど怪しいと思うがな。


 その辺りは、実際に規則改訂に関わらなかったヴォルフは強くどうこう言えない。自分ごときですらそう疑念を抱くのだ。何か事情なり考えがあるのだろう―――何も考えずに、どこかの馬鹿が短絡的に思いついたことをぶち込んだとかでなければ。


 だが、例えば病歴となれば話が変わる


 ここぞという時に隠していた病気で倒れたら、一体誰が弾丸飛び交う中でそいつを助け、誰がその立場をいきなり代行するのか?


 錯乱して引いた引き金の先にいたのが、敵でないどころか民間人だったら、誰が責任を取れるのか? 


 犯罪歴だってそうだ。戦場ほど犯罪行為が目立ち辛く、適当な理由をつけて誤魔化しやすい場所はない。


 何より、そうまでして作り上げる虚像に対して、真に正当な評価がされると見なしていいのか?


「その為に中隊長にはその手の情報を開示している。もし問題が起きたなら、情報を与えられながら対処できなかった中隊長を恨むんだな」


「オーフェルヴェーク中尉、それは本気で言っているのか?」


 流石に眉をしかめるヴォルフだが、オーフェルヴェーク中尉はどこ吹く風と言った様子で、当然のように言葉を紡いだ。


「本気だとも。もしやりづらい、不公平だなどと泣き言を言いたいなら、それは貴様たち男が払うべき今までのツケだ。ただ生まれが女というだけで、表舞台での活躍の場を好きなだけ奪ってきた貴様たちのな。こうまでしなくては守れないほどに、今まで好き放題してきたのは貴様たち男の側だろう?」


「それは―――」


「クラナッハ少尉」


 割って入ったのはヴァルター中隊長だった。彼はどちらを咎めるでもなく、ただ淡々と言葉を紡いだ。


「クラナッハ少尉、今ここで双方の価値観のすり合わせや、社会問題に関する議論をこれ以上したところで意味はない。我々には規則を変える力はないし、与えられた義務に従うのが仕事だ」


 そう言われてしまっては、ヴォルフとしても何も言えない。紛れもなく正論だからだ。小さく深呼吸して、言われてみれば熱くなりかけていた自分を落ち着かせる。


「オーフェルヴェーク中尉、お互い忙しい身だ。女性隊員への定期面談、早めに済ましたほうが良いのではないか?」


 あくまでも穏やかな口調を崩すことなくヴァルター中隊長が壁掛け時計に視線を向けつつ問う。オーフェルヴェーク中尉もその視線を追い、


「ふむ……確かに、もうこんな時間とは。小官としても、中隊の出発を阻害するのは不本意だ。面談は、この部屋を使っても?」


「構わないはずだ。責任者の許可は得てある」


「それは結構。ご協力ありがとう御座います」


 ヴァルター中隊長とオーフェルヴェーク中尉が立ち上がり、ヴォルフもそれに倣って立ち上がる。


「では中隊長、次の機会に。小官の部下をお任せしますよ」


「全力を尽くそう、オーフェルヴェーク中尉」


 笑顔で握手を交わす2人だが、お互いの目は笑っていない。ピリピリとした雰囲気の中、オーフェルヴェーク中尉がヴォルフに向き直る。


「では……君には期待しているぞ、クラナッハ少尉」


 獲物を見定めた蛇の目というのは、こういうのを言うのかもしれない。親愛の表情に見せかけた怪しい眼光。その真意は図れなくとも、少なくともこの女がヴォルフ・クラナッハという男を今この場で彼女なりに見定め、そしてその評価が決して高いものではないということは分かる。


「ええ、ではまた」


 お互いに手袋越しの形だけの握手を交わして、ヴォルフは中隊長の為に先行して扉を開いた。


「いいぞ、この程度気を使わなくても」


「いえ、そう言うわけには」


「そうか? なら、扉を開ける時は毎度クラナッハ少尉を呼びつけようか」


「ははは、ご冗談を」


 軽く冗談を交わしながら、後をついていくように退室した。


 扉を閉める。その姿が見えなくなるまでの間にも蛇を思わせる視線は向けられ続けた。


 そして忠実なるお人形は全く微動だにせず、結局ただの一度もヴォルフたちに視線を寄越すことはなかった。

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