序章 銀色の英雄は戦場に舞う1
その戦場では両者の均衡が崩れ、敗者たちは半ば虐殺されるがごとく次々と命を奪われていた。
勝者の側は連邦軍、敗者の側は帝国国防軍。
5月の某日。
連邦軍による、とある一大都市解放を目的とした一連の戦いが行われている時期。
そのある日どこかで、帝国軍のとある部隊は窮地に陥っていた。
丘を使った防御陣地の一角が連日の戦闘報われずついに陥落して防衛線が崩壊。
雪崩れ込んでくる敵に対して陣地を放棄し、完全に統制を失った帝国軍将兵は我先にと丘から下りながら逃げ惑う。
茜色の美しい夕日に照らし出された大平原。
小高い丘がぽつぽつとあり、幾本かの街道が申し訳程度に伸びているだけのその戦場は、今や地獄絵図と化していた。
帝国軍の防御陣地を数多の血と鉄の犠牲を払いながらも突破した連邦軍の鋼鉄の怪物―――連邦軍特有の傾斜した装甲板を持つシルエットの戦車、T-34たちは、逃げ遅れた歩兵を轢き殺して蹂躙する。
今まさに背を向けて逃げ惑う者には、容赦なく車体前面に設置された機銃や、人間では持ち上げることもままならない巨大な大砲から吐き出した榴弾が浴びせられる。
国防軍兵士が逃げる先には、ほとんど身を隠すことも難しい平原が広がっている。
だが、一応遥か彼方、2kmほど先に目を転じれば、まるで最後に差し伸べられた救世の女神の手のごとくそれなりの規模の森が見えていた。
数少ない起伏に身を隠しつつ、どうにかこうにかあそこまで逃げ切れば、あるいは助かるかもしれない。
幸い今は夏だ。
極寒の雪に包まれているわけではない。
雪や泥濘に足を取られることなく、走って逃げられる———もっとも、勝ち馬に乗った戦車から走って逃げきれるかなど、もはや絶望的にもほどがあるのだが。
無知な人は言う。
“戦車なんてのは遅いドンガメ、ノロノロとしか前進できないんだから走って逃げればいい”。
今まさに、歩兵を追い回す戦車たちは、だいたい最高で時速20km―――生身の成人が50m走で全力疾走するくらいの速度を出していた。
これはあくまでも、まだ抵抗する敵がいることから、周囲を警戒しながら、そして味方の歩兵と連携しながら前進しているからである。
この時代の戦車の一般的な最高速度は時速40km或いはそれ以上だ。
そして何より、戦車は"疲れない"。
対する人間が走るのは、足場に恵まれ、弾丸や砲弾が飛び交うこともない競技場なんかじゃない。
着ているのも体操着ではなく、身を守るための武器と言う名の重量物を手にしている。
逃げられるわけがない。
例え、世界トップのスポーツ選手でも。
息切れした者、泥で速度が出せない者、転んだ者から容赦なく履帯で挽肉にされていく。
なんとか走れている者は、戦車の機関銃や歩兵たちの銃火器が背中を蜂の巣にし、あるいは榴弾射撃の爆発が吹き飛ばす。
無知な人は言う。
”死角が多いんだからこっそり忍び寄って飛び乗り、手榴弾なり爆弾なりでも投げ込んでしまえばいい"。
今まさに、仲間を逃がす為に決死の覚悟で塹壕に留まり、爆薬を準備していた兵士が敵兵に見つかり、サブマシンガンで滅多撃ちにされる。
塹壕の中に手榴弾が投げ込まれ、手にした爆薬ごと爆死する。
爆薬を手にして戦車に投げつけようとしていた者、戦車に突進しようとしていた者が、周囲を固める歩兵と戦車自身の機関銃により、容赦なく死体に変えられていき、誰一人として近づくことすらままならない。
無知な人は言う。
"対戦車火器があれば、歩兵でも戦車に問題なく対抗できる。だから戦車など怖くない。なんなら、戦車そのものが要らない"。
後世で、コンピューターが作り出した仮想空間の戦場を娯楽として楽しむ人々からすれば、とても信じられない話だろう。
対戦車火器はとても重く、何発も弾を持ち運べるようなものじゃないなんて。
一人の人間には、比較的軽い携行式の対戦車火器であってもせいぜい1、2発が限度。
照準器を使ってしっかり狙ってるつもりでも、訓練はともかく、命懸けの実戦のプレッシャーは簡単に照準を狂わせる。
ものによっては、そもそも狙った所に飛んでいくかすら微妙に怪しい。
何より―――大半の兵士は、そもそも対戦車火器なんて持ってない。
そして、何を何発当てようが、敵戦車が必ず倒せる保証が一切なく、逆に生身の自分たちは何を食らっても一発で戦闘不能になるクソゲーだ。
相討ち覚悟で待ち構えていた対戦車砲が火を吹くが、装甲が弾き返し、撃ち返しの砲弾一発で黙らされる。
携行式の対戦車火器を構えようとした歩兵が、身を乗り出した瞬間に撃たれて倒れ伏す。
一発ぶっ放した携行式の対戦車火器が敵戦車に命中。
しかし、その目立つ発砲炎からすぐに居場所がバレて、逃げる暇すらなく射手が殺される中、命と引き換えに撃たれた筈の戦車が何事もなく走り出す。
別の場所では、なんとか敵戦車1両が動きを止め、乗員が脱出する。
それを成し遂げた者たちが歓声を上げた直後、その壊れた戦車の後ろからぞろぞろと別の戦車が現れ、あと何回この分が悪すぎる戦いをしなきゃいけないのかという現実を叩き付ける。
更に、近接戦闘部隊が到達していない地域へと、先行的に雨霰と振り注ぐのは敵の砲兵隊の弾幕射撃。
抵抗する者、逃げる者、車両や構造物。
それらを一切合切の区別なく、破壊し、殺戮していく。
●
しかし、そんな中でも最後まで諦めず、どうにかこうにか踏みとどまって戦っている者たちがいた。
鋼鉄の怪物には、同じ鋼鉄の怪物をぶつける。
ああだこうだと様々な手段を論じたところで、結局はそれこそが一番手っ取り早くて最良なのだと証明するかのように。
「677号車、左にT-34!! 撃ってください!!」
<<了解!!>>
丘を乗り越えて追いかけてくる連邦が誇る名戦車―――丸みを帯びたコンパクトな外見に、深緑の塗装を施されたT-34中戦車。
それに対し、角ばった装甲の武骨なデザインと、相手のそれより太くて長い砲身が特徴的な帝国の主力戦車———Ⅳ号戦車G型の長砲身が旋回し、目標を発見するや火を噴いた。
一発目は外れた。
突進してくるT-34の手前に弾着し、巻き上げられた泥や小石が降り注ぐ。
それを突き破って前進するT-34だが、その首元―――砲塔と車体の継ぎ目であるターレットリングに他の車両が撃った二発目が直撃。
たちまちその車内で弾薬庫が誘爆し、爆発する。
「633号車、敵散兵に機銃を!!」
<<言われなくてもやってる!!>>
けたたましい音とともに乱射される機銃掃射が、丘から身を乗り出そうとした連邦兵士たちの頭を”すっこんでろ”とばかりに下げさせる。
その横合いからT-34が飛び出すが、次の瞬間には砲声が二発響く。
一発目はその装甲が弾いたものの、二発目は弱点―――四角いドライバーハッチに命中したらしく爆発炎上。転がり落ちてきた砲塔の残骸に、たまらず近くにいた敵歩兵が逃げ惑う。
「ザックス!! 徹甲弾装填だ、早く!!」
「りょ、了解!!」
逃げ惑う味方を助けるため、毒を以って毒を制すがごとく奮戦するのは、長砲身モデルである7両のⅣ号戦車。
そのうちの一両の中で、22歳の若き小隊長ヴォルフ・クラナッハ少尉は、もう本日何発目か数えるのも馬鹿らしくなってきた砲弾をひいひい言いながら持ち上げる装填手を急かす。
ヴォルフ・クラナッハ少尉の出身地は、由緒正しい帝国領内とはいえ、僻地と言っていい田舎だった。
決してずば抜けて裕福ではないが、貧乏というわけでもない、至ってごく普通の農家を家族に持つ。
別に戦士の道を若くして志した生粋の職業軍人と言う訳ではない。
こんな戦争がなければ片田舎で畑を耕し、乳牛や馬の世話をしていたであろう青年は、迫りくる死の恐怖と戦いながら己の責務を果たそうと奮闘していた。
黒髪を頭になでつけ、帝国人らしく彫りの深いまじめそうで精悍な———しかし、若者としてのあどけなさをどこかに残す顔立ち。
不細工という訳では無いが、美男子と言うには華がなく、偉丈夫と呼ぶには小柄で線が細い。
その外見からは気弱さや軟弱さこそ感じられないが、戦場に立つ勇猛果敢な兵士というよりも、どこにでもいる親切そうな若者という表現がしっくりくるタイプの青年だった。
戦車兵というものは多くの場合そうだが、彼もまた同年代の男性の中では少し背が低い。
あまりに大柄だと、狭い戦車の中では自由に動けないからだ。
世の女性の中には高身長を”素敵な男性”の条件に加える者もいるが、生憎狭い車内で過ごす戦車兵の場合、身長が低い方がありがたがられることの多い世界である。
しかし細身の体つきではあっても、軍服の下にあるヴォルフの肉体はしっかりと鍛え上げられており、小隊長となる前の装填手としての日々のおかげで腕力はなかなかのものだった。
彼は小隊長や中隊長、そして自身が乗っていた戦車の車長に気に入られて機甲士官に推薦された。
中隊を離れて士官学校に送られた彼は、古巣の中隊の元へと帰ってきた新米小隊長だった。
指揮官職としてデビューしたばかりの若造が早々すぐに活躍できるはずもなく、先輩の幹部たちに揉まれて経験を積んでいくのだとヴォルフはそのように思っていた。
たとえ今すぐはうまくやれなくとも、きっと将来、できるだけ早く一人前になって見せようとも思っていた。
しかし、現実は少しばかり―――いや、かなり違っていた。
<<ヴォルフ!! T-34の数が多すぎる!! 1両援護によこしてくれ!!>>
「了解!! 675号車、677号車を援護してください!!」
<<む、無茶言うな!! こっちも手一杯だぞ!?>>
「前から来てる奴はこっちでなんとかします、早く!!」
<<くそ、了解だ!!>>
時にハッチから顔を出して周囲を見回しながら叫ぶヴォルフ・クラナッハ新任小隊長。
その視界の隅で、一両の戦車が炎上している。
本来、この戦車隊―――といっても、すでに半数近くが撃破されて鋼鉄の墓標となってしまったが———部隊を率いる長が乗っていた筈の戦車は、最早誰がどう見てもその乗員が一人も生き残っていないことをはっきりと主張するがごとく、紅蓮の炎を吹き上げて燃えていた。
戦線崩壊の絶望的な状況下でも、つい先ほどまで指揮を執っていた勇敢な指揮官たる中隊長は、ハッチから顔を出して指揮をしている際に乗車が被弾した。
Ⅳ号戦車の装甲は、この頃の主力戦車の中では決して頑丈とは言えない部類である。
あっさりと正面装甲を貫徹したT-34の一撃は、そのまま弾薬を誘爆させてしまった。
瞬く間にありとあらゆるハッチから噴き出した炎により、一瞬でその見知った相手が炎にまかれ、もがき苦しみながら戦車から転げ落ち、動かなくなった様をヴォルフはしっかり目撃してしまった。
中隊長戦死。
すでに小隊長クラスは全滅済みで、まともな部隊指揮官はもう残っていなかった―――ただ一人、新米小隊長であるヴォルフ・クラナッハを除いて。
統制もへったくれもなくなり、バラバラで戦い始めた戦車隊は、押し寄せる敵の戦車と歩兵の波にこのまま屈するかに思われたが、咄嗟に指揮を引き継いだのがこの新米少尉であった。
当たり前だが、彼は学校で学んだ基礎中の基礎しか知らない。
すぐさま状況に対応できる天才指揮官でもない。
同じ中隊の諸先輩方の真似事と、学校で学んだ基礎的な知識を、必死に記憶を掘り返しながらやっているだけだ。
しかし、それでも一つの意思に基づいて戦車隊は動くようになった。
”つい数か月前まで装填手だった奴が何をえらそうに”などと言う者はいない。
この最悪すぎる状況下においては、誰もが必死過ぎて、そんな悪態をつく余裕などなかった。
そして生まれてこの方、人生史上最も頭を動かしている真っ最中だからか、ヴォルフの指揮は拙さや失敗もあれど、幸運にもそこまで間違ったようなことを言ってはいなかった。
ヴォルフはもはや閉めるのも面倒で開けっ放しにしている車長用のハッチから顔を出して周囲を見渡し、すぐに顔を引っ込める。
直後に頭上を通り過ぎていく銃弾の風切り音。
敵の歩兵のうち、腕に覚えのあるやつが狙撃してきているのだ。
だが、戦車の視界は車内からではどうしても限られる。
状況を目と耳と肌で感じ、正確に把握するには、結局ハッチから顔を出すのが一番だ。
<<ヴォルフ、車体11時、丘の上に敵戦車!!>>
車長の誰かが叫ぶ。
ヴォルフが何かを言う前に砲手のシュターデ軍曹が対応してくれて、その戦車に照準を合わせてくれた。
「敵戦車確認!!」
「撃て!!」
轟音とともに吐き出された徹甲弾は、敵の完全撃破にこそ至らなかったようだが、砲身の根元のあたりに直撃。
砲身がへし折れて相手の射撃能力を奪った。
それを見届けるや否やすぐさま周囲を見渡す。
歩兵は多くが敵との距離をだいぶ稼げた。
もちろん逃げ遅れている者もいるが、全員が全員を救えるわけではない。
苦渋の決断であり、胸が締め付けられ、その自身が発する一言の重さに吐き気すら覚えながら、それでもヴォルフは車内に顔を引っ込めて叫ぶ。
「612号車、633号車、あと……622号車は先に後退!! 後方100メートル!! 他は援護射撃お願いします!!」
逃げ遅れた奴をどうするか、なんてことは誰も聞かない。
残念だが、そこまで気を使ってやれる余裕なんてない。
”待ってくれ!!”
”おいていかないで!!”
”頼む、見捨てないでくれ!!”
そんな叫び声をあげながら死んでいく同胞たち。
自身の精神が壊れないよう、努めてそれらの光景から目を逸らし、耳を塞ぎ、救える命を救うために命を選別し、自身の命をもかけた綱渡りを続けながら戦い続ける。
<<うわっ!? 634号車が!! 634号車がやられた!!>>
<<ロイド!! ミッシェル!! 畜生、二人が撃たれた!! 今から救助に向かう!!>>
「この状況では助けに行けません!! 戦闘を続行してください!!」
味方のⅣ号戦車がまた一両撃破された。
爆発炎上はしなかったが、生き残った乗員がハッチから出たところを小銃で撃たれ、或いは敵砲兵の榴弾の破片を受けて転げ落ち、そして草の影に隠れて見えなくなる。
安否を確認する暇も、助けに行く余裕もない。
<<見捨てろってのか!? 俺の同期なんだぞ!?>>
「……もうどうやっても無理です!! 自分の責務を果たしてください!!」
連邦兵の凄まじい残虐さはよく知られている。仮に生きていても、脱出に失敗した彼らがどうなるか。
それはヴォルフだって分かっている。
下手をすれば、即死していた方が幸せな場合すらあるのだと。
それでもヴォルフには、彼らを助け出す術を見つけられなかった。
このどうにもならない状況で、ましてやど素人よりはマシな程度の間に合わせになっているかも怪しい指揮を執っている。
その中での苦渋の決断を”非情だ”と責める者がいるとすれば、現実というものを知らずに、空想の世界にばかり身を置く哀れな理想主義者だけだろう。
だが、それで割り切れない自分自身も確かにいた。
人間として当たり前の感情を持つ一個人。
すなわち、自分自身が自分を非難する声。
それから目を背けて、ヴォルフは戦い続ける。




