ぜんぶ運動会が悪い
……俺は、運動会がキライだった。
もともと、運動そのものが好きじゃなかった。
ボールを投げればおかしな方向に飛んでいくし、ジャンプをすれば尻もちをつくようなタイプだった。
体操服すら着たくないレベルで、運動そのものが苦手だった。
だから、運動会というイベントが…本当に煩わしくて仕方がなかった。
玉入れなんてアホが喜ぶ事だと思ってたし、棒倒しは陽キャのオチョケでしかないと感じてたし、大人数でダンスを踊るとか恥さらし以外の何物でもなかった。
親が見に来るのもうっとおしかったし、親子昼食も気が重かった。
運動会というイベントになると、周りがやたらとはしゃぐのも気味が悪かった。
一番不愉快だったのは…競争させられることだった。
特に、徒競走というやつが嫌で嫌でたまらなかった。
なぜわざわざ、みんなで、全員参加で、走らせるのかがわからなかった。
どうせビリで到着するのに、やらせる意味が分からなかった。
あんなの、速さを競いたいやつだけがやっていればいいのに。
わざわざ、大勢の観客の前で、一番遅いやつが一番遅いことを見せつけなくてもいいのに。
こんな競技、なくなってしまえばいい。
そんなこと思いながら小学校を卒業した。
だがしかし、中学になると…、さらに嫌な運動会が待っていた。
やけにスポーツに力を入れていた中学校は、陸上競技大会さながらの運動会を開催していたのだ。
100m走、200m走、800m走 。
走り幅跳び、走り高跳び、ハードル、リレー。
PK対決、フリースロー、卓球のラリー選手権。
バレーボール、バトミントンのチーム戦。
1人一種目は必ず出なければいけないことになっていた。
スポーツが得意なやつは、3種目まで出ることができた。
……俺は、じゃんけんに負けて、800m走に出ることになった。
800m走は、誰もが出場することを嫌がる種目だった。
誰も出たがらない種目なのに、どうしてやるのか不思議でならなかった。
俺は体力テストで800mを走った時、ダントツのビリだった。
ほとんどの生徒が3分でゴールする中、俺のタイムは8分だったのだ。
でかい図体でバタバタと砂煙をあげて、ゼイゼイハアハアとみっともない呼吸を晒して、みんなに笑われて。
全校生徒の前で、保護者たちの前で、自分のみっともない姿をさらすなんて…地獄でしかなかった。
ダントツで遅いのに、800mの選手になることが信じられなかった。
ダントツで早いやつを選手にすればいいのに、おかしいと思った。
ダントツに早いやつはリレーや100mに出るので、体力を温存しておかなければいけないと言われて、なんだそれと思った。
やっていることが、いじめと変わらないと思った。
苦手なことをやらされて、みっともない姿を大勢の前で晒さなければいけない人の気持ちを考えて欲しいと思った。
いっそのこと、心臓が止まるくらいの速度で駆け抜けて、全校生徒と保護者の前で死んでやろうかと思った。
俺の親は学校を休むことを許さないタイプだった。
小学校の時も、熱を出したくらいじゃ休ませてはもらえなかった。
仮病なんてできるはずもなく、俺はどんどん…追い詰められていった。
……追い詰められた俺は、嫌な事を考えるようになった。
天変地異が起きて、学校がつぶれないかな。
何か事件が起きて、学校閉鎖にならないかな。
誰か練習中に倒れて、運動会が中止にならないかな。
運動会当日は、快晴だった。
誰も倒れることはなく、不審者も乱入せず、大地も揺れず、運動会は開催されることになった。
流されるまま、俺は800m走に出た。
一人だけダントツに早いやつがいたが、他の生徒はわりと遅いやつが多かったように思う。
それでも…、俺は前を走るやつから一周遅れていた。
―――がんばれ!!
―――がんばって!!!
―――ヒッヒッフーの呼吸だ!!
―――ファイト~w
―――ガンバ、ガンバwww
―――あきらめるな!!あと一周!!!
トラックを囲む、上級生や同級生、保護者、先生たちの声。
俺がいつまでたっても走り終わらないから、次の競技の準備が滞っている。
不愉快そうな生徒の顔が見える。
時計を見る先生の顔が見える。
写真を撮る親の顔が見える。
一刻も早くこの地獄から抜け出したい、そう思った俺は。
力を振り絞って、さっそうと駆け抜けようとして。
……思いっきり、転んだのだ。
痛くて、立ち上がれなかった。
ゼイゼイハアハアと荒い息をしていたせいで、舞い上がった砂埃を吸い込んでしまって…むせ込んだ。
ジンジンと痛む膝からは血が出ていた。
俺は、タンカにのせられて、保健室に直行した。
……あの時負った傷は、今でもうっすらと残っている。
それほどまでに、深い傷を負ったのだ、あの時。
競技中に怪我人が出たが、運動会は続行された。
どんくさいやつ一人が退場したところで、運動会は何事もなかったかのように最後まで続いたのだ。
足の怪我は、二週間もすれば痛みが消えた。
翌年、俺はまた800メートルの選手に選ばれたのだが、再び転んでしまい、途中退場することになった。
………俺は、学んでしまったのだ。
怪我をすれば、嫌なことから逃れられることを。
怪我は、しばらくたてば治るものだという事を。
三年になった時、俺はバレーボールのチームに潜り込むことができた。
800mに出なくて済んだが、顔面でボールを受けてしまい、途中退場することになった。
……嫌なことから逃げるために小細工をする癖がついたのは、この頃からだ。
わざと怪我をしたり。
わざと腹をこわしたり。
わざと汚したり。
わざと落としたり。
わざと手を滑らせたり。
嫌なことから逃げるためにはどうしたらいいのか…、そればかり考えるようになってしまったのだ。
作品提出が間に合わない。
…うっかり落下させてしまおう。
締め切りに間に合わない。
…うっかりどこかに忘れてしまおう。
間違えて発注してしまった。
…うっかりバットをひっかけてダメにしてしまおう。
出来の悪い作品になってしまった。
…うっかりUSBにコーヒーをぶちまけてしまおう。
……俺がこんな残念な人間になってしまったのは、運動会のせいだ。
……運動会があったせいで、俺は。
今さら、悔やんだって、しょうがないことだとは…わかっている。
まあ、しょうがないよな。
俺はうっかり……督促状をシュレッダーに、かけたのだった。