女たちのショートストーリー
第1話 佐野 睦月の場合
私は佐野睦月。既婚の35歳で、専門学校を卒業と同時に入社した会社で今も正社員として働いています。
夫の名前は祐一郎。私たちには二人の子供、9歳の菜月と7歳の美月がいます。
夫は2歳年上で、ごくごく普通の会社員です。共働きなので、家事も折半にしており子供たちとも良く遊んでくれる、いわゆるイクメンです。
周りの友人やママ友の話を聞いていると、よそのご主人は口先ばかりで何も手伝ってくれないと、不平不満が爆発しているようなので、私はこの夫と結婚できて本当に幸せだな、と感じています。
しかし、そんな私にも1つだけ問題があります。
それは、姑。夫の実家とは、車で30分ほどの中距離別居で、舅はとても良い人なのですが姑とは良い関係とは言えません。
作った食事を捨てる、頻繁に義実家に呼びつけるなどのテンプレートな嫁いびりは少ないように思えますが、
「仕事を辞めて、家に居なさい。」
「同居しなさい。二世帯建てるなら、援助するわ。」
「男の子を産みなさい。女の子ばかりじゃ跡取りがいないでしょ。」
これらが姑の口癖です。
思えば結婚の挨拶のときから、あまり良く思われていないようでした。
夫には4歳上の姉がいますが、20代前半で国際結婚をして海外に住んでいます。夫いわく、姑は元々子供に過干渉気味だったのが、娘が海外に行ってしまったことがきっかけで更に息子に対し干渉が激しくなってしまったそうです。
ですから、結婚相手の私を敵視していたようです。
「ワタシノ、ムスコガ、トラレチャウ。」
なんて思っていたんでしょうね。
私に対する嫌味や文句は、ある程度我慢できますが娘たちを前にして、
「あなたたちのどちらかが男の子だったらね〜。」
なんて平気で口走るのです。祐一郎も注意はしてくれるのですが、右耳から左耳を通過するだけでまるで聞いてはくれません。
そして、よく会社の昼休み時間を狙って電話を掛けてくるんです。
これが煩わしいったら!
そして今日も、ほら。私のスマホが制服のポケットの中で震えています。
時間は丁度お昼12時。案の定、義実家でお暇している姑からです。これで出なければ出るまで掛け続けてきます。それは面倒なので、仕方なく応対することにします。
「はい、睦月です。」
『ああ、私よ。この間あなたたちの家に行ったときに話たことだけど、どう?決まったかしら。』
「え?話ですか?えっと…何でしたでしょうか?」
『ええっ!忘れたの!?仕事を辞めなさいと言ったでしょう!!』
「え、あの、それはそのときに言いましたよね。私は仕事を辞めるつもりは全くないと、お伝えしたはずです。」
『何を言ってるの?仕事を辞めて子供を作らないと、あなたもう35なのよ!』
「お義母さん、何度も言いましたが私達夫婦はもうこれ以上子供を作るつもりはありません。菜月と美月だけで十分なんです。そのことは、祐一郎さんも言ってましたよね?」
『何が十分よ。二人共女の子なんだから、佐野家の跡取りにはできないでしょ。絶対男の子は必要なの。全く、女の子ばっかり生んでどうしようもないわね。男の子を妊娠できるように、産婦人科で相談してきなさい。産み分けってあるでしょう。あれをすればいいのよ。』
軽々しく言ってくれちゃってます。
「あの〜言いにくいのですが……子供の性別は男性側で決まると言われています。ですから、その件でしたら祐一郎さんに話したらどうですか?それに、跡取りとおっしゃいますけど、お義父さんは普通の会社員ですよね。何の跡を継ぐんですか?」
『何を言ってるの!!女の子は嫁に行くと名字が変わるの!!そしたら、佐野の名前を継ぐのが祐一郎で終わっちゃうでしょ。そのために男の子が必要なのよ!!!それに、何?性別は男性側で決まるなんて、おかしいわよ。妊娠するのは女よ。女のお腹で育てるんだから、性別も妊娠する側に責任があるの!祐一郎のせいにしないでちょうだい!!!』
もうね、無茶苦茶過ぎて言葉が出ません。例え、産み分けをしたとしても絶対男の子ができるなんて保障はありません。
それに、舅は男兄弟でその兄弟の子供にも【男】はいますから、名字が途絶えてしまうなんて有りえません。
なんなら、娘たちのイトコにも男の子がいますから。
恐らくなんですが、舅が長男だから跡取りが〜、とかいう話になるんだろうな。
「お義母さん、すみませんがお昼休みも時間が限られています。昼食を食べ損ねてしまうので、これで失礼しますね。」
スマホを耳から離すと何やらワーワー聞こえましたが、無視して切ってやりました。
なんだか、一気に脱力してしまいます。それでも午後からの仕事を頑張らなきゃ!
夕方6時過ぎ、自宅に戻りました。でも、休む暇はなく夕飯作りです。私が準備を始めた途端、玄関を開ける音がしました。夫の帰宅です。
「ただいま。」
二人の娘が声を揃えて「お帰り〜」
私も片手にフライパンを持ったまま言います。
「お帰りなさい。」
ふと、夫を見ると何やら考え込んでいるような顔をしています。
「どうしたの?」
私の声にハッとしたような顔を向け、次にリビングでテレビを見ている子供たちの方を見て、
「子供たちが寝たら、話したいことがあるんだ。」
と、ネクタイを外しながら言います。
「え?…うん、わかった。」
なんだかイヤな予感がします。兎にも角にも、夕飯を作ってしまいましょう。
さて、夜9時を過ぎ子供たちも眠りに就きました。
私は、明日の準備をしながらリビングのソファに座っている夫を見ました。子供たちと夕飯を食べているときは、いつもの朗らかな夫でしたが、今は少し違います。
昼間の姑の電話が、頭をよぎります。
「終わったわ。」
言いながら、夫の向かいのソファに座ります。
夫は私の目を真っ直ぐ見たまま、
「良い話と悪い話、どちらから聞きたい?」
そう尋ねます。
私は少しだけ驚きながら、そして少しだけ考えました。
「…そうね、悪い話から聞くわ。そして、良い話を聞いてイヤな気持ちを払拭したいから。」
肩をすくめ、微笑みながら答えます。
「わかった。」
夫も少しだけ微笑んだけれど、すぐ真面目な顔つきになりました。
「仕事が終わった直ぐに、おふくろから電話があったんだ。」
やっぱり、と思います。
「それで、君の仕事のことと子供のことを言われた。」
私は黙ったまま、心の中は、何だか黒いモヤが立ち込み始めていますが夫の次の言葉を待ちます。
「もろちん、両方断った。睦月も長く仕事をしているから任されていることも多いだろうし。それに、子供のことだって家族計画を立てた上で、二人と決めていたからね。」
夫の言葉に少し安堵感が湧きます。
「でも…」
夫が言葉に詰まります。
「でも、何…?」
私は夫の顔を伺うように見つめます。
「睦月の仕事と三人目を諦める代わりに、同居を言われたんだ。」
はぁ、と溜め息混じりに言いました。
「え…ええっ!?同居?冗談でしょう!?」
私はテーブルに身を乗り出し、夫に詰め寄りました。
「あなたの実家で暮らすとなると、車で会社に行くのに30分プラスで考えないといけないのよ!祐一郎は電車だから、三駅分長くなるの!そこのとこわかってる!?」
言いながら声が段々大きくなっていることに気付きます。
夫は、人差し指を口元に当て子供部屋の方を気にしています。
「しぃー。そんな大声出したら子供たちが起きちゃうよ。」
「そうだけど…そうよ、子供たちよ。あの子たちも学校区が変わってしまうの。今の学校には幼稚園からの友達がたくさんいるのに、転校になったら可哀想すぎるわ。」
声のトーンを落とし、夫に訴えます。
「わかってる。俺だって今更同居なんて考えてない。おふくろからの干渉を受けるってわかってるのに一緒に住むなんて絶対イヤだよ。」
夫の強い言葉に、少しだけ安堵します。
「でも、睦月だって知ってるだろう?おふくろが言い出したら聞かないことくらい。」
そりゃあ知ってますとも。結婚して11年。その長きに渡り、さんざん同居やら男の子やらを耳にタコができるほど言われ続けたんですから。
そう言いたいのをグッと我慢して、心の中で呟きます。
「お義母さんを納得させる手立てがあるなら、
とっくにやってるわよ。」
ようやく、これだけ言葉にします。
「だな。息子の俺でさえ、あの人をどうしていいかわからない。」
腕組をして、考える仕草をする夫がポツリ。
「だから。」
夫の言葉の続きを待ちます。
「だから…?」
組んでいた腕をほどいて立ち上がり、そして私の隣に座ります。そして、夫の大きな両手が私の両手を握り、ニコッと笑います。
「だから、今度は良い話。」
鼻先がくっつくくらい顔を近付けてきます。
「う、うん。良い話、聞かせて。」
夫は私の手を握ったまま話を続けます。
「俺の会社の同期の中澤、覚えてる?」
「ええ、何度か家族ぐるみでバーベキューしたわね。バーベキュー施設が火事になって休業したからそれ以来お会いしてないけど。」
「そうだな。で、その中澤の弟が不動産会社に勤めてるんだ。」
夫はおもむろに立ち上がり、キッチンに向かい電気ケトルを沸かしながら続けます。
「俺、中澤に以前からマンション、戸建てどっちでもいいから良い物件があったら優先して紹介して欲しいって頼んでたんだよ。」
夫婦カップに、私の大好きなルイボスティーを注ぎリビングのテーブルに置きます。そして、また隣に座り、
「今朝、中澤が朗報だって言って来てね。聞いてみたら、R町に中古だけど条件に合う良い戸建てが見つかったって。」
夫が口の端でニヤッと笑います。私はカップの持ち手を持ったまま、考えを巡らせます。
えーと、それって…
「…つまり、マイホーム?」
「そう、今の賃貸アパートじゃなくマイホームだ!4LDKの二階建て。菜月と美月もそれぞれの部屋を持てるんだ。写真で外観を見せてもらったけど、築8年ではあるけどまぁきれいだと思うし、広くはないけど庭もある。子供たちが欲しがってた犬も飼えるよ。」
私の頭の中は、子供たちが犬と戯れそれを微笑みながら見つめる私と夫の姿を想像しています。
ホワホワとした気持ちになり、先程の姑の話なんてスッカリどうでもいいと思ってしまうほど。
「…あ、待って。でも、私たちがマイホームを持ってしまうと、お義母さんが合鍵を欲しがるんじゃないかしら?現にこのアパートの合鍵も欲しいって言ってたけど、祐一郎が住人以外は持たせちゃいけないって規約を見せてくれたから、渋々納得してるけどマイホームとなるとそうもいかないわよ。」
幸せな気持ちで膨らんだシャボン玉が、パチンと弾けてしまったかのように現実に引き戻されました。
「うん、だから考えたんだ。引っ越し先は、親父と姉のみに伝える。すでに親父には話をして、了解ももらってるんだ。親父だって、君や子供たちに対するおふくろの態度を知ってるから、すんなりOKしてくれたよ。」
夫がルイボスティーをすすりながら言います。
「え?お義父さん、知ってたの?いつもお義父さんの前でだけは、良い姑を演じていたからてっきり知らないかと思ってたけど…。」
私の言葉に、夫は肩をすくめます。
「俺が全部話していたからね。それに、この間アポ無しで来たときに、子供たちに向かって言っていただろ。あんたたちのどちらかが男の子だったら良かったのにね、って。それも含めて話たら、孫大好き親父が怒って、おふくろには二度と会わせなくても良いってさ。」
姑に子供たちを会わせなくても良いなんて、朗報過ぎて踊りたくなる衝動を抑えていますが、多分顔は嬉しさで緩んでいるでしょう。
「そっか…R町ならここから徒歩20分くらいしか離れてないから、学校区も変わらないし私たちの職場も却って近くなるわね。」
緩む頬を懸命に戻しながら、
「住所を知られなければ、お昼休みの電話口撃も我慢できるわ。」
と、つい口走ってしまいました。
「え?」
夫が驚いた顔で私を見ます。ヤバっと思い口を抑えますが、時すでに遅し。
「昼休みの電話って…おふくろのヤツ、電話もしていたのか?」
「う…うん、実はそうなの。前にスマホに掛かってきていたのをスルーしたら、会社に掛けてくるようになっちゃって…さすがに上司や同僚に迷惑になるから、会社に私用で掛けないでください、てお願いしたらそれならスマホに掛けるからきちんと対応しなさいって。でも、仕事中は出られないと言ったら、昼休みに掛けてあげるわって言われちゃって…。ごめん、内緒にしてて…。電話越しなら仕事を言い訳に切ることもできるから、直接会って話すよりずっと楽だと思ったから…。それに一応、祐一郎のお母さんだし…ね。」
少しずつ、声が小さくなるとともに目線も逸してしまいます。よく漫画にあるように自分の体がだんだん小さくなっている、そんな感覚です。
「いや、こっちこそごめん。まさか仕事中に電話までしているとは思わなかったよ。よし、わかった。これ以上睦月に迷惑を掛けるようなら縁切りすると、おふくろに言うよ。さすがにあの人でもそこまでされたくないだろうしね。」
頭を抱えるように項垂れる夫を見て、もし私の両親のどちらかが姑と同じようなことを彼にしていたとしたら、やっぱり血の繋がりがあるとは言え、許せないことだと思ってしまいます。
幸い、私の両親は常識的な考えを持っているし、3姉妹で姉はバツイチのシングルマザー、妹は結婚に興味がないので‘’息子‘’と呼べるのが夫だけで、特に父が夫を大変気に入っているため、よく私に“祐一郎くんの迷惑になることは絶対にしない”と言っていました。
だからでしょうか。距離的に義実家よりはやや近くに住んでいるにも関わらず、こちらから遊びに行くことはあっても両親の方から娘夫婦宅に来ることは滅多にありません。
縁切りまでされると、息子大好きな姑にとっては辛いことだろうから、良い薬になるかもしれないし程よい距離を持てるようになるかもしれません。
今は、休日になると突然やって来てお昼を作って、掃除はしたの?、この服は私の方が似合うから貰うわよ、などと身勝手に振る舞うし、たまたま家族で出掛けていると、電話を掛けてきて『私が来ることを分かっているのにどうして誰もいないのよ!!帰ってきなさい!!!』と喚き散らかしてくれるのです。さすがに、夫に代わると『孫ちゃんに会いに来たのに、寂しいわ〜。』と鳥肌が立ちまくる猫なで声で言っているのを知っています。
そういうことがなくなるのであれば、こんなに嬉しいことはありません。
「ねえ、祐一郎。今週末にその家を内覧したいわ。子供たちにはサプライズで。」
「ああ、そうだな。明日中澤に頼んでおくよ。さあ、明日に備えて俺たちもそろそろ寝よう。」
夫が私に手を差し延べます。私はその手を取り、繋いだまま寝室に向かいました。
さて、あれから1ヶ月が経とうとしています。
私たち家族は、マイホームに引っ越しをして1週間が過ぎようとしており、ようやく片付けも終わりに近づきつつあります。
この数週間、本当に怒涛のようでした。
内覧した結果、中古ではあるものの建物の状態も良く子供たちも大変気に入ったこともあり、即決で購入しました。仕事の合間を縫って、引っ越し業者に依頼したり、荷造りをしたり、姑の相変わらずの電話口撃に対応したり、と。
でも、その姑とも今日で決着が着きそうです。
先週末は、引っ越し作業もあったため姑に来襲されると家を購入したことがバレてしまうので、舅にお願いして二人でお出掛けしてもらいました。
いつもそうしてくれると助かるのですが、舅が知らないうちに外出してしまうようなので、今回は前もって舅から姑に約束を取り付けて貰いました。
そのお陰で、ストレスなく作業も進み無事荷物を新居に運ぶこともできました。
長年住み慣れた空っぽの部屋を見渡し、心の中で“ありがとう、お世話になりました”と御礼を言って出てきました。
そして、今日は日曜日。いい天気なので、朝から洗濯物と布団も干しています。庭からリビングを見ると、夫が掃除機を掛けていて子供たちはキャッキャッしながら、掃除機の後を追いかけている光景を見て微笑ましく感じています。
その時、私のスマホに着信がありました。
リビングのテーブルに置いていたので、私も夫もそして子供たちもそのスマホに視線を移します。
掃除機をオフにした夫がスマホの画面を見るなり、険しい表情を浮かべながら、画面を私の方に向けました。
画面には、‘姑’の表示。
恐らく元のアパートに向かったのに、もぬけの殻だったため連絡を寄こしているのでしょう。
だったら、私じゃなくて夫に掛ければ良いのに。
なんて思っていたら、夫が
「俺が出ようか?」
と。
それも良いか、と一瞬考えましたが深くお付き合いするのも最後かもしれないと思い直し、
「私が出るわ。でも、スピーカーにして話すからフォローしてくれると嬉しいわ。」
頷く夫を見て、スマホ画面の“応答”を押します。
「はい、睦ー」
『何よ!どういうこと!インターフォン押しても誰も出ないから、大声で睦月さんを呼んでたら隣の人から引っ越したって聞いたわ!!どういうことよ!!何で勝手に引っ越してるのよ!!!』
私の名前をかき消す程の怒声を浴びせてきます。
夫に聞かれているなんて思いもしないだろうなぁ、なんて呑気に考えています。
しかも、アパートのお隣さんも大迷惑を被ってしまいましたね。あとから、謝罪の連絡をしておきましょう。
姑の相手をしないといけませんね。
「ああ、すみません。勝手に引っ越しちゃいました。申し訳ないのですが、住所を教える気は更々ありません。正直申し上げて、お義母さんから毎週土日のどちらかに来襲されることがかなりのストレスだったんです。それだけではなく、平日昼休みの電話もイヤでしたし、男の子を生めだの同居しろだの挙げ句娘たちにも男だったら良かったのに、みたいなことを言われるのもすっごくイヤでした。」
姑に横槍を入れさせないため、矢継ぎ早に話します。私の言葉に電話口から『な』『や』『え』などの単語が聞こえます。
恐らく、姑の顔面が茹でタコのように真っ赤になっていることでしょう。
私からこのように言われるとは思ってもいなかったでしょうから。
『な…何よ、それ。私のことそんなふうに思っていたの!私はあなたのためを思って言っていたのよ。それに、祐一郎がどんな生活をしているか確認するのが母親の役目でしょ。親元を離れたあの子がきちんと生活できているか心配になるのは、あなたにも子供がいるんだから、分かるはずよ!!』
祐一郎が心配って…37才の成人男性なんだけど、とツッコミを入れたくなりました。
そして、ようやく分かりました。この人は、過干渉だけではなくムスコンでもあったようですね。
「確かに、親が子供を心配する気持ちは理解できます。理解できますが、祐一郎さんはもう小さい子供ではありません。ある程度子供が大きくなったら、独り立ちできるように見守るのも親の役目だと思っています。しかも、もう結婚して子供も居る身です。お義母さんとは別の家庭を持っているんです。もうそろそろ子離れしてはいかがでしょう?」
私の言葉にしばしば無言が続きます。少しは思い直してくれているのでしょうか。
少しだけ、ほんの少〜しだけ期待します。
ですが、私の耳に届いたのは思ってもみない言葉でした。
『何よ!だから私はあなたが嫌いなのよ!!ホントは祐一郎の結婚相手には、2軒隣に住んでいるマミちゃんが良かったのにぃ〜』
泣き声と共に聞こえた言葉に、思わず夫を見てしまいます。彼も、何やら絶句している顔です。
「マミちゃんて、誰?」
私の問いに、夫は困った表情で言います。
「マミは、いわゆる幼なじみ。子供の頃は、確かに良くお互いの家を行き来していたけど、中学生になった辺りから部活とかでほんとんど会わなくなったよ。高校も違ったしな。なのに、なんで…」
天を仰ぎながら、肩で大きく息を吐いています。
姑の言葉が続きます。
『マミちゃんはね、あなたとは大違いで思慮深くて優しくて、料理も掃除も完璧にこなすのよ。あの子は、栄養士の資格も持っているから祐一郎のお嫁さんにピッタリなはずなのに、なんであなたとなんかと結婚してしまったのよ!!』
嗚咽混じりに放たれる言葉に、私はやや引き気味になっています。
すみませんね、思慮深くもなく、優しくもなく、料理も掃除も不完全で、そう言いそうになったとき、横から夫が言葉で遮りました。
「母さん。」
『え、ゆ…祐一郎!祐一郎なのね!!良かったわ。ね、あなたならわかってくれるわよね?ねっ。マミちゃんとあんなに仲良かったんだもの。きっとまた出会えたら好きになるはずよ。お母さん、マミちゃんとあなたが結婚することをずうっと夢見てきたの。なのに、睦月さんなんて人を連れてくるんだもの。ショックだったわ〜。きっとマミちゃんも残念だったと思っているわ。だから、仕切り直しましょう。今ならきっとまだ間に合うはずよ。ねっ、ねっ。』
「それって、睦月と離婚してマミと結婚しろってこと?」
『そうよ。今の時代1つくらいバツがついても何の問題もないわ。まぁ、マミちゃんもあなたと同い年だから子供ができるかどうかはちょっと不安だけど。結婚してすぐに子供を作れば40までには二人くらい産めるでしょ。もちろん、男の子をね。』
なんだか姑の声が、ルンルンしています。
結局姑は、義理の娘がマミちゃんではなく私だったことが一番気に入らないことだったんだ、と私は少しずつ怒りが込み上げて、今まさに姑に対して怒鳴りつけてやろうか、と思っているところです。
しかし、私より早く夫が言いました。
「あのさ、マミは去年結婚したよ。」
『は?』
姑の素っ頓狂な声に、思わず吹き出しそうになります。
「間違いないよ。今年の初め、俺一人で年始の挨拶に来ただろ。その時、マミの母親から直接聞いたから。栄養士として勤務していた病院の医師と結構長く付き合ってたらしくて、去年の秋にやっとお嫁に行ったのよ、ておばさん喜んでいたから。」
『え、お医者さんと…結婚?ウソ…私全然知らなかったんだけど…。マミちゃんのお母さんからは何も知らされていないわよ…』
姑はよっぽどショックだったのか、段々声に張りがなくなっていきます。
「なんでおばさんが、わざわざ母さんに娘の結婚を報告しなくちゃいけないんだよ。俺とマミは幼なじみという関係だけど、母さんとおばさんは子供の俺たちを介してじゃないと、話もあまりしなかったじゃないか。」
『でも、だって…』
「じゃあ、俺が結婚するときおばさんに祐一郎が結婚するのって報告したのかよ?」
『え…いや、それは…必要ないと思って…』
「そういうことだよ。」
姑が最後まで言い切らないうちに、夫はガツンと締めてくれました。
「いいか、母さん。俺たちが母さんに黙って引っ越したのは、これ以上俺の大切な家族を傷付けられたくないからだ。」
『傷付けるって、私そんなこと一度もしてないわよ!』
「していたよ。自分の胸に手を当てて考えてみろよ。言葉の暴力で、人を傷付けることなんていくらでもあるんだから。母さんにとって些細な言葉のつもりでも、受け取る側はそうじゃない。だから、俺たちは母さんから距離を取る。俺はともかく、睦月と子供たちは冠婚葬祭以外顔は出さない。あと、この電話終わったら睦月のスマホから母さんの連絡先はブロックしておくから、睦月に用事があるときは俺を介して欲しい。睦月の会社に電話したら、その時点で俺は母さんと縁を切る。父さんと姉さんも了承済みだから。」
『……。』
流石の姑も、縁を切るなんて言葉が出てくるとぐぅの音も出ないようです。少しカワイソウな気もするけど…気のせいと思いましょう。
『…ゆ…祐一郎…』
「何?」
『…あなただけは、お母さんに会いに来てくれる?』
「それは母さん次第だよ。お願いだから、これ以上俺を失望させないで欲しい。」
大事な息子である夫の言葉に重みを感じたのか、電話口の姑が小さく言います。
『わかったわ…ごめんなさい。』
そして、電話は切れました。夫は私のスマホの画面を触っています。
「ブロックしておいた。」
静かにそう言って、私にスマホを返しました。
「祐一郎、大丈夫?」
私のスマホを持つ夫の手に、自分の手を重ねて聞きました。
身勝手な母親でも、生み育ててくれた人です。私が思うよりも、きっとずっと辛く感じているはずです。
でも、夫はニッコリ笑って言いました。
「やっとスッキリしたよ。今まで干渉されていたから、これからはそれが失くなると思うと嬉しいよ。睦月にも悪かったな。俺がもう少ししっかりしていたら、母さんの来襲も止められていたのにやっぱりどこかで遠慮があったみたいだ。」
私はスマホを受け取りながら、
「私ね、正直お義母さんのことは苦手。でも、今回のことでお義母さんの気持ちが変わって、私のことも子供たちのことも理解してくれたら、きっといつかまた会える日がくると思うの。時間は掛かるだろうけどね。」
夫の目を見つめながら、言います。
「うん、ありがとう。」
隣の部屋から様子を伺っていた子供たちが、駆け寄って来ました。夫は子供たちを抱き締めながら、
「俺の宝物は、君とこの子たちだよ。」
その言葉が嬉しくて、私も夫と子供たちを抱き締めみんなで微笑み合いました。
「でもマミさんて人も、ビックリするだろうね。勝手にお義母さんから祐一郎の結婚相手の候補にされていたなんて知ったら。」
私のその言葉に、2人で大笑いしました。子供たちはキョトンとしていますが……。
もし近い将来、姑が寂しさから表向きでも謝罪をしてきたとしても、許せるかどうかはまだわかりません。でも、縁があって家族になったのですから、ギクシャクしながらでも姑と分かり合うことができる日がくることを、心の片隅で期待しています。
それまでは、私のことを大切に思ってくれる人たちと共に当たり前の日々に感謝しながら生活していきたいと思います。
佐野睦月でした。
《第2話に続く》