第66話 レインとキラ
ニジノタビビトは軽く機械に情報を打ち込むだけであるのに、ついてきたキラに首を傾げた。
「キラもあっちで待っていていいんだよ?」
「恋人同士なんだし二人きりにしたほうがいいかなって。……いや、単純に俺が気まずいからなんだけど」
「そっか」
じゃあここにどうぞと言って、キラにラゴウが座っていた、いい感じに跳ね返りのあるクッション性のある椅子をすすめて、自分は先ほどケイトが座っていたスツールに座った。
「なあ、レイン」
「んー? なんだい?」
ニジノタビビトは手元から視線を外さないまま答えた。
「あのさ、感情の、具現化のこと、なんだけど……」
カタンッ。
キラが俯いていた顔を上げると左手に持っていたペンを取り落として硬直したニジノタビビトがいた。ニジノタビビトはゆっくりとキラの方に顔を向けたが、その目は不安そうに揺らめいて見開かれていた。
あんなに明るくというか、明らかに本来の調子を取り戻しつつあるラゴウを見ているに、何をそこまで不安そうになる必要があるのかと失笑してしまう。いや、それが自らに何を思われるのか怖いという一心なのであれば、と思うと、少しの呆れと多少の優越感を孕んでキラを高揚させた。
まだ二週間程度の関係だが、キラにとってニジノタビビトという人は、レインという人物はもうきっと自分の人生を語るに欠かせない人であると確信していた。それは《翡翠の渦》なんて天文学的な事故に巻き込まれたからではなくて、レインというその人がキラの心に深く根を張っているからだった。
「あは、レイン、自信持ってよ。元々さ、そんなにやばいことっていうか、感情の具現化を禁術だみたいなことしか知らなかったから戸惑って変に構えちゃったけど、別に最初から誰かが傷つくようなことしてるとは疑ってなかったよ」
「……どうして」
人の刷り込みとは恐ろしいもので、特に子供の頃の癖を治すことが難しいように、何も知らないときに、疑うことも知らないときに、そういうものだなんて教えられてそのまま素直に受け入れてしまうこともある。事実とはときによって移ろうもので、真実のあるところとはまだ誰も知らないかもしれないのに。
ニジノタビビトが今まで虹をつくる候補の人々に感情の具現化の話をしても通報されたりしなかったのは、ひとえにカケラを握ることで虹をつくることの情報が正しく伝わるからであった。
しかしキラはそうやって情報を受け取ることができないものだから、たとえ出会って一週間にしては親しかったとしても簡単にその関係性が壊れてしまう可能性だって考えていた。
「別に、いいんだよ、本当のことを言って。大丈夫、なんて言われたって君を故郷に送り届けるという約束は違えないから」
もしそうなったら、他人の距離感をなんとか測って多少無理をしてでもキラをさっさと故郷の惑星に送り届けてしまおうと思っていたのだ。たとえキラの勝手でニジノタビビトに彼を送り届ける義務などなく、嫌になったら適当な星で下ろしてよかったとしてもだ。
ニジノタビビトにだってどうしてこんなことを思うのか分からなかった。嘘だ、最初は本当に分からなかったけれど、今はもう分かり始めている。きっと理屈ではないのだ。キラという人が好きだから、自分の行いを見られて嫌われたくないし、見なかったことにして逃げ出すことはしたくない。人に対してこんなにも臆病になることはニジノタビビトにとって初めてのことだった。
「嘘じゃないよ、本当だ。ラゴウさんが感情を具現化するのを見ていて、まだ虹は見れちゃいないけどさ、レインがしていることはひどいことでもないし、自分のためだけのものではないと思った。きっと今まで虹をつくってきた人たちだって『そうしてよかった』って思ってきたんだろうなって感じたよ。だから禁術だって言われていたって、そんな確かめもしていないものなんかよりも俺はレインのことを信じてるよ」
変に臆病になってびくついているニジノタビビトにキラは念押しするように、気持ち一つ一つの音をはっきりと発音して言った。
「……ありがとう、キラ」
「いいんだよ礼なんて言わなくて。なあレイン、これからもよろしくな」
「うん、うん。よろしくね、キラ」
二人とも、未来の話をしたってそれに期限があることを忘れちゃいなかった。しかしそれが場合によっては、想定よりもずっと、ずっと短くなってしまう可能性があることまでは二人とも考えられていなかった。




