第53話 焼きたてパン
二人でもう昼に近い朝ごはんをパンのために軽く食べてから、最寄りのスーパーでインスタントドライイーストを購入した。売られていたのは三グラムの小分けになっているもので、どうやらホームベーカリーなどのレシピで使うイーストが三グラムであることが多いらしい。キラが見つけた基礎的なレシピもそれに合わせているのかイーストを三グラム使うものだったのでちょうど良かった。
「よし、早速始めようか」
キラは腕をまくりながらニジノタビビトに言った。ニジノタビビトもキラに習って腕まくりをして、先ず丁寧に手を洗った。
キラはタブレットでレシピを表示して、タブレットケースをくるんとやってスタンドにした。それからボウルを出して粉などを計り、レシピに従って砂糖とイーストは塩と反対側に。これは砂糖はイーストの発酵を助ける一方、塩は殺菌効果があって発酵を妨げてしまうかららしい。
「やば、これ結構疲れるな。レイン一回代わって」
「え、えっ、ど、どうすればいいの?」
「こう、伸ばしたり叩くようにするらしい」
キラはパン生地を捏ねていたが、ほどほどでニジノタビビトと代わった。少しくらい疲れてはいたが、代わるほどでもないのに交代したのは、せっかくだからニジノタビビトにも作っているという感覚をしっかり持って欲しいと思ったからだった。
ニジノタビビトは恐る恐る生地を触っていたので、もっとストレスを発散するように! と声をかけたらもっと恐々としてしまったが、キラが声をかけ続けると次第に力強く生地をこね始めた。
料理をあまりしてこなかったニジノタビビトだが、パンをこねるのはうまかった。そういえば何度かニジノタビビトの手をとったときも温かな手をしていたなと思い出して、キラはこれからも何度かパンを作ろうと思った。
ニジノタビビトの額に汗が滲んでくる頃になるともうだいぶ生地はなめらかになっていた。キラは調理台についていた肘を下ろして横から手を伸ばし生地の端っこを引っ張る。
「キラ、何してるの?」
「なんか、こねあがりの目安の一つが、こうして生地を引っ張って光が透けたり指の影が見えるくらい薄い膜みたいになったらいいんだって」
ニジノタビビトはぐいっと頭を寄せてキラの手元を覗き込んだ。そうっと引っ張ったキラの手元では生地が一応薄い膜を張っていた。キラも初めてパン作りをするものだから力加減がよく分からなくてどこまで左右に引っ張っていいものか悩んだが、そこそこ薄くなったぐらいで破れてしまったので、そのままもう少しこねた。
「今度はどう?」
ニジノタビビトがまた頭を乗り出して覗き込んできた。その視線に少し緊張しながらも力を入れ過ぎないように引っ張ると今度は破れなかった。よし! と二人して声を上げてボウルに丸くした生地を入れてラップをし、オーブンの発酵機能に任せた。およそ二倍くらいに膨らむまで待って、八つに分割して生地を休ませているときにキラが言った。
「せっかくだから、プレーンのやつとなんか入れたの作ろうか」
そう言って、バターとチョコチップを取り出した。キラは休ませた生地の一つを取ってガスを抜きながらニジノタビビトの方を見た。
「よく見てて、これからレインにもやってもらうからね」
「えっ、私も?」
そう言いながらもニジノタビビトはキラの手つきを一瞬も見逃すまいとじっと見た。キラはその視線で手元が狂わないように何回も繰り返し見た動画を思い出しながら丸くして継ぎ目を閉じた。ニジノタビビトもときどきキラに伺いながら成形して次は二次発酵のためにオーブンにまたいれた。
二次発酵が終わったらバターのものには塩振って、プレーンとチョコチップのものには溶き卵を塗り予熱したオーブンで焼く。ニジノタビビトは初めて焼くパンがどう焼けるのか気になってオーブンの前にしゃがみ込んでいた。
ピーッ、ピーッ!
小麦粉とイーストの匂いが混ざったパンの焼ける匂いがしてしばらく、コキ鳥の鳴き声みたいな音とともにオーブンが焼き上がりを告げた。ニジノタビビトはあらじめはめていたミトンでそうっとオーブンの扉を開けて一瞬熱風に目を瞑ってから中を見て振り返って見上げた。
「キラ! 焼けたよ!」
「ん、もういいだろうから出してみよう。火傷に気をつけてね」
焼きたてのパンを頬張る時がもうすぐそこに迫っていた。




