第48話 カケラの激情
ラゴウはカケラを握り込めてからすっかり不思議な感覚に陥っていた。けれどどこかにトリップしたような感覚ということはなくて、目の前のニジノタビビトが手を下ろしたような気配を瞼越しに感じ取っていたし、キラに落ち着きがないのもなんとなく分かった。むしろいつもよりも感覚が研ぎ澄まされているくらいだった。
今日の夜は昼間の暖かさがまだほんのり残っていて過ごしやすい夜のはずなのに、一つ深呼吸して肺に染み渡った空気は心地よくも山の川上に流れる雪解け水のような冷たさを持っていた。その空気が染み渡るのと同時に、自分が公園に立って目を瞑っているという冷静さを持ったまま、頭の中に流れてきたのは熱く耳を刺すような音を伴った激情だった。
まるで自分だけ時間がゆっくりと流れて、その間に人一人の人生をしっかりと見せられているような、そんなひと時だった。時間にしたってホットコーヒーを温かいまま飲み切るくらいのものだったのに、十数年にすら思えた。
激情は確かな輪郭を持ったものではないのに、虹をつくることについて話を聞くよりも理解ができている気がした。ある種の洗脳ではないかという考えがよぎらなかったわけではないが、本能がどうしてかそれを否定する。そして全ての激情が過ぎ去って最後に見えたのは明確な映像だった。
ラゴウは徐に目を開けて少しだけふらつくと、ニジノタビビトの隣に座り直してカケラを握りしめたまま、ほうとため息をついてゆっくり瞬きをした。
「虹が見えた。角張った教会のような建物がいくつかあって、そう、一つ大きな時計塔があった……」
「階層になった円形の建物もありましたか? それから建物から少し離れたところに大きな針葉樹を中心とする針葉樹林も」
「ああ……、あった。そこの、針葉樹林の前の開けた土がむき出しのところに、白くて大きな多面体の角を少しだけ丸くしたような、遠目に見たら丸く見える家ほどあるだろう大きさのものと、君と、まだ少女といえるだろう年の頃の子がいた」
あの白いのが、君の宇宙船か。ラゴウは核心めいてそう言った。
その言葉にキラは驚いた。ラゴウはニジノタビビトが乗っている宇宙船を見たことがないはずなのに、その姿を明確に口にして見せた。キラは宇宙船を初めて見たとき白くて丸くてそれでいて四角張った、と形容した。確かに言い換えればそれは白くて、多面体の角を丸くした、遠目に見て丸く見える家くらいの大きさのものだというのは分かる。
もちろん、この街からほど近い草原にずっと着陸したままなのだから、見物に行こうとさえ思えば知っていてもおかしくは無い。しかしラゴウがそれをするとは到底考えられなかった。
「前回虹をつくったのは、齢十九の女性でした。彼女は自分の未来をどう生きてけばいいのか分からずにいた。きっとこの先をどう生きればいいのか分かっている人なんてほとんどいやしないんでしょうけれど、それでも性分からか誰にも何も言えずにどこにも吐き出せず自分の中に積もらせてしまっていた」
ニジノタビビトは自分とラゴウにだけ分かる話を始めた。キラには何のことを言っているのかてんで分からなかったが、何とか質問したいのを堪えて黙って聞いていた。
「そんなときに私は彼女と出会いました。彼女は自分の中に積もったものを大切なものだと言っていました。それは自分が迷い、悩み、考えてきた証でもあるのだから、と」
前に虹をつくった少女を逸脱しない女性は、悩みの種であるはずの積もったものを愛していた。それは私の一部でもあるからと、私のかけがえのない時間とおもいを表すものだと。しかし自分の中で抱えているには苦しくて、それでもどこかに捨てることはしたくないと八方塞がりになっていた。
「彼女に虹をつくることを話したら興味を持って、あなたのようにカケラを握りしめました。そうしたら、彼女は静かに涙を流して、『私がもう抱えていてあげられないこのおもいたちは、あんなにも綺麗な虹になれるんだ』と言って、虹をつくることを希望してくれました」
彼女は虹をつくった後、カケラに宿った全てのエネルギーを宇宙船に移すことに合意してくれた。エネルギーは具現化した感情から生まれているものではなく、虹というものになることで副産物的に得られるものであった。エネルギーを移した後、彼女はカケラの中で一番好きな色のものだけを手元に残して、三つは砕き、残り三つをニジノタビビトに託した。砕いた三つはそれぞれ、海に流し、土に埋めて、小さな紙袋に入れて空に放った。できたカケラの形を保たせたままの残りの三つはニジノタビビトと共に宇宙を旅してほしいと願った。
「そうして、今私は彼女が生成したカケラのエネルギーで彼女のカケラたちと共に旅をしています」




