第39話 無意識的エゴイズム
ラゴウは昨日と似た格好をしていた。ただ昨日はそれどころではなかったので確かではないが、おそらくネクタイの色が違う。ラゴウは三人のいるベンチから三メートルほど離れたところで立ち止まった。
「ケイト、私に会いたい人がいると言っていたのはこの二人かい?」
「ええ、そうよ。お話ししたいことがあるらしいわ」
その名前を聞いてキラは仰天した。昨日ラゴウがポロッとこぼした彼の恋人の名前だったからだ。
「ラゴウさん、お願いです。話だけでも聞いていただけませんか」
ニジノタビビトはベンチから立ち上がって早速と言ったように切り出した。静かにニジノタビビトの方を見返したラゴウのその表情は無表情に近かった。
「すまないが、私に協力できることはないよ」
「でも、うまくいけばあなたのその感情ともうまく向き合えるはずなんです」
その言葉でラゴウの表情が一変した。眉を吊り上げてぐっと眉間に皺を寄せた。その口は噛み締められて、怒りだけではない何かを堪えているようでもあった。
「ねえ、ラゴウ、お話くらいならいいんじゃないかしら」
ケイトは普段紳士的なラゴウがこの少ない会話で怒ったことに驚いたが、ニジノタビビトが無くした記憶を取り戻すために旅をしていることをかわいそうに不憫に思ってそう助け舟を出した。
「今は、君は、黙っていてくれないか」
強く硬くゆっくりとした口調で一つ一つの言葉を区切るように言い放った後、ラゴウはハッとして後悔したような顔をしたがすぐにニジノタビビトの方に向き直ってさらに言い募った。
「君たちが、どうして私と関わるのか知らないが、もう放っておいてくれないか!」
ラゴウは肩で息をしていた。
「君たちが、君たちの目的があったとしても、私に懇篤の気持ちで接してくれているのは分かっている! けれどそれが、申し訳ないけれどそれが今、苦しいんだ……」
愛している人が愛してくれているのも、他に目的があったとしても自らのことを心配して力になろうとしてくれている異星の旅人たちがいることも嬉しかった。でも、放っておいてくれない人たちに嫌気が差していた。愛の中にあって孤独を感じている自分が嫌いだった。何より自分に心を向けてくれる人たちに八つ当たりをしている自分が一番嫌いだった。
ニジノタビビトという孤独に慣れてしまった人間と、キラという隣人への優しさと隣人からの優しさで生きてきた人間にはラゴウの苦しみを理解することはできていなかった。
ラゴウは酷く顔を歪めて、それは怒っているようにも、悲しそうにも、苦しんでいるようにも見えた。ひとつ大きく息を吸うと、これ以上余計な事を言わないように、絞り出すようにして言った。
「……すまない」
昨日のように足早に立ち去るラゴウの背中をキラとニジノタビビトは何も言えずに見送るしかなかった。
「すみませんでした」
「あまり気にやまないで。私が言えることではないけれど、あの人も、本当はあんなこと言いたくなかったはずだもの」
気にやまないで、とケイトは言ってくれたが、さっきのことがあってそれの全てを間に受けられるほど馬鹿正直ではなかった。
「もう、いいかしら」
私もこれで失礼するわね。と言ってケイトもそそくさと立ち去ってしまった。
キラは緩慢な動きで、音も立てずにさっきまでケイトが座っていたところに腰掛けた。結局ラゴウに新しい傷をつける結果に終わってしまって二人は黙り込むしかなかった。
「キラ、ごめん」
風と風で揺れる木々の葉の音だけが二人を包んでいた。昼下がりの、暑くもなく寒くもない心地よい気温だというのに、少なくともベンチから見える範囲に人はいなかった。
「どうして、謝るんだ」
「キラが見つけてくれたのに、結局うまくいかなかった」
キラは息を呑んでニジノタビビトの方に向き直った。
「どうして、謝るんだ! それはレインのせいじゃないだろう。レインだってラゴウさんだって色々考えていることも思っていることもある。そもそも、こう言っちゃなんだが虹をつくれなかったとしてそれを、俺が何か文句を言える立場にはないだろ!」
キラがニジノタビビトに対して声を張り上げたのはこれが初めてのことだった。思えば出会った時、宇宙船に乗せてもらうことを頼むために大きな声が出ていたかもしれないが、怒りという感情を持ってニジノタビビトに言葉を発したのは初めてのことだった。
「でも、私がうまく話をできなかったせいで振り出しに戻ってしまったし、キラが故郷の星に帰るのが遅くなってしまった」
「人の心に関わることならそううまくいかないのは仕方ないことだと思うし、俺はこうして宇宙船に同乗させてもらっているだけでありがたいんだ。そんな何日か遅れたってどうもしないさ」
ニジノタビビトはつっと顎を上げて、くしゃりと顔を歪めた。そうしてまた謝ろうとしてやめて、今度は別のことを言うために口を開いた。
「ありがとう、キラ」
キラはほのかに笑って、ニジノタビビトの両手を優しく握りしめていた。




