第34話 ラゴウという人
男性は少しのあとゆるゆると顔を上げた。ニジノタビビトは初めて彼の顔を見たが、その深い黒の瞳が今まで虹をつくってきた人たちの目と少し似ている気がした。
「ミスター、私はある目的のために宇宙を巡っています。この星にもその目的のために来ました。そのために、あなたにお聞きしたいことがあるのです」
男性は何も言わなかったが、顔をまた俯かせるということもなかった。ゆっくりを瞬きを繰り返して前傾姿勢のまま目の前に立っているニジノタビビトの方を見上げていた。その両手は組まれていて、神に祈りを捧げているようだと思考の外でキラは感じた。
何も言ってこないのを続きを促しているのだと判断したニジノタビビトは、何度も頭の中で繰り返して慎重に言葉を選びながらしゃがんで視線を合わせるようにした。
「まず、あなたの名前を教えていただけませんか」
「私……、私は、ラゴウという」
「ラゴウさん。今これから、私は私のためにあなたとお話をさせていただきたいと思っています。でもそれは、あなたにとって答える義務は全くありません。ですから、答えてもいいなと気が向いたり、たとえば話すことで気が楽になったり整理ができそうだなと、あなたにとって私と話をしてもいいと思えるものがあったらお話ししてください」
ラゴウは一つ頷いた。それを見てニジノタビビト慎重に話を進めていく。キラは、これがこの星に着陸する前にレインが見ていてほしいと言っていたことだと気がついて、口出しをしないように男性の背中に手は添えたまま静かに二人を見守っていた。
「まず、今のお加減はいかがですか。気持ち悪いとかそう言ったことはありませんか?」
「ああ、隣の彼が水をくれたり声をかけてくれたりして、だいぶ楽になった。お気遣いありがとう」
それから次に何を話そうか迷って、ニジノタビビトは思い切って聞いてみることにした。
「ラゴウさん、どうしてうずくまっていたんでしょう?」
ラゴウは何かを言おうとして少し口を開いたものの、したのは空気の音だけで何も言わずに黙ってしまった。
「ラゴウさん、私たちは宇宙を旅している旅人です。この星での目的が達成されたらすぐに離れてしまいます。何か言うだけでも整理できることがあるかもしれませんよ」
続けてニジノタビビトがそう声をかけた。赤の他人の、しかも数日以内にはこの星を飛び立つ予定である人間であるからこそ言えることがあるのではないかと思ったのだ。そして、ニジノタビビトの胸元のカケラが反応して熱を帯びていることから、この人が体には異常がないと言った理由がえも言われぬ感情や大きな思いを抱いていることによって、苦しくなってしまっているのではないかと考えていた。
「……よく分からないんだ」
長い沈黙の後に出たのはその言葉だった。ラゴウは確かに先程出会ったばかりの二人に自分の弱っていることについて話すという行為に戸惑いがあったが、それ以前にどうして弱っているのかをどう言葉にしていいのかが分からなかった。
「何か言い切れないものがあって、最近苦しくてどうしようもなくなってしまうことがある。私生活は日常生活で誰しもがある些細な不安と不便はあっても充実しているんだ。本当だよ」
ラゴウはまた頭を抱え込んでしまった。
「私は愛している人たちが確かにいる。特別な人もいて、その人は自分を愛してくれて、恋人でいてくれているけれど、時折どうしようもない孤独感と焦燥感に苛まれるんだ」
ラゴウは膝に肘を乗せ首の後ろで両手を組んで言った。その姿は頑なに何も見たくないと言っているようにも見えたし、殻に閉じこもっているようにも見えた。キラは自分よりも手のひら一つ分くらい背の高いこの人が、迷子の子供のように見えて、誰かと似ている気がしていた。
「ケイトは、恋人は私に寄り添ってくれて、私に愛を伝えてくれている。とても、愛してくれていることを知っているからこそ、私がこんななのが申し訳なくて仕方がないんだ」
キラは明るくて優しいものだから恋人になってほしいと伝えられたことは何度かあった。その度に今は学業とアルバイトで忙しいことと、なあなあで君とお付き合いをすることは申し訳ないと言うふうに言っていたもので、より評判が上がっていたことをキラは知らない。
何にしても、キラは愛について語れるほどの経験がなかったが、好意を持ってそれを伝えてもらうことは純粋に嬉しいことで、伝えてもらった日には、ずっとその子のことが頭にあるくらいには浮かれたりもした。だからそれが苦しくなるなんて思ったことも考えたこともなかった。
愛というものは難しい。心が難しいのだから愛だって当然難しかった。
人は誰かといれたって、ときには孤独なのかもしれない。




