第203話 空が青くて高いあの日のこと
まずあの日、《翡翠の渦》の第五の被害者キラ・ラズハルトがなぜ外出したのかといえばそれは買い物に行こうと思っていたという至って普通の理由だった。そしてなぜ買い物に出たかといえば必要な買い物があったからだが、気分転換のつもりでもあった。
何を買おうか、どこを見ようか、あれが欲しい、金が欲しい、課題をやらなくては、レポートが、試験が、金が欲しい、バイトを増やすか、しかしそれでは大学が。学生の、特に奨学金とアルバイトとでほとんどを賄っている貧乏学生であるキラにとってはぼーっとしながら考えることといえばこんなものだった。ただ奨学金は返済不要のものと、利子なしの一部返済のものを借りていたし、両親の遺産も多少だがあったので貧乏とはいうものの、明日の飯に困るとか、ライフラインが止められる事態に陥るとかは全くなかった。
キラは親の顔を写真でしか知らない。両親はこれといった親戚がいなかったので両親の没後キラは施設に行くことになったわけだが、遺産という遺産はあまり残されていなかった。もちろん全くなかったわけではないのだが、それはキラの両親に計画性がなかったというわけではない。
キラの両親は若くして亡くなった。事故だった。子供に綺羅星を由来とした名を与えた
人たちは子供のことを愛していて、将来好きなことをさせてやりたい、学ばせてやりたいと思って、さあ貯金を頑張ろうという時だったのだ。そこそこ若い夫婦がまだ赤子と言える子供のための貯金をしていくというのは不思議なことではない。だからそのタイミングで亡くなってしまったがためにキラの学費や生活費に潤いを与えるほどの遺産が残っていなかったのは致し方のないことだっただろう。
キラは金がないといえど衣食住に困ることはなかったし、遊びだってちょっとした贅沢だってできないほどでもなかった。だから貧乏とは言えないほどかもしれない。でも金があるに越したことはないのは知っていたので金が欲しいとは常日頃思っていた。
そうしてふと空を仰ぎ見て、ああ今日も空が青くて高いなあ、なんて呑気に思った次の瞬間、変な感覚がキラを包み込んでいた。
流石にこの回想を紙にこんな長ったらしくは書いていない。『市街地を歩いている途中に翡翠の渦に巻き込まれる』と少し大きく書いたところにせいぜい小さい文字で『少々考え事をしながら買い物に行くために商業施設に向かっていたところ、ふと空を見て歩いていたら変な感覚が自分を包み込んでいることに気がつき、視線を下ろしたら自分の臍のあたりからグルンと白っぽい渦が広がった』と少々詳しく書き加えたくらいだ。
「え、っと……」
キラは約四ヶ月前の自分が書いたメモを見ながら次に準惑星アイルニムで目覚めたことを書こうとペン先を紙に置いて一度とまり、これは《翡翠の渦》について書くことが重要かと考え直して、もう少し渦に触れた時、吸い込まれていく時の感覚について書き記すことにし、メモを見ながら唇を引きむすんだまま左右に動かしてどうまとめるかを考えた。




