第168話 おめざめ
「まだ、寝てる」
なんだか珍しいな、というのがキラの率直な感想だった。ニジノタビビトが自分に心を開いてくれている、というか距離感近く接してくれていることくらいキラにも分かっていたし、なんならキラはそれ以上に曝け出している自覚はあった。しかしながらプライベートな時間、空間というのは保たれていて、ニジノタビビトに寝顔を晒したのは二日前が初めてだったし、ニジノタビビトの寝顔を見たのも初めてだった。
キラは少し考えて自室からブランケットを持ってくるとニジノタビビトが目を覚さないようにそれをそっとかけた。
一つ頷いたキラはこのあと何をするか考えてせっかくだから昨日買ってきたお肉以外にもとびきり手の込んだものを作ろうとまたキッチンに戻ることにした。
「んう……」
ニジノタビビトは何かの刺激で目を覚まし、大きなあくびをひとつした。なんだか随分眠っていた気がする。
ズルッ。
腰のあたりにかけられた布がずり落ちるのを感じて咄嗟にそれをグイッと引っ張ったニジノタビビトは寝ぼけた頭で少しぼーっとしていたがしばらくしてそれがおかしいことに気がついた。
ソファーにブランケットは常備していないし、寝る前に自室から持ってきてかけた覚えもない。ではこれは誰がかけてくれたものか。そんなのは一人しかいない。
ニジノタビビトは慌てて時計を確かめた。寝る前時計の針がどの位置にあったかを正確に覚えていたわけではないが、これはまず間違いなく寝過ぎた。
よくよく耳をすませばキッチンから何か音が聞こえてくるし、甘くて美味しそうな匂いも漂ってきている。起きる時の何かの刺激はこれだったのだろう。
ニジノタビビトはかけられていたブランケットをきれいに畳んでソファーにかけるとそっとキッチンを覗きにいった。
キッチンではやはりキラが何やら料理をしていた。昼寝というには随分と寝過ぎたが、それにしてもまだキラが帰ってくるには少々早い時間だ。今日は何かあったのだろうか。
「あの、キラ……?」
「ん? ああ、レイン。目が覚めたのか。よく眠れた?」
「うん……じゃなくてどうして……」
キラはニジノタビビトの声に気づいて振り返ると柔らかく、それこそ穏やかな昼寝から機嫌よく目覚めた我が子を見る親の眼差しのような視線でニジノタビビトを見て笑った。キラは手を軽く濯いでタオルで拭きながらニジノタビビトの方に近づいて今日のことを話した。
「それが、今日は俺が《翡翠の渦》に巻き込まれてからの話をしただけで終わったんだ。あとできることはとりあえずないから、今日はこれで帰っていいですよって」
「そう、なんだ」
「うん、体調はどう? 食欲はあったみたいだけど」
「うん、大丈夫……」
キラにそう言われたニジノタビビトは自然とテーブルに視線をやって、微睡みに負けてそのままにしていた食器類が全てきれいに片付けられていることに気がついた。
「あ、キラごめん! 食器そのままにしちゃってた!」
「ん? ああいいんだよ。それより、美味しかった?」
「うん、とっても美味しかった、ごちそうさまでした。それから、ありがとう」
「ん! それならよかった!」
キラはニジノタビビトに自分の作ったご飯を美味しいと言ってもらえることが何よりも嬉しいことになりつつあった。