第165話 ATM前の厄介な疑念
「よし、メモできました。ありがとうございます」
「はい」
タシアはキラの方に向けてくれていた画面を自分の方に戻して特に操作をすることもなくそのままノートパソコンを閉じた。
「それでは、ラズハルト君をこの星まで送り届けてくれた方の体調が回復されたら教えてください。今後の予定はそれで決めていきましょう。それからルーランド警視正ですが、仕事の都合で手が離せず見送りができないのですが、よろしく伝えてほしいとおっしゃっていました。」
「はい。本当に色々と、ありがとうございます」
キラはこの人たちに嘘をついているという事実に胸の辺りにツキンとした痛みを覚えた気がしたが、何とかそれを無視した。キラにとってまだ幸いであったのは昨日ニジノタビビトが本当に体調が悪そうだったことでこのことに関して彼らに嘘をついていないということだろうか。
ああ、ニジノタビビトは元気になっただろうか。キラはニジノタビビトの体調のことを思って心配になった。今日の朝、キラは宇宙船を出る時に顔を除いてから出ようかと思ったが、果たして自分がそこまで踏み込んでいいのか分からずにニジノタビビトの自室のドアを開けることはできなかった。
とにかく、銀行で金を下ろしたらさっさと宇宙船まで戻ろうとキラは心に決めた。
「連絡をくれる時には私とタシア両方に送ってちょうだいね。その方の体調が完全に回復する前にちょこちょこ連絡をもらえるとありがたいわ。それから何か不安なこととかあったらすぐに返せるかは分からないけれどそれも送ってもらって大丈夫よ」
「分かりました」
「それでは、出口までお送りしますね」
アメルデとはそのまま会議室で別れ、キラはタシアに警察署の出入り口で見送られた。
「それでは、お気をつけて。それからお大事にとお伝えください」
「はい。ありがとうございます」
キラは警察署の敷地を出てまず、金を下ろすかと財布にキャッシュカードが入っていることを一応確認してから銀行へ向かった。最も近い手数料のかからないATMがそこだったのだ。
キラは自分がキラ・ラズハルトであることがバレないように、しかし銀行という場所柄ソワソワしすぎて不審に見られないように気をつけながらATMの列に並んで自分の順番が来るのを待った。待っているのが二人しかいなかったのですぐに順番が来てキャッシュカードを差し込もうというときにはたと、これは自分と共に《翡翠の渦》を潜ってしまったわけだが磁気不良とか起こしていないだろうかと思ってしまった。
不思議なことにこういう厄介な疑念というやつはことの直前で思いついてしまったりする。しかしこんなところで手を止めるわけにもいかず、キラは唇を噛み締めながらキャッシュカードを挿入口に差し込んだ。
「あ……ゲホッゴホッ」
キラは思わず小さく声を漏らしてそれをごまかすために軽く咳をしたが、無事にキャッシュカードは読み込まれた。つまり、あの《翡翠の渦》は過度な磁気はないということだろう。小さなことだが新たなことが分かったのを頭の片隅にメモをして、キラが液晶に金額を入力して確認を押した。
「今日の分の食材は買ってあるし、戻ろう」
キラは銀行を出て深く帽子を被り直すと宇宙船に向けて早足で歩き出した。