第139話 彼はキラ・ラズハルト
「はい、それじゃあお口開けてください」
「あー……」
キラは小豆色の診察台にすすめられるがままスリッパを脱いであがると、すぐにかけられたフェルトの倒しますね、という少ししゃがれた声に是を返す間もなく座面の高さが上がり、背もたれが後ろへ倒れていた。
バチンッとライトがつけられ、その眩しさに思わず目を瞑ったところで口を開けるように言われた。
そっと目を開けるともうライトは口元に合わせられていて、視界の端からミラーが出てきていた。キラは視線をどこにやったらいいのだろうと視線をさ迷わせながらとりあえず何も無いライトの軸のあたりをじっと見た。
「ふん、ふんふん」
フェルトは一人ふんふんと鼻を鳴らして頷きながらキラの口の中にミラーを入れて出してはカルテを見て、また口の中にミラーを入れて見るを繰り返す。
キラは頬が引っ張られているのを感じながら、この定期検診や治療よりもいつ終わるのか分からない時間をただひたすらに耐えた。
「はい、はい」
フェルトは電話口で相槌を打つようにそう言った後、ミラーをカタンとおいて席を立ってしまった。キラはどうしていいのか分からずにまだ少し口を開けたままにしていると、フェルトはすぐに戻ってきてキラの背もたれを起こし、紙コップを渡した。
「はい、終わりました、それで口をゆすいでくださいね」
キラは口内に溜まってしまった唾液を吐き出すように二度軽くうがいをして、フェルトの方を振り向いた。するとフェルトはもう待合室に行ってしまったらしく、キラは慌ててスリッパを履いて診察室を出た。
待合室では腰を曲げたフェルトがソファーに座ったアメルデとタシアの前に立っていた。
「ああ、来ましたね。それで結果ですが、治療痕と親知らずの状態、それからこのカルテによればキラ・ラズハルトさんは下の歯に先天性欠如……まあ、永久歯が生まれつきないということですな。それが一本あるとの事でしたが、それも一致しました。つまり、彼は間違いなくキラ・ラズハルトであると言えます」
簡単な説明から結果まで一息に言ったフェルトはカルテを封筒に戻してアメルデに差し出す。キラは当然自分がキラ・ラズハルトである自信があったから大丈夫だと確信していたが、それはそれとして緊張はしていたので結果を聞いてやっと胸を撫で下ろすことが出来た。
「フェルト先生、ありがとうございました。さて、これで君がキラ・ラズハルトであると証明できたことになるけれど……」
さて、これからどうするか、とアメルデは思案する。これで役所にキラ・ラズハルトだと名乗り出た人物が実際にキラ・ラズハルトであると確認された訳だが、これは今のところアメルデが個人的にやったことである。
アメルデは昨日さっさと帰ってしまったせいで見ていないものの、この後の仕事の量を考えてうんざりした顔をしたホーロンとほとんど同じ顔をして天井を仰ぐ。
しかし、いつまでもこの可哀想な少年をこのままにはしておけない。この立場になったとて、アメルデが警察官を目指したのは、物事を突き詰めて解決することに興味があったこともあるが、こうした困っている人々を助けたいという思いがあったからなのだ。
「それではラズハルトくん、初めてのことばかりとなるから何とも言えないけれど、これから色々と書類を準備しなくてはいけないなら、ひとまず待機してもらうことになるわ」
そして、ひとまずアメルデとキラ、ついでにタシアもそれぞれ連絡先を交換することにした。