第138話 普通の先生
ガチャ、キーッ。
もう一度金属同士が擦れるような甲高い、背筋が震える黒板を爪で引っ掻くようなような音を立ててガラス戸が開く。
まずキラは頭だけ扉の向こうに押し込んで中を覗いて見た。ガラス戸に書いてある受付時間を見たところ、今日この時間も診察を行っているはずだが、カーテンがかかっていたし今日は診察をしていないのかもしれない。いや、そもそもこの歯科医院は今現在も開業しているのだろうか。
カツン、カツン。
後ろから音がして振り返ると、タシアが階段を上ってきていた。タシアはキラが及び腰になっているのを見て安心させるように笑った。
「大丈夫ですよ」
キラはゆっくりひとつ頷いて今度は人が通れるくらいまでガラス戸を引いて中へ踏み出した。
目の前はすぐに待合室が見えていて、おそらく診察室があるであろうところにはアメルデの後ろ姿が見える。
「ああ、ラズハルトくん、こっちよ」
キラが扉をくぐったことに気がついたアメルデが手招きをしている。中は照明が一部しかついていないせいで薄暗いだけの普通の歯科医院といった感じだが、その暗さと静けさのギャップで余計に異質に見える。もしかしたらアメルデとタシアに化かされているのではないかとも少し思いながら腰が引けたままずりずりとアメルデの方へ歩み寄った。
「ラズハルトくん、彼がフェルト先生。警察の……というか、私の個人的な捜査を手伝ってくれているのよ」
アメルデが壁際に身を寄せて、その奥にいる人物を見せてくれたが、キラはその人物を見てポカンとした。あまりにも普通のおじいさんなのだ。
年の頃はおそらくキラが住んでいたアパートの大家さんであるカプラよりいくらか下だろう。驚くべきはその印象だった。本当に普通の人といった感じなのだ。朗らかな笑みを浮かべ、頬が赤っぽい、そのシワは笑みによって形作られたのであろうという人。このおじいさんはお医者さんなんですよ、と外で紹介されたらその風貌と雰囲気だけできっと患者さんに人気のおじいちゃん先生なんだろうな思うような、そんな人なのだ。
しかしそれは今、異常だった。だってキラがいるのは中は綺麗に掃除されているが、薄汚いビルの目立ちにくい二階にある看板の傾いた歯科医院で、中は綺麗にされているとはいえ、初見では予約を取り消してもう二度と来ない人がいても不思議では無いようなところなのだ。
「やあ、わしはフェルト。この医院で医者をしているものだ」
キラの目の前の老人は朗らかな顔のまま挨拶をした。右手を上げて軽く手を振るおまけ付きで。キラはしばらくジーッとその老人を見下ろしたが、すぐにハッとして口を開く。
「あ、キ、キラ・ラズハルトと申します。その、よろしくお願いします……?」
「はい、よろしく」
アメルデはふたりが自己紹介をすませたのを見てうんうんと頷くと、キラの方に向き直って説明し始めた。
「それではラズハルトくん、これから君の歯の治療痕などがこのキラ・ラズハルトのカルテと一致するかどうかをこのフェルト先生に確かめてもらう」
治療痕などが一致すればキラ・ラズハルトであると医学的にも証明されることになるということだ。こういうのは本来警察歯科医によって行われるのだが、フェルトはアメルデほか一部の警察官の個人的な依頼を受けおっている。まあ、そういうこともあるのだ。
「それではこちらへ」
キラはフェルトに促されてスリッパに履き替えると最新型ではなさそうなものの綺麗に整えられた観葉植物の置かれた診察室に進んだ。